二 毒牙

 次に目を覚ましたときには、手足と首とを固定され、上裸で長机の上に転がされていた。青い服の男の妖術で意識を失い、部屋へ運ばれたのだろう。術がまだ解けきらないと見えて、全身がだるかった。

 あの妖術使い。とてつもない妖力の圧だった。特に男を拘束したときの、わざと抑えていたのを解き放ったような、荒々しい覇気。気まぐれでしていないけれど、本気を出せば街の全てを手中に収められるくらいの強者だと本能で感じた。思い出すだけで背筋も凍る思いだが、現在の男が置かれた状況も、負けず劣らずの崖っぷちだった。

 何がなんだかわからないが、歓迎されていないのは確かだ。目の前に居座るのは、虫の複眼のように並ぶいくつもの円形の手術灯。灯ってこそいないが、外科手術のためのものだとひと目でわかる。きっとこれから、手術灯に照らされて男の腹が切り開かれるのだ。数分後か数十分後か知らないが、到底受け入れられない大事件だった。

 動かせない頭の上では、金属がぶつかる音がしている。今、視界の端にちらりと写った銀色の光はメスだろう。

 その主は男の脇で、語りかけるように独り言を始めた。

「ああ、おはようお兄さん。気絶してたのに、もう起きるなんて早いな」

「…………」

「オレたち妖怪の体は、なんで何度も再生すると思う? うん、切り取って売って儲けるためだよね」

 喋っているのは、青い服の男ではない。白っぽい髪を縛って肩の前に垂らした、別の男だ。順当に考えて青服の男の仲間だろう。

 白に近い髪色とは珍しい。根本から先端まで同じ色だから、染めているのではないらしい。見たところは若そうなのに、髪の色だけが老人のようだ。ますます奇妙である。――などと、くだらないことでも考えていなければ、すぐ手術の方に意識が向いて発狂しそうだった。外科医の言っていることが、あまりにも物騒なので。

「死にはしないよ。ああでも、死ぬほど痛いかもなあ。まあ、妖怪は頑丈だから、深く切ってもどれだけ取っても、丁寧に作業すれば、大抵放っておくだけで完治する。大丈夫だろ」

 とてつもない妖術の次は、ヤブ医者の手術。男の脳はほとんど麻痺状態だった。

「な、なあ……」

「ん?」

 下手に喋らない方がいいかもしれない。けれど、このままおとなしくしている方がもっと嫌だった。

「話す気力があるのか。元気だね、お兄さん。うん、聞きたいことがあるならどうぞ」

 外科医は特にこれと言った様子もなく、男に先を促した。

「あんたは誰なんだ?」

「世間様の言葉を借りれば、〝死神〟かな?」

「〝死神〟……」

「そう。名乗っているわけじゃないけど呼ばれてる。結構気に入ってるんだ。なんだか不気味でいいじゃないか」

「じゃあ、外のあいつは手下か?」

「手下? まさか!」

 外科医の手が空気を切って男の鼻先に伸びる。突きつけられたのは、折よく手にしていたメスだ。文字通り目と鼻の先にある刃に、表皮がちりつく。

「オレたち〝死神〟の間に上下関係はなしだ。冗談がきついぞ」

「わ……悪かった」

 反射的に謝ると、外科医はメスを引っ込めた。

「で、終わり?」

「は?」

「聞きたいことはもうないのか、って。じきに口も聞けなくなるから、今のうちに話しておくのを、おすすめするけどね」

 外科医の気配が離れる。別の器具を取りに手術台から離れたのだ。

 心臓が早鐘を打ってうるさい。それでも、己を奮い立たせて質問を続けた。状況を打開する情報が、もしかすると、運よく外科医の口から漏れるかもしれないと、細すぎる一縷の望みに期待した。

