期待と失望

 僕はクリスの前ではナノ技の古い号を読むフリをしながら、思考の内で設計を詰めていた。ニューロンスキャンは可能だが会話内容を推測するレベルの詳細化には毎回時間がかかりすぎる。それならいっそ、思考自体をモジュールに移してそこで行えば毎回スキャンを実施しなくて済むのではないだろうか。幸い僕のニューロンは半分以上死に、既にモジュールに置きかえられている。こいつを弄って思考モジュールに組みかえ、残りのニューロンもコピーしたのち無効化してやろう。他人の頭では到底実現できないけれど、僕の頭だから誰にも怒られない。

 クリスが聞いたら、もしかしたら嫌がるかもしれないなと思う。ニューロンの全置換は、ヒトとしての最後のラインだと考える人間も少なくない。だが少なくともカミナはやっているはずだ。なら、僕がやっても問題無いだろう。あいつにやれて僕にできないことがあったなら、その時は無様に死んでもいい。小さい頃には純粋な尊敬だったはずの父へのコンプレックスは、いつの間にか自分を死に追いたてるまでに膨らんでいた。それが僕を成長させるのなら、構わない。あの時に死んだはずの僕の頭、今度こそ捨てさってみせる。


 設計が定まったので、もうナノ技を読むフリはやめた。一心不乱にプログラミングを進める僕を、クリスが不思議そうに眺めている。あいつは僕の邪魔をしなくなった。僕が鐘以外で返事できないと思っているからだ。まあ、待ってろよ。これはそんな寂しい目をするお前のために組んでるモジュールなんだからさ。

 もう僕は苦しくない。僕の持てる才能を全部、僕とお前が幸せになるために使おう。我儘な僕はお前が本当に望むようには生きてやれないけど、良いよな。お前だって、思いどおりにならない僕の方が好きだろ? そんで、この激ヤバな会話モジュールを手に入れたら、なんでもないことのように最初にお前の名前を呼んでやろう。ふふ、お前はどんなアホ面を晒してくれるのかな!

 妄想が膨らんで、顔が緩みかける。危ない、またクリスがこっちを見ていた。僕の方がアホ面を晒すところだった。許せない。

『何?』

 チャットを送る。それだけであいつの顔が目に見えて明るくなる。ホント、現金な奴。

『いや、頑張ってるなーと思って。何してんの?』

 嘘つき。本当は今にも僕がまた自殺しようとしないか怖がっているクセに。リノ・カミナリノが死んだとは思っていないクセに。僕はイラッとして、まだ気づいていないフリを続行することにした。

『モジュール作ってみようと思って。僕専用のやつ』

『リノ専用? 公開しないってことか?』

 ほら見ろ。こだわりすぎてバレバレだよ。

『公開とか別に良いよ。僕が便利ならそれで』

 まあ、公開できるようなシロモノじゃないしな。

『ふーん。ま、いいんじゃないか。応援してる』

 何がふーん、だ。安心してるクセに。追いうちで届いたスタンプ。クリスが昔から愛用しているやつだ。知らないフリするか一瞬迷ったが、ここは素直にいつもの反応を返した方が、変わらない僕らしさを感じられて嬉しいだろう。

『そのスタンプやめろ、不愉快』

 僕が仏頂面でチャットを返すと、クリスは肩を震わせて笑った。ふん、今日もサービスしてやった。せいぜい楽しんでろ、このモジュールが完成したら、サービス代を一気に取りかえすレベルで驚いてもらうからな。


 できた。その頃には僕は十五歳になっていた。設計は完璧のはずだし、テストも十分行ったものの、さすがに実行は手が震える。これから僕は、取りかえしのつかないことをする。失敗すれば即廃人。一応十秒入力がなければ切りはなしたニューロンを再接続する機構も準備して保険としたが、元の僕に戻れる保証はない。でも、いい。これは喉を治せない僕の我儘から来ている。それはクリスに対する僕なりの愛だ。十五歳で愛に死ねるなんて、カッコいいじゃないか。

