十八 灰色の世界

 手術を終えて元の部屋に戻る。椅子が二脚用意されていて、捧はその片方に座らされた。砂京も、捧に向かい合う図で腰かける。木製で硬く、今にも壊れそうな捧の椅子に比べて、砂京の方は布張りで座り心地がよさそうだった。

「質問」

 今度こそと、捧は腰を下ろすやいなや口にする。砂京が頷いたのを見て、さらに続ける。

「オレはどうなる? 殺されるのか? 使い倒す? あとは部下にするとか?」

「君の態度による。でも、何があっても殺すことはないよ。約束する」

「わかった。もうひとつ、外出はどうなる? この部屋に監禁なのか?」

「うーん、今すぐはまだ無理だけど、落ち着いたら行ける」

「落ち着いたら?」

「そのうち。明確な日にちはわからないけど、できるようになるよ。必ず」

「ふーん」

 まずは、当面の間の自分の状態に関わることを整理しておく。それからやっと本題の質疑応答だ。

「なあ、さっき手術室で言ってた通り、ちゃんと答えてくれるんだよな?」

「もちろん。僕の方から言いたいことは言ったから、今度は君がたくさん喋るのが筋だ」

「じゃあ教えてくれ。オレに何をさせるつもりなんだ」

「三つある」

 砂京の右手から、人差し指が伸ばされた。

「まず一つめ、うちの専属医師になってほしい」

「うち――アンタの?」

「そう。もうやってもらったね、医師と言ってもやることは変わらない。今まで通り、臓器を取ってくれればいいんだ」

「……そうか」

 過酷な労働も覚悟しておかなければ。体を強張らせつつ相槌を打つ。

「次に二つめ」

 二本目、中指が伸ばされる。

「僕の計画に付き合ってほしい。具体的には、指定した相手の始末、要は殺し屋だ。大丈夫、命を賭けろとは言わないよ。適度に弱い奴ばっかりだ」

「殺したい相手がいるのか?」

「うん、数え上げたら日が暮れるほどに」

「……多いな」

「多いよ。僕がやりたいのは本当に大きなことなんだ。内容は君が知る必要はない」

「言われなくても、アンタの標的なんか興味はない」

「そう。じゃあ次の話をしようか、最後は――」

 まだ他にあるのかと、耳を傾けたのだが。最後まで引きずられるにふさわしい、特大の衝撃が襲ってきた。

「由羅くんをおびき出すおとり役になってほしいんだ」 

「はぁ!?」

 勢いよく立ち上がると、胸から生えた鎖が鳴った。紫林に「静かに」と注意されるが、まるで耳に入らない。

「おい、砂京!」

「僕の標的には興味がないんじゃ?」

「関係ない! 由羅に何をするつもりだ!?」

「さっきから何、何って、そればかり言って。僕の側に入ってもらうだけだよ。使いやすいよう傀儡にして。……どうしたの、その顔は。君には由羅くんは不釣り合いで、今では晴れて無関係だ。僕が何したって自由じゃないか」

「で、でも」

「彼については、君が気にすることじゃない。だって君はあの館を出てきたんだから、もう気にしなくてすむんだよ」

 由羅に意識を向けないことが得であるかのような口ぶりに、体の奥の方がくすぶって黒ずむ。けれど砂京が堂々とよどみなく話すから、言い返す気力を削がれてしまった。

「傀儡にするとは言っても、肉体も意識も残るし。一回死ぬだけでそんなにひどい行為ではないけどね」

 おそらく、傀儡を遣う尸術師しじゅつしに独特の感性であろう。少なくとも捧は、由羅が死んでしまうばかりか、こんな奴の操り人形と成り果てるのなら、十分「ひどい行為」に当たると思った。

