新米精霊ですが、執着強めの最強精霊に溺愛されています
すず
≪1話完結≫
「わぁ~。楽しそう」
肌を焦がす真夏の日差しが容赦なく照りつける。国中に張り巡らされた水路では、子供たちが楽しげに水遊びに興じていた。何をするにも暑いこの季節、山から流れてくる雪解け水はさぞ気持ちいいことだろう。
ここは大公家が治める公国──といっても、その大きさは一般的な国の街一つ分にも満たない。そのえ、四方を切り立った山々に囲まれ、他国とは隔絶されていた。
「あっ!」
空高く舞い上がった水しぶきに、私は大きな声をあげた。子供たちの一人が舞い上げた水しぶきが、近くを散歩していた老婆へと降り注いだのだ。
私は慌てて屋根から飛び降りた。
「だ、大丈夫? あぁ、結構濡れちゃってる。怪我は……なさそうね。あっ、でも地面が濡れているから足元には気を付けてね」
老婆からの返事はない。
それもそのはず、精霊である私の姿は人間には見えていないのだ。もちろん声も聞こえていない。
──あぁ、もう! こういう時もどかしいっ!
同じ場所にいるのに自分一人だけ取り残されたような気持ちになり、無意識のうちに項垂れる。そこへ子供たちのはつらつとした声が響いた。
「ババさまだ!」
「ババさま~」
一瞬自分の姿が見えたのかと思って驚いたが、どうやら子供たちが老婆に気付いただけのようだ。驚く私の隣で老婆が子供達へ優しい笑みを向ける。
「おやおや、楽しそうだねぇ」
「うん! つめたくてきもちいいよ」
「そうさね、そうさね。このお水はウンディーネ様のお恵みだからねぇ」
「ウンディーネさま?」
「あの山にいる水の精霊様だよ。深い深い山の奥にある泉に住んでらっしゃるんだ」
子供達が「すごーい」「へぇ~」と感心したような声をあげる。この国の子供達は、幼い頃からこうして精霊の話しを聞いて育つのだ。
精霊とは自然に宿る人ならざるもの。
そして、その四大精霊のうちの一人・水の精霊ウンディーネというのが私のことだ。まぁ、私は新米精霊なので他の三人と比べると大した力はないのだが。
先ほど老婆が言ったように、私の住処はこの公国を囲む山の中にある。そのせいもあってか、ここの国の人たちは私にとても好意的なのだ。見えずとも聞こえずともこうして自分の存在を語り継いでくれる。それがどんなに嬉しいことか。
「さぁさぁ、お前さんたち。日が暮れる前におうちへお帰り」
老婆の声にハッとする。
私もそろそろ帰らねばマズい。こっそり出てきたのが見つかれば、口うるさくて過保護な教育係に小言を言われてしまう。
家路につく子供達の背を見送った私は、先程まで子供達が遊んでいた水路へと足を踏み入れた。ひんやりとした水の気配に身を委ね、自分の住処を頭に思い浮かべる。
すると、水がするすると伸び上がり、私の体を包み込んでいく。不思議な光景ではあるが、もちろん人間たちには見えていない。ただ水路がサラサラと流れているようにしか見えていないだろう。
やがて、パシャンと水が弾けるような音が耳に響く。目を開けると、周囲の景色が変わっていた。
生命力に満ちた新緑の木々。底まで見通せる澄んだ泉。この泉が私の住処にして力の源だ。水を司る私は、水を介して移動することができるのだ。
「ふぅ、間に合ったみたいね」
ぴちゃぴちゃと水の上を歩き、
「ウンディーネ、どこへ行っていたんだい?」
「ひぎゃあああぁぁぁ!!」
静かな森に私の奇怪な悲鳴が木霊する。
そんな私の目の前では、地面が生きているかのように波打ち始める。そして、そこから一人の美丈夫が姿を現した。
豊饒の大地を彷彿とさせる色の髪に、民族衣装のような長衣を纏った男。恐ろしいほど整った顔をしたこの男の名はノームという。私と同じ四大精霊──大地の精霊だ。
ノームの麗しいながらも底冷えのする笑みに、私の危機察知能力が全力で警鐘を鳴らす。
「ノ、ノーム……や、やっほー」
ぎこちないながらも平静を装って声をかける。ノームは笑みをたたえたまま、シャランと涼やかな足環の音を響かせて近づいてきた。
「また人間のところに行っていたね?」
「え、え~と……なんのこと?」
「…………」
「僕が知らないとでも?」
マズい。これは確実にバレている。とてもじゃないが怖くて目を見れない。
