第8話 王太子妃殿下の悩み

「申し訳ない、ソニア。挨拶をするのも忘れてしまって……このたびは従兄・ルヴァンとの結婚と職場復帰おめでとう」

「いえ。どうかさなったんですか?」

「ちょっと王太子妃……リリィの事で……」

「リリィ様って、ディルス国からやってきた方ですよね。噂ですがとても綺麗な人だと聞いています。なにかあったんですか?」

「まだ、この国に慣れていないようなんだ。とても落ち込んでいて不安げで……話し相手になってくれる人をと考えているんだよ。ただ、ディルス語は発音が複雑で話せるのは国内でも数人程度で限られている」

「殿下ではダメなんですか?」

「私は執務があるから常に傍にいることはできないんだ。なるべく傍にいるようにはしている。ただ、側妃達の所にも顔を出さなければならないし」

 たしかに、王太子殿下には正妃の王太子妃殿下だけではなく、側妃の三人もいる。

 側妃の方達に、王太子妃殿下の事をお願いするのは無理。

 ただでさえ、泥沼の噂があるし、隙あらば自分が王太子妃に返り咲きたいって思う人だっているだろうし。

 これは難しい……


「ディルス語も達者ではないんだ。話すことはできるけど、母国語のように自由自在には難しい」

 王太子殿下妃の話し相手となると、身分も限られているだろう。

 適任者探すのは難しいんじゃないかな。


「困りましたね」

「それがまったく希望がないわけじゃないんだ。適任者が一人だけいる。身分も語学も教養も問題ない」

「えっ、じゃあ、その人でいいじゃないですか」

 私が言えば、王太子殿下が困惑気味に隣に立っているルヴァン様の方を見る。

 すると、ルヴァン様は肩をすくめた。


「もしかして、ルヴァン様のことですか?」

「いや、俺ではない。ディルス語を含めた十カ国語を話すことが出来て元王族の現公爵婦人がうちにいる」

「うちに……あっ! もしかして、お義理母様ですか! じゃあ、お義理母様に頼めばいいですよ」

 こんな話があるならば、早く言ってくれれば良かった。


 洗濯係として潜入しなくても、堂々と表から王宮に潜入できたじゃないか。


「母上は無理だろう。ソニアも知っての通り、母は社交界からも猛獣と呼ばれる性格だ。なんせ、絶対零度の雪豹だからね。あの捻くれた性格の人が引き受けるとは思えない」

 ルヴァン様の台詞に対して、お義理母様の手がピクリと動き、「猛獣ですって?」と小さな声で呟く。


(あれ? 知らなかったんですか? そう呼ばれているのを。私も知りませんでしたが、お父様に聞きました)


「だが、ソニアの職場復帰は許可してくれたんだろう? 少しは丸くなったんじゃないだろうか。以前の叔母上ならば、公爵家たるもの~と言って職場復帰なんて許さなかっただろう」

「そうなんだよ。父上とも話をしたんだが、なんで許したのかがさっぱり。まぁ、結果的にはソニアが再び仕事が出来るようになって良かったけど」

「叔母上に話をしてみるだけしてくれないか? 頼むよ」

 王太子殿下はルヴァン様に頭を下げたのを見て、私は隣のお義理母様を見た。


 ――十カ国語話せる上に、覆面ベストセラー作家で元王族で公爵夫人。ハイスペ過ぎるわ! 社交界で猛獣扱いされているけど。


「ルヴァン様。すみません、私達そろそろ仕事に戻らないと……」

「そうだったな。すまない。足止めさせてしまって」

「いえ大丈夫です。では、失礼します」

 私はお辞儀をするとルヴァン様達の横を通り過ぎて進んでいく。

 角を曲がって死角に入ると、お義理母様の方を見る。

 すると、お義理母様は壁に背を預けてしゃがみ込んでしまう。


「し、心臓止まるかと思ったわよ!?」

「運を持っていますね。お義理母様。王太子殿下とルヴァン様のダブルで遭遇するなんて」

「そんな強運持ちたくないわ!」

「イケメン達に遭遇したいって思っている洗濯係やメイド達は多いんですよ」

 他の洗濯係やメイド達が聞いたら、黄色い声を上げると思う。

 ルヴァン様と王太子殿下の人気高いから。


「甥と息子よ! 遭遇してもなんとも思わないわ。むしろ、潜入時に遭遇なんてしたくないわよ。これが巷で噂の怪盗なら創作ネタとしてかき立てられるけれど」

「怪盗? なんです? それ」

「貴方、新聞くらい読みなさい。公爵家たるもの、時事問題にも精通しなければならないわ」

「そうですね。時事問題。とりあえず、王宮の時事問題を体験しましょう。ほら、王太子妃殿下が困っているみたいじゃないですか」

 私の言葉を聞き、お義理母様は目をひんむいて正気か? という顔をする。


「いいじゃないですか。王宮への取材潜入に王太子妃殿下の悩み相談。ほら、間接的にルヴァン様と殿下のためですし」

「ソニアさん!?」

「それに、ほら」

 私はかがみ込むと、お義理母様に囁いた。


「殿下達は心の憂いをはらうことが出来る。誰も損にはならない」

「悪魔の囁きやめてーっ!」

 お義理母様の絶叫が廊下に響き渡った。



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