第13話

 神殿の入り口のドアが開く音がした。この儀式には誰も招待客などいないはずなのに、とフェリシアは後ろを振り返り、思わず声を上げた。


「お母さん! クロエも」


 車椅子に座った母が、クロエと共にやってきた。車椅子を押しているのは、エミリーだ。


「どうして、ここに」

「俺がエミリーに頼んだんだよ。もし、母君が起き上がれそうなら、連れてきて欲しいと。やっぱり、娘の晴れ姿は見たいだろうから」

「ご安心ください。大きな馬車でベッドごと来ましたので、ご負担は少なくなっております」


 エミリーがそう言って、車椅子をフェリシアの前まで転がした。母は、エミリーにありがとう、と微笑んでから、フェリシアと向き合った。


「フェリシア、とても、綺麗ね」

「うん! お姉ちゃんすっごく綺麗! 可愛い!」


 結婚するという話は、当然エミリーから聞いているのだろう。そもそも、テオドールが店に来た時の話をクロエが母にしているはずだ。でも、フェリシアの口から、まだ言っていなかった。


「お母さん、私、結婚するわ」

「ええ、おめでとう。フェリシアが幸せでありますように」


 三か月だけの契約であることは、言わなかった。たぶん、それでいい。


 母は、父のことを一度も悪く言ったことがない。追い出されたのに、病気で苦しんでいるのに。フェリシアは、一方が我慢をする婚姻関係は、正しくないと思っている。フェリシアとテオドールの結婚は、きっと対等な正しい関係性で、少し歪なのだろう。


「あなたは……」

「初めまして。テオドール・オフィーユと申します」

「娘をよろしくね」


 母は、テオドールの顔を見た時、少しだけ目を丸くしたように見えた。すぐに優しい表情になって、テオドールに笑いかけていた。


 母が少ししんどそうに息をし始めていた。これ以上、苦痛を長引かせる必要はない。


「お母さん、今から治すからね」


 道具も媒介もなしで、魔法を使うのは初めてだ。緊張するフェリシアの隣に、テオドールが何も言わずに寄り添うように立った。フェリシアは、一つ、深呼吸をした。


 母の体に触れて、指輪から感じる魔法を外へと押し出す。どこを治せばいいのかは、魔法の方が教えてくれる。光の流れに沿って、魔法を送り出す。治癒魔法が、母の体に吸い込まれて、溶けていく。


 きっと、五分もかからなかった。その時間が、フェリシアの人生の中で一番長い五分間だった。


「終わった…………」


 治癒魔法による治療が、終わった。魔法を使ったことと緊張とで、どっと疲労がきた。明らかに顔色が良くなった母の顔を見て、フェリシアは成功したことを実感した。いつも朝起きた時に尋ねるように、フェリシアは言った。


「お母さん、調子はどう?」

「とても、いいわよ。今までで、一番、調子がいい、わ……」


 答える途中で、涙ぐむ母を見て、フェリシアも泣きそうになった。車椅子から軽々と立ち上がり、母はフェリシアを正面から抱きしめた。弱々しい力ではなく、ぎゅっとフェリシアをしっかりとした力で包み込んでくれている。


「ありがとう、フェリシア」

「うん。良かった、本当に良かった……」

「お母さん、元気になったの……? もう、苦しくないの?」


 まだ状況が飲み込めていないクロエは、不安そうにそう言ってきた。母は、両手を大きく広げて、にっこりと笑った。


「おいで、クロエ」

「うん!」


 クロエは思いっきり母に抱きついた。飛び込むように抱きついたクロエを、母はしっかりと受け止めていた。


「心配かけてごめんね、クロエ」

「お母さんが元気になったから、あたし嬉しい!」


 エミリーが、その様子を見て、もらい泣きをしているのが目の端で見えて、フェリシアはすごく温かくなった。誰かの手を取ることは、悪いことじゃないかもしれない。


「フェリシア、私のために頑張ってくれて、ありがとう。これからは、自分と、自分の大切な人のために、頑張りなさい」


 母が、フェリシアとテオドールを交互に見てそう言った。クロエが、フェリシアのドレスを掴んで見上げてきた。


「お姉ちゃん、結婚したら、もう家に帰って来ないの?」

「そうね……基本はオフィーユのお屋敷で暮らすことになると思うわ」


 フェリシアは、テオドールに視線で確認しながらそう答えた。クロエは、口を一文字にして、頬を膨らませた。


「寂しいからやだ」

「じゃあ、妹ちゃんがうちに遊びにおいで」

「いいの!」

「もちろん」


 テオドールに家へ招待されて、ぱっと顔を明るくさせた。箒に乗ればすぐの距離なのだから、会えなくなるわけではない。そもそも、三か月だけの約束なのだから。


 母は、久しぶりに外を歩きたいから、と馬車は使わずクロエと手を繋いで帰っていった。運んできたベッドは後でエミリーが家へ届けてくれるそうだ。

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