【短編】お兄ちゃんのラーメン

夏目くちびる

第1話

 端的に感想を言うのであれば、『もうこれなしでは生きられない』、『くれるなら何でもする』、『快楽堕ち』と言ったところでしょうか。



 我ながらクッソくだらない下ネタを言っているんじゃないかという、そこはかとない罪悪感を抱きながら夜のリビングに降りていくと、今日のお兄ちゃんは鍋で煮込んだ豚骨のスープの仕上げをしていました。



 ラーメンです、〇ーメンではありません。



 本当、こんな事を考えてしまうクソアホ陰キャメス豚女子高生ですいません。だから友達もいないんだと理解しています。反省してます。信じてください。



 そんな私が、この物語の語り部です。アイドル系美少女じゃなくて残念でした。



「くっさぁ」



 鼻に抜ける刺激的な匂いに快感を覚えながら、私はお兄ちゃんの背後からグラグラと揺れる湯を見ました。

 ドロドロに濁った液体のダイヤモンドの、表面に浮く脂が艶めかしくテカって私に植え付けた特濃の味を思い出させます。



 背ガラとひき肉と香味野菜を三日間煮込んで、骨髄までとろけ切った不健康そのモノな固形のような白濁。

 これにキリリと筋の通った醤油ベースのタレをミックスして、私を虜にする罪なモノ。いいえ、罪そのものを生み出すつもりなんです。



 こんな情景を目の前で見せられたら、興奮して立ち止まっていられるワケがありません。



 更にタチの悪いことに、お兄ちゃんはわかっていてやっているんです。お兄ちゃんの思うがまま、好きに操られるだけの人生を歩む妹の私のなんて憐れなことでしょう。



「お兄ちゃん、今日もいれるの……?」

「あぁ」

「どうせ、嫌だって言ってもやめてくれないんでしょう?」

「あぁ」

「酷いよ、そんなの入れられたら私。あぁっ!!」



 お兄ちゃんは、泣きそうな私を無視してタレとパウチされたぶっとい肉の塊を煮立った湯の中にぶち込みました!まだ白色が残るその肉が、赤く破裂しそうになるまで熱の中で蕩かすのです!



 おまけに、このお兄ちゃんはあとで丁寧に肉を炙るのです!ガサツで鈍感なクセして、どうして私の求める事だけは忘れずにこなしてくれちゃうのでしょうか!



 罪悪感が凄い!お兄ちゃんは特別だと分かっていても、やっぱり罪の意識には抗えないのです!



「お前、アブラ入れるか?」

「そんなモノまで入れたら、本当に壊れちゃうよ」

「素直じゃねぇな、我慢してんなよ」

「……ほ、本当は欲しいです」



 お兄ちゃんは、スープの鍋をコンロから外すと今度は鶏の皮をじっくりと焼き始めました。



 鶏油チーユです。目立たない存在ですが、確かに味わいを深くしてくれるラーメンにおける影の立役者です。



 背油よりはサッパリとして見えるこの鶏油も、本当は決して女子高生が堕ちて許される快楽ではないのです。他の子が綺麗になるために頑張っているのに、私だけがみんなに隠れてこんなモノを口にするだなんて。



 あぁん。



「お前、太いのと中くらいのどっちがいい?」

「いや、まずこれは何ラーメンなの? 山岡系? 二郎系?」

「わかんね、俺が食いたい系の濃い味ラーメン。家系っぽい何か」



 でしたら、ご飯との相性も兼ねて中太がいいです。喉に濃いスープの味が絡みつく間に、白米に喉をグビグビ侵される感覚は何者にも代えがたいです。そんな快感で、私の脳は洗脳されているのです。



