二十一 由羅の場合

 由羅の父にあたる女は華煌の工作員で、母にあたる女はその愛人だった。

 妖怪はほとんどが雌雄同体で、相性はあるものの、基本的に望めばどんな相手とでも子を作ることができる。由羅はそんな体の作りに助けられて、種族も超えた父と母の深い愛の間に生まれた子――の、はずだった。

 少なくとも、母はそう思っていたようだ。

「あの人が迎えに来てくれるから、待っていなさい。おまえは外に行って、真っ当に生きるんだよ」

 記憶の中にひときわ鮮烈に残っているのも、悲しそうに寂しそうに言う、ほっそりした顔だった。

 由羅の母は遊女で、客も多く取っていた。美貌としなやかな肢体で数多くの客を虜にし、由羅の父も例外ではなかった。遊郭に通い詰め、母を口説き、贈り物も多くしたという。母の方も、父の相手をするうちに絆されてしまって、やがて子を望み、身ごもり、出産に伴って長期の休職をした。

「その頃から、父さんとはあまり会えてないのよ。忙しいのかしらね」

 由羅が父のことを知りたがったとき、母はそう説明した。確かに、由羅は生まれてから一度も父の顔を見たことがなかった。

「でも、父さんも由羅が大好きなのよ。私が父さんを大好きなのと同じで。仕事が落ち着いたら由羅を迎えに来てくれるの」

 母は口癖のように言っていた。由羅の頭を撫でる傍らで何度も繰り返されて、そういうものか、由羅の頭に自然と刷り込まれた。

 読み書きや計算は、母や遊郭の者たちが教えてくれた。だから、恵まれた環境ではあった。母は、由羅が遊郭を出た先でもきちんと生きていけるよう、そうした最低限のものを仕込んだのだろう。やがて日々が過ぎて、彼女が望んだ通りに、由羅が外に出る機会は訪れた。

「由羅! 手紙が来たよ。一ヶ月後に、父さんが来てくれる。ここから出られるよ」

 母は、珍しいくらいに喜んでいた。

「出なきゃいけない?」

「え?」

「母さんみたいに綺麗でいるなら、ここにいてもいい」

 正直な気持ちだった。すると母は、ためらいがちに由羅を抱きしめて、震える声で言ったのだ。

「ありがとうね。でも由羅には、私みたいになってほしくないの。わかってちょうだい」

 由羅にはまだ、母の言う意味がわからなかった。自分と同じ道を歩ませないよう仕向けるのか不思議だった。母や、周りの娼婦や男娼は、皆美しい服を着て、肌や髪なども丁寧に世話をして、あでやかな姿でいつも微笑んでいる。優雅で妖しい世界に惹かれる気持ちはもちろんあった。

 そんな純粋な憧れは、母たちの毎夜の仕事を知らないから抱けた幻想にすぎなかったのだが。

 なんにせよ、由羅は父に引き取られる形で遊郭を出た。母は別れ際、「あまり会えなくなるかもしれないけれど、私は変わらず、おまえが大好きだからね」と、いつものように由羅の頭を撫でた。そして父を見ると、首に腕を回して抱きつき、涙声に言ったのだ。

「愛してる。たまにでいいから、会いに来て」

 父は母を抱きしめ返し、耳のあたりに口づけを落とした。

「私も愛してる。仕事の間に来るよ」

「本当? あのね、番頭に名前を言ってくれれば、客じゃなく身内として通してくれるって。お金や手続きもいらないから。ね?」

「うん」

 このときの由羅は、必死で目を逸らして、肉親同士の甘ったるいやり取りを視界に入れないようにしていた。見てはいけないもののような気がしたのだ。

 ゆえに、父の目に浮かぶ嘘の色に気づかなかった。見ていたとしても、彼女は上っ面を取り繕うのが上手かったから、どっちにしろわからなかったかもしれない。

 とにかく、初めて会った父に手を引かれながら、由羅は新しい家へと向かった。父と母が抱き合っているところを見たからか、寂しさは少なかった。二人はやっぱりお互いが好きなんだなと、安直に考えていた。

 父に引き連れられていった先は、大きな館だった。母のいた遊郭よりもさらに贅を極めている。

「綺麗……」

「見たいなら、後でいくらでも見られるから」

「え!?」

「何を驚いてるの。アンタも今日からはここで暮らすんだよ」

「本当に!?」

「いいから急いで。待たせてるんだから」

「誰を?」

「私の上司」

 父は由羅の手を引いて歩かせる。由羅が小走りをしないと追いつけないくらいの、あまり気を遣ってくれない大人の歩幅の早歩きだった。

「淵衰様、例の者です」

 男が一人、椅子に腰かけて待っていた。父に背中を押され、なされるまま前に出る。

「ほう……」

「どうでしょうか」

 糸目が値踏みするようにじっくりと由羅を見た。心細さを覚え、反射的に父を振り返る。

「父さん」

「静かに」

 助けを求めようとしたのに、何も言わないうちから拒絶されてしまう。由羅が口をきゅっと閉じると、意外そうに男が言った。

「何も伝えておらんのか」

「はい。まだ幼いので」

「年少者をあなどっては痛い目を見るぞ?」

 何がおかしいのか、淵衰と呼ばれた男は軽く笑いながら椅子を立つ。由羅に近寄り、かがみ込んだ。

「淵衰様、子供に膝を折るなど」

「少年、名前は?」

 男は父を無視して尋ねてきた。

「……由羅」

「字は?」

「……こう」

 手のひらに指で書くと、淵衰は頷いた。

「由羅、私から言おう。お前の父上は、お前を育てることができないようなのだ」

「淵衰様」

 父の呼びかけには答えず、淵衰は由羅をまっすぐ見てくる。

「前から、私が引き取って代わりに面倒を見る、という相談をしていたのだ。帰ってきたばかりで悪いが、少し考えてみてくれぬか?」

 目を丸くした由羅は、背後の父を振り返った。

「父さん、そうなの?」

「……うん。言わないようにしてた」

「そうなんだ。じゃあ、いいよ」

「えっ」

「母さんが、遊郭の外できちんと生きなさいって言ってたから。えんすい、様? が、やってくれるんでしょう?」 

「ふっ、ははは!」

 淵衰の笑い声が響いた。

「由羅は聡いな。将来が楽しみだ。私がしっかり世話をしよう」

 由羅の手を下から掬い上げ、淵衰は微笑んだ。

「ようこそ、華煌へ」

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