第1話 おとぎの島へのアクセスは良好

 王都を横断して流れるタメシス河。

 歩道の並木のものか――ミモザの花弁が水面を漂いながら広い海まで至る。数日の暖かさと春嵐が花弁を散らしている。

 王城を中心として、各地につながる多くの道の間は、ぐるぐると更に多くの道が編み込まれて不器用な蜘蛛の巣のようである。

 眼下に広がる景色から、幾度目かの感慨をまた抱き、王都の上空を飛び続ける。

 

 王国軍人である。


 詰襟、狼黒色のメルトン生地の隊服には、同色だが艶のある飾紐が肋骨のように横に並ぶ。丁度、鎖骨の上を横切った紐は肩でミモザの花弁のような形に結ばれて袖口につながっている。陽光が金色に照り返す肩章は高い地位を表す。

 飛行用のフードが頭部をおおい、さらにゴーグルを着用していて顔貌は露出していない。将校一人が最大速度を保って海に向かっている。銃も剣も持っていない。

 

 キャピタル湾まで出て静止。

 宙に浮かぶ【彼】は、のけぞって首を曲げて眼をこらす。掌で作ったひさしで避けるのは陽ではなく水の飛沫である。ゴーグルの下にある神妙な表情を深めた。

 会おうとする者を胸中に思い浮かべるが像を結ばない。


 ――相手の姿を知らないのだ。


 天空につながる水の柱。風にゆれながらも激しく海面で爆ぜる。キャピタル湾の塩気を薄めているのは、タメシス河だけではない。上空から川が垂直に流れ込んでいる。

 

 海に落ちる滝だ。


 陽差しが水面近くに幾重にも虹を架けている。

 タメシス河をたゆたっていた花弁は滝の強める波間に消えた。

 海底に沈んでゆく花弁とは逆に、【彼】は、ぐんぐんと高度を上げる。

 滝の柱をぐるりと旋廻して水の幕の薄いところを見定める。

 行き先を見間違うことはない。滝の源は眩く白く輝いているのだ。


 姿は消えた。


 何事も起こらなかったように爆音が響いている。


 もう姿のない【彼】が飛び立ったのは、王城の西塔――時計台であった。時計の長針はぐるっとまわって鳴った鐘は二度だけ。


 ――「おとぎの島」に行くには、30分ほど飛べばいい。



  **



 静かな岸辺に【彼女】は立っている。


 風が作り出した波がゆるやかに押し寄せている。対岸を見ることはできない。湖の沖は白く輝いて、ずっと眺めていると眼が痛む。長く暮らしているが湖を一周してみようと思ったことはなかったし、意識的に避けていた。

 

 光に水が吸い込まれているのを知っているからである。


 湖に近づく時に常であるが、命綱を結わうことに余念がない今であっても、光から大きな鳥が飛び出してきたのを【彼女】は見逃さなった。


 周囲を警戒して見渡すようにぐるりと上空を旋回している。

 翼のない不思議な鳥だ。


 黒っぽい色をしているけど羽毛ではないようだ、身体にぴったりと布をまとっているようにも見える。腕が2本、脚も2本。やたら大きく平たい眼は陽光を反射してぎらりとする。


 平たい眼は不気味だけど、胴体から手足が伸びる位置や均衡が似ている……。自分の白っぽい姿と比較する――モスリンの白地のワンピースには青と茶の綿糸と銀糸で植物柄が刺繍されている……。見えた鳥が黒いのは、自分とは服が違うだけでは?

 

 固く結んだ命綱を解く猶予はないかもしれぬ。

 震える指先を結び目から離す。

 腰に付けていた短刀でロープをばらんと切り落とした。


 ――カトドが言っていたのが本当なら。


 行き先を定めて移動をはじめた黒いのを追う。

 足の裏にさらさらとした砂粒が心地好い。命綱なしで湖畔を走るのは長く暮らしてきてはじめてのことだ。疾走する【彼女】の揺れる視界の中で、黒いのは河沿いを遡上しようとしている。河では此処――湖畔の砂地のように足元を見ずに走ることは危なくてできない。


 ――カトドが言っていたのが本当なら。


 ずん、と踏み止めた足が地面が鳴る。

 指先に力をこめて砂を握るように踏ん張りながら、大きく息を吸う。

 遠ざかってゆく黒いのを、射るように声を放った。


「おーい、おーい、翼なしで飛ぶ鳥! 此処にいるよ! お前はずいぶん行き過ぎてる!」


(君が話しかけたらねぇ、人間はちゃんと気づくよ)


 カトドの言うのは正しかった。

 黒いのはやっぱり鳥じゃないのだ。


 自分以外の人間を【彼女】は初めて見つけた――

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