第4話 嘘と本当の追い駆けっこ
家に住みついた「小精霊」がこっそり家事を手伝ってくれる、そんなのは100年も前の昔話。
工場地に変わった「おとぎの島」で、国王の使役する「小精霊」が、砂糖や紅茶、妖精の粉を大量製造することで王国は豊かさを享受していた。
使役魔法の代償は「声」――獣のように鳴くことしかできず、口や喉で話していたことを忘れかけている時代、人々の間では筆談用の機械(会話機)が広く普及している。
――アラスタが筆記した文章を読み返して、頭の中で要約してみた。
嘘をついているようには見えない。
ピピは自分が言った嘘を訂正すべきか思案しているうちに、彼はペンを進めていた。
『私たちのことを国民が知れば歓喜するだろう』
ちょっと待って欲しい。自分の嘘が王国中に波及してしてしまう。
『過去100年で最も祝福された二人になる』
細い金線が紡がれるように細工されて布のように滑らかな腕輪、留められたサファイアの色は深い。ピピの瞳の色に似ている……らしい。さっき彼が差し出したので、面白がって自分の腕に付けて揺らたり
『貴方と婚姻できる私は幸運な男だ。王位に就けば「幸運王」とでも呼ばれるかもしれない』
あー、そのことなんだけどね。ちょっとした誤解があったみたいかな。
妖精姫っていうのは……。
――全然ごっこ遊びじゃなかった。
ようやく気付いたピピは、とりあえずチェス(と呼ぶらしい)の盤と駒を元の箱に仕舞った。手先を動かすと動揺が紛れるのではないかと思ってのことだが、効果は見られない。
アラスタに眼を戻すと、穏やかに笑みを浮かべてこちらの返事を待っている。
妖精姫としての威厳をどうにか保って聞いてみた。
「王国には木の実はないだろう? 沢山採って持ってゆかねばならないね」
湖の底の国に森はあるまい。
そもそも人間はどうやって息をしているのだろうか……。
魚のようにエラがあるわけではないことはアラスタをじっと見て確認済みである。
『林檎、ナッツ、オレンジ、ベリー……きっと此処では見ないようなものが沢山生っているし、珍しい果物も他国から入ってきている。王国には全てが集まっているんだ』
ふーん。どうやら木の実には困らなさそうだな。
魚もいるだろうしね。
「
『
息を止めなくて済むのに安心したが、何でもないフリをして、へえ、と頷いた。
思ってたよりずっと良さそうじゃないか。
だが……。
――本当だろうか?
人間は嘘をつくとカトドは言っていた。アラスタの言うのが丸ごと全部本当の本当とは限らないのでは……。適当にいいことばかり言ってるんじゃないか……。
湖の瞳が急にこわくなってくる。
ピピは泳ぎがあまり得意ではなかった。
湖の底で空気を探してもがく自分の姿が思い浮かぶ。
茶器とチェスの箱をトレイの上に置いて「片付けてくる」と言って席を立つ。
東屋から出て隣の小屋に通りすぎてトレイを持ったまま疾走する。
やっぱり嫌だ。こわい。
もう20歳になったから人間の国に行かないといけないって。
無理だムリ、こわいこわいこわい。
ピピは湖の底に行かねばならぬと分かっていて決心がつかずに湖畔で過ごしていた。
想像の中で恐怖は常に増大する。恐れていたものが自分を迎えに来るようにして現れて、成しかけていた決心は揺らいでいる。
遊歩道を駆けてアーチをくぐった。
かちゃかちゃと茶器とチェスの駒が鳴っている。今気づいたがもらった腕輪も付けたままだ。振り返ると東屋から出てきたアラスタが見えた。
さらに速度を上げる。
もう一度振り返ると、一番小さい駒みたいに小さくなっていた彼が追いかけて、馬の駒ぐらいの大きさになっている――両手が塞がっているので速度はあまり出せていない。
東屋に置いてくれば良かったと後悔しても遅い。
二つめのアーチの柱のぎりぎりを抜いてから、横に逸れて茂みにもぐりこんだ。
ガーデンの路地はチェス盤みたいになっている。
まっすぐ進んだように見えたに違いない。
アーチ――大きな門が遊歩道を区切っており、門に扉はいつも開け放たれている。
茶器を木の根元のくぼみに入れて小枝か何かが飛んで落ちてきても割れないようにチェスの木箱とトレイで屋根を作った。
身をかがめて茂みを進むうち、気配を感じて振り返る。
アーチの近くでアラスタが肩で息をしながら立ち止まった。
ピピはじっと息を潜めた――
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