明後日の方へ視線を向けつつ無言を貫いていると、スッとノームの腕が伸びてきた。その手が私の両頬をムギュッと押さえこむ。
「うぶっ! ノ、ノーム……ち、近いってばっ!」
「僕の言いつけを破るなんて悪い子だね」
「ちょ……聞いてる!? ち、ちかっ……近いんですけど!」
「さて、言うことを聞かない子はどうしてくれようか」
美形がすぐ間近に迫る。私より長いまつげで縁取られた瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。意地悪そうにちょっとだけ口の端を上げる仕草が妙に色っぽくてムカつく。
ノームがここまで私に過保護なのは人間を警戒しているからだ。むしろ嫌っていると言ってもいい。理由は、人間が己の都合だけで自然を穢すからだ。
──人間にだって良い人はいるのに。
特に公国の人間は、精霊そのものに敬意を払って自然をむやみに壊すことはない。水の精霊である私など崇められて、秋にはお供えまでしてくれるのだ。そんな温かい人たちも悪とひとくくりにするのは納得がいかない。
そんな事を胸の内で思っていると、大きな溜息が聞こえてきた。どうやら私の考えがそのまま表情に出ていたらしい。
「はぁ……いっそのことキミを永遠に僕のそばに置いておいた方が安心かな」
「ひぃ! こ、怖いこと言わないでよ」
「ああ、ごめんごめん。わりと本気だから気にしないで」
「そこは冗談っていうところでしょ!」
フッと笑って返されるが、ノームなら本気でやりかねない。なまじ力が強いだけに手に負えない。
そもそも、精霊というのは年月を経るごとに力が強まっていく。永久の時を生きる精霊の中でも、ノームはとんでもなく永い時を生きている。一度年齢を聞いたことがあるが、「数えるのが面倒だから覚えていない」と言われてしまった。
つまりそれほど長い年月を生きているということだ。たかだか二十年程度しか生きていない私には勝てるはずもない。
「ほら、そうふくれっ面にならないでよ。可愛い顔が台無しだよ」
「ノームが意地悪するから……」
「心外だな。僕はいつだってキミのことを一番に考えてるのに」
笑顔が怖い。これ以上反論しても藪蛇にしかならなそうで、私は早々に白旗を上げた。
「いえ、今日も授業よろしくお願いします」
「素直でよろしい。じゃ、今日は精霊の役割をおさらいしようか」
ノームは新米精霊の私の教育係をしてくれている。甦ったその日から一緒にいるので、教師というよりも母のような存在だった。
そして、その母──ではなく。ノームが定期的に話してくれるのが精霊の役割についてだ。
精霊は自然を保つために存在している。
しかし人間が増えたことにより、世界の至るところで争いが起こるようになった。自然は目に見えて破壊されていき、負の気を宿した血が世界を穢していく。それを正常に戻すのが私達精霊の役割だ。
「僕ら四大精霊には、それぞれ命の源たる住処がある。それを介せば、どんなに離れていても状態を確認することができる。それは大丈夫だね?」
「うん。それはとっくに出来るようになったよ」
「本来なら浄化もそのまま出来るんだ。ウンディーネの場合は、力の調節を覚えないとだけどね」
思わず「うぐぅ」という声が出てしまう。
私はまだ力の扱い方が下手なのだ。特に住処を通して遠方の水を浄化するのは滅法苦手だ。この間など、うっかり浄化しすぎて聖水を作り出してしまったくらいだ。
「無理に一気に浄化しようとしなくていい。毎日少しずつするくらいでいいんだ」
「でもそれだと時間がかからない?」
「それでいいんだよ。自然にも回復力がある。僕らはそれを手助けするようなものだ」
時と場合によるけどね、とノームの言葉が続く。確かに急を要する場合など例外もあるのだろう。
「けど、急激に力を行使すれば僕ら四大精霊と言えども消滅しかねない。それは決して忘れてはいけないよ」
ノームはいつもこうして注意を促す。その顔は決まって悲しげだ。
精霊に「死」という概念はない。しかし、限界まで力をきったり、力の源たる住処を穢されたりすれば消滅してしまう。力を蓄えれば再びこの世に甦るが、力はリセットされてしまう。
かくいう私も二十年ほど前に甦ったばかりである。そのため、こうしてノームから力の使い方を学んでいるのだ。
──そういえば、なんで前の私は消滅したんだろう?
