わすれもの。


「――だからっ、待ち合わせの時間には間に合うと言ってるだろうがッッ!」


「うぉっ!? って、おれに言ったわけじゃないのか……」


 周りを見渡してもおれ以外には誰もいない……、にもかかわらず、すれ違う老人はまるで誰かと話しているようで――耳に当てたスマホがなかったが、なるほど、ハンズフリー電話か。


 最近、やっと慣れてきたとは言え、やはり不意を突かれるとびっくりするな……分かりづらいことこの上ない。

 ハンズフリー電話をしています、というサインでもあればいいけど……たとえば片手を、どちらでもいいけど耳に添えておくとか――じゃあスマホを耳に当てればいい、という話になってしまうので意味がないのか。両手がフリーになるから、ハンズフリー電話なのに、片手が塞がってしまうのは本末転倒である。


「時間ギリギリになるかもしれんが、過ぎることはない……だからそこで待っていろ。勝手に動くなよ、合流するのが面倒になるだろう、まったく……」


 今時、合流するのに苦労することもないと思うが……、スマホがあるのだから連絡を取ればいい。簡単に合流できるだろう。

 たとえ高齢者であっても、スマホを使い慣れている世代のはずだ……少し前の高齢者なら扱い慣れていないだろうけど、一番最初のスマホを使っていた人たちが老人と呼ばれる年齢になっているのだ……、高齢によるボケが始まっていなければ、使いこなせているまま老人になったわけである。


「――って、人の会話を盗み聞きするのはまずいな……、勝手に聞こえてきているとは言え、耳を少しでも傾けているのは盗み聞きしているのと同じだ。それに、赤の他人のおっさんの発信内容に興味はないし……」



「ちょっとっ、お父さん!!」



 と、背後から若い声が聞こえてきた……それでもおれよりは年上だろうけど。

 すれ違った老人の、娘さん……だろうか。女性がおれを抜き、老人の元へ。


「私はこれから電車に乗る……十分もすればそっちに……ん? どうした?」


「どうした? じゃないわよ! これ、スマホっ、忘れてる! スマホも持たずにどうやってお友達と待ち合わせするのよ――忘れものだけじゃなくて、物忘れだって酷いんだから。電車に乗ったはいいけどどこにいく予定だったんだっけ? なんてざらにあるじゃないの!」


「そこまで酷くはないとは思うが……だが、助かった。ありがとう」


「もう……っ、昔は手離すのを嫌がっていたスマホだったのに、今じゃあ、肌身離さず持っている方が珍しいわよね……」


「昔の話だからなあ。あの時は情報に置いていかれる気がしたんだ……、周囲と知識の差が生まれるだけで、もういらないと言い渡された気がしてな……今ではマイペースに楽しんでおるよ……嗜んでいるとも言えるな……スマホを。今の時間の方が幸せだよ」


「幸せがどっちか、なんてのは人によると思うけどね……ほら、もういかないと。約束の時間に間に合わなくなるわよ?」


「おっと、そうだな、早く向かわないと――」



 結局、二人の会話を最後まで聞いてしまった。

 近くの自販機で飲み物を買って、飲みながらスマホをいじって、なぜか最後まで見届けてしまった老人とその娘さんの会話と行動である――、ごく普通の会話ではあったものの、しかし――待て。


 スマホを持っていなかった?


 忘れていた、んだよな……? 二台目ならいいけれど、そうでなければ――じゃあ。


 ……さっきまでの、ハンズフリー通話だと思っていた一連の会話は、なんだったんだ……?




 …了

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