泥濘
三十六 二人は安寧を取り戻す
無事に館に帰っては来たものの、〝死神〟二人の前には問題が山積みである。朱莉からの依頼、幽暗朔月の頭領殺しは果たせていないし、砂京は敵意を顕にしてきた。振り出しどころか後退している気もするが、不思議と今は、どれもほんの些細なことにしか見えない。
急がなくていい。二人一緒に、元通りの形に収まれたのだから十分というものだ。
「よっし、できた」
機嫌よく言った捧は菜箸を置き、盛りつけにかかった。本日の昼食――なお時刻は深夜である――の主役は八宝菜。白菜、
「捧は本当に料理が上手いよな」
「ふふ、ありがと」
後ろから覗き込んできた由羅に、少し得意げになりながら返す。褒められると気分がいい。
「捧の飯じゃないともう満足できない」
「そう? ずっと作るから安心していいよ」
「…………おまえ、それ」
「え、何」
わかっていない様子の捧に答えを教えようとして、ふっと思いとどまり、
「いい。やっぱりなんでもない。でも言ったからにはちゃんと作れよ」
話の方向を変えて、終わらせた。
うん、と返しつつ捧の中には疑問が残る。束の間考えて、作る気はあるのだしいいか、と流した。
食事の味のありがたみは、薬草まみれの青臭い飯のおかげで、嫌というほど知っている。自分が気に入る味のものを作りたくて練習し始めた料理が、由羅のためにもなっているのなら嬉しい限りだ。
何事もなく食事が始まる。が、突然、食卓の真ん中に矢が突き刺さった。反応を返す暇さえない速度で突っ込んできたそれは、薄紅の小さな稲妻をまとっている。差出人は明らかだ。
間が悪い。何も、今来ることはないだろうに。
揃って白い目を向け、先に嚥下した捧が矢を手に取った。手紙に変化したそれに目を通し、由羅に渡す。彼も記された文字列を最後までたどったら、ある一ヶ所を指差した。
「なんだろうな、これ」
「うん、ね」
やたらと含みのある末尾の一文――『謝罪の品を持参する』を眺め、二人は首をかしげたのだった。
相変わらず時間に厳格な朱莉は、送った手紙の通りの時刻に館へ現れ、手には角ばった風呂敷包みを持っていた。
応接間に通された朱莉は、挨拶もそこそこに本題に入った。
「……今日は、お詫びに来たの」
「へえ?」
「あの件で、君たちには迷惑をかけてしまったから。本当に、申し訳ない。こんなに呑気に家に上がっていること自体、嫌かもしれないけれど……」
朱莉が頭を下げれば、二人とも慌てて止めにかかる。
「い、いいから、朱莉」
「お前に謝られると、何かあるんじゃないかと怖いんだよ」
「前にもやった気がする、これ」
謝罪すらも満足にできないなんて、と朱莉は不服を述べた。
「でも朱莉は、少し偉そうにしてるくらいが安心するっていうか」
「不遜さを無表情で相殺してる気がする」
朱莉は言い返さなかった。開き直ろうと諦めたのかもしれない。
「ええと、それで、結構前の話になるけれど、せめてものお詫びに」
風呂敷包みを差し出した。捧が受け取れば、「開けてみて」と促す。
ひとまず卓に置く。由羅も体を傾けて捧の手元を見つめた。
結び目をほどかれて姿を表したのは、白木の箱だ。手のひらより一回り大きく、二つ縦に重なっている。手に取って蓋を開けた先には、小指の爪ほどの大きさの透明な石が三個、金の鎖で繋がれたものが入っていた。
つまんで持ち上げると、しゃらりと軽やかな音を立てる。よく見れば石は、角度によっては薄い虹色を内に宿して輝き、とても美しかった。
「何、これ」
「姿眩ましの妖術」
「……妖術?」
捧が聞き返す。
「石の中に、姿眩ましの妖術が入ってるの。二本一組の特注品。身に着けていれば、その場では姿が見えるけど、後から容姿を一切思い出せなくなるの。会話の内容なんかは残るんだけど……まあ、由羅がいつも私に使っているものと似た感じ。組になった二本だけは例外で、何もしてないときと同じ、お互いの顔は見えるし記憶も残る。そして、効果が発揮されるのは、天下にこの二本だけ」
「へえ」
「君たちの調子はいつもと変わらない。ただ、周りから見た君たちは、ちゃんと話ができるうえに、素性は一切わからないってわけ」
「ふーん……」
「帯に挟むとか、服の裏につけておくとか。目立たない場所に忍ばせておくだけでいいの。顔を知られずに街に出ていけるよ。ちょっとした買い物や
「すごくいい。……なるほど、だから最近音沙汰がなかったのか」
捧は納得して、手の中で石を揺すった。
「強度は?」
「君たちがどんな扱いをするかにもよるけど、それなりに丈夫だよ。壊れないような場所につけておいて」
「石を一個ずつに分けたら、どうなるんだ」
「効かなくなる。そのために鎖で繋いであるの」
「意外と融通がきかないんだな。……ああ、嫌なわけじゃないぞ」
由羅は茶化すようにつけ足した。
「満足、した?」
緊張しているのがわかる。〝死神〟相手にはなかなか見せない態度だ。二人は顔を見合わせ、揃って頷いた。
「……よかった……」
朱莉は肩の力を抜き、椅子の背もたれに体を預けた。
「これ使えば、渦潮にも会いに行けそう」
「あの、白梅楼の?」
「そうそう。挨拶ついでにちょっと美味しいものでも食べたいな」
「お、いいな」
あれやこれやと相談を始めた〝死神〟を見つつ、朱莉は無表情の下で安堵した。
一時は本当に、どうなることかと胃が痛くなったけれど、すっかり以前と同じような関係に戻っている。よかった、とただそれだけの思いだった。
「二人とも、もうひとつ話があるの。臓器の取引を再開したいんだけど」
彼女の言葉こそ、日常が帰ってきた合図だった。
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