第6話 王都とやらに行ってやる

「君が持ったら、話ができないでしょ……そうそう。茶器もチェス盤も大事だし、このトレイも実に便利な道具だから置いてはいけないな」

『分かった、貴方の大事なものは全部持ってゆこう……そう、木箱が必要だ』


 駆けてきた遊歩道を今はゆっくりと歩いて戻っている。

 ピピはトレイを、アラスタは会話機トーカーを持ちながら。

 彼がまとう隊服の背中には白墨チョークの文字――「空気エアー」が残ったままだ。

 濃く太く書かれているのでちょっとはたいたぐらいではどうしようもない。


 自分の頭のてっぺんが彼の肩の高さにあることをつむじを寄せて確かめた。

 同じ地面を歩いているのに高さも太さも全然違う。

 得意であった疾走でも勝てないだろう。悔しい。

 人間の中で自分は一番小さくて弱いのではないか? ピピの手足はもう伸び切っている。


『貴方の声は美しい』


 嘘じゃないと頷いて見せる彼と眼が合う。


「君のもいいと思うよ、もう一度聞かせてくれないか?」

 

 ピピが頼むとアラスタは難しい顔をした。


『人前で喉を鳴らすのは恥だと考えられている、王国ではね』


 ピピが「妖精王オベロンごっこ」をして、彼を羞恥させたのを思い出した。

 謝った方がいいのかな。すると諸々の嘘がバレてしまう。ピピは嘘をつき過ぎている。 

 

 胸の奥から湧く何かがピピの足を止めかける。身体が冷えている。

 長く一人でいてこんな気持ちになったことはない。なぜだか分からぬ。

 空腹でもない。

 少し黙っているうちにアラスタは書き進めている。


『貴方には誠実でいたいと思う。王国では嘘とまでは言えないような書きぶりをしたり、話を逸らして誤魔化したりするんだ。だから、「嘘つき」というのは妖精王オベロンの言うとおり。しかし、ピピ様、貴方のように。少なくとも貴方には誠実でいたい』


 王宮での権謀術数に堪え、むしろ使い倒してきたアラスタである。彼は今、空気エアーについて語ろうとしていた。ピピの方は、湖の底は思った以上にひどい国のようだなあ、などと感じているだけだ。


「王国にゆくのが嫌になってくるなあ」正直に言った。

 

妖精姫ピピ空気エアーを大事にする、約束しよう』


 もう20歳だし王国に行くのは仕方がない。

 空気エアーがあることに満足するしかないね。



 **



 湖畔。

 水面に浮かぶ荷物を眺める二人。


 ピピが長年収集した大事なものは藁で包まれて運搬用の木箱に収められた。表面に塗布された樹液は撥水して内部への浸水を防いでいる。宛名のタグにはアラスタが署名した。河から流すと湖にぷかぷかと浮かびながら沖に少しずつ引き寄せられてゆく。ピピの荷物の他にも上流から流された商品――小精霊が製造したものが沢山浮かんでいる。湖の底で待ち構えた商人たちが全部回収してしっかり分類するので心配は要らないらしい。

 

 荷物を送り出してしまえば、後は自分がゆくしかない。

 

 ピピは荷物をじっと眺めていたが、眩しい光の中に消えるのだけが見えた。

 ゆくと決めたからにはゆくのである。

 

 人間は誰でも飛べるとか訳の分からぬことをアラスタが言うので、王国の人間の話は知らないが「おとぎの島」の人間――ピピは飛べないと正確に説明してやった。飛ぶのは実に楽しそうなので残念なことである。

 

 では仰せのままに、という顔をしたアラスタは、さっと脱いだ上着をピピに羽織らせた。

 ぶかぶかである。見た目より意外と柔らかい生地、などと思っているうちに背中にまわされた片腕を支えにして、もう一方の腕がピピの両脚を軽々と抱え上げる。

 抱えられたピピの身体は横向きにアラスタの上半身に寄って、顔が間近になる。

 なぜか分からぬが、ピピの身体は柔らかな部分が多い。彼に知られてしまって顔が火照るのが分かる。

 

 ――飛ぶよ


 両手を使っているアラスタは喋ることはできないが、そんな感じのことを表情で伝えた。


「うっかり落としたらすぐに拾ってよ」


 ピピは泳ぎは苦手である。恥ずかしさ隠し、威厳をもって言った。

 柔らかいから手を滑らせた、なんてことのないようにだけ注意願いたい。


 ――絶対に落とさない


 彼はそんな顔をする。


 不思議と怖くはないのが、なぜだか分からぬ。  

 彼の身体は大きく、柱登りで見た腕の力は信用できるはず。

 落っことすことはないだろう。

 ピピは両手でアラスタの首を抱えて重心の安定を確保した。


 飛んだ――

 空が広がってゆく――

  

 

 光が眩しくて視線を真下に向けると商品が水面に浮かんでいる。

 硬い木箱にらしからぬ柔らかそうなものが張り付いている。


 カトドだ!


 ピピは指を差して知らせる。

 喋り猫を全然知らない彼は不思議な顔をするだけ。

 ピピは声を張って。


「おーいカトド、今から王国へゆくんだ。君は商品に乗って何してるんだ?」


 昼寝から覚めた直後のような気だるい声で。


「王国へゆくなら商品に乗るのが一番さ。ちょっと濡れるけどね」


 アラスタは湖面近くまで下りてくれた。

 透かさずカトドは商品を蹴って飛び上がり、アラスタの足に爪を立てて張り付いた。

 するするとよじ登って、ピピの折り曲げた腹の真ん中で身体を丸める。


「やあ初めまして、俺は喋り猫のカトド。ピピのついでに王国まで連れててておくれ、アラスタ」


 いくつかの疑問を抱いている様子のアラスタに向かって説明を足した。


「ピピの持ってゆく荷物の一つみたいなものだよ、うっかり忘れられてたみたいだけど」

 

「そういえば忘れてたな……。けど、君は王国に行かなくてもいいんじゃない? 人間じゃないんだし」

「たまにゆくんだ、島にはない食べ物があるからね」

「へえ、その話、前に聞いたことあった?」

「ううん、今まで黙ってたからね」


 ピピがカトドを睨みつけるうち、二人と1匹は光の中に入る。


 水の爆ぜる音がはるか下で鳴っている――

 ピピは両腕に力をこめたのでアラスタの整った鼻梁はひん曲がっている――

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