第3話

「ケトゥスさん、おはようございます。薬の配達に来ました」

「おー、フェリシアちゃん。いつもありがとうねえ」


 フェリシアは、箒からひょいと降りて、お得意先のケトゥス夫妻の家に声をかける。年配の夫婦で、フェリシアの作った薬を愛用してくれている。


「腰痛の具合はどうですか?」

「最近はけっこうましな方でね。この前は飛行魔法の馬車に乗って、日帰り旅行もしてきたのよー」

「わあ、いいですね」

「これお土産よ。フェリシアちゃん今日誕生日でしょう? 少しだけどもらってちょうだい」


 夫人から、観光地のロゴが書かれた瓶に入った、カラフルな飴をもらった。わざわざお土産を買ってくれるなんて、まめな人だ。


「ありがとうございます。妹と一緒にいただきます」

「いいのよ、これくらい。ところで、フェリシアちゃんいくつになったのかしら」

「十六歳です」


「あら、成人したのね。ますます、めでたいじゃないの。まだ小さい妹さんの世話もして、病気のお母さんの代わりに働いて。本当に偉いわあ。わたしに出来ることがあったら、言ってちょうだいね」


 夫人が、心からの善意でそう言ってくれていることは分かっている。でも、フェリシアの家の事情に巻き込むわけにはいかない。軽々しく、他人の手を取っては、迷惑をかけてしまう。


「ありがとうございます。うちの薬を贔屓にしてくださるだけで、充分です」

「なんて出来た子でしょうねー。いいお嫁さんになるよ。もう成人したんだから、結婚だって出来る年だものね」


 そういう話は、苦手だった。自分が結婚するなんて、現実味を帯びて考えることが出来ない。成人したばかり、というのもあるかもしれないが、『それ』にあまりいいイメージがないせいだろう。


「では、私はこれで。お大事にしてくださいね」

「ああ、忙しいのに引き留めてごめんなさいね。またよろしくねえ」


 フェリシアは、夫人に一礼してから、行きと同じように、横向きに箒に腰掛けた。帰りは慎重に運ぶ荷物もないから、下に広がる街の様子を見ながら飛んでいる。


 市民街は、石畳が整備されていて、家もレンガ造りが多いため、普段は整然とした雰囲気がある。今は、あちこちに屋台が出ていたり、家にも飾り付けをしているところが見られ、街全体がお祭りの雰囲気に満ちている。歩く人たちもどこか楽しそうだ。





 フェリシアが家に戻ると、クロエは本に夢中になっていた。表紙を覗き込んで、フェリシアは納得のため息をついた。


「あ、お姉ちゃんおかえりなさい」

「ただいま。クロエは、本当にその本が好きね」

「だって、かっこいいもん」


 クロエがずいっと見せてきた本の表紙には『ミデン英雄譚』と書かれている。ドラマチックなストーリー、そして文字とイラストのバランスも良く、子どもたちに人気の本だ。


 物語の主人公は、ミデン・オフィーユ。彼女の名前はこの国に住む者なら誰もが知っている。長く続いた十二星家の争いを収めた英雄とされる、建国の母。十三番目の星家、蛇遣い座のオフィーユ。伝説上の人物だ。


「もし、オフィーユの人がいたら、お母さんの病気も治せたりするのかな」

「クロエ……」


 星家が生み出す魔法は、その家々によって異なる。飛行魔法は、牡羊座のアリエーテ家。火魔法は獅子座のリオン家、のように。オフィーユが生み出す魔法は、治癒魔法、とされている。伝説上では。


「……何百年も現れてないって友達が言ってた。しかも突然変異? っていうのでしか生まれないんでしょ。蛇遣い座なんて、おとぎ話だもんね。それより、もうすぐコンクールだよね! あたしすっごく楽しみ!」

「そうね。クロエは初めて見るものね」


 星家の政治的なリーダー、プリム・エトワールを決めるのは、市民の投票。七年に一度行われる、この投票のことをコンクールと呼んでいる。プリム・エトワールを市民が選ぶこの制度のおかげで、星家の人々が独裁に走ることはない。そもそも、魔法を生み出す指輪を持つのは当主だが、使う道具を作るのは市民たちだ。市民がいなければ、星家の人々も満足に魔法が使えないのだ。


「街がお祭りみたいになってるよね、始まる前から楽しい感じがする」

「ええ。星家の当主たちには家の命運がかかった真剣勝負だけれど、市民にとっては七年に一度の国全体のお祭りだもの」

「ねえねえ、あとで屋台見に行きたいな」

「仕事がひと段落したらね」


 フェリシアは、通りに面している扉を大きく開け放った。自宅兼薬屋が出来るように、数年前に改良した。


「店開けるから、クロエも手伝って」

「はーい」


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