三十二 決着

「侵入者様、お熱いことですね」

 怒気を孕んだ声。振り返れば、両手に銃を持った紫林と――

「どうして、いるのかな」

 冷ややかな空気を漂わせる砂京が立っていた。

 二人して床に座り込んでいた由羅と捧は、思い出したように互いに離れて立ち上がる。膝についた塵をはたき落とせば、すっかりよそ向きの顔になった。

「どうしても何もない。私は相方に会いに来ただけだ」

「あのね、君」

「通してくれ、帰りたい」

 そっけなく返した由羅は、ひとつ指を鳴らした。手のひらで金の炎が踊る、と、砂京のこめかみが浅く切れた。

「紫林と鎖を外した途端に……僕の悪運は、本当に、相変わらずだ」

 たらりと血が垂れる。砂京は傷口を手で押さえて、妖術で治療する。湧き立った灰色の霞が去る頃には、血も切り口も跡形もなく消えていた。

「紫林をあの結界に閉じ込めたのも君だね?」

「さあ?」

「本当に硬くて、壊すのに苦労したよ……本当、いい妖力といい性格をしてるよね」

 眼鏡ごしに睨みつける眼差しは鋭く、冷たい。より一層不機嫌に拍車がかかった。

「…………由羅くん、駄目じゃないか。せっかく彼が本心を明かしてくれていたのに、また曇らせて」

「本心?」

 砂京はさも当然のことのように説明した。

「捧くんはね、由羅くんと行動するのが辛いと話してくれたんだ。離れ離れになるべきだとね。そんな浮遊状態なら僕が引き取ろうと思って」

「抜かせ」

 応じたのは捧。目元に涙の跡を残しつつも、怒りを感じていた。

「勝手に脚色するなよ。洗脳しておいてオレの本音なんて、笑えるな」

「でも君、一緒にいられないって言ったじゃないか」

「常にたったひとつの考えで動いてるわけじゃない。どうしようもなく何かしたいときってあるだろ? 理屈じゃないんだよ」

「……理屈じゃない……」

 砂京の顔は、理解でこそなくとも、納得の色をしていた。

「少しだけ共感できるかもしれない」

「そうか? じゃあお気持ちに免じて帰らせてくれよ」

「困るね、働くと言ったのにすぐ撤回されては」

「気が変わったんだよ。口約束だし無効だろ」

 がらんと響いたのは太刀を引きずった音。手繰り寄せた鞘から、すらりと刃を抜いた。

「アンタを殺してでも通ってやる」

「穏やかじゃないね…………まあいいか。由羅くんを釣ってはくれたんだし」

 砂京も腰の扇子を手に取り開く。

「僕は僕のやることを、と。さあ紫林、やっと仕事の時間だよ」

「かしこまりました」

涼火りょうかれい静塵せいじんも。やることはわかってるね」

 砂京の背後に霞が渦巻き、次から次へと傀儡が出てくる。自然と〝死神〟の方も身構え、いつ、どちらが先に攻撃を仕掛けてもおかしくない空気だ。

 砂京の扇子がひらりと舞った。軽やかな動きに見合わず、傀儡たちが烈風のごとく〝死神〟に襲いかかる。二人揃ってまず後ろに下がった。

 攻撃を受けたのは由羅のみだった。銃弾を皮切りに、剣も矛も弓矢も全てがたった一つの肉体に集中する。捧はといえば、灰色の霞でできた細い縄が幾重にも胴体に巻き付いて、体の自由を奪われた。