「〝死神〟なのに、お、俺を殺さないのか?」

 先ほど、死にはしない、と言っていたように思う。違和感を覚えると、ああ、とまた外科医は答えてくれた。

「一回で殺したらもったいないだろ。噂は勝手に殺してるって思われてるだけだよ。誰も帰ってこないから、そんな風に言われるんだろうな」

「殺さないなら、一体何をするつもりだ!」

「ご覧の通りだよ、体の中身を頂戴する」

「その後は」

「売るんだよ。お兄さんも知ってるだろ、臓器の取引。そっちの業界じゃ、〝死神〟は有名なんだ」

「……あ」

「思い当たることでも?」

「まさか、市場を激変させた、作業者の妖力で染まってないという臓器の……」

「そうそう。オレの体はちょっと変わっててさ。おかげで、臓器を切り出す最中に余計な妖力で汚れることがない」

「……そんなことが通用するのか? どんなに注意したって、問答無用で流れていくのが妖力だろう」

「詳しいね」

「知り合いがやってるからな。……量の差はあっても、妖怪たるもの、必ず全身に妖力を巡らせている。基本的に他者の妖力は、体内に入ることがないように、皮膚や衣服で弾かれる。でも逆に、皮膚や衣服がない部分は、他者の妖力にあてられたら吸収するって仕組みだよな。時間を置けば勝手に抜けていくものの、そいつは生きている奴の体の話で、切り出した後の臓器では通用しない」

「うん、その通り」

「売られる臓器は妖力で汚れているのが当たり前だ。で、教えてくれないのか?」

「さすがに秘密。簡単に白状したら、オレたちが商売にならない。体ってものはよく売れるんだから、関係する情報はきちんと守らないと。臓器は薬にしてよし、もう再生しない欠損部位に繋げてよし、食べれば全身に力が湧いてくる、なんて皆ほしがるよな。儲けが出るのは間違いない」

「……臓器も取ったら、どうするんだ」

「さあ、どうなるんだろうね。そのときのお兄さんの体と、オレたちの気分次第じゃない?」

「ふざけるな! 言いなりになんてなれるか」

「負け犬は今のうちに吠えておけばいいよ」

「見てろ。お前のほうが泣くことになるぞ」

 よく聞いていれば、外科医の発言の数々も、ここでは珍しくない行為。自分が標的になったことで気が動転していただけで、男の知り合いにも同じようなことをしている者がいるのだった。

 外科医が会話をしてくれたので、男の方もいくらかいつもの調子を取り戻してきている。思いきって、最初からずっと気になっていたことを尋ねてみた。

「お前、妖力がずいぶんと少ないな。気味が悪いんだが、一体どういうことだ」

 この外科医、感じられる妖力が本当にわずかなのだ。普通の子供より少ないかもしれない。先ほどの妖術使いのように隠しているわけでもなさそうだ。

「生まれつきか? だとしたら、とっくに死んでるくらいの少なさだな。妖力なしで生きていける妖怪なんざ、聞いたことがない」

 ――外科医のまとう雰囲気が明らかに変わった。手の動きが止まり、目には得も言われぬ色が浮かんでいる。予想外の反応だが、ありがたい展開だった。男はちらと見てすぐ、それを狼狽だと決めつける。普段の勢いが体に戻ってきたようで、途端に舌が回りだした。

「おいおい、さっきの威勢はどうしたよ? ……もしかして、臓器の純度の高さに関係することか?」

 いい着眼点だ、と自画自賛して、男はすっかり優位に立った気分で外科医を見上げた。意外とどうにかなるかもしれない。策も何もないけれど、何やら力が湧いてきて、拘束具も壊せてしまいそうだ。弱点を突かれた途端にこの様か、と蔑む気持ちすら生まれてくる。

 外科医は顔をしかめていた。軽く笑っていた口は真一文字に結ばれ、眉間には薄く皺が寄っている。煽って揺さぶりをかけるのが、通用するかもしれない。

 そのとき。

 部屋の扉が勢いよく開き、靴音が響き、一拍遅れて、津波のような妖力が部屋に押し寄せた。その妖力には覚えがあった。ついさっき、身に受けたばかりの。全てを潰してきそうな、場に在るだけでも暴力的な気配。縮み上がりながら必死で目玉を動かすと、手術台に歩み寄ってくる者の姿が見えた。やはり、青い服の妖術使いだ。男はさらにまなこを見開く。

「あ、由羅ゆら……」

 外科医が、小さく声を上げた。妖術使いの名は由羅というらしい。しかし名前よりも、身動きの取れない男にとっては、蘇る恐怖のほうが問題だった。妖術を浴びたときに感じた不快感と忌避感とが再び体内で疼きだし、心臓はドクドクと激しく鳴り始める。外科医を見下していた気持ちなど、ものの一瞬で吹き飛んだ。

