夢:怪物の腑



□title:

□from:兄が大好きなスアルタウ


「……………………」


「アル? どうしたの?」


「何か考え事かい?」


「え? ううん」


 ちょっとボーっとしてただけ。


 心配そうなお父さん・・・・お母さん・・・・に「大丈夫」と言って笑う。


 暖炉で火がパチパチと鳴る音が聞こえる。とっても安心できる音。


 にいちゃんは家の外にいるみたい。


 にいちゃんがはしゃいで遊んでる声。とても楽しい音。


「そんなところに立ってないで、こっちにおいで」


「うん……。うんっ……!」


 椅子に座っているお父さんの膝に飛び乗る。


 ボクの特等席。少し離れたところにある椅子には、編み物をしているお母さんの姿がある。目があうと微笑んでくれた。


「……ボク、なんでおウチにいるんだっけ?」


「なんでって、アルが家にいるのはおかしなことじゃないだろう?」


「そうそう。フェルグスは……元気が有り余っているからまだ外で遊んでいるけど、アルは家でのんびり過ごすのが好きでしょう?」


「うん……」


 そう、だけど……なんか、変な気がする。


 何が変なのかわからない。


 ボンヤリとした不安が、胸の中でやんわりと暴れている。


「アルは何か心配事があるのかな?」


「ひょっとして、叡智神様のこと?」


「あ、うん……。あのね? 今日、叡智神様がいないって話をされて……」


 だれに?


 にいちゃん……だったような、気がする。


 にいちゃんは叡智神様のこと、あんまり信じてない。


 前からあんまり信じてなかったけど、あの日からもっと信じなくなった。


 ……あの日って、なんだっけ? 何があったんだっけ?


「叡智神様はいるよ。彼女がいたからネウロンは滅びず、存続したんだ」


「そうそう。プレーローマが放棄したネウロンはゆっくりと滅びの運命を辿っていたけど、叡智神マスターがいたから再興したの」


「うぅん……」


「アルは叡智神様がいない方がいい、と思っているのかい?」


「そんなことないよっ!」


 叡智神様がいないと困る。


 いないと、助けられない・・・・・・


 何で困るんだっけ?


 誰を助けられないんだっけ……?


「叡智神様がいないと……皆、不幸になっちゃう気が、する」


「そうだね」


「神様は確かに存在していて、私達を見守ってくれている」


「そう、だよね……」


「まあ、神様という支えが必要ない強い子もいるけどね。フェルグスもそう。信じるのも信じないのも自由。でも『信じる』なんてことはタダでできるんだから、やっておいても損しないはずよ」