「捧!」

「大丈夫、どうにかできる!」

 確信を持っているのが伝わったらしく、由羅の視線は完全に捧から外された。

 由羅と傀儡たちの戦場は、由羅の方が後ろに押されて中央に寄り、壁に近い捧からは離れていく。砂京はその様子を目に収めてから、捧に近づいてきた。

「これ、見た目は縄だけど守護の妖術だよ。君には疲れてほしくないし、飛び火がかかっても困るから、少し待ってもらう。大丈夫、きっとすぐに終わる」

「……きっと、か」

 唐突に、捧の全身を包み込んでぶわりと金の火が上がった。灰色の妖術は焼き切れて、拘束の能力を失っていく。

「アンタの思い通りにはなってやらない!」

 啖呵を切って霞の縄を抜け出した。砂京に斬りかかるが、間一髪で捧と砂京との間に大男の傀儡が立ち、防がれる。惜しかった。

「今の、かなり妖力を使ったね? やめておかないと、倒れるよ」

「うるさい!」

 太刀を押し返してきた傀儡の相手をしながら砂京にも雑に返事をしておく。数回打ち合った後にできた隙を見逃さず素早く切り込んだ。太刀の切っ先は確かに巨漢へ届き、次の瞬間。

「なっ」

 手応えがなかった。傀儡の腕から先の部分は武器ごと、ふわりと灰色の霞に変わって辺りに漂った。信じられない気持ちで見ていれば、太刀を避けた先で霞は再びひとつに固まって腕を形作る。振るわれる長い槍を受け止めれば手に衝撃が伝わり、捧はようやく全てを理解した。

 この傀儡、捧の攻撃は霞に戻って全てかわして、仕掛けてくるときだけ武器をきちんと硬くしているのだ。戦場に公平性など存在しないものの、とてつもなく癪に障った。長丁場になりそうだ。

 傀儡が素早く突きを繰り出す。屈強そうな見た目にふさわしく、一撃一撃が重い。武器で受けられない分を妖術で受け流したら、砂京がまた口を挟んできた。

「また術を……おとなしくしてれば疲れないんだよ、わかってるのかい?」

「黙ってくれ!」

「ただでさえ最近枯れていたっていうのに。よっぽど死にたいらしいね」

「このくらいで死んでたまるか……!」

 どれだけ落ちようと、捧は〝死神〟の片割れだ。死を運ぶ者が、やすやすと殺されていいはずがない。

「アンタのおかげで、どれだけ減らせるか思い出したしな!」

「妖怪のなりそこないのくせして、元気だねえ」

「関係、ないだろ!」

 視野の端に見える限りでは、由羅も苦戦を強いられているようだった。灰色と金色の妖術が折り重なる中に、赤い液体が現れて床に飛び散る。正体は考えるまでもない。

「ふむ、治すか……」

 追いかけるように、砂京の分析する声。

「痛むだろうによく動くね。妖力もさることながら、相当な精神力だ……そうやってしぶといと、もっと殺してやりたくなる!」

 扇子が強く空気を打つ。捧の耳にも、傀儡が一斉に攻撃を繰り出す音が届き、紫林のものと思しき銃声が鼓膜にやたらと残った。

 二対一でありながらまだこの余裕。やっと傀儡を振り切って砂京に迫るも、結界に防がれた。

「すごい、もう来るなんて」

 感嘆の表情を見せて、とても嬉しそうにしている。

センを持たず、妖力も少ないのに本当に強い。やはり君は優秀だよ、捧くん!」

「アンタに褒められたって嬉しくない!」

 最初に受けたものと同じ霞の縄が、捧を拘束しようと砂京から放たれる。飛びすさって避け、悔しさに顔を歪めた。砂京に攻撃が届かない。妖力不足の体には、そろそろ疲れが見えてきたというのに。唇を噛んだ、そのときだ。

 世界が金色で埋め尽くされた。目が焼けるかと思うほどの光に攻撃の手が止まり、それは砂京も同じだったようだ。ごく一瞬、戦線が停滞した。

 背後から腰に腕を回され、ぐんと体が上に持ち上がる。唯一わかるのは、捧を持ち上げたのが由羅だということ。みるみる上昇して止まり、距離からして床からだいぶ遠いそこで、爪先が触れた先はきちんと固い。何もない空中に足場があった。