「由羅が、来ない可能性は」

「いいや、由羅くんはきっと来るよ。朱莉が君のことを知っているんだからなおさらのこと。僕が頼まずとも朱莉が誘導してくれるはずだ」

「……自分から飛び出して捕まって嘆くようなこんな腰抜け、見限られるに決まってる」

「へえ、君、口だけは達者だね。助けてほしいと願っているくせに。――あっはは、図星? 顔に書いてあるよ」

 落ち着け、飲まれるな。効き目はいまいちだが己に言い聞かせた。戦っているわけでもないのに、黙ったら負けだと追い詰められている。

「書いてあるとしても、ただの願望だろ。表情の管理が甘くて悪かったな」

「願うということは、多かれ少なかれ、見込みがあるということだ。彼のことだ、ちゃんと来るんだろうね」

「憶測でものを語らないでくれ」

「ふうん……まあ、気長に待つとしよう。そういうことで、一日三回の食事を提供するし、妖力を補充するための薬も、怪我の治療も手配する。戦いに備えて武器も準備しよう、外科手術の道具も。金なら出せる。必要に応じて話し合って、君の要望を通せるように努力するよ。ほら、今までと何も変わらない。外科手術と、時々殺し屋になる、衣食住は健在だ」

 砂京の言うことも一理ある、かもしれない。羅列されてみれば、やることは変わらないのだ。二つ、由羅がいないことと、妖力が食事で補充されることを除いて。

「僕のところなら、由羅くんよりも優れているはずだよ」

「じゃあセンは? アンタはオレのセンを探して落札できるのか?」

「まだこだわってるのかい? あんなものに。君に合うセンはないんだ」

「決まったわけじゃない!」

「いいや、絶対に無理だね」

「そんな――」

「捧くん、これじゃいくら話しても平行線だ。薬があれば君が生きられるのも事実、この件は一度保留にしないかい?」

「……わかった」

 完全に逆を向いた意見同士で争っても、何も生まれない。口を結んでみると、まだ他に聞きたいことがあったのを思い出した。

「別の話……鎖は、体によくない影響があったりするのか? ……聞いても、隠されそうだけどな」

「いや、ない。本当に、捕まえておくためだけのものだよ」

「ふうん、オレは逃げ出すと思われてるんだな」

「また人聞きの悪い……監禁はしないとさっきも言ったよ。ちゃんと、何日かしたら外してあげるから。いくらなんでも邪魔だろう」

 砂京は口ではなだめているが、適当にあしらっているのが透けて見える。

「傀儡ってのはすごいな、体の内側に繋がってるんだろ、これ」

「……ふふ」

「ん? 笑うようなことがあったか」

「いい目のつけ所をしているなと思ってね。うん、悪くない」

「何がだよ」

「体の内側ってところ。紫林に撃たせる銃弾には妖術がこめてあるんだ。体に掠っただけでも傷口から入って奥深くまで妖術を張る」

「その術の事情があるから、わざわざ撃った?」

「うん。でも惜しいね、君の鎖が出ているのは胸から。胸に当たったと考えるのが自然じゃないかな」

「……肩を撃ってたじゃないか」

 左肩を押さえる。確かに、ここにできた銃創から胸に妖術を伸ばすよりも、胸を撃った方が早いが――。

「思い出してごらんよ、幽暗朔月に行った日のことを」

「え」

 きゅうと頭の奥が遠くに引かれる、驚愕、と一般に呼称される感覚。この男は幽暗朔月の名を出した。捧の耳が逃すはずもなかった。

「おい砂京」

 問い詰めようと身を乗り出した瞬間に、上半身が床に叩きつけられた。鈍くて硬い音がする。

「あ、ぐ」

 見えないおもりが背中にのしかかっているようで、声を出すのがやっとだ。

 扇子を向けて、捧の身動きを封じた砂京。そして、その顔。

 笑っていたのだ。唇が緩やかな弧を描いていた。楽しむような、愉快で仕方がないというような。

「肩と顎を打ったかな? 痛かったらすまない、この術はあまり慣れなくて」

