相対

二十七 応答

 競り市にセンが出される夜が来た。

 由羅は一人で館を出る。向かうは競り市だ。今、隣に捧はいないが、彼が帰ってきたときのことを思えば、競売オークションは見ておくべきだ。――当たり前に相方が帰ってくるとは限らないのに、動かずにはいられなかった。

 悶々としながら歩いて、競売オークションの会場へ入って、安価な、よくある種族のセンが一個だけ競りにかかるのを見て。重たい足取りで来た道を戻る。期待通りの、捧に合うセンが出てきたことなど一度もないのに、どっと疲れた。

 捧が館を出ていった理由はわからない。あのときの捧の発言は、細かくは覚えていないのだ。「いらない」という言葉だけが、鼓膜にこびりついている。逆に他は曖昧だ。

 絶対にいつもと違った、おかしかった、と思うものの、気を抜いたら「あれこそがずっと捧が隠していた本心ではないか」と自分を疑ってしまう。投げやりに笑った、熱病に浮かされたような顔は異常で――けれど確信が持てない。突然だったうえに、ほんの短い時間しか見ていないのだ。日数が経つうちに、自分に都合がいいように記憶が書き換わっているかもしれない。悩むようなものではなくて、憎しみを宿した表情だったかも。ろくに話さずに出ていったのは、由羅と一秒だって顔を合わせていたくなかったからとか。でも前兆がなさすぎた。本当に? 由羅が感じ取れていなかっただけで、彼は片鱗を見せていたのか。堂々巡りだ。

 捧の足取りは杳として知れない。館の周辺に手がかりが残っていないかと探してみても、都合よく転がっているはずもなく。手詰まりのままに一日、一日と時間が過ぎ去っていく。気を揉むばかりで、ここ数日で吸う煙草の量は大きく跳ね上がっていた。せめてもの慰みにと、すぐ手が伸びているのだった。

 飯店に寄って、手早く食事をした。楽しげな雰囲気が漂う店には、由羅は場違いに思えた。

 最近は、毎食を買ってすませている。理由は単純、いつも料理をしてくれている捧がいないからだ。自力で何か作ろうとしたのだが、皿を割ってしまって一切のやる気をなくした。買う方が早いと思ってしまったのだ。

 しかし、毎回出かけていくのが手間である。買いだめも、できて三食が限界。勝手が悪いのだ。捧の作った料理も食べたい。店の料理が不味いわけではなくて、ただなんとなく物足りないのだ。捧を見つける手立てが手元にないために、望まずとも必然的に考え事がはかどってしまう。

 やがて館が目に入り、同時に、入口付近に佇む人影に気づいた。

 反射的に妖術で身動きを封じた。金色の炎が、目にも止まらぬ速さで相手に巻きつく。前回の競り市の日に、館を空けた間に侵入者に迫られたことで、未だに警戒心が抜けないのだ。

