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まず「ノベルチキンレース」には書きません。純文学的要素が大きいから。この作品、新潮文庫あたりに載せた方がいいです。私自身論文など様々なものを調べて書き上げたものを貶されたら『ベルダーシュの勇者』への書き込みは傷ついたよ。「素人が何言ってるんだよ」って貴方も思うでしょ?この作品も実はそうなんです。
もう作品の出来としては申し分無いんですよ。これが昭和30年代の文芸雑誌なら受ける事間違いなしでしょう。
でもね、もう戦後生まれが79歳なんですよ。昭和22年生まれでも77歳。つまりもうこの光景を知る人はほぼ居ないです。戦中生まれじゃまだ当時は幼子だしね。
そして令和に生きる人が戦後の開放的な青空と飢えや復興に挑む姿なんてもう共感できないんですよ。失われた32年、東日本大震災、原発事故、戦後レジームの脱却と称した戦前回帰。そんな時代とは真逆の新日本の建設の希望の物語の中の廃墟の光景ってもう令和に生きる者にとって「絵空事」にしか見えない。
つまりこの物語はもう共感できないんです。
証拠に反戦ドラマとかTVから消えて久しいでしょ。この手のドラマが受けたのは明治生まれ、大正生まれ、昭和1桁世代が老年だった頃、つまり平成の初期までの話。だって今が「戦前」なんだもん。悲しいけど。
作者からの返信
らんた様、お読みいただくだけではなく、コメントも本当にありがとうございました。今回の「ノベルチキンレース」応募は三鞘ボルコム様の感想を聞きたいという非常に個人的な理由で参加しましたので、本当に嬉しいです。
おっしゃるとおり、私もカクヨムのメイン読者層にはピンとこない話だろうと思っています。ただ、感想をいただいた方には年配の方もおられました。読者の親の話を聞いたり、昭和22年生まれの方から子ども時代の思い出をうかがうなど、とても有意義な交流ができました。
また、確かに戦争の直接の体験は現代の日本から遠ざかっていますが、震災やコロナ禍など、不本意な出来事で愛する家族や家を失ったり、生死の狭間での選択を誤ったのではないかと後悔することは、現代でも起こっている出来事だと思います。
もう戻れない過去への後悔を乗り越え、私たちはどう生きていくのか、それが本作のテーマの一つだと思っています。
いつもお世話になっております。
思いがけず『ノベルチキンレース』に関係した話題がありましたのでコメントさせて頂きました。
まずですが、『ノベルチキンレース』では「データ集計」を趣旨としておりますので、私の感想などは最低限にしようと思っております。
私のデータも反映はしておりますが、あくまで1読者として出しゃばらないようにと自粛しているのです。
ですが大田康湖さまの「私の感想を聞きたい」という、畏れ多くもありがたいお言葉に応えたいと思いますので、ここで軽くですが感想を述べさせて頂きます。
まず本作ですが、期待通りの作品ですね。
以前に拝読させて頂きました『令和二年、それぞれの秋』で、大田康湖さまが「リアリティのあるキャラ描写」が素晴らしいという事は存じ上げておりました。
本作もその利点が大いに発揮され、舞台設定や作風ともマッチしており、非常に没入感を高めてくれます。
また、時代を感じさせる描写には感嘆の念を抱きました。
特に本話であった、戸祭の「みんな、少し詰めてくれないか」というセリフが私の琴線に刺さりました。
店主が客に向かってこのような事を言う。現代のお店では中々考えられないですよね。
当然、私も昭和22年には生まれておりませんので想像でしかありませんが、こういった些細な時代を感じさせるギャップが非常にリアリティを高くさせてくれました。
あと、別コメントで言及されていた「共感」についてなんですが、私は本作に共感出来ました。
家族や家を守ろうと働くかつら。どこか幼さの残る康史郎。彼らを取り巻く人々。
大田康湖さまの描く「リアリティ」が良く生きていると感じます。
私見ですが、「戦後を生きる人間が読者にいないから共感できない」という理屈が正しいのなら「異世界ファンタジー作品に共感できる読者はいない」という事になってしまうと思います。
私は男ですが、女性であるかつらにも共感できない事になってしまいますね。
ここからは、勝手な想像ですが「大田康湖さまの聞きたい私の感想」には「良くない点への指摘」も含まれていると思いますので、そこについても触れさせて頂きます。
まず「良くない」訳では無いのですが、大田康湖さまも仰られている通り、本作はカクヨムのメインユーザーのニーズとはかけ離れていると感じます。
多くの支持を受けたとしても大人気になるのは難しいのではないかと思います。
とはいえ、それが本作と大田康湖さまの持ち味であり魅力なのですから、そこを否定するのはお門違いですね。
次に第1話ですが「再会」から始まるのは分かりにくかったですね。
かつらと隆の「出会い」が時間を遡って第2話で語られるというのは、これから物語に入って行こうとする読者にとっては優しくないと思います。
時系列通りに進行した方が、特に物語の導入としては入りやすいのではないでしょうか。
後は、ここまでで「何を見せる話なのかが分かりにくい」という事でしょうか。
大きな事件が起きる訳では無く(地上げの導入はありますが)、かつらと隆の恋愛も主軸にはなっていません(現時点では)。
恐らくタグにもある「ヒューマンドラマ」がメインなのだと思いますが、やはりライトノベルに慣れた読者には取っつきにくいと思いますね。
たとえベタであっても、序盤に「分かりやすいイベント」を入れた方が多くの読者に好まれるのではないかと愚考します。
長々とコメント汚しをしてしまって申し訳ありませんでした。
他の読者さまのご迷惑にもなるかと思いますので、このコメントは削除して下さっても構いません。
あまりに忙しくて中々読む進める事が出来ておりませんが、私は本作を面白いと感じております。
本作を読んだ後なら『令和二年、それぞれの秋』の感想も、また違ったものになったでしょうね。
まだ「先を読みたい」と思っておりますので『ノベルチキンレース』への反映はもう少し先になる事をお許しください。
作者からの返信
お忙しい中お読みいただき、本当にありがとうございました。今回このような形で感想をいただき、大変感謝しております。
キャラクターの描写や、戸祭の台詞等、気に入ったシーンを挙げていただき大変嬉しいです。「みんな、詰めてくれないか」についても、再会した大口をもてなしたいという気持ちから出た言葉で、常連も快く協力してくれたという感じですね。
第一話についてですが、草稿ではかつらと隆の出逢いのシーンから始まっていました。創作論の本などを読み、かつらの障害となる八馬や廣本、メインの登場人物となるカイとリュウの登場を早めるため、再会シーンから始めることにしました。
また、2023年当時の電撃文庫の応募条件である12万字以上18万字以内の文章にするためにサブイベントを追加したため、メインイベントが後回しになっているところも三鞘ボルコム様のご指摘の通りです。初稿では第二章はなく、第一章の後に第三章の内容が来ています。
以上、引き続きお読みいただけるとのことで、楽しみにしております。