当たり前のことだが、消滅すると記憶も全てリセットされる。今の私は前のウンディーネとは違うのだ。
私たち四大精霊は他の精霊と違い力が強い。滅多なことでは消滅しないはずだ。それなのに前の私はなぜ消滅したのか……。
「……ねぇ、ノーム。前の私って──」
どんな理由で消滅したの、そう問いかけようとした時。突如として空中に炎の渦と竜巻が巻き起こった。ノームが素早く私を背に庇う。
「ちぃーす。ウンディーネ~」
「久しぶりね、ウンディーネちゃん」
炎の渦から現れたのは、燃え盛る炎と同じ真っ赤な色の髪をした青年。竜巻から現れたのは、身長の倍以上もある長い緑をなびかせた美しい女性。
二人は私とノームと同じ四大精霊──火の精霊サラマンダーと風の精霊シルフだ。会うのは私が甦った時以来だ。
久しぶりに会う二人に、私はノームの背から飛び出し駆け寄った。
「シルフお姉さま! サラマンダー! 久しぶりね」
「よぉ。元気してたか?」
「あら、以前より力が戻ってきてるわね」
それはもう毎日ノームにみっちり教わっていますから。得意気な顔でにんまり笑えば、シルフお姉さまが頭を撫でて褒めてくれる。大変満足である。
シルフお姉さまは私の憧れだ。美しくて、大人っぽくて、気品があって、ふんわり良い匂いまでする。おまけに精霊としての力もノームに次いで強いのだ。
羨望の眼差しでシルフお姉さまを見つめていると、背中にのしりとした重みがのしかかった。
「妬けちゃうな。僕にはそんな顔してくれないじゃないか」
「ノ、ノーム……重い……」
「あらあら、ノームったら相変わらずね。そんなに構いすぎると嫌われるわよ」
「余計なお世話だね。だいたい、ウンディーネはまだ生まれたばかりだから庇護が必要なんだよ」
「あ? もう生まれて100年は経っただろ。なぁ、ウンディーネ?」
ノームに背後から抱きしめられたままの私をサラマンダーがしげしげと覗き込む。サラマンダーはちょっと……いや、かなり大雑把な性格なのだ。人の年齢を覚えているような性格ではない。
ちなみにサラマンダーは、住処の火山が大噴火したせいで消滅し、およそ150年ほど前に甦っている。私より力は強いが、精霊界隈では私と同じ新米の部類だ。
そんなサラマンダーをノームが険しい瞳で睨みつける。
「ウンディーネはまだ生まれて20年と157日だ」
「おまっ…数えてんのかよ!? こっわ!」
淀みなく答えたノームにサラマンダーがドン引きする。その気持ちは分かる。私でさえそこまで覚えていない。
「え、えぇと……ノームはウンディーネちゃんが生まれた時から見守ってるものね」
シルフお姉さまがフォローしてくれるが、美しいお顔が若干引きつっているのは気のせいだろうか。この場の全員がドン引きしているというのに、当のノームはいたって真面目な顔だ。
「執着男ってマジこえぇ……」
「純粋な愛情と言ってくれるかい」
「…………」
「…………」
またしても微妙な空気が流れる。仕方ない、ここは当事者の私がフォローするべきか。
「え、えーと……ほら、ノームって私の保護者みたいなものだしさ。なんていうか……お母さんみたいな感じ?」
「は……?」
私の絶妙なフォローに対してノームの声がワントーン下がる。精霊に親はいないから分かりにくかっただろうか。視界の端では、なぜかサラマンダーがお腹を抱えて大爆笑している。
「ウンディーネ、僕はキミを子ども扱いしたことはない。一度もだ」
「そうなの? でもノームから見たら私なんて子供のようなものでしょ?」
「……うん、僕はもっと頑張った方がいいみたいだね」
いったい何を頑張るのだろうか。授業が厳しくなるのは勘弁願いたい。
「ところで、二人揃って来るなんて珍しいね。何かあったの?」
「たまたまよ。どう? 力の使い方は覚えたかしら?」
「うん。毎日ノームが教えてくれるから結構上達したよ」
「……そう」
シルフお姉さまは優しく微笑むと、チラリとノームへ視線を向けた。それに応えるかのようにノームが少しだけ目を細める。目だけで会話しているように見えるのは気のせいだろうか。
二人を交互に見ていると、「ふん」という偉そうな声が響く。サラマンダーだ。