 注意深く近寄っていくと、背格好はよく知った相手のものだった。――朱莉だ。

 彼女は由羅の足音を聞きつけて振り返る。非難するような眼差しとともに。

「由羅? 穏便にお願いしたいんだけど」

「……本当に朱莉か」

「他人が私の姿に化けてるんじゃないかってこと? ……この雷を見てもまだ言う?」

 朱莉の手から、赤色を帯びた小さな稲妻が零れる。明らかに朱莉のものだ。由羅は拘束を解いた。

「気味が悪いくらい頻繁に来るな。どうした」

「用があって来たに決まってるでしょ」

「商談なら無理だ。捧は今出られないから」

「そうだよね、館にいない相方と話はできない」

「……おい、どうして知っている?」

 低まった声とともに、不信感を顕に、由羅はゆっくりと片手を肩の高さほどまで持ち上げた。

「何、その手は。敵意がむき出しだけど。少し話を聞いてくれたっていいんじゃない?」

「聞く気はあるぞ。姿勢はまあ気にしないで、教えてほしい」

「……なら、長くなるから、中に入れて。外は風があるし、虫もいるでしょう」

 いつものように館に上がるが、捧がいないと空間が余っている感じがした。お互いに口数も少ない。

 応接室の椅子に腰を下ろすなり、由羅は煙管を手に取った。 

「すまない、吸わせてくれ」

 朱莉に許可を取る口ぶりではありながらも、手ではすでに刻み煙草を詰めている。火がつけられて、辺りに煙が漂い始めた。

「で、捧がなんだって」

「君、相方と喧嘩でもしたの? 早く仲直りしたら」

「してない。あと、できたら苦労しない」

 喧嘩をしていないのなら、仲直りだってする必要はないだろうに。二人の間で何かがあったのだと、朱莉は確信を強める。

「会わせてあげようか」

「は?」

 眼光に厳しい色が宿った。元々柔和な顔つきではない由羅だが、鋭さがさらに増す。吐き出される煙草の煙までも、威嚇を含んでいるように見えた。

「笑えない冗談は相変わらずだな」

「冗談じゃない。できるに決まってるでしょう、私は香鈴館の主なんだから」

「大商人になれば奇跡が起こせるのか? もし本当ならとっくに転職してる」

「奇跡ってほどでもないけど」

「お前、会話する気あるか?」

 由羅は苛立ちを隠しもせず、発言ひとつひとつに噛みついてくる。はっきり言って面倒くさい。少しでも言葉選びを間違えたら、こんなものではすまないだろう。牙を剥いて襲いかかって骨も残さない、そういった感じがする。

