九 前進あるのみ

 印を結んだ由羅の目に金の光が踊り、同じ色の炎が突如として床から伸びる。廊下を歩く者の足がそれに絡め取られ、動きを止める。皆が怪しんで足元に目を落としたとき、捧はとんと軽く床を蹴った。太刀が抜かれて照明を燦然と反射する。

 始めてしまえば、ためらっている時間はない。体が動くに任せて、なるべく頭を空っぽにして、武器を振りさえすればいいのだ。

 血しぶきが上がる、悲鳴が上がる、その繰り返し。〝死神〟の攻撃手段は捧の持つ太刀のみで、同時に大勢に仕掛けることはできないが、問題ではなかった。攻撃の速度は、順に一人ずつ攻撃してもまだ余裕があるほどだ。由羅の拘束も強く、不幸にも入口付近にいた構成員は、見る間に血の海に沈んだ。

「……大丈夫、いける」

 捧は自己暗示のようにひとりごち、由羅を振り返る。

「作戦変更とかしないからね」

「了解」

「……ありったけ朱莉から巻き上げてやる」

 依頼の最低条件は頭領殺し。加えて、幽暗が弱れば弱るほどいいという、高報酬の条件がつけられていた。朱莉とはいつも値下げ交渉で戦うばかり、こんな依頼は初めてのことだ。

 稼がなくてどうする。〝死神〟は奮起して、少しばかり暴れることを選んだ。視界に入った者を全員戦闘不能にする、という、突拍子もない、二人にとっては不可能ではない、荒々しい方法を。殺すまでは行かなくとも、なるべく大勢に復帰に長くかかるくらいの傷を負わせたい。

 疾風のように階段を駆け、二階へと躍り出た。皆が欄干から身を乗り出して、血に塗れた一階の床を見下ろしている。背後に迫り、捧は目にも止まらぬ速さで彼等を順に斬りつけた。別の階に逃げ出そうとする輩には、由羅が妖術を放ち、足止めをして、捧の刃が届くまでの時間を稼ぐ。攻撃は捧が、工作と補助は由羅が担当するのが、彼らの戦い方だ。

 死神が死神たる真の理由は、もしかすると、雨の夜には侵入者を狩る習性よりも、誰にも見られずに迫る、その死の気配にあるのかもしれない。

 死に近い者は目にすることができる。しかし、姿を伝えられる者は皆、とうに死んでいる。ゆえに、噂はあっても、実体を捉えられない。誰が死んだ、という事実でかろうじて認識できる――幻夢の存在。

「何者かが侵入している! 姿は見えていないが、相当強いぞ! おのおの気をつ」

 大声を上げる構成員が、四階の廊下を走って逃げていく。その首が、少しの予兆も見せずにごとりと落ちた。切り口から激しく血が吹き出して、辺りがぬらぬらとした真紅に染まる。振るわれた刃の姿は、幽暗の者たちにはちらとも見えなかった。たった今見えない敵に襲われた有様を目にして、さらなる戦慄が走る。

「ふう、静かになった」

 捧は、足元に横たわる、動かぬ体を見下ろす。太刀の銀色の刃先から、赤い雫が滴り落ちた。

 侵入者がいると告げられたところで、姿は見えないし、声は聞こえないし、妖力を感じ取るのも極めて困難だ。敵はどこだとまとまりなく騒ぐ構成員たちを雑に片付けながら、二人は牙城を駆け上がる。目指すは最上階にある、頭領の自室だ。

 朱莉の資料によれば、幽暗の頭領は現在、病を得て前線に出ていないらしい。自室に通じる専用の療養部屋で、休んでいるそうだ。これを狙って〝死神〟に依頼を持ちかけた、とも言っていた。

 機会を逃して失敗するわけにはいかない。組織の長は、都合よく何度も寝込んでくれないのだから。

 階を上がり、時間が経つにつれ、塔の内部が緊迫してくるのがわかる。構成員たちの顔色は険しくなり、武装した者が増え始めた。武器と鎧のせいで、一人を倒すのにかかる時間も長くなってきている。

「捧」

「まだ粘るよ」

「了解」

 捧の太刀の音は止まない。昔に比べれば、兵の練度は低い。二人で十分相手できる程度だ。また次の階へ向けて、絨毯敷きの階段を数段飛ばしで駆け上がり、廊下に着地しようとしたまさにそのとき。