「由羅」

「減ってきてるだろう。すぐすむから、ほら」

 由羅が目を覗き込む。捧が劣勢になってきていたことにも、妖力を欲していたことにも、遠くから気づいていたのだ。

 捧が太刀を下ろす。すると由羅は、場に似つかわしくないほどに優しく、うなじに指を添わせて上向かせ、唇を押しつけた。乾いた土に雨が降り注ぐように全身に妖力が流れ、巡っていく。

 ――ああ、これだ。

 極限状態なのに、懐かしさや安心のような、温かいものが胸の奥から湧き出る。そして同時に、真逆にも、相手を食い散らかしてやろうとする力も湧いてくるのだ。

「怪我は?」

「ない」

「わかった」

 足元には軽い振動が伝わってきている。二人を目がけて攻撃している、数々の傀儡の武器がぶつかって生まれている震えだ。

「崩すぞ」

「わかった」

 由羅の合図の後、すぐに、足場が光の屑になって散った。着地したら、傀儡は再び由羅を袋叩きにし始める。捧には見向きもしない。砂京の判断で、わざと捧は狙わせていないようだ。

 由羅がしかける炎の拘束も霞への変化で抜けられている。それでも攻守を素早く入れ替え、無駄のない戦いを繰り広げていた。彼は本当に、妖術の扱いが上手い。

 せっかく二人同じ場所に来たのだから、捧が由羅に加勢するのが得策だろう。〝死神〟はいつも二人一組で動いているのだし。ついでにひとつ、傀儡というものを知るために、捧は賭けに出ることにした。

 太刀が金色に光を放ち、一回り大きくなった――刀身に炎をまとったのだ。

 今まで、刀剣と妖術を同時に使うことは少なかった。妖力が足りなくなって倒れたら元も子もない、と――実のところは、怖がっていただけではないか。自分で自分を笑い飛ばしたい気持ちで、傀儡が待ち受ける中に身を投じた。

 捧の戦い方は短期決戦に向いている。少しずつ傀儡を削っていくなど愚行だ。捧の方が倒れかねない。妖力の残りは気にするだけ無意味だ。足りなくなったときに由羅からもらえばいい、たったそれだけのこと。思えば思うほど、この頃の悩みの答えはどれも簡単に出た。

 考えるのは苦手だ。剣を持つと、手足に意識が集中して、頭が空っぽになって、勢いで動いてしまう。相手の出方を分析する暇もないのだ。戦い方を教わった経験は、記憶の中に一片たりともない。しかし通用してしまう。

 気取った言い方が許されるのなら――それは「天賦の才」と呼べるもの。

 太刀が傀儡を捕らえると炎が勢いを増す。気を抜かずに、火が消えないよう集中した。太刀の手は緩めず、由羅が普段やっているのを思い出して、見よう見真似で追い打ちをかける。

 すると。見る間に傀儡は小さくなり、果ては糸の束のような霞になった。

「捧、それ、どうやった」

「よくわかんない、燃やした!」

「燃やす!?」

 素っ頓狂な由羅の声が返ってきた。

「なんだ、内側が脆いのか?」

 由羅も手探りで、捧の言ったことを試し始めた。いける、と明るい気持ちになったところで、何かに胴を掴まれて、ぐるりと視界が回転した。

「おい!」

 砂京自身の妖術だ。体を縛り上げて高く持ち上げている。目が回って酔いそうになった。

「捧くん、君がおとなしくしてくれるなら、約束通り危害は加えない」

「聞き分けが悪いなあ!」

 さっき霞の拘束を焼いたばかりなのに、砂京は同じ術を使っている。先ほどよりも締めつけが強くなっているようだが関係ない。灰色の縄を金の炎が包む景色はさながら予定調和で、捧はすぐに自由を取り戻して床に降り立った。