「ま、待ってくれ! 頼む、少しだけ、」

「待って何になるんだ? 知ったことか」

「教えてくれ、ここはどこなんだ、俺をどうするつもりだ!?」

 会話が噛み合わない。先ほど外科医に尋ねたことをまた口にしている。由羅は呆れたように嘆息した。

「お前は酷くやかましいな。手術が始まるより先に、口を封じておこう」

 由羅が男の上に手をかざす。瞬間、男の口がぴたりと閉じて、声が出なくなった。彼の両目は金色に輝き、消えゆく残光が宿っている。

 何が起きたんだ、とまばたきを繰り返す。親切にも、男の疑問を察して外科医が答えた。

「……そういえば言ってなかったな。オレの手術に麻酔は使わないんだ、いちいち薬を使ってたらもったいないだろ。ただ、どいつもこいつも叫ぶから、うるさくて敵わない。だから妖術で、声を出せないようにしてるんだ。ああ、痛覚も奪ってるから心配しなくていいよ」

 外科医の言葉は理解の範疇を軽く超えていた。薬も妖術も、惜しいことに変わりはない。手術の間ずっと痛覚を奪うなど消耗が計り知れない。まだ麻酔を使った方が効率的、とそこまで考えて、あの規格外の妖術使いがいるからか、となけなしの判断力でどうにか思い直した。彼にとってはきっと、妖力など惜しむ必要もないものなのだ。簡単に他者の思考を読んでくるような男のこと、感覚を取り上げるのだって簡単に違いない。

 ようやく実感が肌に迫り、否応なしに理解した。この二人なのだ。中華街でたった二人でのし上がり、勢力を広げていく謎の存在。雨空の下を支配する〝死神〟とは――。

 途方もなく似合っている異名だ。無事に生還するなど夢のまた夢、男にはもう、長机の上で転がっているしか、選択肢がないのだ。

 全身から力が抜ける。抗う気力が一気に萎えた。

ささげ、遅くなって悪かった」

「ん、大丈夫」

「足りなくなったらすぐ呼んでくれ。倒れたら大変だ」

「わかってる。配分はちゃんとするから安心して」

 言葉を交わすと、由羅は部屋を出ていった。部屋は、男と外科医――捧との二人きりになった。

「お兄さん、度胸があるな。妖力のことを直接言うなんて、なかなか珍しいんだけど」

 皆怖がって喋れなくなってるからさ、と続ける。

「……由羅には驚かされただろう? あんなに強い妖術使いはなかなかいない。オレに妖力を分け与えたって平気そうにしてるし。本当に、すごいんだ」

 当然、男からの返事はない。響くのは、捧が準備している器具の音ばかりだ。

 ――本人が知ることはもう叶わないが、男の発言はなかなかに的を得ていた。

 確かに、捧には妖力がない。正確には、センがない。

 センは妖力の根源といわれる部分、すなわち命の根の部分である。腹を割ったら取り出せるような臓器とは違う、少しばかり複雑な代物だ。体内にある時点では物体ではないが、決まった手順で取り出せばきちんと形を結ぶ、妖怪が生きるには欠かせない妖力を生み出している、奇妙な器官。捧はそれを過去に奪われている。本来なら死ぬはずの彼が生きているのは、他でもない由羅から妖力をもらっているから。加えてセンを失ったときに運がよくて、本当に一部だけだが、センの端の方がかろうじて体内に残ったから、だった。などとは、説明できるはずもない。平気で男と会話していたさすがの捧でも隠したい自分の秘密だ。

 捧が気分を切り替えるように深く息を吐く。その仕草に、長机の上の男は戦慄して肩を震わせた。

「よし、手術開始だ、待たせたな。ぜひとも苦しんで、金になってくれ。意識がなければまだ楽なんだけど……まあ、目を覚ましたお兄さんの運が悪かったと思って諦めることだ」

 がたごとと音がして、円形の手術灯がまばゆい光を放つ。明かりの燃料も実は、以前手術を受けた哀れな妖怪の四肢であったり臓器であったりするのだが、そのことが明かされはしなかった。

「なんだ、そんな顔をして。いちいち驚いたり怖がってたら、この世界じゃやっていけないだろう? お粗末なことだなあ」

 不気味に笑う外科医がメスを構える。白色の光線を浴びた刃物は、死神の鎌のような輝きを持って、剥き出しの男の皮膚に迫っていく――。


 絶叫は、ない。

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