十 闇への穴
改めて眺めた部屋は広く、どこもかしこも煌めいていた。
床には豪華な刺繍の絨毯。柱には細かな彫刻。天井には極彩色の絵画。金銀の装飾は至るところに施されて、輝きを放つ。机の縁、椅子の背もたれ、燭台や灰皿にまで、幾多の宝石がはめ込まれ、部屋中に光を反射させていた。奥に見える壁は一面がガラスで、華やかな街の夜景が見下ろせる。高価な調度品をやたらと集めたのだろう、統一感がなく、ただぎらつくばかりで、見ていて目がちかちかした。
「部屋ごときに、金かけすぎ」
「……悪趣味だ」
〝死神〟からすると、全く理解できない感性だ。目を楽しませるか豊かさを見せつけるだけで大した使い道のない調度品に使うより、もっと役に立つものに注ぎ込む方が、金というものを活かせると思う。宝石と、その金額分の紙幣を比べたら、迷わず紙幣を取るのが〝死神〟だ。
気を取り直し、広大な部屋を奥へ進んでいくと、目当てのものはすぐに見つかった。真紅の羅紗が張られた壁の中に、無骨な扉がある。見るからに厚くて頑丈そうで、かすかに青みを帯びた金属で作られている。
「地下室への入り口……これか?」
「何から何まで朱莉の資料通り。すごい」
「なんでこんな目立つ見た目にしたんだか。悪趣味に拍車がかかる」
不機嫌な由羅は、こつこつと爪で表面を叩いた。
「暗証番号と、錠が五つ、加えて生体認証……」
真正面から開けようとする方が間違いだろうが、朱莉の資料にも自室の扉の解錠方法などは載っていない。
「捧、斬れそうか?」
「無理かも。刀が折れる」
「そうか。なら私だな」
由羅は南京錠のひとつに手をかざした。妖術の火炎が巻き起こり、錠を舐めて包み込んだ。
金色の炎は熱風をも起こして激しく燃え上がる。元の金色を通り越して白に近いほどだ。そのうちパリンパリンと高い音で、飾られている壺や皿が次々に割れる。無数の破片が絨毯の上に飛散した。持ち主が見たら顔を青くするだろう光景だ。
もしも誰かが居合わせたのなら、今頃は皮膚が瀬戸物たちと同じように裂けているはずだ。服はくまなく濃い血染めになるほどの出血を伴って。それほどの圧と密度の妖力を浴びても平気なのは、由羅の妖力が体に巡っている捧くらいだった。
妖術を浴びせ続けて、やがて錠が灰のように細かな塵に変わった。手の中でさらさらと崩れていく様に、由羅の顔がほころぶ。
「なんだ、脆いな」
残りの錠も順調に破壊し、暗証番号や生体情報の照合を担う部品も砂塵に変え。最後に取っ手の部分をえぐり取ると、扉は動いた。向こうには、黒々とした空間が口を開けていた。
「足場、ないよねぇ」
捧は、頭だけ突き出して明かりのないそこを見下ろす。指先に光を灯してみるが、闇に呑まれて何も見えなかった。
「嫌な感じはするけど……飛び降りてみろ、ってことかぁ」
捧は、仕方ないな、とひとりごち、奈落へ足を踏み出した。
「捧っ!?」
伸ばした由羅の手は空を切る。すでに相方の姿は闇に落ちていた。眉根を寄せた後、同じように穴の中へ身を投じた。
落ちる、落ちる。無限にも思える暗闇の中、二人は落下していく。ひんやりとした風に髪と服がなびく――やがて床の気配を感じると、それぞれ下方に術を放って軽やかに着地した。
「捧……何も見ないで飛び降りないでくれ、危ない」
「由羅、心配しすぎでしょ。自分専用の部屋への通路に妨害工作なんてしないって。通りづらくて敵わないもの。大丈夫、大丈夫」
もっともなことを言って、捧はひらりと手を振った。
黒く、冷たく、静かな空間だ。敵意を持つ人影や攻撃してきそうな武器は見当たらない。前方に一直線に伸びる通路には点々と小さな松明が灯っていて、いくらか明るい。見上げれば、今しがた通ってきた穴が、遥か上にぽつんと白く見えた。
「天井がだんだん低くなる造り……正しい開扉方法なら、階段が現れるのかもしれないな。さて、何が出てくるんだか」
この場所を造った頭領の意図を推し量りながら、靴音を鳴らして奥へ進む。
「療養部屋にも出口があるのかな。一本道なんて、攻め込まれたら一巻の終わりじゃん。そもそもあの金属の扉が突破されないから平気って? オレらが楽々侵入できるようなガバガバの守備だけど……敵に心配されるとか、幽暗朔月、終わってるよ」
聞き手が由羅しかいないのをいいことに、侵入直後の気弱さはどこへやら、捧は言いたい放題だ。しかし本当に、全く他者の気配がない。由羅が制さないということは、つまり、誰もいないのである。
通路は幾度か曲がり、なだらかな下り坂が幾度か現れる。この通路は塔の一階よりも低い位置にあり、敷地内の地下で、蛇がゆるやかにとぐろを巻くような形で通っているらしかった。
やがて前方に、豪奢な扉が見えた。無駄に派手な頭領の自室と似た雰囲気の、ごてごてとした金の装飾が周囲から浮いていた。
「あれが療養部屋だな」
「うん。ようやく、真打ち登場」
扉の前で立ち止まる。耳を澄ましても、扉が分厚くて音を通さないのか、部屋の中で物音がしないのか、とても静かだ。
捧は太刀を抜いて備えた。由羅が取っ手を掴む。