 震える手で実行を押した。思考モジュールが起動する。最初に考えるのは天気のこと。晴れてる、よし、作動している。それじゃ、僕にサヨナラだ。僕が作ったナノマシンは、ニューロン間の接続を断ち、未分化ニューロンに戻していく。頭が痛い。ナノマシンが毛細血管を駆けめぐっているからだろうか。思考モジュールが機能しているからか、酷く頭が痛くても、思考はクリアにできる。良いじゃん、順調だよ。後はこの頭の痛いのが……待て医療モジュール、排除しないでくれ。痛みの遮断だけで良い。そう、いい子だ……。

 進捗ゲージが伸びていく。思考は衰えない。ここまでは成功、かな。僕は思わず安堵の溜息をついた。百パーセントに達し、全置換プログラムが終了する。完璧だ。さあ、報酬を貰いにいこう。


『できたから、試させて』

 クリスにチャットを送る。

『いいよ』

 秒で返事が来た。ダメだと言われても試すつもりだったけれど、そもそもクリスが僕の頼みを断るわけがなかった。僕は上機嫌でクリスの机に座り、カランと一つ鐘を鳴らした。

「クリス」

 彼の名を呼ぶ。

 呼ぶと決めたのは思考モジュールで。

 彼の耳に届けたのは会話モジュール。

 僕の生体機能は、何も使っていない。

 え? でもクリス反応遅くない? なにこれ失敗した? クリス、だけじゃ幻聴だと思われた? なんか言った方がいい? 好きだとか、愛してるとか。は? 言うわけないだろ何考えてんの思考モジュールさん。言えるわけ、ないだろ。

 クリスの目がゆっくり見開かれていく。あ、うん、多分届いてるっぽい。なんで僕の方がこんなにドキドキさせられてるの? 予定外なんだけど。

「……リノ、お前……」

「お、届いたみたいだね、良かった。反応遅いから失敗したのかと思ったよ、焦らせんなよな! もし失敗してたら僕がただ意味深にお前見つめにきただけの変な奴になるとこだったじゃねぇか。それより、僕だって分かったってことは声のシミュレーションもうまくいったってことかな? 多少記憶に残ってた自分の声再現してみたけど、自分に聞こえる声と他人に聞こえる声って違うっていうからさ」

「うるさっ!」

 クリスは耳を塞いだ。

(ははん、なるほど。今まで声の制約でゆっくりとしか発話できていなかったものが、制約無しで垂れ流しになるからめちゃくちゃ怒涛の勢いで喋ったようになるんだな。)

 冷静に分析する僕と、

(なんだこいつ、僕のこと拒否しやがって。もっと喜んで抱きついてきたり泣いたりするところだろそこは。衝撃が足りなかったか? どうすりゃこいつを泣かせられるかな。)

 感情的になる僕がいる。

 僕はとりあえず些細な修正を加えるために自席に戻った。お喋りな僕なんてカッコ悪い。会話モジュールの出力スピードを制限できるようにしよう。気分次第で多少早くしたり遅くしたりもできるように。デフォルトはこ、の、く、ら、い、だ。そう考えると会話ってかなりの時間の損失だな。発話ってアウトプットがメインに思えて、その実ほぼインプットの時間なのか。相手の反応、周囲の気配、自分の声のフィードバックをインプットし、自分の制御に反映させる時間。つまりどうでも良い相手、どう甘えてもいい相手には、そんな時間を割く必要はないということだ。なるほど、なかなかこれは効率がいい。

 クリスが謝りにくる。怒ってなんかいない、お前に怒るなんて僕がお前のこと大好きみたいじゃないか、みっともない。ただ、そうだな、そろそろタネ明かしをしてもいい頃だろう。こいつにリノ・カミナリノは死んだことを、思いしらせるには良い機会だ。

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