「ま、実際のところはお前の無事を確認しに来たんだけどな」
「私の無事? なんで?」
「だってよ、またにんげ──うおっ!」
押し固められた土礫がサラマンダーの足元へと突き刺さる。サラマンダーはカエルのように飛び跳ねた。
「あっぶねーな、なにしやがるっ!」
「いやなに、毒ヘビがいたのでね」
「嘘つけっ! だいたい俺らは実体がねぇんだから噛まれたりしねぇだろ!」
ギャンギャンわめくサラマンダーをノームが
ちなみに、私たち精霊も実体化することはできる。主に人間になにかを伝えるときに使う。だが、そんな高等技術はよほど力のある精霊でないとできない。私やサラマンダーでは当然無理であった。
「今はウンディーネの勉強の時間なんだ。二人きりの時間を邪魔しないでほしいな」
「うげっ、こいつマジでやべぇ」
「用がないならとっとと帰ってくれないか?」
「はぁ!? 用ならあるっつの。人間が戦──」
その先を口にするよりも早く、盛り上がった地面がサラマンダーを飲み込んだ。見た目は土で出来た巨大な
唖然とする私をよそに、ノームがパチンと指を鳴らす。それを合図に
しかし、そこにサラマンダーの姿はない……。
「サ、サラマンダーが……地面に食べられ……!?」
「ああ、邪魔だからお帰り頂いただけだよ」
「うえぇぇ! だ、大丈夫なの? サラマンダー、怪我とかしてないよね!?」
「……僕の目の前で他の男の話をしないでくれる」
とてつもなく不機嫌な笑みを向けられ、ブルリと体が震える。なぜそんなにも機嫌が悪いのか。ここはサラマンダーを心配するところだろう。
ノームは戸惑う私を放置して、シルフお姉さまへと視線を向けた。
「さて、シルフもサラマンダーのアホ同様、余計な忠告をしにきたのかな」
「…………」
ノームの声はサラマンダーの時より声色は落ち着いているものの、言葉の端々にトゲを感じさせる。私の気のせいでなければ「早く帰れ」という副音声さえ聞こえてくる。
シルフお姉さまもそれに気付いたらしく、呆れたように小さな溜息をついた。
「分かったわ、帰るから安心して。ウンディーネちゃん、何かあったらいつでも呼んでちょうだいね」
「えっ? な、なにかって?」
「……うふふ、それじゃまたね」
シルフお姉さまはパチリとウインクをすると、来た時と同じく風を纏って姿を消した。
「えぇー、行っちゃった……」
「さて、邪魔者はいなくなったし勉強の続きをしようか」
「ひゃあ! な、なんで膝に乗せるのっ!?」
「子供は母親の膝の上に乗るべきだろう?」
私の抵抗はノームの楽しげな笑い声にかき消された。
◆◆◆◆◆◆
それから季節が流れ、いつのまにかまた暑い日々がやってきた。私たち精霊にとって時の流れというのはあっという間だ。
私は力の使い方もグンと上達し、苦手だった遠方の地の浄化もある程度できるようになった。とりあえずは聖水を作り出すようなとんでも事件は起こしていない。
「あれは大変だったなぁ。聖水となった泉を人間が見つけちゃって、ノームが慌てて埋めてくれたっけ」
突然泉の水が聖水に変わったのもそうだが、一夜にして泉が消滅したものだから人間たちは大騒ぎしていた。ノームが周辺の地形をいじってくれたので、土砂崩れということで何とか沈静化したのは幸いだった。
「それにしても……最近水の穢れが酷いような気がするのよね」
住処の泉は相変わらず透き通っていて美しい。それなのに、浸した手からは僅かな負の気配が伝わってくる。
距離としては山の向こう──そんなに遠くない場所だ。方向的に見て、帝国という大きな国があるあたりだ。様子を見に行ければ一番いいのだが、私はまだ山のふもとにある公国近辺しか移動ができない。
「何かあったのかしら……」
穢れの原因となるのは主に戦争だ。多くの血が流れる戦争は負の気をあちらこちらにまき散らす。他にも疫病や毒などさまざな原因がある。そのどれもが人間によって引き起こされる。
戦争──私の脳裏に浮かぶのは公国の人々の顔。
優しくて、温かくて、見えない私の存在も信じてくれる人たち。もしもあそこで何かが起こっていたら……。嫌な想像が脳裏をよぎる。
──よしっ! 久しぶりに見に行ってみよう!