拍子抜けするほど簡単に、重そうな扉は開いた。内側から、薬臭いぬるい空気が漏れ出てくる。攻撃の気配は、ない。
反応があるか待ってみても、またもや静かで肩透かしを食らう。これだけ様子を見たのだから大丈夫だろう、判断を下して、捧は一気に寝台に迫った。一撃で仕留めるつもりで太刀を振りかざし、目に映る現実を理解してぴたりと動きを止める。
寝台は、もぬけの殻だった。
「……嘘」
絶望に染まった捧の声が響く。由羅は衝撃のあまり、言葉もない。
夢か幻を見ているようだった。何度まばたきをしても、暖かそうな毛布の中に頭領はいない。――ここまでひとつの間違いも起こさなかった朱莉の攻略資料に裏切られたかのように感じた。
精度には自信があると彼女は言った。作ったのも最近らしいし、朱莉に限って失態を犯すことはないだろう。依頼の心臓部に誤情報を記すなど、きっと彼女の自尊心が許さない。
不測の事態である。
〝死神〟は寝台の脇に二人並んで立ち尽くす。捧が太刀を鞘に収める音が、やたらと空虚に響いた。
「……どうしよう」
「……どうする?」
「うまく行きすぎだとは、思ったけど」
快進撃を続けて
「……引き上げるしかない、よね」
「頭領の部屋に戻ったら、適当に窓でも割って外に……」
そのとき、前触れのひとつもなく。
破裂音がして、捧の胸に大輪の血が咲いた。
「えっ」
「なっ!?」
飛び散った血が布団にかかる。服に赤い染みが広がる。捧の体から力が抜ける――由羅の判断は速かった。捧の体に手を伸ばして受け止める。間髪を入れず半球状の結界で自分たちを囲む。辺りに目を光らせ、息も止まるような緊迫した時間が、数秒流れていく。
そして、ゆらりと姿を現したのは、幽鬼じみた、生命感のない男だった。背中に長く一本の三つ編みを下げている。光のない目は底が見えず、手には黒光りする拳銃。銃口からは、まだ細く硝煙が上がっていた。
こうして出てきたからには、最初から部屋にいたはずなのに、気味が悪いほど気配がなかった。認識できていなかった事実に愕然とする。
「おい」
男は由羅の呼びかけに答えず、拳銃を向けてくる。二回目の発砲音と硝煙が上がり、ちょうど目の前で、薄い金の膜の中ほどに銃弾が食い込んでいた。
連続して三、四発目。鉛の塊がぶつかるたびに、衝撃がやってきて結界がびりりと震える。弾痕から滲むように黒い色が広がって、そこだけ結界が脆くなるのを嫌でも感じた。結界の補強を繰り返して応じるが、いつまで持ちこたえられるかはわからない。
――と、カチ、と空の引き金が引かれる。
「……足りなかった」
失望の込もった呟き。男は、三つ編みを揺らして霞のように消えた。
限界まで神経を尖らせて、由羅は気配を探る。本当に去ったのか、姿が見えないようにしただけなのか。迂闊に動いて〝死神〟にもっと怪我が出たら大ごとだ。
捧が受けた銃弾は体を貫通していたから、かろうじて、最悪の事態ではなかった。衝撃が外へ逃げたし、由羅が弾を取り除く必要もなくなった。止血と、妖術を流し込むだけで回復できる。相方のことを考えている頭の片隅はひどく冷静だ。
捧の呼気と吸気が、波のように寄せては返す。
由羅は、ゆうに一分は静止していた。が、捧を抱え直して横抱きにすると、床を蹴って一気に暗い廊下を走り出した。
銃はこの街では不人気である。弾が尽きたらもう攻撃できないし、妖術で作れないことはないが、少しばかり複雑な構造をしているから。弓矢よりも威力があり、早く、連射も容易なのがせいぜいの利点だが、そんな性能、弓引きが妖術を極めれば足りてしまう。わざわざ面倒な道具を使った理由は? しかも近距離。遠くまで届くのが銃の特性なのに――いや、いい。もう起きてしまったことだ。考えるだけ無駄だ。
荒い息を繰り返す捧は、由羅に抱えられているのみである。
「ごめん、なさい」
意識を手放す前、最後に吐いた細い声はくぐもって、由羅にさえも届かなかった。
あっという間に扉の真下に着く。高く跳躍して、壁面を交互に蹴りながらじょじょに上へと登り、頭領の部屋まで戻った。
目に入る赤い絨毯と、散乱するのは先刻割った数々の陶器の破片。人の姿はなく、固めた入り口はまだ破られていなかった。三つ編みの男の襲撃で時間を食ったが、どうにか間に合ったらしい。
由羅は迷いなく、曇りひとつない窓に向き合う。両手は捧で塞がっているから、不安定ながらも片足を上げて蹴りを入れる。靴裏に乗せた妖術が透明な板にヒビを入れると、ガラスは一気に粉々に砕け、ざらざらと派手な音を立てて形を崩した。
夜風が吹き込んでくる。そのただ中に飛び込んで、虚空を蹴り駆けた。
「…………クソ」
唇を噛み締め、家々の屋根をひた走りに走って、一心に館を目指した。繁華街の明かりが前から後ろへ飛ぶように流れていく。
後悔やら情けなさやら怒りやらが、腹の底で渦を巻く。唇が切れて、血の味がした。
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