 ネウロンがずっと平和だったのは、叡智神様のおかげ。


 叡智神様がいたから、ボクらは穏やかな日々を過ごせている。


 でも、ボクらが「悪いこと」をしたから神様はどこかに行ってしまった。


 悪いことをしたから謝り続けないと――。


「…………」


 お父さんの膝から飛び降りる。


 2人が「アル?」と不思議そうに声をかけてくる。


 ……違う。おかしい。


 いま、見えているものはおかしい。


 ボクはこれを信じない。


「あ、あなた達は……。だ、誰ですかっ……!?」


「…………? アル、何を言ってるんだい?」


「お母さん達の顔、忘れちゃった?」


「忘れないよ! でも、でもっ……2人がいるのはおかしい・・・・・・・・!」


あぁ・・醒めちゃったぁ・・・・・・・……」


 女の人の声。残念そうな声。


 ボクの後ろ。


 壁があったはずの場所に、大人のお姉さんが立っていた。


 蝋みたいに白い肌で白髪のお姉さんが微かに笑っている。


 笑っているけど、血のように赤い瞳は笑っていなかった。


 瞳だけが機械みたいに、虫みたいに、何の感情も持たずボクを見つめている。


「うぅん……。ヴァイオレットちゃんの時といい、最近ダメね。あるいはキミ達がしっかり者だから私の認識操作まじゅつが破られてるのかしら?」


 白髪のお姉さんはクスクス笑い、指を「パチン」と鳴らした。




□title:府月・遺都<サングリア>8丁目

□from:兄が大好きなスアルタウ


「っ……!?」


 お姉さんが指を鳴らすと、周囲の景色が溶けて消えた。


 氷が一瞬で水に戻ったみたいに、溶けて消えていった。


 お父さんとお母さんの姿も――お父さんとお母さんに見えた「なにか」の姿も消えている。にいちゃんが騒ぐ声も、暖炉の火の音も聞こえない。


 白髪のお姉さんの姿は消えていないけど、ボクの家に見えた場所は……まったく知らない場所になっていた。


 周りは瓦礫がれきだらけ。白い瓦礫だらけの景色が広がっている。ところどころ、白い崩れかけの建物があるけど、瓦礫の山ばかりが見える。


 空気が少しおかしい。


 周りの空気は、水みたいな感触がする。


 息はできるけど……こ、これ、吸って大丈夫なものなの……!?


「あ、大丈夫大丈夫! そこまで害はないから……!」


 ボクが口を押さえると、お姉さんはあたふたしながら「水中にいるような感覚がするかもだけど、ちゃんと息は出来るから」と言った。


 信じていいかわからない。けど、ちゃんと息は出来ていたし……口も鼻も塞いでいたら苦しいから、耐えれず、また息をしてしまった。


「は……。はっ……」


「ね? 大丈夫でしょ? まあ、ネウロンにいたはずが、急にこんなところで目覚めちゃったんだからビックリするのも無理ないか。ごめんなさいね~」


 白髪のお姉さんは、おっとりとした口調でそう言った。


 笑顔を浮かべているけど、瞳は変わらない。……人間っぽく見えない。


 目に赤い石をはめ込んでいるだけ、って言われた方が信じられそう。


「でも、怖がらせるつもりはなかったのよ? 私は貴方達に甘く優しい夢を見てほしかっただけなの……。悪夢を見せたいわけじゃないのよ……?」


「ぉ……お姉さん、だれ、ですかっ?」


「あ、私? そうね、バレちゃった以上、自己紹介しないとダメね」


 お姉さんはニコニコ笑いつつ、両手を広げた。


「私は夢葬の魔神。ここの……まあ、領主みたいなものね!」


「――――」


 顔から、さーっと血が引いていく感触がした。


 魔神。


 知能を持つ災害。


 ラートさんが「危ない」っていってたもの。


 目の前のお姉さんは人間の姿をしているけど、さっきやっていたことは普通の人間じゃできない。幻……いや、夢? 変なものを見せられていた。


 逃げなきゃ――と思ったけど、足がすくんで動けない。動けないでいると、お姉さんはクスクス笑って「そんなに怖がらないで大丈夫」と言ってきた。


「私は人間をバリバリ食べる魔神じゃないから。全然怖くない!」


「ほ、ホントですかぁ……?」


「うんっ。その証拠に、ほらっ! フェルグス君もロッカ君もグローニャちゃんも楽しそうにしているでしょう?」


 にいちゃん達はいない。


 いないように見えた。


 けど、お姉さんが指し示した地面に――そこにあった水たまりの中に、にいちゃん達の姿が映っていた。


「に、にいちゃん……!?」


 にいちゃんが友達と遊んでいる。ボクらが巫術師になった時、離れ離れになってしまった友達と元気に遊んでいる。そんな姿が水たまりの中に見えた。


「ロッカ君……」


 ロッカ君も誰かと一緒にいる。ロッカ君によく似ていて、ロッカ君より少し年上の男の子と一緒に手を繋いで歩いている。


「グローニャちゃん……」


 グローニャちゃんはいつも以上にはしゃいでいた。家族らしき人達の前で、キャッキャとはしゃいで踊っている。


 そんな皆の姿が、水たまりに映っている。


 にいちゃんが映っている水たまりに手を伸ばしたけど、水たまりに波を起こすだけだった。水たまりに映っているだけで、水の中にいるわけじゃない。


「にいちゃん! にいちゃん!? 返事して……!」


「皆、ステキな夢を見ているから邪魔しないであげてね?」


「夢? なに言ってるの? ボクらをこんなとこにさらって――」


 ボクらは交国軍の船に――星屑隊の船にいたはず。


 それなのに、知らない廃墟に連れてこられた。


 どうやって?