今日の授業の時間まではまだ余裕がある。さっと行って戻ってくるだけならバレやしないだろう。
早速私は住処の泉を介して公国の中を流れる水路へと移動した。しかし、そこで異変を目の当たりにすることとなった。
「……なに……これ」
賑やかだった通りは、鎧を着た兵士らしき人たちが闊歩し、一般人の姿はほとんど見当たらない。露店が並んでいた広場も、閑散としていていつもの笑い声など全く聞こえてこない。物々しい雰囲気は、まるで別の場所に来たみたいだった。
「あの鎧は公国の兵士? なんでこんなにたくさん……?」
今まで公国の兵士など、公主の屋敷でしか見たことがなかった。そのくらいこの国は平和だったのだ。
あまりの変わりように呆然と立ち尽くす。すると、足早に通り過ぎる兵士たちの会話が聞こえてきた。
「帝国に動きはあったか?」
「いえ、今のところ川の対岸に陣営を敷いたままです。おそらく水位が下がるのを待っているのかと」
「雪解け水がなくなれば一環の終わりか……」
帝国? 陣営?
それを聞いた私は、すぐに別の場所へと移動した。川といえばあそこしかない。この公国をぐるりと取り囲む山から流れ出る大河だ。
「どういうこと……?」
瞬時に川へと移動した私は、またしても目の前に広がる光景に絶句した。
公国側とは川を挟んだ反対側。その川辺を埋め尽くすように多くの兵士がいたのだ。どうみても公国の兵士ではない。よくよく目を凝らせば、弓矢や槍などの武器までもが大量に備えてある。まるでこれから戦争を始めるかのような……。
そこである言葉を思い出す。
『だから人間が──』
あの時、サラマンダーが言おうとしたのは、このことではないか。人間が戦争を始めようとしている、と。だからシルフお姉さまも心配して様子を見に来てくれた。そう考えると確かにつじつまが合う。
ノームがサラマンダーの話を遮ったのは、私を人間と関わらせないようにするため。でも、なぜノームはそんなにも私を人間と関わらせたくないのか……。
「ダメダメ! 考えるのは後っ!」
今はまず目の前の出来事に集中するべきだ。私は雑念を追い払うように頭を左右に振った。それから、ふわりと空高くへ舞い上がった。
改めて空から見ると、兵士は川辺だけでなく森の方にまで溢れている。こんなに大勢の兵はいったいどこからやってきたのか。彼らの背後には街道などない。あるのは険しい山だけだ。
「まさか、あの山を越えて来た……?」
そういえば、さっき穢れを感知したのもこの山の向こうだ。
未だ雪さえ残るこの険しい山の向こうには帝国がある。公国の人たちの話しでは、帝国は好戦的な国だとか。なんでも領土拡大のため、あちこちに戦争をふっかけているらしい。
今まではこの険しい山々が防御壁となって侵略されることはなかった。それがこうして兵がやってきたということは、ついに魔の手が伸びてきたということか。
「……ダメ……そんなことさせない!」
あの優しい人々が、元気で愛らしい子どもたちが、苦しみ傷付く光景など見たくない。このまま見過ごすわけにはいかない。
意を決した私は、悠然と流れる川へ向かって両腕を伸ばした。思い浮かべるのは、以前ノームがやってのけた技。
大きく息を吸い込み、ありったけの力を込める。
「水よ……侵略者たちをあるべき場所へ!」
その瞬間、川の水が生きているかのように
あっという間に水の塊は川辺にいた全員を包み込んだ。それを確認した私は、残りの力を振り絞りパンっと手を叩いた。
