第13話
「うげーっ」
私のスズ・エクルースとしての人生は、急激な吐き気と嘔吐から始まった。
分かっていた。分かっていたともさ。しかし、それにしても吐き気が今までの比ではない。
理由は、練習時よりずっと遠くに飛ばされたかららしい。
「大丈夫? 全く、あの人ったら耐性が無い人にこんな距離、無理に決まっているじゃないの。可哀想に。あ、お水いる?」
私を介抱してくれているのはミーリさん、ではなくリュリュさんの奥さんであるハンナさん。そう、私はヘルコ村のエクルース伯爵の屋敷に転移したのだ。
「すみません…ほんと、ちょっとの距離も全然慣れなくて…」
「あんな魔法、慣れる必要ないわよ。後で顔見せるって言っていたから、私から説教しておくわね! スズちゃんはもう、休んでね。疲れたでしょう。」
優しいお爺ちゃんの印象が強いリュリュさんの奥さんは、どんなに可愛らしいおばあちゃんなのだろうと勝手に想像していたけれど、ハンナさんは見た目40代のサッパリとした方だった。
吐き気が収まって来たので、お風呂を借りて身ぎれいにし、用意してくれていた可愛らしい寝具に着替えて、お言葉に甘えて休むことにする。
ファーストコンタクトがこれだったから、居た堪れなくて布団に逃げたというのが正しいかもしれない。
さて、どうして私がヘルコ村に居るのかと言えば、話は『聖女帰還の儀』の前日までさかのぼる。
エーリッキ殿下がラウリ様の事で頭を悩ませた結果として、私達へお願いしてきた事が、帰還の儀で私をラウリ様のお屋敷では無くヘルコ村に転移させる事だったのだ。
「ラウリは素直な故に上手く噓を吐く事が出来ません。ならば、逆に、ラウリに聖女様を失ってもらえばいいのです。そうすれば、悲壮なラウリの姿を多くの者が目撃する事になるでしょう。しばらくその状態で溜まった仕事を片付けてもらった後に、彼には療養を取らせるつもりです。どうでしょうご協力願えますか?」
あの時のエーリッキ殿下の顔は、やはり有無を言わさぬ気迫があり、怖かった。
私がヘルコ村に転移されることはラウリ様には伝えていない。
今頃、私が屋敷に居ない事に気が付いたかもしれないな…
ラウリ様の事を思い出していたら、知らないうちに人差し指が下唇に撫でていた事に気づく。
ラウリ様との突然のキスを思い出して熱くなった顔に布団をすっぽりと被り、私は目を瞑った。
***
翌朝、改めてお互いの自己紹介をすると、ハンナさんとはすぐに仲良くなった。
子どもが欲しかったが出来なかったというハンナさんは、私の事を娘として迎い入れる事にとても前向きで居てくれたそうで、「ぜひ、お義母さんと呼んで頂戴ね」と言ってくれたけれど、それはちょっとハードルが高いので、今はまだ「ハンナさん」と呼んでいる。いつかそう呼べたらいいな。
昼前にはリュリュさんが合流し、近くの町で三人で外食をした。
「急な予定変更だったから、スズちゃんの物をあまり用意できていないのよ。買って帰りましょう。」
というハンナさんの一声で、帰りはお店で服を買ってもらう事に。
お店で服を選ぶのは初めてなのでちょっと緊張したけれど、節約大好き主婦、ハンナさんの行きつけのお店は、日本のワゴンセールのように、雑多に置かれた衣服から選び取る方式で、店員さんも近寄って来ず、安心して買い物が出来た。
「成程、スズちゃんはそういうシンプルなのが好きなのね。なら、こっちのはどう?」
私は取りやすいものから手に取って、気に入るものが無いかと探していたけれど、ハンナさんは私の好みの服をピンポイントで引っ張り出してくる。
しかも、粗悪品も交じる中、手に取るのは上物ばかり。凄い。
「あ、ねぇスズちゃん。シンプルが好きなのも分かるけど、ちょっとした外出用に、こういうのも似合うと思うんだけどなぁ…買ったら着てくれる?」
ハンナさんの手にあるのは、ピンクのシフォンワンピース。スカートの前側が膝丈で、後ろがくるぶし丈というアシンメトリーなもの。
「え、着てみたいです。」
実はミニスカとかショートパンツとかには憧れがあって、挑戦できなかった過去がある。この世界では根本的に女性が足を出すのははしたないとの認識があったりもするらしいから諦めていたけれど、これは合法って事だよね?