「捧、止まれ!」

「えっ」

 もう遅かった。爪先が床へ落ちてしまう。同時に、獣の咆哮のような轟音が響き渡った。

 踏んではいけないものを踏んだ、とすぐに悟った。何かの妖術が敷かれていたのか。効果は、と辺りを見回し考えれば、答えはすぐに示された。構成員が、揃いも揃って由羅と捧の方を指差したのだ。

「かかった!」

「間抜けな顔だな侵入者! 囲めぇ!」

 口々に叫びながら、二人の方へ走ってくる。向こうに姿が見えていることは明白だった。

 呆けているうちに、たちまち囲まれてしまった。吹き抜けになっている上の階の欄干にも、いつの間に集まったのか構成員が待ち構え、弓に矢をつがえている。逃げ出せる隙間が全く見えなくて、むしろ笑いが出てくるくらいの完璧な包囲網だ。たったひとつ幸運だったのは、相手がすぐには攻撃してこなかったことか。

「ご、ごめん、由羅、姿眩ましが」

「私も引っかかった。お互い様だ」

 由羅と捧は、背中合わせになって円陣と向かい合った。捧は太刀を持ち直し、呼吸を整える。

「お? そっちの白いのはやる気か」

「いつでもどうぞ。アンタの方こそ逃げなくていいのか?」

「あん? 舐めやがって!」

 応酬するうちに、皆が好き勝手にものを言い始めた。侵入者を罵倒する言葉を。罵詈雑言は絡まり合い、構成員たちの間に敵意と戦意が満ちていく。

「……面白くなってきたじゃないか」

 由羅はひとり呟き、眼前の敵を眺めながら、対抗心がふつふつと湧いてくるのを感じていた。口角をきゅっと吊り上げて、獰猛な笑みを浮かべる。目の内の金色の炎が、一層激しく燃え盛る。そして、朗々とした声を張り上げた。

「ともかくも、かほどに豪奢な出迎え、感謝する。ぜひとも、こちらも礼を尽くさせてもらおう」

「おうおう、抜かせ! その余裕ぶってる顔が崩れる瞬間、楽しみで仕方がないぜぇ!」

 場の熱気は最高潮に達し、誰が合図するともなく、幽暗の方から襲いかかってきた。

 全方位から迫りくる無数の刃。頭上からは矢の雨が降り注ぎ、二人はすぐに追い詰められたかに見えた。実際、ほとんどの構成員が、自分たちの勝ちを確信していた。

 キン、と高く響く、刀同士のぶつかるような音が、状況が変わる合図。あらゆる武器が、矢が、金の火花を散らして跳ね返された。最前線に立っていた数名も、投げ飛ばされるように床に転がる。よく見れば武器や構成員の体は、薄い金色をした膜に当たって弾かれていた。内側で中心に立つのは由羅。天井に向かって手のひらを突き出し、結界を生み出していたのだ。

「姿を暴いたというだけで盛り上がって、少し浮かれすぎじゃないか?」

 もう片方の手で、円を描くように人差し指を動かすと、近くにいた構成員たちの体が浮き上がった。彼らは不格好な体勢で、結界の中に引きずり込まれる。

 体が動かない、助けてくれ、なんでもするから命だけは。騒ぐ構成員の間を、つむじ風が通り抜けた。――捧と、彼の太刀である。構成員の体に深い切創が刻みつけられ、命乞いの声は苦悶の叫びに早変わりした。

「この太刀もこんな程度?」

 捧は着地した後、顔についた大量の返り血を手の甲で拭い、不満げな声を上げた。

「切れ味は悪くないけど、微妙。街で一番の鍛冶職人って、実は大したことない?」

 太刀の性能に不満を零したが、職人の腕が悪いのではなく、かといって使い手の剣さばきが下手なわけでもなかった。当代随一の技術と希少な金属をもってしても、捧の剣技に太刀が負けるのだ。あまりにも速く、鋭く斬撃を絶え間なく繰り出すことに、道具の方が耐えられない。