すると水の塊が兵士もろとも一瞬にして跡形もなく消えた。これは以前ノームがサラマンダーを地面で飲みこんだのと同じものだ。水を介して兵士たちを山向こうの帝国へと送り返したのだ。
「はぁ……はぁ……これできっと……大丈夫……」
願うような気持ちを胸に、私は住処へと戻った。
甦ってこの方、こんなに大きな力を使ったのは初めてだ。こんなことを軽々とやってのけるなんて、つくづくノームは格が違う。
とりあえず清らかな泉の底でひと眠りして力を回復させよう。そう思った時、慣れた気配を感じた。
「ウンディーネ!!」
予想通り、姿を現したのはノームだった。ノームは私がフラフラなのを見て険しい顔つきになる。
「……ウンディーネ、何があった?」
「別に……なんでもないよ」
「一時的ではあるが、キミの力がかなり弱まっている。今しがた強い水の気配を感じたのと関係があるな?」
射貫くような鋭い瞳にギクリと身をこわばらせる。
これは隠し通せない。そう判断した私は観念して先程の出来事を白状した。公国が帝国からの侵略に備えていたこと。帝国の兵が川の向こうにまで迫ってきていたこと。そしてそれを精霊の力で送り返したこと──。
「なんて無茶をしたんだ……」
「私、公国の人を守りたくて……それで……」
ノームの顔はどんどん険しくなっていく。
分かっている。精霊がそう簡単に人間へ手を貸してはいけない。人間は絶大な力を恐れるくせに、その力が益になると分かれば手中に収めようとするからだ。
私の行いは自身だけでなく、ノームたちをも危険に巻き込みかねない行動だったのだ。でも、どうしても放っておけなかった。
「人間のことは人間同士で対処すればいい。国が滅びようが僕らには関係ない」
「で、でも、あの国の人たちは私を祀って──」
「人間など都合よく僕らにすがっているだけだ。キミが手を貸す必要などない」
厳しく冷たい物言いにグッと唇をかむ。
「とにかくキミはしばらく休むんだ。無理をすれば消滅しかねない」
「…………」
「ウンディーネ」
静かだけど有無を言わさない声色に、私の中でプツリと何かの切れる音がした。
「大切な人たちを守りたいって思って何が悪いのよ!」
「人間は自然を破壊するだけの生き物だぞ」
「──っ! ノームのバカ! 冷血男っ! 石頭っー!!」
私はありったけの暴言をノームへとぶつけ、逃げるように泉へと飛び込んだ。この時、ノームがどんな顔をしていたかなど知らずに……。
◆◆◆◆◆◆
それからしばらく、私は泉の中で過ごした。消滅するほどではないが、思っていたよりも力を消耗してしまったらしい。毎日欠かさずに行っていた浄化ができないくらいには弱っていた。
そこそこ力が回復してからも、泉から離れることは出来なかった。水を介して状況を探ることが出来たのは、数ヶ月が経ってからだった。
公国の人たちは、忽然と消えた敵兵にそれはもう驚いていた。人々は口々に「ウンディーネ様のおかげだ」「ウンディーネ様が助けて下さった」と涙を流し喜んでいた。それだけで十分報われた気がする。
ノームとはあれ以来一度も会っていない。
冷静になれば大分ひどいことを言ってしまった。精霊は自然そのもの。むやみに人間に力を貸してはいけない。ノームは当たり前のことを言っただけなのだ。
きっと私に呆れて距離を取ったのだろう。ノームのいない日々は何だか胸にぽっかり穴が開いたかのようだった。
そんなある日、今日も今日とて泉のほとりでぼんやりしながら力の回復をしていると、ふと人の気配を感じた。
「こんなところに人間……?」
私の住処である泉は、険しい山の奥にある。もちろん人が通れるような道などない。公国の人たちでさえ、こんな山奥までやってくることはなかった。