「そう来なくっちゃね。私、そういう挑戦力のある子好きよ。」
「挑戦力、ですか?」
「そう。やりたいと思ったことに挑戦してみる事、エイヤーって行動出来る事。これ、簡単に見えてとっても難しいのよ。一種の才能ね。」
「そんな、才能なんて大袈裟です。ただちょっと、抑制された生活が長かったから、反動がきてるだけですよ。」
「そうかしら? フィーネでの事を、聞いたわよ。食事をした後、食事代分働いたんでしょ? 大半の人はね、試食がいくら美味しかったからって無いお金払ったりしないのよ。払うにしたって、後で払うという選択肢を選ぶわ。でも貴女はその場で自分で支払った。誰にでもできる事じゃないわ。」
「そうでしょうか?」
「そうよ。だから、覚えていてね。そうやって、行動できる人にとって、世界は楽しいの宝箱だって。」
「楽しいの、宝箱?」
「そうよ。楽しいの宝箱。特にスズちゃんは、まだこの国の事をあまり知らないでしょ? だから、これから沢山、楽しいに出会えるわ。気になったこと、どんどん挑戦していってね!」
「そうですね。知らない事を知れるのは楽しいです。」
「ふふっ。よし、じゃぁ買っていきましょう。ついでにアクセサリーも買いましょうか。ほら、このリボンとかどう? あ、そうだわ靴もね。それから…」
その後、何件か店を物色し、ハンナさん直伝高見えコーデが完成した。
どれもショップで買うより安価ななのに、軽いパーティー位ならこの恰好で行っても問題なさそうなクオリティ。やっぱり凄い。
ハンナさんはお洒落でお買い物上手で、世界を宝箱に変えられる、とっても素敵なお義母さんだった。
***
3日後。夕食の準備をしていると玄関の戸が ドドドドドっ と、キツツキの奇襲かと思うほどに叩かれた。
「は、はい…?」
恐る恐る扉を開くと、「スズ!」と聞きなれた声と共に視界が奪われた。
私の顔は、ラウリ様の胸の中。
「ラ…様…くるし…」
物凄い力で抱きしめて来るから、息が出来なくて助け求めると、「すまない」と腕の力を緩めてくれた。
「ラウリ様、早かったですね。こちらに来るのは一週間後とお聞きしていましたのに。」
「スズに会いたすぎて仕事などさっさと終わらせてきた。スズ、元気にしてたか?」
「はい。ハンナさんもリュリュさんにもとても優しくしていただいてます。」
「それなら良い。」
ラウリ様が私の頭に手を乗せ、愛おしそうに髪を撫で、唇をそっと寄せた。
玄関先でこんな事、ハンナさん達には見られたくない。
だけど、ラウリ様はその手を放す気配も無いし…困ったな。
「あ、ラウリ様、少し外を散策しませんか? 傷心旅行なのでしょう? 景色の良いところへご案内いたします。」
「あぁ、スズと共に居られるのなら。どこへでも行こう。」
何だか、ラウリ様から甘いオーラがあふれ出ていて調子が狂う。
いつもの数十倍キラキラしているし、サラッと甘い言葉を吐くし、これは危険だわ。
***
エクルース邸から歩いてすぐの、景観の良い原っぱまでやって来て二人で座り込む。
「あの、怒っていませんか? 私が何も言わずにこちらへ来たこと。」
「屋敷に戻って、スズが来ていないと聞いた時は焦ったが、エーリッキから事情は聞いた。私の為でもあるのだろう? 怒りは無い。それより、気分は大丈夫だったか?」
「あ…まぁ、ハンナさんが介抱してくださいましたけど、散々でした。」
あぁ、思い出したくない光景が思い出される。
子の記憶は本当に消去してしまいたい。
「だろうな。スズの身体を思えば、せめて我が家から馬車でここまで来るべきだったというのに、この件だけはリュリュにハッキリと抗議をしておいた。」
成程、全く思いつかなかった。
でも、ラウリ様の屋敷に転移しても、きっと数時間は使い物にならなくて、その後馬車の旅と言うのは酷すぎるから、これが最善だったと思うけどね。
「それで、この数日は何をして過ごしていたんだ?」
「そうですね。お買い物をしたり、お料理を作ったり、お裁縫をしたりです。ハンナさん、何でもできるんです! 私、毎日楽しくて…」
「それは良かった。したい事も少しは見つかったか?」
「そうですね。町へ戻ったら、やっぱりまたフィーユで働きたいです。でも、コニティオラ公爵家のメイドも頑張りたいです。」
「メイド仕事は振りでかまわないのだが?」
「屋敷の皆さんと、もっと仲良くなりたいんです。家事ならお手伝いも出来ると思いますし。」
「まぁ、スズが良いならそれで良い。手配しよう。」
「後、エルセとお買い物に行く約束もしています。この間、ハンナさんとのお買い物とても楽しかったので、とても楽しみです。」
「私とも出かけてくれ。」
「今出かけてるじゃないですか。」
「む……」
他にも、
ハンナさんに、この国の家庭料理をもっと教わりたい。
聖女の魔法以外の話をリュリュさんに聞いてもみたい。
未だエルセが白紙でもっている、フィーユの新作パイの案を、私も考えてみたい。
それから………
「どうしましょう、ラウリ様。やりたい事が、次々と頭に浮かんできます。」
「全部やればいい。応援しよう。何なら今からでもいい。やりたい事はあるか?」