「帰らせろって言ってるんだよ!」

 太刀を振り抜けば傀儡が焼ける。だんだんと手慣れてきて、動いている傀儡の数は目に見えて減っていた。砂京の顔にやっと、本気の狼狽が浮かび始める。

「どうして駄目なんだ、言っているだろう、好待遇は確約するから」

 こめかみから汗を垂らしながら、傀儡を盾にして捧に向き合った砂京が叫んだ。

「僕の傀儡なかまになってくれ!」

「断る!」

「――君には聞いてない!」

「我慢ができなくてな! 私は短気なんだ!」

 捧の相手をしながら、由羅にも傀儡を差し向ける。そのうちにもまた、由羅の術をかわしきれなかった傀儡が、戦闘不能に追い込まれたらしい、砂京の体に灰色の霞が吸い込まれた。砂京は眉間に皺を寄せ、歯を食いしばって、苦悶の表情をしていた。

 砂京が捧へ扇子を向けると、捧の視界は濃い灰色に包まれた。捧を守るように張られた傀儡の結界だ。

「なるほど、オレを殺すわけにはいかないもんなあ。本気で動きを止めに来たか」

 だが、敵の都合など関係ない。妖術をまとう太刀を振りかざし、結界にぶつかっていく。

「だから、どうして……!」

 悲痛さまで帯びた砂京の呟きが宙をさまよった。捧が砂京の申し出を断る理由も、傀儡の結界が壊されていく現実も、少しも理解ができないと、全てを投げ出したいという気持ちが見えていた。

 さすがは由羅の妖術で作られた炎である。太刀は分厚い結界に食い込んで、貫通したところで力を込めて振り抜けば、まぶしく光が弾けて、結界と傀儡はもろとも霞になった。

 ぐらりと捧の体が傾く。本調子ではないから、すぐに動けなくなってしまう。まだ粘るか由羅を頼るべきか、逡巡した捧の耳に、迷いを消し去るがごとく届いたのは由羅の声。

「捧、頼む!」

 全ては一瞬。砂京の体へと金の炎が巻き付いた。扇子が砂京の手を離れて跳ねた。砂京が傀儡の名を叫んだ。傀儡がそれぞれに、由羅や捧の方を見た。

 それでも、砂京に最も近かったのは、結界に囚われていた捧である。傀儡の剣よりも矢よりも銃弾よりも早く、疾走に全力を注いで砂京に迫った。

「待ってくれ」

 砂京の言うことも聞かずひと息に、喉を目がけて太刀を振りかぶる。完全に首を落とすには軟骨を狙わなければならないが、そんな余裕はなかった。

 幅広の刃が滑らかに首に食い込む。肌が切れる様はさながら紙のそれで、肉も食材のように裂かれていく。刃が首の中心近くにまで到達するのは一瞬のことで、骨にぶつかって止まった。血液が切り口から溢れ、太刀を伝って落ち、砂京の衣服を赤いまだらにした。

 太刀を抜くと、砂京は抵抗の気配も見せず、床に倒れる。その体に、鈍色にびいろの霞の筋が数本、吸い込まれていった。ここまでの重傷を負うと、傀儡を遣うのは不可能だ。

 砂京の目が訴えるように捧を見ていた。はくりと口が動くが、声はない。両手で押さえている首からはだらだらと鮮血が流れていた。

 意識を保っていることに驚く。やはり妖怪というものはしぶとい。

 こいつの命を燃やし尽くせたらいいのに、と。戦場に侵された野蛮な思考が脳裏をかすめた。が、試すのは体力の無駄だと思える分別はまだ残っていた。

「……はあっ」

 ふらついた捧を由羅が受け止める。完全に集中が切れて、どっと疲労が襲ってきた。

「捧」

「……だい、じょうぶ。ちょっとクラっときただけ。歩けるよ」

 腕に掴まりながら立ち直して由羅を見上げる。

「由羅、帰ろう。オレたちの館に」

 すると彼は、心の底から嬉しそうに、氷がほどけるように笑んで、「うん」と答えた。

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