 星屑隊の人達は、やられちゃったの……?


「誘拐なんかしてないから大丈夫! 子供あなた達をちょ~っと私の世界に招いただけ。これはあくまで夢だから、完全に目が醒めたら……『おはようの時間』になったら元の世界に戻れる。安心して」


「ね、ネウロンの外に連れ去ったんですかっ……!?」


「う~ん、そうだけど、そうじゃないかも? ここはネウロンの外であり、多次元世界の外でもある。だけど貴方達の『夢』で構成された世界だから、多次元世界の内側でもある。ネウロンであり、ネウロンでもない場所だから安心して」


 何を言っているかわからない。


 ラートさんの言う通り、魔神はやっぱりおかしい……!


「要はこれ、『夢』だから。単なる夢だから安心して?」


「あ、あなたは魔神でしょっ……? 魔神は危ないって聞きました!」


「そうそう! 魔神は危険な存在だから近づいちゃダメよ!?」


「自白したっ!」


 やっぱり魔神は危ないんだ!!


 とりあえず、逃げる。


 水たまりの中に手を突っ込んでも、にいちゃんに届かなかった。でも、ひょっとしたら別の場所にいるのかも――。


「あっ! 走るならしっかり前を向いて――」


「うわぁっ!?」


 瓦礫につまずいて転ぶ。


 地面に思い切り顔を打ち付け――なかった。大丈夫だった。


「大丈夫?」


 いつの間にか追いついていたお姉さんが、ボクの身体に手を添えて支えてくれていた。転びそうになった時、ボクの身体を「くるんっ」と一回転させて立たせてくれたみたいだった。


「ご、ごめんなさ――触らないでっ!? 魔神さんなんでしょ!?」


「そ、そんな汚物みたいな扱いしなくていいじゃないっ……! 確かに私は『夢葬むそうの魔神』と呼ばれているし、その呼び方を自分でも使っているけど……元々は貴方達と同じ人間なのよ? 人の親から生まれ――いや、生まれてないか。でも広義の意味では元人間よ~?」


「広義の意味では??」


「細かいことは気にしない気にしない。とにかく、私は概ね無害! 誘拐犯じゃなくて、単に子供が好きなだけの最弱の魔神よ!」


 お姉さんは大きな胸に手を当てつつ、自信ありげにそう言った。


 ちょっと「ドヤッ」としている。


「子供に楽しい夢を見せて、子供がキャッキャとはしゃいでいる姿を陰からニヤニヤ見つめているだけの極めて健全な魔神よ」


「変質者だ……!」


「なんで!? ここでおもてなしして、鑑賞してるだけよ!?」


 ラートさんが言ってた。


 魔神は人間の常識で測れない存在だって。


 話できても話が通じない存在も多いから、出会ったら目をそらしなさいって。


 そっ……と目をそらして、それとなく去っていこうとしたけど……お姉さんはボクの後ろをトコトコ歩いてついてくる。ニコニコ笑ってる雰囲気がする。


「変質者お姉さん、ついてこないでください……」


「お姉さん呼びは嬉しいけど、変質者は余計よ!? 私はまとも!!」


「悪い意味でヴィオラ姉ちゃんみたい……」


 私は皆のお姉ちゃんでちゅよ~、と言い張ってるヴィオラ姉ちゃんみたい。


 まあ、ヴィオラ姉ちゃんはボクらの名誉お姉ちゃんでいいけど……この魔神さんはダメ。ぜったい、関わったら大変なことになる。


「あのねあのね、私はホントに変質者じゃないの。貴方達兄弟のことをよく見守るよう依頼されているだけだから安心して。ネッ!? 対価はもらってるから」


「誰に言われたんですか……」


「う、ウーン……。それは当分言えないかも……!」


「……ラートさんやヴィオラ姉ちゃんはどうしたんですか!? 子供だけさらって、陰から見てニヤニヤしてるだけなんですか……!? ラートさん達は……こ、ころっ……殺しちゃったんですか……!?」


