悪い大人

 仕方なく、僕は大の男が二人で入る風呂場のドアを開けて見張り番をした。クリスがなぜか喜んでいるが、変態のことはいちいち構ってられない。

「あのさぁ、大会までもうあと二日なの。知ってる?」

「お、もうそんなに経ってたかー」

「お、じゃないんだよ! 僕が助けに来なかったらお前ら出場すらできなくなるとこだったぞ!? その場合クリス、お前は間違いなく有罪だ。雷様が呼んだセルシアさんをたぶらかした罪」

 そんな下らないことで僕の計画が全部おじゃんになってたまるか。僕は二人にイライラしていた。

「そんなー、俺は誑かされた側だよー! 有り金すっからかんだしー。こんな美人なお兄さんがさー、金さえ払えばなんでもしますよーなんて言っちゃうのが良くないんだよー」

 クリスが言いわけする。僕が指示したってことは伏せるあたり、一応正気は取りもどしているらしい。いや、お前自身にもパッチ使えとは僕は指示したつもりないけどな。

「ははは、マスクは付けてないけどクリス君の声は普通に聞こえてるんですよ」

「そして否定はしないんだねセルシアさんも……はぁ、嫌な化学反応だな……。てかなに? 有り金すっからかんって言った?」

「あっ、そうじゃんリノちゃん貯金も……! ごめん!」

 やっぱりね。僕は溜息をついた。お前の金銭感覚なんてそんなもんだろうと思ったよ。

「別に? 元々クリス……脳味噌下半身野郎の金だし、謝らなくていーけど。僕んとこに来るはずだったものがこんな一時の快楽に使われたのはなんとなくムカつくな。その顔やめろ」

「リノ……そんなに俺に期待してくれて……無理、我慢できない。今から抱かせていただきます」

「え、なにそういう流れ? お手伝いします」

「違あぁぁう!!!!!!」

 僕は思わず壁を殴った。こいつらもうここに捨てて帰ってやろうか? 勝手に二人でイチャイチャしてろよ。クリスを勝たせたい僕が無駄に健気で馬鹿らしく思える。

 でも、本来の目的は一応ここからなのだ。二人が風呂場から出てきたので服を渡す。一着しか用意してないから、クリスは臭い服のままだが、自業自得だろう。セルシアさんがヘッドセットを被りなおしたのを見てから声を掛ける。

「セルシアさんも、さすがに今晩はうちに来てメンテさせてもらうよ。ドラッグが残ってたらドーピング扱いになって大会になんか出られないし。良いよね?」

「はい、お手数お掛けします」

 しおらしい笑顔。ホント、顔が良いって得だよな。僕が言えた話じゃないけどさ。


 想定外のことも起きたが、なんとか当初の予定通り、セルシアさんを作業部屋に連れこむことに成功した。セルシアさんはなんというか、好奇心の塊という感じの人で、僕が彼のスキャンを解析している間ずっと、クリスから作業部屋と僕の仕事について話を聞きだしていた。なんか、仲良いじゃん。僕がいなくなっても、セルシアさんがいるなら平気か? お前は。

「……驚いた。セルシアさんはインプラントひとつもしていないんだね」

 僕はわざと二人の話の腰を折りにいった。

「実はそうなんです。……サンリアちゃんが調べてくれました。ここでは〈剣の仲間〉は皆知ってるおとぎ話なんですよね。僕は、それです。他の世界から来ました」

 セルシアさんの思わぬ返答に、僕は頭を抱えた。

「……あのさ。おとぎ話はあくまで、おとぎ話なんだよ。大真面目に言わないでくれる? 剣の仲間? 何の剣なのさ、セルシアさんは」

「それは言っちゃいけないことになってるんですよね……」

「ほら見ろ。僕は信じないよ、他の世界なんて」

「まあ、それは別に信じてもらえなくても良いんですが……」

 セルシアさんは困ったように笑う。クリスが首を傾げる。

「でも確かに、サンリアちゃんが持ってた杖みたいなの、あれであの子飛んでたよな。あれが彼女の剣なのか?」

「言えませんってば……。でも、僕らの剣の中では彼女のが一番攻撃的です。彼女は今回の武闘会には出ません。僕とレオン君の剣は攻撃魔法は使えませんから、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」

 どうだか。そんな言葉を真に受ける馬鹿は……クリスくらいのものだ。僕は溜息をついた。会話対象をセルシアさんに絞って叱りつける。

(あのさ。クリスのこと揶揄うの、やめてくれない? こいつ素直なんだよ。セルシアさんみたいな悪い大人に慣れてないの。)

(……あれ、これ僕にしか聞こえてないやつですか?)