 もちろん、麺の話です。



 米と麺。二つも炭水化物を体に入れるのに、太過ぎてはお腹が赤ちゃんが出来たみたいになってしまいますので遠慮しておきます。



 ……なんて、こんなささやかな抵抗にきっと意味はないのでしょう。私は、お兄ちゃんのラーメンには決して抗えないのですから。



「それ」



 グラグラと煮立った湯の中へ麺を入れると、踊るように水中を泳ぎます。こんなように、私の中に入ったこれらはユラユラと進み行きお腹の奥に届くのでしょう。



 良く噛んでのみ込めとお兄ちゃんに怒られますが、私は我慢ができず仕切りに手を動かしてしまいます。あまつさえ、汁をも喉を鳴らして飲んでしまいます。



 嫌がっているのは、所詮フリです。本当は、中に入れたくて仕方ないのです。



「海苔とほうれん草と玉子と、肉は何枚食う?」

「いっぱい欲しい、端っこはご飯に乗せてください」

「欲張りめ」



 お兄ちゃんは、温められたチャーシューをパウチから取り出してバーナーで炙ると綺麗に切り分けてくれました。



 醤油の焦げた匂い、脂が弾ける匂い。中心に残る僅かな淡いピンク色。あの柔らかい部分を舌の上で転がすと、得も言われぬ快感に襲われます。



 更に、にんにくを溶いたスープの味を染み込ませ、ご飯に乗せて一緒にかき込めば。



「……じゅるり」



 想像するだけで、ヨダレが垂れてしまいます。あぁ、どうかこんな端ない妹を嫌いにならないでください。



「ほら、出来たぞ」

「ありがとう」



 そんなワケで、私たちは二人で食卓に付きました。



 目の前に置かれているのは、大盛りのラーメンとミニチャーシュー丼。白髪ねぎと辛味噌をトッピングしたお椀も気になりますが、まずはお兄ちゃん特製の豚骨醤油スープを一口。



「あぁ!!」



 美味しすぎて、体を捩ってしまいました。この一週間、我慢に我慢を重ねた欲求の濁流が、ドーパミンを脳みそへ注ぎ込んで気が狂いそうです。言葉が、想いが、つい口を出て――。



「きもちいいっ!!」

「うわ、キモ」



 幸福と充実感が冷めやらぬうちに、麺を啜ります。美味し過ぎて、ジュルジュルと下品な音を立ててしまいますが、それでも気にしていられるほど余裕もないのです。



 もちろん、ご飯の事だけは忘れません。口いっぱいに広がる極上の旨味で、海苔で包んだ白米をコーティングした美味しさはまるで合法の代物とは思えません。



 こんな快楽に身を焦がされれば、私のような生娘がラーメンにシャブ漬けされて堕ちても仕方がないと思いませんか?



 申し訳ございません、もうお兄ちゃんのラーメン無しでは生きていけないのです。



「明日、父さんと母さんが帰ってくるな」

「うん」

「その腹見たら、多分ビックリするだろうな」

「うん」

「頑張ったもんな」

「うん、えへへ」



 そして、私は一年前までとは違うスッキリと痩せたお腹を擦って、再びラーメンをかきこみました。



 実を言うと、私は70キロを超えるおデブちゃんでした。それはもう酷いモノで、毎日大盛りご飯とたっぷりのおかず、おやつにポテトとコーラとカップケーキを食べてました。



 中でも一番好きなのは、ラーメンでした。放課後や休日も引きこもり気味な私ですが、お小遣いはすべてラーメンにつぎ込むくらい食べ呆けていたのです。



 そんなある日、お兄ちゃんがこんなことを言いました。



 ――痩せろ、デブ。



 お兄ちゃんの提示した条件はこうでした。



 一週間のうち、6日間は高タンパク低カロリーの完全な食事制限と合理的な運動を行う代わりに、日曜日だけはお兄ちゃんがすべて手作りのラーメンを作ってくれる。



 ――手伝ってやるから、貴重なJK時代をクソブスで過ごすなよ。俺の妹なんだから、痩せりゃかわいいだろ。



 そんなワケで、私は両親が海外出張で居なくなった高校一年生の間、お兄ちゃんの完璧なスパルタダイエットをして過ごしたのです。



「父さんなんて、嬉しすぎてひっくり返るかもしれないぞ」

「んふふ、うん」



 結果、おデブちゃんでかわいくなかった陰キャな私が、痩せてクソアホ陰キャメス豚女子高生になったということです。



 お兄ちゃんの妹ということで、自分でも顔とスタイルはいいんじゃないかと思えるようになりましたが。代償として、ラーメンに脳を支配された哀れな女が生まれたということで。



 果たして、お兄ちゃんの言う通り貴重なJK時代を過ごせるのか。そこのところは、ハッキリ言って不安しか無いのでした。



「私ねぇ、お兄ちゃんと同じくらいラーメンを上手に作れるカレシを作るよ」

「そうかい」



 呆れたようにつぶやくと、お兄ちゃんはご飯もなく私よりも少ない量のラーメンを静かに啜りました。



 なぜ、こんなにも美味しいご飯を作れるお兄ちゃんが、誰にも管理されず自分から節制とトレーニングをこなして抜群のプロポーションを保てるのか。



「でも、カレシの前ではキモいこと言うのやめとけよ」

「え、口に出てた?」



 兄妹なのに実に不思議だと思い、私は最後のチャーシューを体の中にぶち込みました。



 一週間後が、とても楽しみです。

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