 背の重みが少し和らぐ。まだ自由を許す意志を感じる対応だ。

「砂京、幽、暗」

「――捧くん」

「なん、だ」

「突然の質問を許してほしい。君は幽暗朔月、そして、その頭領である淵衰が嫌いかい?」

「急に、何」

「憎んでいる? 恨んでいる? 殺してやりたい?」

「…………名前も聞きたくない」

 正直に答える。嘘をついても、おそらくは捧の利にはならない。

「なら、彼にとって利益となる情報を得たとしても、彼に伝えることはしないね?」

「……ああ、しない」

「絶対に?」

「当然」

 砂京は答えない。腕を組んで考え込む仕草だ。

 今になって気づいたが、外の物音が全く聞こえてこない。中で物音を立てないでいると、気味が悪いほどに静まり返り、耳鳴りがしてきそうだった。

「――よし、やっぱり全部言おう。それがせめてもの誠意ってものだ」

 ふっと背が軽くなった。砂京はやっとのことで、何かしらを内心で決めたと見える。よろめきながら捧が立ち上がり、元通り椅子に腰かけると、砂京は口を切った。

「では最初に、脈絡がなくてすまないけれど――紫林が、幽暗朔月で君を撃った」

 紫林が幽暗朔月で捧を撃った。

 言葉は正しく文も成立しているのに、知らない国の言語を聞いているようだった。大きく反応するべきかもしれないが、捧は一言も発せずにただ唖然としていた。

 頭領の療養部屋では、背中から撃たれたから顔は見えなかったが、本当なのか。はったりをかましているだけではないのか。

「これから話す内容で、おいおい納得してくれると助かるんだけど。幽暗朔月の頭領殺しを頼んだのは、僕だ」

 開かれた口から、言葉がそう零れた。

 捧はさぞ間抜けな、鳩が豆鉄砲をくらった顔をしていただろう。

 〝死神〟に依頼をしてきたのは朱莉だ。「鳴のことがある」とだけ言って〝死神〟を黙らせた。それどころか、幽暗の情報を集めたのは朱莉、支払いをするのも朱莉だ。全てが朱莉と〝死神〟の間で完結していて、砂京が入る隙間などないではないか。数秒のうちに、捧の脳裏には幾千の考えが駆け巡った。

「依頼をしたのは朱莉なのに、と思うだろうね。言ったのは朱莉だけれど――幽暗の頭領の破滅を願っているのは僕の方だ」

 砂京は微笑を浮かべて、ゆっくりと辺りを歩き始める。

「僕は幽暗朔月に所属しているんだ。朱莉が、塔の見取り図を〝死神〟に渡しただろう? あれは、僕が作った」

「……所属してるのに依頼を……」

「うん、だって幽暗朔月がほしいんだもの」

 またもやとんでもない発言を落としてくる。ついていくのも限界だ。どうして内乱を企てるのか、なんて聞けないし、興味も湧かなかった。脳のうちの動かせる部分を、とっくに使い果たしていた。

「残念ながら、僕には、頭領を殺すほどの力はない。立場としても、あまり好き勝手にやれないところだしね。となったら外部に暗殺を頼みたいわけで、ならば〝死神〟でなくては、と思ったんだ。恐れず幽暗に立ち向かえて、頭領に手を下せるほどの力量を持っているのは、きっとこの街で〝死神〟くらいだから。絶対に頼みたかったから、見かけだけは朱莉の依頼にした」

「わざわざ、面倒な」

「だって君たち、僕が直接言ったら断るじゃないか。試さなくたってわかるよ。門前払いがいいところだ」

 間違いではない。むしろ正解である。依頼人は招き入れ、不届き者は始末する〝死神〟も、この男だけはおそらく、無視する。

「なぜだか君たちが僕を毛嫌いするから、面倒くさくて不確実な手段に出たんだよ。朱莉から言ってもらって、紫林に頼んで交渉するつもりだったんだ。でも紫林が『交渉』をいつもの手荒い方と勘違いしたから、余計な手間が何個も増えた。〝死神〟の館まで行って君の気持ちを確かめ直したりとかね。やっぱり紫林にこういうのは向かない……ってああ、話が逸れてる。まあ、とにかく、上手くいって本当に安心してるんだよ」