 ボクがそう問いかけると、お姉さんは「まっさか~」と言いながら笑い、「冗談はよして!」と言いたげに手をパタパタ動かした。


「私は交国軍と喧嘩するつもり無いから。ここに来る前、貴方達は船室で眠ったでしょ? 私は眠った子の魂を自分の世界に拉致監き……招待できるの!」


「いま拉致監禁って言った……」


「言ってない言ってない」


「言った!」


「い、言ってないですぅ~!」


「言った!!」


「い、言ってないもんっ!」


 変質者お姉さんが認めないので、しばし言い合いする事になった。


 言った、言わないで子供みたいな言い争いをした。


 言い争いしていると、「あっ、ヴィオラちゃんも寝たみたい」と言い、足元にある水たまりを指差した。そこにはヴィオラ姉ちゃんがいた、けど……。


「ヴィオラ姉ちゃん……」


 ヴィオラ姉ちゃんは、無惨な姿をしていた。


 正面にグローニャちゃんを抱っこし、背中にボクを背負い、両手それぞれにロッカ君とにいちゃんを抱きかかえている。


 4人抱きかかえてヨタヨタと歩いている。


 そのうえ、「スーパー名誉姉」と書かれたタスキをかけている。ヨタヨタと歩いているけどホクホク顔で楽しそうにしている。


「ヴィオラちゃんは『多次元世界・名誉お姉ちゃん大会』に出場すべく、夢の中で貴方達を抱っこして旅をしている夢を見てるの」


「こんなのウソだ。ヴィオラ姉ちゃん、こんなに力持ちじゃないもん!」


「まあままあ……夢の中でぐらい好きにさせてあげて……」


 理解者顔して肩を叩いてきたお姉さんから飛び退き、キュッと睨む。


 睨んでもニコニコ笑ってる。うぅ……ボクがチビだから怖くないんだ……。


「ヴァイオレットちゃんは貴方みたいに一度醒めちゃったけど、認識操作を強めたら何とかなったの。貴方も彼女みたいに楽しい夢を――」


「やめて! さわらないでっ!」


 この人はおかしいし、ここもおかしい。


 何とか皆を助け出さないと……。


「えっと……私はホントに敵意がないの。貴方達に、子供達に楽しい夢を見てほしいだけ。……悪夢なんて見たくないでしょう?」


「…………」


「私は貴方達を救…………いえ、そこまで傲慢なことは考えていないけど、『良い夢を見てほしいなぁ』と思っているだけなの。貴方達は交国軍の特別行動兵として、つらい日々を送っているでしょう? だからせめて、夢の中ぐらい穏やかな時間を過ごして欲しいだけなの」


 お姉さんが笑顔で両手を広げる。


「子供達みんなに良い夢を見てほしいだけなの。信じて」


 そこら中の水たまりの中に、子供の姿が見える。


 割れた鏡一枚一枚に子供の姿が写っている。


 色んな人種がいる。只人に限らず、オークやエルフの姿も見える。


 色んな人、色んな夢があるけど、皆楽しそうにしているのは同じだった。


「貴方が夢を操作されたくないなら、その通りにしましょう。安心して」


「……ここはどこ? 夢の中って、どういうこと?」


 確かに夢を見ているみたいな感覚がある。


 けど、意識は結構しっかりしている。


 家族の幻を見ている時は、頭がボンヤリしていたけど……いまはハッキリしている。場所はおかしく感じるけど、眠っている気はしない。


「ここは府月ふげつ。皆の夢の欠片で構成された私の世界で、私の身体」


「世界で、身体……?」


「私は多次元世界中から子供達を招待して、おもてなししているの。出来るだけ多くの子が夢の中でぐらい幸せでいれるように夢を操作しているの」


 ボクらが使っている巫術みたいな術を使っているのかな……?


