第3話 ごっこ遊びは二人でもいい

 湖畔から場所を移し、河沿いに上流に向かう。道を進んでゆくとやがて正門が見えてくる。


 王都に古くからある庭園ティーガーデンを模して造られたもので、100年以上前、王都と「おとぎの島」の行き来が許されていた頃には流行っていたらしい。


 正門を通り抜け、美しい並木通りだったはずのと遊歩道を進む。長い歳月、手入れされずに草木は自由気ままに育っているので、今はほとんど森の中のようになっている。

 やがて、ひっそりと建っている東屋(あずまや)が見える。


 丸い屋根の下、アラスタを促してテーブル横の椅子に座らせると、【彼女】は、隣の小屋に入って茶器とお湯を用意して運んだ。


 湖畔の風に当たり冷えた身体を元に戻すには必要な、いつも通りのことである。

 二人が隣り合って座って、カップに注がれたあたたかいものを口にする。

 テーブルの上、二人の間にボードを置いて、アラスタが会話を再開する。落ち着きを取り戻した彼は交渉の進め方を少し変えている。


『野趣に富んだ景色に心がなごむ。ずいぶんと身体が冷えていたようだから。ありがとう、白湯もいいものだね』


 思案して止めていたペンが動き、慎重に質問が加えられた。

 

『砂糖を入れた紅茶などは、あまり好きではないのだろうか?』


 馬鹿な、砂糖も紅茶も商品にして荷詰めするから残るものは何もない、と言ったらアラスタは一瞬だけ表情を固めたが、すぐに優しげな笑みに戻した。


 彼の様子は少し気になったが、そんなことよりもだ。【彼女】は膝の上からテーブルに出して広げる。白っぽい木と黒っぽい木が組み合わさった正方形の盤に、形の違う駒が沢山。


『ああ、チェスが好きなのか?』

 

 チェス? 知ってるなら話は早い。

 【彼女】はさっそく開始した。


「じゃあ、君は馬の役、私は小さい駒にする。森で一緒に木の実を探そう」


 アラスタに馬の駒を無理やり持たせて、【彼女】は盤上をぐるぐると駒を動かして、見つけた木の実を摘んでは馬の背に乗せてゆく、という仕草と台詞。

 

「ほら、見えるだろう、高い木に沢山生ってる。君の背中に乗っただけでは手が届かないな。背中の上で立ってみよう……。もう少し足りないね」


 ごっこ遊びである。

 アラスタと対峙した時に【彼女】は思ったのだ――駒で一緒に遊べるじゃないかと。


 片手で馬を持ったまま、アラスタは紙に書く。


『馬は後ろ足で立って、頭の上に貴方を乗せた。……ほら、これで届くだろう』


 馬の上で【彼女】は飛び跳ねて喜んだ。


『チェスも楽しいね。さて、私はまだ、貴方の名前を知らない。教えてもらえないだろうか?』


 嫌な質問がなされて【彼女】は飛び跳ねるのを止めた。

 馬の頭の上で小さな駒は思案する。閃き。今まで思い付かなかったのが不思議である。


 ――今、此処で自分の名前を付けてしまえばいい。


 幼い頃からの記憶を辿って、自分に相応しい何かがないか探る。浮かぶ情景に思いを馳せた。長い長い時間であったが思い返してみれば一瞬のことだ。


 ヘルムをかぶった小精霊を思い出した。

 小精霊は古いものが好きなのだ。彼のヘルムは眼の部分にある細長い横穴のほかにも、後頭部がひび割れていたので、風が吹く度に笛が鳴るような音が響いた。



 ぴーぴゅーぴー


 幼かった自分は、彼の肩に乗ったり、背中におぶわれたりして一日を過ごしていた。

 まだ、小精霊たちに混じって労働を始める前のことである。

 風が吹いてヘルムが音を出す度に【彼女】は喜んだのだ。

 懐かしさがうすーく細めさせたままの眼をアラスタに向けて告げる。


「ピピだ。私の名前はピピ」


 名乗るとアラスタは大きく頷いて見せた。

 

『ありがとう。では、初めから……ナイト、馬の駒は置いておこう。私はこちら……この駒はキング、王様を示している。ピピ様、私は王太子であり、実際には現国王から妖精王との交渉に当たって全権を任されている、国王と同じと思ってくれていい。国王代理の王太子、アラスタ・アーシュだ』


 湖の瞳は屋根の下でもキラキラとした光を湛えている。


『私は妖精王オベロンと会って交渉を行おうと考えている。ピピ様、貴方は何か、妖精王オベロンについて何か知らないだろうか?』


 あー、そうか。

 国王とか王太子とか、そういうことか。くふっ、と笑いを堪える。

 いかにも神妙な表情を浮かべたアラスタを見つめる。

 

 思い出したのだ――人間はよく嘘をつく。

 カトドが言っていたとおり、確かにそうみたいだ。

 アラスタには馬の役を当てていたのに、役を急に変えるのは良くはない。良くはないが、ごっこ遊びにはうってつけの面白い思いつきだとも思える。

 ふうむ、と宙を睨んで考えた仕草をして見せた後、ピピは彼の提案に乗った。

 

「妖精王、名はオベロンだろう? 知っている、「おとぎの島」の王様だ」

『やはり知っているのか。居所を知らないだろうか?』

「時が満ちれば妖精王オベロンは現れよう。探して見つかるような王ではない」

 

 仰々しく中身のないことをそれっぽく言って誤魔化す。

 ピピは妖精王オベロンの居所は知らないけど、探しても無駄というのは間違いとも言えない。嘘と本当の中間ぐらいの説明は、なぜか急いているアラスタに効いた様子。

 

『ピピ様、貴方は……。「おとぎの島」にいる人間の貴方は何者なのだろう?』


 横顔に思案の色を浮かべていた彼は疑問を書き終えたら顔をこちらに向ける。

 湖の瞳は二つになった。水面が揺れるようなきらきらした光。じっと見ているとなぜか鼓動が早くなるのを隠して、ピピは彼を睨みつける。二人でするは初めてなので緊張してしまう。でも、長い間、多様な役を演じてきたピピは、邪魔な緊張を抑え込んで隠し切って、自信あふれる表情を見せつけて言ってやった。


「私は妖精王オベロンの養い子。妖精姫のピピだ」


 どうだ、驚いたろう? ペンを落としそうなアラスタを見て満足する。

 盤上ではアラスタがまだ辛うじて持っている馬の駒にピピは自分の駒を乗せた。

 やっぱり二人でするは違う面白さがあるね。

 さあ、妖精姫はもっと沢山の木の実を所望しているぞ、抱えきれないほど持ち帰ろう。

 馬の頭でぴょんぴょん飛び跳ねているが、アラスタにじっとしたまま。

 思案に揺れる瞳はやがてぴたりと動きを止める。

 今から言う《書く》のをよく見ててね、という気配を放った。 


『私、アラスタ・アーシュは、妖精姫ピピに婚約を申し出る』


 どうやら只者ではない。彼はの強者のようだ。想定しない方向に遊びを進ませた彼に胸のうちで拍手を送る。そうしながらも、妖精姫として威厳を保ち、驚きを潜めたまま、湖の瞳と、次の台詞を綴る彼の手を交互に見つめる。


『王権を代理する私の申し出は直ちに効力を発する。ピピ、貴方が記録に署名すれば婚約は成立する。そうここに……。署名してくれないか?』



 ピピは、巾着ポーチの底から自分の奪ったペンで書く――

 

 喋り猫カトドの似顔絵である。

 次に、ピピは自分の名前を誇らしげに書いた――


『ピピは婚約します』

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