そんな深い山奥に人の気配がするなど何事か。周囲を慎重に探る。
聞こえてきたのは、人間二人分──いや、三人分の足音。それはゆっくりだが確実に泉へと近づいてくる。
「あった! あったぜ!」
「なんでぇ、ただの泉じゃねぇか」
程なくして現れたのはひげ面の男が三人。よく見れば腰には剣を佩いている。見た目だけでいうなら盗賊やゴロツキのようだ。
男たちは泉のほとりまで来ると、気味の悪いものでも見るかのように泉を覗き込んだ。すぐ近くに私がいるのだが、彼らの目に精霊である私は映っていない。
「これが水の精霊サマとやらの泉か? 見た感じ、ただの泉じゃねぇか」
「何言ってやがる。お前もアレを体験しただろ。あんなのが出来るのは人間以外いねぇっつの」
「精霊なんて眉唾もんと思ってたが、アレを見ちまったらなぁ。公国の連中は精霊を崇めってるっつー話しだし」
その会話で男たちの正体を察することができた。こいつらはあの川辺にいた──公国を侵略しようとした帝国の者だ。
だが、なぜこんなところまで来たのだろうか。私の疑問は続く男たちの会話ですぐに分かった。
「本国もあの出来事があってから進軍には慎重になってる」
「わーってるよ。だから、念には念を入れて俺たちにこの任務が与えられたんだろ。まったく、こんな山奥まで来るなんてやってらんねぇぜ」
「ま、これを泉に垂らすだけで報酬がたんまりなんだから、ある意味おいしい仕事だよな」
下卑た笑みを浮かべながら男がなにかを取り出した。薄汚れた布で大事そうに包まれていたのは小さな小瓶だった。中に入っている赤黒い液体が、木漏れ日の光を受けて禍々しい光を放つ。
──あれは……。
小瓶からは強い負の気配を感じる。アレを泉に入れられたらマズい。泉が震えるように揺れ、アレを強く拒否しているのが分かった。
「なんだ……? 風もないのに水面が揺れてる?」
「いくら精霊様といえども、恨みを持って死んだヤツの血が毒だって話しは本当らしいな」
「薄気味悪ぃ。さっさとそれを入れてずらかろうぜ」
「ダメ! やめてっ!!」
叫んでも彼らに声は聞こえない。今の私に彼らを追い払うほどの力はない。
キュポンとふたが開けられ、閉じ込められていた負の気が溢れ出る。赤黒い液体が瓶の中をゆっくりと伝っていく。
いやだ。やめて。どんなに声をあげてもそれが届くことはない。
今にも雫が泉に滴り落ちようとする──まさにその時。大地が怒りに震え、唸りを上げながら激しく揺れ出した。
「人間ども……そこで何をしている」
怒気をはらんだ低い声。小瓶を手に姿を現したのは、激高したノームだった。
見えないはずのノームに、なぜか男たちは激しく狼狽する。
「こ、小瓶が……いつの間にっ!?」
「ひぃ! せ、精霊っ!?」
「また愚かしくもこんなものを作り出すとは……よほど死にたいと見える」
どうやったのかノームの手から跡形もなく小瓶が消える。そうかと思えば、ビキッ、バキッっと鈍い音が響き渡る。男たちの周囲を中心に地面が割れ始めたのだ。
「ノーム! だめっ……──っ!?」
「いたぞー!!」
「急げっ! 取り押さえろ!!」
突如として慌ただしい足音が乱入する。さすがのノームも予想外の乱入者に動きを止めた。
乱入者は地面の亀裂など意に介せず、腰が抜けてへたり込む男たちを素早く拘束していった。まるで彼らが何者なのか事前に分かっているかのような鮮やかな手際だ。
よく見れば、乱入者は公国の鎧を着た兵だった。
──な、に? 公国の兵がなぜこんなところに……?