 回りくどく話すのは悪手と判断して、朱莉は由羅を見据えた。

「一旦黙って聞いてくれる?」

「わかった、黙る。それで?」

 煙を吐いて朱莉を見据える。睨まれているような構図になって落ち着かなかった。正直に、冷静に、事実を伝えることに集中する。

「捧は白梅楼にいる」

「香林館の?」

「そう」

 由羅は天を仰いだ。本気にしていないのがよくわかる。

「ふざけるのも大概にしてくれ。嘘をつくなら刺すぞ」

「いいよ、存分に刺せば? 真実を言ってるから、私はちっとも怖くない。私は捧の居場所を知っている」

「…………」

「白梅楼の社員寮、七十二号室。昼勤務の清掃担当。採用から今日で三日経つ。私の言葉は、信用するに足らないかな」

「……微妙」

 由羅が目を細めると、朱莉は唐突に、銀細工のかんざしを抜いた。まとめられていた髪が一気に崩れる。

「何してるんだ」

「もう少し待って。怪しむくらいなら読心術で確認しなさい。私が嘘をついてないってこと」

 言いながら今度は耳に手をかけ、黒水晶のピアスを外す。ブレスレットも外し、襟元を緩めてチョーカーを取る。

「はい、終わり。妖術を弾くものはもうないよ」

 装身具アクセサリーをまとめて卓に置いた。

「で? もう一度言うけど、私は嘘をついてない。捧は白梅楼にいる。確かめなさい。……この期に及んで、知り合いに読心術は使わないとか言ったら、張り倒すからね」

「…………」

 由羅は苦々しい顔をして、しばらくの沈黙の後に、深くため息をついた。

「……どうなってるんだよ……」

 戸惑っている答えが、朱莉の発言を真実と認めた証だった。

「こっちが聞きたいよ。君の方がよく知ってそうだけど」

「私だって知らない!」

「ああ、はいはい」

 どうでもいいことに毎回突っかかっている自覚は由羅にもあった。が、気分がすっきりしなくて抑えられないのだ。

「そういうわけだけど、白梅楼に来るでしょうね? 捧と話し合うために」

 朱莉がかんざしで髪を再び結いながら問う。由羅は存外静かだった。

「どうかした?」

「……いや」

「はっきりしないで君らしくないね」

 とても、歯切れが悪い。いつでもなんでも一刀両断する、気持ちよく断じるあの由羅がだ。首を回してあちこちを見て、自信なさげに口ごもっている。

「……お前は、捧から聞いてないのか。どうして館を出てきたかとか」

「聞いてない。強情に言おうとしなかったよ。……君にも?」

 こくり、由羅は頷いた。

「じゃあなおさら、来てもらわないと」

「ま、待ってくれ」

「何?」

「や、その」

「変だった理由を確かめないの? 毒を盛られたとか、精神に響く呪詛を受けたとか、いくらでも想像できるじゃない」

「………………」

「へえ、意外。捧が出ていくはずがない、って言い切るくらいには、自信満々だと思ってた」

「そんなわけないだろ」

 苦しそうだった。眉間にかすかに皺が寄って、責めるような空気が噴き出る。

「事実として、捧はいない。……私は愛想を尽かされたんだろうな」

「心当たりがあるの?」

「……ない、けど」

 けど、の続きは出ない。中身が見つからない。自覚がないままに、いつの間にか捧の機嫌を損ねるようなことをしていた可能性を捨てきれない。

「せめて、必死で話すとか、してみたら? なびいてくれるかもよ。押しかけてみて、頑張って話して、それでも嫌だと言われたなら、諦めればいいだけのことでしょう」

「まあ……」

 二の足なんか踏んでいないで、まず動きなさい――朱莉は指摘を飲み込み、耐えた。あまり言っては由羅にも悪いと、彼女にも少しは思いやりがあったのだ。代わりに放った言葉も、なかなかに尖っていて、しかも核心を衝いていたが。

「もしかして君、拒絶されたときのことが怖いの?」

 由羅が弾かれたように顔を上げた。

「朱莉、読心術」

「使えるわけがないでしょ。そんな気がしただけ」

「……わかりやすかったか?」

「他人の気持ちを推し量るのは得意な方なの」

「……結構なことで」

「でも喜びなさいよ。捧は、自分自身に嫌気が差したんだとかなんとか言ってた。君は原因じゃないって」

「本当は思ってるかもな。口ではなんとでも言える」

「じゃあ、絶交だとかはっきり言われたの?」

「……いや」

 朱莉は呆れてしまった。確認するたびに否定、否定、また否定。朱莉の発言を素直に受け取らないのは、不安定な状態だから見逃すとしよう。しかし、この煮え切らなさは受け入れがたい。

「ねえ君、納得してないんでしょう」

「う」

「だって、そうとしか見えないもの」

 思考の糸が絡まっている心中を見透かされたようで、居心地が悪かった。その通りだ、黒く濁っていて、心なしか息がしづらい。胸の辺りが重たいのだ。

 捧がこの手に戻ってくる以外で、心の雲が晴れることはない。はっきりと拒絶されたら、胸の閉塞感はいなくなるだろうが、大きな穴が開いてしまうことは目に見えている。……気づかないふりをしているだけで、穴はもうできているのかもしれなかった。

 図々しい。彼の思いを引き出すこともできず、止められなかった奴がぬけぬけと、「元に戻りたい」と願う――己を呪う理性と欲に忠実な感性、両方が存在していて、どちらを取ることもできずにいた。

「諦めがいいんだか悪いんだか……ねえ、君」

 沈黙に耐えかねた朱莉は、改めて由羅を見据えた。

「今、自分の考えしか頭にないでしょう」

 朱莉が首をかしげる。はっとした由羅の肩が揺れる。

「頭の中身ってものは、言わなきゃ伝わらないの。捧の言葉を待つ前に、君が一人で想像しても意味がないでしょ、信じるとか信じないとか曖昧なこと……自分の頭を動かしてもわからないことなんて、いくらでもある。由羅」

