第5話

 フェリシアを含めた、その場にいる者の時間が、止まったかのようだった。一拍の沈黙の後、大騒ぎになった。口々に驚きの声や、フェリシアに本当かと尋ねる声。フェリシアだって、何が何だか分からない。


 当の本人は、にこにこと笑みを浮かべている。今の状況とのアンバランスさに、何だか腹が立ってきた。


「あなたは、誰ですか。一体、何が目的ですか」

「ああ、名乗っていなかったね、これは失礼。俺は、テオドール・オフィーユ。目的は、君を妻に迎えること」


 オフィーユ、という家名に周囲はざわついた。ほとんど伝説上の蛇遣い座の紋章を持った者が目の前にいる。皆の驚き様も無理はない。冗談だろう、嘘でしょう、という声がたくさん上がっている。


 フェリシアは、彼の手の甲を見た時から、蛇遣い座の紋章だと認識していた。皆、紋章があることにテンションが上がり、それがどこの家かまでは見ていない。

テオドールは、フェリシアの疑問に答えてくれていない。


「なぜ、私を妻に迎えたい、などと言うのですか。オフィーユ卿、あなたとは今日初めてお会いしましたけど」

「理由か……色々とあるけれど、コンクールに出るため、と言った方が早いかな」


 コンクールに出るには、規定がいくつか存在する。成人していること、星家の当主であること、そして、伴侶がいること。当主一人ではコンクールに出ることは出来ない。だから、この人は伴侶を探していると。


「オフィーユ卿が、伴侶を探していることは理解しました。ですが、他をあたってください」

「君にとっても、悪い話じゃないと思うよ。オフィーユが使える魔法を、知っているだろう?」

「……!」


 テオドールは、母が病気であることを、知っている。一瞬、背筋が凍った。だが、冷静に考えれば、この近くに住んでいる人たちは、フェリシアの母が病気であることは知っている。街の人に聞けば、すぐに分かることだ。何ということはない、フェリシアは心を落ち着かせる。


「それに、俺は君がいいんだ。他には興味がない」

「どうして、そこまで」


 唐突にカウンターに置いていたフェリシアの手が、テオドールの手に包み込まれた。驚いている間に、テオドールが距離を詰めてくる。フェリシアの頬に唇が触れそうなくらい、顔を寄せてきた。そして、フェリシアのすぐ耳元で囁いた。


「君が、ここに隠しているものが、欲しいんだ」

「!」


 フェリシアは慌てて、手を引き抜いた。左手の甲に施していた、部分的な『変身魔法』が解かれかけていた。明らかにテオドールの仕業だ。何を、どこまで知っているのだろう。フェリシアの頬に嫌な汗が伝う。


「……場所を、変えませんか」

「そうだね。大勢の前で惚れた理由を話すのは、俺も照れくさいしね。この後、ディナーに誘ってもいいかな。俺がちゃんとオフィーユ家の当主であると証明するためにも」


 大衆の面前で結婚の申し込みをしてきたくせに。と思うが、ここで話をされたら困るのはフェリシアの方だ。


「店仕舞いをします。少し待っていてください」

「通りの先に馬車を止めてある。そこにおいで」


 黄色い歓声があがって盛り上がっている皆を置いて、テオドールはすたすたと通りを歩いていった。フェリシアは、質問攻めにあう前に、さっさと店を閉めた。


「お姉ちゃん、さっきの御星様がオフィーユって本当? お母さんの病気、あの人なら治せる……? お姉ちゃん結婚するの?」

 一度にたくさんのことを聞いて、混乱しているクロエの両肩に、そっと手を置いた。


「びっくりしたわよね。私も驚いたわ。だから、ちゃんとあの人の話を聞いてくるわ。お母さんの病気を治すことが出来るのかも、ちゃんと聞いてくる」

「本当?」

「ええ。だから、今夜はお母さんのこと頼むわね」

「分かった」

 クロエが力強く頷いてくれて、フェリシアは一安心した。


 フェリシアは、料理や薬作りで汚れたエプロンを脱いで、シンプルなワンピーススタイルになった。ディナーに相応しい服もアクセサリーも持ちあわせていない。ため息をつきそうになったが、それを飲み込んで家を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る