 この人が言っていることが本当なら、かなりとんでもないことをしている。


 ネウロンだけじゃなくて多次元世界中って、とてつもない範囲に影響してない……? 魔神だから、人の常識じゃ測れないからそんな事できるの?


「悪夢を見そうだったら、悪夢そのものを排除する。もしくは悪夢を陳腐化させる。悲劇を喜劇に変え、ただひたすら笑ってもらうの」


「皆の夢を操って、どんな悪いことしようとしてるんですか……!?」


「え? だから、単に良い夢を見せてあげようと――」


「信じられない。勝手にやってるんでしょ?」


「う~ん……。勝手それを言われちゃったら、ぐうの音も出ないけど……。皆が見たい夢を見せてあげてるから結構個人情報も見ちゃって――あぁ、いや、忘れてる! 見たのはちゃんと忘れてるから!」


「…………」


 魔神のお姉さんがわたわたしてる。


 なんか、調子が狂う……。反応が良い人っぽくて困る。


 でも、良い人のはずがない。


 人の夢を勝手に操作している悪い人のはず。


 恥ずかしい事も、見られたくない事も好き放題に見ている悪い魔神さんなんだ。


「今度から気をつけるから! 個人情報の取り扱いには気をつけるから!」


 悪い魔神さんなんだ。……多分。


「ふぅ! 誤解も解けたとこで、何しましょうか? お茶でも飲む?」


「飲みません! ……皆の夢を操作して、あなたに何の得があるんですか?」


「子供好きだから。せめて夢の中ぐらい、皆に幸せでいてほしいの」


 両手をパチンと合わせ、一層ニコニコ笑っている。


「あとは、府月ここは皆の夢の欠片で構成されているから、夢を見る人がいなくなると消えちゃうの。貴方達が私に血肉ゆめを提供してくれる代わりに楽しい夢を見せてるの」


「…………」


「お互い助け合っているようなもの……と思ってくれないかなぁ……? ダメ? 夢葬の魔神わたしが勝手に寄生している状態だけど」


「皆が夢を見なくなると、あなたは死んじゃう?」


「そうそう。弱っちいでしょ~? はかないでしょ? 所詮、人の夢に寄生する哀れな存在なの」


 儚さのカケラもないキャッキャとした笑みを浮かべている。


 夢を見なければ、この魔神さんを倒せる……はず。


 でも、そんなこと……。


「せっかく府月に来ているんだから、来訪者ゲストとしてもてなされてみない? 認識操作で良い夢を見たくないならお茶とお菓子を用意しましょう!」


 お姉さんが「ぱちんっ」と指を鳴らす。


 すると、さっきまで何も無かった空間に黒い机と椅子が出てきた。机の上には白い湯気を立てているお茶と、甘ったるい匂いのお菓子が並んでいる。


「こ、これも幻……?」


「府月にあるものは全て夢幻よ。魂以外はね。つまり、いくら食べても太らないの! 府月の主人ホストとして現実じゃ出来ない体験を提供してあげる!」


「っ……」


「食べるより遊ぶ方がいい!? 無限垂直落下で永遠に続く空の旅とか……ああ、それより生身で自由に飛べた方が楽しいかしら? 怖かったら私が手を繋いで飛んであげ――」


「見つけたぞ! 夢葬の魔神!!」


 後ろから急に男の人の声が聞こえて、ビックリする。


 ひゃ! と声を出しながら飛び跳ねてしまう。