「折ったらもったいないか。まだしまっとこう」

 捧は太刀を鞘に納め、斬り捨てた構成員の刀を拾う。

「他に、痛い思いをしたい奴がいたらおいで。切り苛んであげる」

 由羅の傍らに戻ると、指差すように刀の切っ先を向けて、ぐるりと包囲の円陣を見回した。

 構成員たちは、数秒前とは打って変わって、捧に恐れの目を向ける。もしもあらゆる厄災が集まり、生き物の形を取って目の前に現れたら、きっとこんな顔をする。

 静まった敵を前に、由羅は悠々と言い放った。

「もう話が終わったなら、私たちはこれで」

 二人の姿は霧のように消え、周囲の様子がようやく変わった。

「なっ、消えたぞ!?」

 張り直した妖術の調子は絶好調だった。由羅の術が効き始めてしまえば、〝死神〟の追尾は今や不可能である。同じ罠を踏まないことだけに気をつければよかった。

 金色の結界も、ひときわ強い輝きを放って紙が燃えるように消失する。慌てふためく集団の中で、突如、再び鮮血が飛び散った。

「そこか!」

 構成員の一人が悲鳴の方向に剣を向けると、その真後ろで別の悲鳴が上がる。

「応援を……ぐあぁああっ!!」

「どこだ! どこにいるんだ!」

「高い声で騒いでうるさいなあ。探そうとするだけ無駄だよ」

 捧の持つ刀が構成員の喉笛を裂いた。素早く引き、次は袈裟斬りにして蹴倒す。

「見えない敵は怖いだろう? 間違ったら味方に当たるんだから。おっとそこのは準幹部、その隣も隊長だね? まったくどいつもこいつも、危ないよ。総力戦なんて、兵力をドブに捨てるようなものなのに」

 話しかけているような独り言を口にしながら、跳ね回って斬りつけ、全員を仕留めていく。捧は外科医だ。行った手術は数知れず、妖怪の急所など完璧に頭に入っている。そこに比類なき剣技が加われば、並大抵の者には太刀打ちができない。

 武器が折れるたびに敵のものを拾い、また折れて拾って攻撃を繰り返す。じきに、立っている者より倒れている者の方が多くなってきた。どちらが優勢かなど考えるまでもない、明白な力量の差だった。

 と、塔の全体にけたたましい警告音が響き渡った。ジリリリリ、と鐘の鳴る高い音。続いて、照明に使われている火が緑色に変わった。血だらけの空間と朱塗りの柱が、不穏な緑に浮かび上がる。おおかた、戦闘を受けて上層部うえ本格的に焦り始めたのだろう。

「由羅、最後までやるよ!」

「了解」

 ひとまず目の前の敵を片付けることに集中する。由羅が身動きを封じたところへ捧の太刀が襲いかかり、二人の連携には迷いがない。

「どうする? 姿が見えてなくても、見るからに警戒態勢だし。一時撤退?」

「ここまで食い込んで、今更引っ込むのは惜しいだろう。押しきる以外、ない」

 聞いた捧は、楽しそうにくすくすと笑う。

「そうだよねぇ。帰るなんて言ったらどうしようかと」

「わかりきってるくせに聞くなんて、捧はだいぶ性格が悪いな?」

 顔を見合わせる様子は、さながら悪役である。

 ちょうど、場に残っていた者を処理し終えたところだった。捧は、手に残っていた借り物の剣を放り捨てる。

「なんだったんだろうね、さっきの足引っかけてきた奴。知ってる?」

「いや、初めて見た。……もしあれが何個もあるなら、まずいな」

 吹き抜けから最上階を見上げる。顔を見合わせ、頷きあったら、欄干に足をかけて上へ跳んだ。

 すぐ頭領の部屋の目前まで迫る。扉の前を固めている守衛たちも、直立不動で侵入者の話をしていた。不届き者はすぐ近くにいるというのに、だ。

「あいつらと戦うのは無理。泥沼になる」

 捧は首を横に振る。見るからに熟練の、粒よりの戦士が四人だ。先ほどの雑兵とは格が違う。

「じゃあ私が拘束するから、捧が先に入ってくれ。鍵は開いてるはずだ」

「開いてなかったら?」

「……適当に焼き切るとか」

「くく、了解」

 頭のいい作戦など知ったことではない。並外れた妖術と剣技はあるのだ。その時々で、どちらが有効かだけを判断して、後は自分たちを信じるばかり。

 鞭のようにしなって金の炎の帯が伸びる。守衛たちの体に絡みついて、四人が異変に声を上げる。傍らで、捧は扉の取っ手を思いきり押した。

「不用心だねぇ!」

 拍子抜けするほどするりと動いた。頭領以外の構成員が勝手に踏み入ろうものなら罰は免れないから、普段は鍵をかけるまでもなかったのだ。頭領の部屋という箔自体が鍵になっていた。しかしそれが通用するのも組織の者だけだ。

 捧が、続いて由羅が部屋に飛び込む。ばたんと閉めたら錠をおろして、扉と壁とを術で溶接、結界を重ねがけし、重そうな机や背の高い棚を妖術で引きずって持ってきて、これまた扉や床や壁と溶接する。黙々と手早く防壁を作り上げた。部屋に刺客がなだれ込むのも時間の問題、その前に頭領を始末するのだ。

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