状況が飲み込めず唖然とする私のすぐそばで風が巻き起こる。
「ふぅ、なんとか間に合ったわ。本当ギリギリだったわね……」
「シルフお姉さまっ!?」
「おーおー、ノームの野郎派手にやったなぁ。実体化なんて荒業、アイツくらいしか出来ねぇっつの」
「サラマンダーまで!?」
二人の登場にますますポカンとなる。そうしている間に、縄で縛られた男たちは兵に引っ張られて山を下りていった。その姿がすっかり見えなくなったところで私はようやく肩の力を抜いた。
「た、助かった……?」
「おう、安心しろ。ノームが暴れ出しそうな予感がしたから、シルフに公国の人間を引っ張て来てもらったんだ」
「もうっ、人間に声を届けるのだって結構大変なのよ」
「んだよ。ノームが世界をめちゃくちゃにするよりはマシだろ」
そうだけど、とシルフお姉さまが口を尖らせる。
どうやらノームに次いで力のあるシルフお姉さまが、公国の人間に何かを言ってここまで連れてきてくれたらしい。事態をすばやく察したサラマンダーにも感謝しかない。
「ウンディーネ! 大丈夫かっ!?」
「ノーム……」
「……またキミを失うかと」
ノームは慌てる様子を隠すそぶりもなく私を抱きしめた。その手はハッキリと分かるくらいに震えていた。
あんな暴言を吐いたのに助けに来てくれた──嬉しくてそっとノームの背に手を回す。
「……ノームがそんなに慌ててるの初めて見たかも」
「当たり前だ!」
声を荒げるノームの顔は今にも泣きそうだ。初めて見るはずのその表情に何となく既視感を覚える。
「まったく……
「ホントだぜ。だいたいお前、あいつら殺す気だっただろ」
「俺からウンディーネを奪う奴は消えて当然だ」
ノームの過激発言にギョッとする。激しい怒りに駆られているのは分かったが、まさか人間を手にかけようとしていたとは思いもしなかった。
それと同時に、涙を流して悲しみに暮れるノームの姿が脳裏にチラついた。
『ウンディーネ……どうして人間なんかのためにっ! いやだ……消えるなっ!』
こんなノームの姿は知らない。私が甦ってからノームが泣いたことなど────いや、私はこれを知っている!
消えていた記憶が波のように押し寄せてくる。この記憶は甦る前──前のウンディーネの記憶だ。
あのときは今以上に人間たちが争い、多くの血が流れた。しかも病が蔓延し、多くの人が命を落とした。世界は穢れに満ち、大地は痩せ、花も木も枯れ果てていった。それを憂いた私は、ノームたちが止めるのも聞かず、持てる力の全てを使い世界の穢れを浄化しようとした。
そして──消滅した。
ノームは消えゆく私のそばで大粒の涙を流したのだ。あの時のノームに私は「泣かないで。また会えるから」と笑いかけた。消滅すれば記憶もなくなるというのに。
「……ノーム、また会えるって言ったでしょ?」
「ウンディーネ……?」
目を見開くノームを見てついクスリと笑う。こういう顔は初めて見たかもしれない。
「ちゃんとあなたの元に戻ってきたでしょう」
この言葉にノームの目から静かに涙があふれ落ちる。私が消滅する前のことを口にしたから驚いているのだろう。
「ノーム、ずっとずっとそばにいてくれてありがとう」
「…………」
なにも言えずにいるノームに代わって、シルフお姉さまとサラマンダーが口を開いた。
「驚いたわ。まさか消滅する前のことを思い出すなんて」
「こいつの執念じゃねーの?」
「執念というか執着かしら? ノームがウンディーネちゃんの教育係をしているのも、自分だけを頼って欲しいって重たい愛からだし」
「うっわ、めちゃくちゃ執着野郎──うおっ!」
サラマンダーの頬すれすれに土礫が撃ち込まれる。犯人は言わずもがなノームだ。
「だから純粋で一途な愛と言ってくれるかな」
「お前っ、前回も世界を滅ぼしかけてよくそんなことが言えるよな!」
「ああ、あれは大変だったわよねぇ。ウンディーネちゃんが消滅した原因である人間……というか世界をすべて滅ぼしてやるって」
「えっ……?」
まさかの暴露に私の表情はこわばった。
私が消滅した後、そんなことをしでかしていたのか。真意を問うようにノームへと視線を向ける。
「あ、あの……ノーム?」
「ウンディーネがいない世界なら滅んでもいいかなって。もちろん、キミの泉だけはちゃんと残しておくつもりだったよ」
恐怖のカミングアウトにシルフお姉さまとサラマンダーが渋い顔になる。
「ウンディーネ、これからはずっと一緒だ。もう僕を一人にしないでくれ」
「うん。これからは消滅しないよう力をセーブするね。さすがに世界が滅んだら大変だし」
「…………うん、もう遠慮はいらないようだね」
「へ? 何が……きゃあ!」
「これからは毎日僕の気持ちを伝えるとしよう」
ノームが私の頬へ唇を寄せる。ゾクリとするほど美しい笑みは、もう逃がさないと言わんばかりだった。
「キミは永遠に僕のものだ」
シルフお姉さまとサラマンダーがドン引きした顔になる中、私は嬉しさで満面の笑みを浮かべるのだった。
新米精霊ですが、執着強めの最強精霊に溺愛されています すず @suzu0508
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