 振り向くと、そこにドロドロに溶けた男の人がいた。


 身体中が飴細工みたいに溶け、かろうじて人間とわかる形を保っている。左目があった場所から白い飴のようなモノが「どろり」と溶け、頬にへばりついている。


 その白い飴が――左目が「ぎょろり」と動いたので、悲鳴を上げて転ぶ。


 転んだけど、魔神のお姉さんが胸と手でボクを支えてくれた。




□title:府月・遺都<サングリア>8丁目

□from:夢葬の魔神・■■■


「こんばんは、実験動物プレイヤー。そんなに怒ってどうしたの?」


 半ば溶けた古きものが私を睨んでくる。


 念のためスアルタウ君に寄り添い、確実に守れるようにしておく。


「貴様の所為で! 貴様の府月いぶくろに閉じ込められた所為で! オレの身体はこんなになっちまったんだぞ!?」


「自業自得でしょ。眠ったら府月に閉じ込められるってわかってたくせに」


「オレは貴様を殺すために眠ったんだ! 貴様のような殺人鬼プレイヤーキラーを倒し、我らプレイヤーの安寧を手に入れるために……!」


 古きものが吠えている。


 ドロドロに溶けた夢幻の身体で叫んでいるから、かすれた声しか出ていない。多次元世界という回し車の中を必死に走る実験動物が、哀れな声で吠えている。


「私に挑んだは良いものの、ボロ負けしたでしょう? いい年した老害なんだから勝てる勝負をすればいいのに……」


「ハッ! ハハッ……! お前、オレに勝ったと思っているのか?」


「…………」


「オレを見ろ! ぉ、オレは! 貴様の消化能力を克服した!!」


 哀れな実験動物が胸に右手を当て、勝ち誇った笑みを浮かべる。


 右の手指は半ば以上溶け落ち、人差し指と薬指しか残っていない。


 それでもなお、彼は自分の勝利を信じて疑っていないようだった。


「貴様は所詮、最弱の魔神だ! 自分の世界に引きこもって、入ってきた者達と溶かし殺すしか能がない! 消化能力さえ克服出来れば、貴様など怖くない!」


「あぁ、なるほど――」


 おかしくって、ついつい笑ってしまう。


 この実験動物、脳までとろけてまともな判断能力すらなくしちゃったのね。


 私が「なに」か、理解できてないのね。


「克服って、何を言っているの?」


「…………?」


「この50年間、あなたが溶け切らずに済んでいたのは私が頑張って手加減していただけよ? 結構手間だからあまりやりたくなかったけど――」


「は……? えっ? なんの、ために?」


 彼の頬から溶けた左目がボトリと落ちる。


 府月の大地に――私の領土に溶けていく。


「それはもちろん、他のプレイヤーを釣るためよ。あなたを助けにきた間抜けも一緒に殺してあげようと思っただけ。……でも残念なことに……」


 助けは来なかった。


 自身を百獣の王と過信した鼠は私に負け、府月に閉じ込められた。


 この子を府月に捕らえていることを他のプレイヤー達にもそれとなく伝えたけど、危険を冒して助けに来る子は誰もいなかった。


「あなたは私に勝てなかったことで、弱さと人望の無さを証明した哀れな存在なの。正直ちょっと存在を忘れかけてたから……この機会に処分しておいた方がいいかしら? どう思う?」