 そこからは、静寂。すぐにさばける情報量ではなく、捧はしばらく声を発さずにうつむいていた。数回、深呼吸をした。

「……わかったよ、そういう、ことなんだな。深堀りはしない」

「いいのかい? 僕の方は、もう少し話してもいい気分なんだけど」

「いらない。聞いたらたぶん頭が破裂する……砂京、それだけ内情を話したってことは、もうアンタのところで働き続けるのが確定したってことか」

「話が早くて助かるよ」

 全身がぬるい水に浸かっていくようだった。揺るぎない事実なのだと、認めるしかなかった。

「諦めることにする。オレは逃げられないんだな」

「逃げるなんて……断る理由なんてないじゃないか。仕事も生活環境も整えたんだから」

「整えたって? 寝起きにはこんな粗末な部屋を与えておいて?」

「まあまあ。広くていいだろう」

「せめて寝具とか」

「ないよ。僕と部下は、いつも床で雑魚寝してる。君だって慣れてるだろう、床」

「オレはちゃんと布団で寝たい」

「ええ? ……自分が住みやすいように要求するってことは、前向きに考えてくれてるんだね」

「違う。アンタはものすごく怪しいし、働くのは嫌だけど、他の選択肢がないじゃないか。もう、こういうところで足掻くしかない。さっき、オレの要望を叶えるって言っただろ」

「うん、そうだね。じゃあ、まずは家具から整えていくとしよう」

 ほっと小さすぎる安堵を感じたのも束の間。

「布団をほしがるなんてあのときから変わったね。……ううん、当然か。館に二人っきりなんて、寝台どころか何もかも選び放題だっただろうし。それがきっかけで布団を知ったってところかい?」

 待て。

 その二文字を口に出せはしなかった。けれど、頭の中で危険信号が明滅する。今、確実に流れが変わった。

 まさか、まさかと嫌な予測が心に立ち上がる。捧に話しかけているのか独り言か、判然としない砂京の言葉は続いていく。

「あ、じゃあ、青臭いってわかったのも食ベ物が変わったからか。由羅くんがいるから、薬入りの食事はいらないよね」

 心臓が大きく脈打った。驚愕。困惑。そして恐怖。

 彼が知っているはずがないのだ。寝る場所のことも食事のことも。自分の方からボロを出してしまうにしろ、いても立ってもいられなかった。

「やけに、わけ知り顔じゃないか」

 砂京は、待っていた、とでも言いたげに笑みを深めた。わざわざ捧に尋ねさせ、聞かせるつもりで、匂わせる発言をしたのだと悟る。

「もちろん。君たちは僕の上司のお気に入りだったから、関わりこそないけれど、よく知っているつもりだよ。

「……華煌」

「うん、君が、そして由羅くんが元々いた組織だね。さして強くはないけど、結成時の名残で図体ばかり大きかった烏合の衆だ。たかが二人の下人に崩されてしまう程度の、有名無実の」

 聞きたくない、耳を塞いでしまいたいと思うのに体が動かない。容赦なく叩きつけられる一言一言が痛い。

「本当に驚いたよ。支配され管理されるべき立場の者が、反乱を起こして、しかも勝ってしまうなんてね。僕はあのときちょうど出張だったんだけれど、うん、驚いた。帰ってきたら入れなくなってるんだもの」

 砂京の言い方はどこまでも普通のものだった。一秒が通り過ぎるごとに取り乱す、冷静さを完全に失った捧とは正反対に。終わったことだと思っていたのだ。今になって思い出すという理不尽が、全身を食い荒らしてくる。

 遠い世界に連れ去られるように――記憶の海に深く沈んでいく。

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