第6話
馬車に揺られて、オフィーユの屋敷に向かっている。石畳の道をゴトゴトと音を立てながら進んでいく。移動の際に、飛行魔法を使わないのは珍しい。時間はかかるが、馬車の絶妙な揺れがフェリシアには心地よく感じる。
「普段、馬車には飛行魔法を使わないから、充填してなくて。ごめんね」
「いえ」
「俺は、この馬車の揺れが好きなんだ。落ち着くから」
「……」
フェリシアも同じだと、そう答えるのは何だか癪で、黙って外の景色を見ていた。
「俺は、君がいいと言ったけれど、君はそれを信じていないよね」
「ええ、そうですね」
「君がいい理由は、大きく分けて三つ」
すらりと長い指を三本立てて、テオドールは微笑んだ。フェリシアは、窓の外からテオドールへと視線を移した。まじまじと見ると、確かに騒ぎたくなるくらいに整った顔立ちだ。
「一つ目は、君に助けてもらったことがあるんだ。そのおかげで、今の俺がある」
「うちの薬を使ってくれたことがあるんですか」
「まあ、そんなとこ」
フェリシアの薬の知識が欲しい、ということだろうか。それだけで結婚、なんて話が飛躍していると思うが、主な理由は残り二つにある気がする。
テオドールは、フェリシアの左手の甲を指さしながら、続きを口にした。
「二つ目は、君が星家の人間だから」
「……っ」
咄嗟に、フェリシアは自らの左手の甲をもう一方で覆った。だが、それも無駄なことだった。
「君は、第八星家スコルピオン家の令嬢。フェリシア・スコルピオン、そうだろう?」
「……どうして、私がスコルピオン家の娘だと知っているのですか」
「星家同士は、割と情報が行き交っているんだ、スコルピオン家に娘がいること、七年前に家を出て市民街で暮らしていること。市民には知り得ないことでも、星家にいれば、情報は得られる」
テオドールの言う通り、フェリシアは七年前まで、星家の人間だった。第八星家、蠍座のスコルピオン家の当主の娘であった。だが、ある日の夜に突然、父に追い出され、母と生まれたばかりのクロエと共に、真っ暗な夜の道を駆けた。追い出したというのに、後から追いかけてきて、それがただならぬ気配で恐ろしかったことは覚えている。
母と相談の上、街の人々はもちろん、クロエにもこのことは隠している。
「私はもう、スコルピオン家とは関係ありません」
「実家のことはどうでもいいよ。令嬢であれば、マナーや作法をきちんと身に付けているだろう? その方がいいからね」
「ならば、別の星家の、きちんとした令嬢を迎えればいい話ではありませんか」
テオドールが何かを言いかけた時、馬車が止まった。前後に大きく揺れたために、フェリシアは前のめりに倒れかけた。
「おっと、大丈夫?」
肩を打ち付ける覚悟をしていたが、痛みが来ることはなく、テオドールの腕に軽々と受け止められていた。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ」
テオドールはそのままフェリシアの手を取ると、当然のように馬車を降りるまで気遣ってくれた。エスコートをされるなんて、何年ぶりだろう。
到着した屋敷は、大豪邸ではないにしろ、星家が住むにふさわしい立派なものだった。最近建てられたのか、だいぶ新しい印象がある。その正面玄関から、一人のメイドが駆けてきた。
「おかえりなさいませ、旦那様。まあ、お客様でございますか!」
メイドの、くるりと外ハネしている茶色の髪が、楽しそうに跳ねている。丈の長いメイド服を着ているが、ここまで駆けてくるのは素早かった。年齢はフェリシアとそう変わらないように見えるが、メイドの歴は長いようだ。
「この人は、妻になる人だよ」
「ええ!?」
「いえ、了承していません」
「ええ!?」
テオドールの言うことにも、フェリシアの反論にも、メイドは毎回驚きのリアクションを見せていた。素直な反応が少しクロエに似ている気がする。
「ともかく、ディナーにお誘いしたお客様だよ。おもてなしを」
「お任せくださいませ! 旦那様にお客様なんて、珍しいことですもの、張り切って準備いたします」
ぱあっとメイドの顔が明るくなった。フェリシアの前に立つと、片方の足を後ろに引き、もう片方の足を軽く曲げて、丁寧な礼をした。
「メイドの、エミリー・ライラと申します」
「フェリシアです。お誘いいただきました」
「フェリシア様。お名前まで可愛らしいお方ですね。旦那様はご友人がいない――いえ、少なくていらっしゃるので、誰かが訪ねてくることも稀なのです。だから、お客様がこんなに可愛らしい方で、わたし、とても嬉しいです」
「こら、エミリー」
余計なことをメイドに言われてしまい、テオドールは少し拗ねた表情をしている。さっきまでの余裕のある雰囲気とは違っていて、少し親近感があった。少し、だけ。
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