八話: Hurt Bleed Repose

 血溜まりは酸素に触れて、みるみるうちに色褪せていく。

 広がり続けるそれの中心にあるものは、炎と煙と臓物――そして怪物の屍を踏みつけたまま項垂れる、一人の巨人。その肌はほのかに熱を帯び、荒く吐かれた吐息は空気を歪ませる。


 巨人――真白はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていたが、息も整いきらないままふらふらと歩き出す。

 彼女の前方には、区画を仕切るように立ち並ぶビル群があった。つい先ほどまでの“ソルジャー型”GHOEとの戦いでは遮蔽物として大活躍した影の功労者である。

 ソルジャー型の光線によって崩され生まれた隙間のひとつに真白は体をねじ込み、総介のいる反対側へと移動した。手をついた屋根からポロポロと破片が落ちてきて、割れた。


 真白が脇目も振らずに向かったのは、両端を電線で結ばれた、虹色に輝く蛇腹状の結晶塊。真白が戦いのために捨て置いていた“エンタングル椎”だ。数日前に倒した“クリーチャー型”から摘出したそれの一片を、同じ持ち主からちぎり取った巨大な爪で叩き割る。


 真白は落ちるように膝をつき、砕けたエンタングル椎の欠片を掬う。すると次の瞬間、彼女は欠片を思い切り口の中に放り込んでしまった。

 バリリ、と硬い咀嚼そしゃく音を数回立て、彼女は欠片を飲み込んだ。

 しばらくすると、彼女の胸の辺りがほのかに光り出した。光は筋となって真白の全身を駆け巡り、末端から消えていく。


「お疲れ様。真白」


 真白のすぐ足元から声がした。優しげに声をかけるその青年も、汗と土埃にまみれ息を切らしていた。


「総介さん……良かった。無事で」

「無茶も心配もさせてすまん。でも、おかげでピンチは越えられた」

「総介さんも、援護ありがとう…………っ」

「疲れただろ。大丈夫だ、ゆっくり休もう」

「うん……ちょっと、休むね……」


 総介にそう告げた直後、まるで糸が切れたかのように真白の身体から力が抜けた。すぐ隣にあった建物に寄りかかるように倒れ、その巨体を半ば建物にめり込ませながら、吐息を次第に落ち着かせていった。

 彼女の動きで生まれた風を浴びながら、総介は額の汗を拭う。


「生き残れたんだな、俺たち」


 そして総介も深い一息を吐き、瓦礫に腰を下ろした。


◆◆◆◆◆◆


 真白が目を覚ましたとき、空は薄暗くなり始めていた。


 ガラン、ガランとまばらに物音がする。


 ゆっくりと真白の瞳が動く。物音の主は総介だった。ヘルメットもベストも外していて、いつもよりも軽装だった。

 総介が何をしていたのかは、彼の周囲を見ればすぐに分かるだろう。目の前には横倒しで潰れた軍用トラックがあり、少し離れた平らな空間には等間隔でが並んでいた。

 真白は慎重に体を起こすと、総介の活動を邪魔しないようゆっくり四つん這いで彼に近づいた。振り返った彼と一度目を合わせ、そして辺りに目を向ける。


 かつて街だった瓦礫の海。

 戦車。トラック。りゅう弾砲。数台の兵器や車両の残骸。

 そして、屍。


 一瞥した真白は、何も言わず総介の前にあったトラックを持ち上げ、平らな場所に安置した。

 それからしばらく、静かに事は進んだ。真白の手は時にリフトとなり、時にクレーンとなり総介を手伝った。


「わたしたちがソルジャー型をやれたのは、きっとこの人たちのおかげだよね」


 指先で人間ひとり分が横たわれそうな穴を掘りながら、真白が呟いた。


「ああ。きっとそうだ。遺品を使わせてもらっただけじゃない。俺たちより先に奴らと交戦して、あと一歩のところまで削ってくれた」

「所属、どこだったんだろ」

「――“6戦”と“32普”」

「それって?」

「バラバラだ。あまり詳しくないけど、6戦――第6戦車大隊は東北の部隊だったと思う。ここまで南下してきて、関東の部隊と合流して、ここまで来たのかもな」

「……昔のわたしたちみたいだね」

「分断されまくっちまった後でも、退く先は皆かつての都を選んだ、ってわけか」


 真白が車体を起こした装甲車の中を、総介が覗く。車外へ戻ってきたとき、その手にはグチャグチャに丸まった書類と、何枚かの写真が握られていた。

 積み上がった瓦礫の片隅に、同じような紙束やら小物やらがまとめられていた。総介は書類をそこに重ねていく。


「みんな、何を目指してここに……」

「もしかしたらそれも、俺たちと同じなのかも」

「少しでもタイミングが違ってたら、生きてるこの人たちに会えたのかな」


 真白の掘った穴に一人の男が寝かせられ、土で覆われた。

 これで見える範囲の車両と、普通の人間の遺体は整理された。


「さて、後は……」


 総介がそう言って見上げたのは、真白と同じくらいの大きさで、同じような恰好をした大きな大きな亡骸。うつ伏せに倒れていて、顔は黒い髪の中に隠されている。

 真白もその巨人へと近づき、上体の左半分が無くなってしまった肉体をゆっくりと返してあげる。真白より何歳か年上に見える男の子で、空へと向けられた表情は、あまりにも悲惨な体とは真逆に、穏やかな眠り顔だった。


「この人、たぶんわたしやと一緒だ」

「それって……」

「”第四世代巨人化兵士” ――――民間人から徴兵されて巨人になった人。この人は、わたしよりちょっと先輩かな。服がツギハギじゃないし、胸に”防衛軍”のマークがある」

「……」


 巨人の右腕を胸の上に乗せてあげて、ゆっくりと瓦礫で亡骸を包みながら、真白は総介にそう語った。

 巨人の着る白い服には、地球を模した図と、その下に”U.N.E.D.F.”という文字が刻まれていた。間もなくマークに土砂が被さり、見えなくなった。


「……この子も、真白も、本当に勇敢だよ」


 そう呟く総介の顔は、悔しさと罪悪感がない交ぜになったかのようで、真白を見上げているのにも関わらず表情は深く深く沈んでいた。


「――総介さんは、わたしのことをとても考えてくれてる」


 その顔を、巨人の瞳からするととても小さいその顔をじっと見つめて、真白は言った。


「総介さんの望むことなら、わたしは何でもするよ」


 そして、巨人の亡骸に振り返って、最後の土を被せた。

 総介も、真白も手を合わせ目を閉じる。示し合せずとも、同じタイミングで。


 ただ静かに、風の音だけが聞こえた。


 とても長い、しかし二人には一秒とて無駄ではない時間が過ぎた。

 やがて「そろそろ、出発しよう」という総介の言葉と共に、真白は総介を手のひらに乗せる。遠くで置きっぱなしになっていた彼のトラックも回収すると、二人は墓地を後にした。

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巨人少女と終末世界 海鳥 島猫 @UmidoriShimaneko

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