「……ん」

「一旦話を変えるけど。君はどう思ってるの?」

 由羅はうつむいていた顔を少しだけ持ち上げた。重力に引かれて視界にかかる自分の髪の隙間から、真っ直ぐな朱莉の視線に射抜かれて身がすくむ。

「正直に言ってみて。捧がどうとかまどろっこしいことは、ひとまず全部脇において。捧を手放してもいいのか、捕まえておきたいのか」

「……どうしたんだ、急に」

「知りたくなった。私に得がありそうだから」

「あるのか……?」

「あるかもよ。ほら早く、君の、ただの欲望を言ってみなさいよ」

 数秒、凝視し合う。先ほどからの矢継ぎ早な弁舌にあてられている由羅は、素直に本心を口にした。ぽつりと、どこを見ているのかわからない目で。

「離したくない」

 朱莉の肩から力が抜けた。安心したのだ。〝死神〟の復活は遠くはないと感じることができて。

「ほらわかりやすい」

「でも、私の勝手な望みだぞ。押しつけたら」

「知ったことじゃない。捧は、本当に君に愛想を尽かしてるかもしれないし、面倒な奴に目をつけられてしまったのかもしれない。何一つ自分で確かめないで、情けない」

 ぐさりと刺さる一言だった。

「事情を知りもしないでよく言うよな……」

「君の方こそ、捧の気持ちがわからないうちからよく言うね」

 言い返したのを後悔するくらいには、耳が痛い返しがあった。

「別にいいじゃない、側にいたいとか、側にいてほしいとか……どれだけ綺麗に包んでも結局は、自分がしたいだけでしょ。そういうことを向こうに伝えて初めてやっと、気持ちが伝わるとか、通じ合うとか、世間でよく言われてることが始まるんじゃないの」

 軽く言われた瞬間。引っかかっていたものが取れたと同時に、辺りに風が吹き抜けたような、ぱっと目の前が開けた感じがした。頭の中が晴れ渡った。床を見つめて二、三度繰り返した呼吸の感覚が、とても目新しいものに感じられた。

「……そうか。そうだな」

 由羅が途端におとなしくなる。その態度こそ、朱莉の危ない綱渡りの説得が成功した証であった。

「……何、折り合いがついたの?」

「ああ、ついた。他人に気づかされるなんて格好がつかないよな。自分でわかりたかった」

 自嘲が零れて、中身はともかく笑えていることに少し気を休めた。立ち直る余力はある、まだ大丈夫だと。

 はなから無理な話だったのだ。諦めるなんてできない、捧と離れるなんて考えられない。説明もできないが確かだ。昔から――出会ったばかりの頃から、由羅は捧がいないと駄目なのだ。見かけは、妖力のない捧が由羅を頼っているような形かもしれないが、実際は逆だ。

「迷うのはやめる。朱莉、ありがとう」

「よくわからないけど、役に立てたならよかったよ」

 すっかり立ち直った由羅は、刺々しさが嘘のようだった。

「お前がここまで言うなんてな。何か裏でもあるのか?」

「……言ったら、怒る?」

「あるんだな」

「何もなかったら、そもそも動いてないからね……」

 文句は言わないから教えてくれ、と頼めば、朱莉はついと目を逸らした。

「あくまで、私が困るから協力するだけ」

「困る?」

「〝死神〟が仲違いしていると、臓器が買えない」

 由羅は瞬時に理解した。なんとも彼女らしい理由だ。

「正直なところ、痴話喧嘩の末の家出だろうが、賭事ギャンブルでスッて金欠で稼ぎに出てきていようが、捧が白梅楼に来た理由に興味はないの。でも、興味がないからと捨て置けることじゃない。君たちを見ているとね、最高の二人組だと思うの。捧はあの体質だし、由羅だって彼を生かすことができる。そして、〝死神〟からの臓器じゃないと、鳴の薬は作れない。私には家族よりも大切なものなんて存在しない。今のままだと私に都合が悪いから、協力する」

「なるほど。わかりやすくていいな、親近感が湧く。結局そういう事情か」

「何、文句言わないって言ったじゃない」

「お前らしくて安心したんだよ」

「……ああ、そう……なんだか複雑な気分だよ」

 二人は立ち上がり、玄関を目指した。話し合うまでもなく、今すぐ白梅楼に向かうのは共通の決定事項だった。

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