好意の拒絶
「リノは彼女できたー?」
「この店でできるわけないだろ」
「やっぱりさぁ、俺らで付きあえば良くない?」
「良くない」
クリスはバーのカウンターに身を預けながらリノを眺めた。
本当にリノは、初めて会った時から変わらず可愛すぎる。
最初に見かけたのは闘技場。俺は血が流れるその光景に真っ青になっていたのに、たった十歳だったこいつは顔色ひとつ変えず冷めた目で観戦していた。その横顔があんまり綺麗だったもんで、カミナに会った時にあれは誰だと尋ねたのだ。そう、俺の初恋は、一目惚れだった。
カミナは、リノと仲良くしてくれると嬉しいと言った。今でもあいつはそう思っているのだろう。あいつは見ようと思えばこの国のどこでも見ることができる。リノと俺の様子を伺うことだって何度かは実際やっているはずだ。だがリノの暴挙にも、俺の痴態にも、ここまで何も言ってこない。リノのことはお前に任せた。そう言われている気がした。
こいつは何が幸せなんだろうなぁ。俺の可愛いリノ、お前の幸せは俺が用意しないといけないんだろうか。
「……なぁ。俺と二人で、この国出る?」
リノは驚いたふうに俺を見た。
「……なんで急に?」
「お前、やっぱりもったいないよ。せっかく才能あるのにこの国じゃカミナのせいで開発したモジュールひとつも公開できないし。俺、お前に幸せになってもらいたいんだよ」
「馬鹿かよ、お前王位継承権はどうすんだよ」
「それはお互いさまだろー」
リノはすっかり忘れていた、というかのように瞠目し、それからふわりと笑顔になった。ああ、きっと喉が治っていれば、鈴を転がすような綺麗な笑い声が聞けたんだろうな、と俺は少し残念に思う。リノはもう全く喉を治す気はないようだった。
「……お前が連れていきたいなら、僕は付いていくさ。地の果てだって、空の向こうだって。あの世にだって一緒に行ってやる。僕に、お前から独立した存在意義なんか、もう無いんだよ。お前が傍に居てほしいと思う限り僕は存在する。この国にいても、余所に行っても変わらない」
「……なんで十六歳でそこまで思いつめちゃうかなぁ」
「お前が十六の時も結構ヤバかったけどな。僕の傍から動かなかったじゃないか。もう一生僕の部屋で過ごすのかと思った」
「リノちゃんが俺と恋人になってくれるならそれでもいい」
「なるか、バーカ!」
そう突っぱねながら、お前はそんなに嬉しそうに笑う。俺がお前を好きだと言うたび、お前は俺に邪険な言葉を浴びせつつ、全身でありがとうと返してくる。そんなのは、ズルい。そんなの、惚れた俺には、抗いようがない。俺に、お前のための俺で居させてほしい。気の迷いだなんて笑うだろうけど、俺は出会った時から、お前の忠実な飼い犬なんだ。
「じゃあ、決めた。リノちゃん貯金を始めます。お前が二十歳になったら、その金でお前を国外に連れ出す。王様は〜〜……まあ、やることになったら、俺は国外からリモートでやる」
「馬鹿だなぁ、お前……そんなんで成りたつかよ、亡命政権じゃないんだぞ」
「だって! 俺のリノは凄いんだぞ! なんで誰もリノ・ライノを知らないんだよ!」
俺が憤ってカウンターを殴ると、リノは呑兵衛を宥めるように俺を撫でて、俺の肩に体重を預けた。鐘が耳の傍で鳴る。
「……仕方ない奴。分かった、国外に行くまでは付きあうよ。そこから先のことは、その時考えよう」
「ホント!? やったね、ゴネてみるもんだ!」
俺はガバリと振りかえってリノにキスをした。身を預けていてとっさのことで動けなかったのか、リノが目を丸くして俺の腕の中に落ちてきたので、そのまま唇を奪った。抵抗されるが、俺の方が腕力は強い。脇腹に膝が入り、俺は思わず手を緩めた。次の瞬間、リノは俺を突きとばして後ずさっていた。その顔は真っ赤にのぼせていた。怒りか、それとも。
「……てめぇ、やりやがったな」
「リノ。リノが好きだ」
「……嫌だ。お前の好きは、僕の好きとは違う」
「どうして……、俺はお前がいいんだ」
「ダメだ。聞きわけのない奴に出す酒はない。帰れ」
「リノ、待て……」
追いすがろうとしたけれど、リノは作業部屋に駆けこみドアを勢い良く閉めた。鍵が掛かる。俺は力なく店に戻った。一部始終を見ていたモルガンが呆れたように俺を見る。
「坊ン、まさかそのまま帰らねぇよな? ……泊まってくなら手術室の毛布使え」
「……助かる」
俺は毛布に包まり、作業部屋の前で寝ることにした。
リノは作業部屋に篭り、一心不乱に端末を動かしていた。
不覚。迂闊。油断。クリスの方が力が強い。そんなのは最初から分かっていたのに、あいつからは手を出さないと思いこんでいた。これではダメだ、僕は僕から、あいつを、守る自信がない。
突発的に、短時間作用すればいい。あいつの力を上まわって拒絶するための筋力と、反射神経と、柔軟性を増強する何かが必要だ。ブーストモジュールとでも名づけようか。エネルギーを大量に消費して、火事場の馬鹿力というやつを意図的に引きだすのだ。冷却機能も必要になるな。汗腺を強制的に開かせるのが良いか。早く作らないと。僕が、正気でいられるうちに。
ドアの外に人の気配。クリスだろう。帰れと言ったのに、ホント馬鹿な奴。今は、今夜は絶対に開けられない。この鼓動が収まるまでは。さっきの甘い感触を、僕が克服するまでは。
もしここで僕が手を止めたら、と気づかぬうちにリノは妄想に取りつかれていた。僕の足はドアの方に向かうだろう。クリスとなにごとか話をして、結局中に入れてしまうだろう。そうなったら、もう止められない。僕は今、あいつに火をつけられている。今まで我慢してきた分、僕の炎はあいつを焼きつくすまで収まらないだろう。全てが台無しになる。綺麗な建前も、優しい嘘も、幸せな未来も。僕が全部、ぶち壊してしまう。
クリスが泣いて詫びてもうやめてくれと懇願する様子が目に浮かび、口許が吊りあがる。最悪だ。僕は、最悪だよ。僕は知ってるんだ。僕が根っからの加虐趣味だってこと。あいつは知らないんだ。僕が綺麗で可愛いリノだと思っている。女の子のように優しく抱かせてくれると思っている。その間にある断絶は、絶望的に埋まらない。
クリス、お前は本当に、僕のことを何も分かっちゃいない。僕の理解者だという顔で隣に立つな。僕を受けいれられるなんて甘い夢を見るな。これ以上は、僕がダメになるから。
いつからだろうか。思えばなにも道理の分からない頃にクリスの手にナイフを突きたてたのは、僕の本能的な欲望からだったのだろう。痛がる顔、怖がる顔を見ると、ドキドキした。でもすぐにそれを求めるのは悪いことだと分かった。だから僕はその時から、自分の罪を自覚して生きてきた。
お前のそばにいるためには、光の中で生きるためには、僕の闇を封じこめるしか道はなかったんだ。
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