「…では、私が今一番したい事をしても良いですか?」
「勿論。」
じゃぁ、と少しだけラウリ様と距離を取る。
「ラウリ様に、こちらを受け取っていただきたいです。サプライズプレゼントというやつです。」
手渡したのは、コニティオラ公爵家のシンボル、緋色の獅子を刺繍したハンカチ。
刺繍はあまり得意では無かったけれど、ハンナさんに手伝って貰って何とか仕上げる事が出来た。
予定より早くラウリ様がいらしたからビックリしたけれど、昨日のうちに仕上がっていてよかったな。
「今までの感謝と、これからも宜しくという事で…ちょっとヘタクソですけど、受け取っていただけますか?」
「勿論だ。家宝にしよう。」
「いえ、普通に使ってください。」
「スズが私に手作りしてくれたのだぞ、もったいなくて使えない。」
「…じゃぁ、あげません。」
「駄目だ。もう私が貰った。」
冗談で取り返そうとするも、ハンカチは高々と頭上へ。私より身長の高いラウリ様に背伸びされたら、どうやっても届かない。
代わりに、手を高く伸ばしてピョンと飛んだ拍子に足がもつれて転………びはしなかった。倒れかけた私の体を、ラウリ様が抱きとめてくれたから。
「大丈夫か? 足を挫いたのではないか?」
「大丈夫でっク…」
言われた通り、足を挫いていたらしい。
ズキっと痛みが走った。
ちょっと調子に乗りすぎたかな?
ラウリ様はそんな私をマジマジと見つめているし、恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分。
「では、失礼して。」
「へ? ラウリ様、何をなさっているのです?」
急に、ラウリ様が私を抱き上げた。
「足に怪我を追った時はこうするとスズが教えてくれたな?」
「あ…………」
そういえばそんな事もありましたね。
よく覚えておいでです。
「そうですが、私は、ラウリ様の腕にぶら下がるのも興味がありますよ。」
いや、何言ってるのかしら私は。
余裕ぶって妙な事を言ってしまったわ。
「そうなのか? なら私の腕に座るか?」
そして、貴方も何を言ってるの?
楽しそうだけれど。
と思ったら、お姫様抱っこ状態の私を、自分の二の腕乗せて座らせバランスを整えると「行くぞ」と支えていた左手を離す。
鳥が枝に留まるように、私の体がラウリ様の二の腕に留まる。
「わわわわ、怖い怖いです、無理無理、ラウリ様、下ろしてー!」
ラウリ様の二の腕はガッシリと安定感があるけれど、バランスを取るために私の身体はプルプル震えっぱなしだ。
「そうか。すまん。」
私の場所は、器用に元の位置、お姫様抱っこに戻された。
やっぱり、ラウリ様派ちょっとズレた感性をお持ちだわ。
でも、それがラウリ様。ラウリ様らしいって事…
「あ!」
何だかしっくりくる答えが下りてきて、私は思わず声を出す。
「ラウリ様。私、自分らしさを探したいです。私に良くしてくれた沢山の人を残念な気持ちにしない為にも、自分を誇れる自分で居たい。」
「素敵な考えだな。」
「出来るでしょうか?」
「スズなら出来る。それに、自分が何者なのかは、いつだって他人が教えてくれるものだ。」
「そうなのですか?」
「あぁ。」
ならば、たくさんの人に会いに行こう。
たくさんの場所へ行って。たくさんの事に挑戦していこう。
だけど絶対に、側で支えてくれる人達の存在を忘れない。
私を自由にしてくれた人の事を…。
「ラウリ様。大変です。そろそろ戻らないと、私夕食の準備の途中でした。」
「了解した。では行こう。」
「え、もう大丈夫ですから降ろして下さって良いですよ!!」
「いや、足を怪我しているのだ。これが正しい。」
頑なに譲らないラウリ様の腕の中に揺られながら、私は口を尖らせる。
いつもより少し低い視線で見る風景は、これまた新鮮で美しかった。
「ラウリ様…」
ラウリ様に聞こえない程の小さな声で、私は言葉を風に流す。
思惑通り聞こえてはいないのか、返事は無かった。
「いつか、私が私らしくいられるようになるまで、自分に誇れる自分になるまで…」
側に居てくれますか?
どうか、未来の私の隣にも、ラウリ様の姿がありますように…
今、一番の願い、小さな祈りは、やっぱり今はまだ心にしまい込んでおくことにする。だってそれはまだ、言うべきではない気がしたから。
さぁ、明日は何をしよう。何処へ行こう。
私はきっと、何者にでもなれる。
挑戦を忘れなければ、この、楽しいの宝箱のような世界で。
―――――――完
お読みいただきありがとうございました!
本作はこれにて完結となります。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。
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それではまた、次回作でお会いしましょう。
役目を終えた聖女様 細蟹姫 @sasaganihime
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