(そうだけど。……え、セルシアさんも同じことしてる?)

(ええ、まあ、僕の魔法で同じことできるので。……僕にモジュールが入ってないのにこういうことできる、ってことで、少しは信じてもらえました?)

 僕は気づくとセルシアさんを睨みつけていた。〈剣の仲間〉なんだろうなとは、最初から思っていた。それがもっと英雄的で、クリスみたいな奴ばかりなら、僕は安心して雷の剣をクリスに持たせるつもりだった。だがこいつはダメだ。こいつといると、クリスはダメになる。

(……僕は、クリスに雷の剣を持たせる気でいる。だから約束して。セルシアさんは悪い大人だから、クリスに手を出さないで。……僕の、代わりにならないで……)

(……リノちゃん。君は……)

 僕は泣きそうになり、思わずクリスとセルシアさんに背を向けて端末の方に向きなおった。

(……そうだよ。僕にとってクリスは特別なんだ。お前になんか、やるもんか)

「あれ、リノ、どうした?」

 クリスからすると僕は突然黙りこみ、セルシアさんを睨んで、それからそっぽを向いたように見えていただろう。

「……どうもしてない。クリス、お前は……」

 その先は言えない。聞けなかった。お前は雷の剣を手に入れたら、セルシアさんと一緒に行くのか、なんて。そんなこと、聞かれてもクリスは困るだろう。行かなきゃダメなら行く、それだけだ。僕の気持ちなんか、介在する余地はない。なんでそんな当然なことを聞こうとしたかというと。結局、僕はクリスに、セルシアさんより僕を選んでほしかっただけなのだ。口だけでも気休めがほしかった。

 ……お前と、違う世界に生まれていれば良かった。ここまでの僕と、これからの彼。どちらが長い付き合いになるかなんて、分かりきっている。

 セルシアさんが突然、あの大きな楽器を手に取り爪弾きはじめた。


 優しい夢が 終わりを告げる

 別れの時が 近づいてくる

 僕らは皆 旅の途中で

 偶然ここに 集ったのみで

 それはほんとに 奇跡でしょうか?

 そこに意思など ないのでしょうか?

 思い出してご覧 僕らはいつも

 逢いたくて手を 延ばしてたんだ

 君と一緒に 生きたかった

 君と一緒に 死にたかった

 それが叶わぬ 夢だとしたら

 僕はただ願う 忘れないでと

 この延ばした手 届かないなら

 僕はただ願う 強く生きてと……


「……!」

 夢なんかじゃ、ない。こんな、こんな歌に、僕は泣いたりなんか。僕は。セルシアさんに、負けたりなんか……!

「……おい、リノ。大丈夫か、お前……」

 クリスが僕のようすに気づき、優しい手を僕の顔に延ばす。クリスの手は当たり前のように僕に届いて、僕は、もう、ダメだった。

「嫌だ、クリス、僕は嫌だ……」

 涙を溢しながら、クリスの手に縋りつく。

「こんな世界、こんな最後、こんな運命、全部嫌だ……!」

「お前は何を……」

 クリスは困惑している。そりゃそうだろう。こいつはちっともピンと来ていやしないみたいだから。

 お前はなんだかんだ言って、僕がいなくても大丈夫な奴だ。もしおとぎ話が本当だったとしても、やがて使命を終えて僕のところに帰ってくれば良いと思っているのだろう。

 耐えられないのは、僕だけだ。

 みっともないのは、僕だけだった。

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