「バカな――」


「自分の身体をよく見なさい。……また溶け始めたでしょう?」


 手加減を止め、本気で溶かしにかかる。


 ドロドロの身体が、もっとドロドロになっていく。


「あ。う! ま、待て! 待ってくれ!」


 実験動物が私に手を伸ばしてくる。


 伸ばしてきた左手は付け根から「ぼとり」と落ち、踏み出そうとした右足も砕けた。彼はすっ転び、かすれた悲鳴を出した。


「やめ――――」


 歩み寄り、溶けた頭部に指を入れ、そこにあった紙片を回収する。


「交渉! 交渉しよう!? オレの予言の書カンニングペーパーが欲しいならくれてやる!」


「いまもらったとこよ。うん……シミ付きじゃなくて良かった。通常の予言の書で良かったけど……侵されていないのに馬鹿な行動に出たのねぇ……」


「ほかの、他のプレイヤーの首が欲しいなら、くれてやる! プレイヤーキラー! お前に協力して他の奴らをおびき寄せてやる!」


「だから、それはもう失敗に終わったって言ったでしょ」


 胴体と頭だけになった男の身体をつま先に引っ掛け、未使用の水たまりに放り込む。完全消化を開始する。


「がぼっ?! ぃ、いやだっ! 消えたくないっ! 消えたくないぃぃ!! こっ、こんなっ! こんな終わり方――」


「おやすみなさい。……次のあなたも上手くれるよう、祈っているわ」


 水たまりの中に――胃液の中に溶けて消えていった実験動物を見送った後、スアルタウ君の方に振り向く。


 ひどく怯えた顔をしている。


 ああ、しまった……。説得中だったのに汚いもの見せちゃった!


「ええっと……。安心して! さっきのやつはもう殺処分したから!」


「いま、なにしたんですか。さっきの人、どこに……」


「この世界に溶けて逝ったの」


「は……? はっ……?」


「この世界は――府月は多次元世界とは異なる異界であり、私の世界であり、私の身体でもあるの。一種の胃袋みたいなものでね?」


「いぶくろ……」


「そう、胃袋だから長く滞在すると、さっきみたいに溶けちゃうの」


 異物は最終的に全部溶かす。


 私や府月の住人は溶けないけど、来訪者は全員溶ける。


 異界であり、胃界ってこと!


「あ、でも、長期滞在しなきゃ大丈夫だから! 子供あなた達が一晩夢を見る程度なら全然大丈夫。さすがに10数年滞在してたら危ういけど~……貴方達はそんなに長く眠りこけたりしないでしょう?」


 あっ、これ危ないなー、と判断したら府月ゆめから退出させる。


 悪い子以外は溶かさないようにしてるから、全然大丈夫!


 誠心誠意、正直に説明したけど、スアルタウ君の顔色はどんどん悪くなっていった。そして、フェルグス君達を写した水たまりの方に逃げていった。


「うぅん……。説得失敗! やっぱり認識操作に頼ってばかりじゃ、対話能力が下がっちゃてダメねぇ……」


 頬に手を当てつつ、自分のダメダメさ加減を噛みしめる。


 今日のところは、もう放っておきましょう。


 きっと時間が解決してくれる!


 次に府月に来た時、仲直りすればいいのよ。ウンウン!


 次がもう楽しみね! 美味しいお茶菓子用意しておもてなししましょう。


 次こそは、邪魔者はこないはず。





【TIPS:魔神】

■概要

 強力な力を持つ超越者達の呼称。大半が一個人を指す言葉だが、複数人の集団あるいは群体に対して魔神の呼称が使われる事もある。


 魔神の中には人類に友好的な者もいるが、殆どが「人類の敵」として人類文明の驚異となっている。友好的な仮面を被って人間に近づき、殺す者もいる。


 人類の敵だからといってプレーローマの味方というわけではなく、プレーローマと積極的に敵対している魔神も多い。魔神同士の戦いも頻発している。



■源の魔神・アイオーン

 最強の魔神と恐れられていた魔神。西暦の時代に選定の剣を抜き、力を手に入れ、人類の支配者として君臨していた。


 滅びかけていた人類を存続させ、数多の世界を作ってそこに人類の種を撒き、十分に人類文明が成長したら刈り取り続けてきた。


 新暦1年に敗北し、死亡したと言われている。


 源の魔神がいなくなった後、彼が作ったプレーローマは混乱期に入ったが、その混乱もある程度は落ち着き、現在も「人類の敵」として人類文明と敵対している。


 趣味は人類虐待。



■夢葬の魔神・■■■

 最弱と言われている魔神。現実の身体を持たず、人々の夢の欠片を繋ぎ合わせ、<府月>という異界を形成することで存在し続けている。


 趣味は子供と遊ぶこと。



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