第12話

「それではこれより、聖女帰還の儀を執り行う。」


 国王陛下の号令の下、その儀式は始まった。

 お偉い方々の平和宣言、国民へのねぎらいの言葉、美しい踊り子たちの舞い。

 時刻は空に満月が煌めく夜だというのに、聖女の姿を一目見ようと町の広場には沢山の人が押し寄せていた。


「そろそろ時間です。大丈夫ですか? 聖女様。」


 私の登場まではあともう少し。

 広場が見渡せる場所に停まっている馬車の中で、ラウリ様と二人、静かに待機してその時を待つ。


(こうして、ラウリ様が私に畏まるのも今日で最後なんだなぁ…)


 そう考えると、少し残念な気もしてくる。

 聖女の正装この服を着るのも、今日で最後。

 浄化のために町を回る事も、戦場へ同行する事ももうない。


 それが役割だと教えられ、言われるがままにやって来たから、その実績が自分のモノだとは思わないけれど、与えられていた役割モノが無くなるという事が、直前になって少し怖くなってきた。


「聖女様?」

「あ、はい。…大丈夫です。」


 何だか急に緊張してきて、手が震えてきたので、ぐーぱーぐーぱ―して解す。

 心なしか、手先が冷えているような…


「どうした? スズ。」


 向い合せに座っていたラウリ様が私の目線に合わせる為にわざわざ膝を折り、声のトーンを抑えて問いかけてくれた。


「いえ。本当に大丈夫ですよ。」

「なら、どうしてそんな不安そうな顔をしているんだ?」


 不安…そっか、この気持ちは不安なのか。


(確かに不安だな。明日からの生活は…)


 なんて、他人の言葉で自分の気持ちを再認識する。


 出会って来た人々が良い人だと、頭では分かっていても、信じると決めていても、私が聖女では無くなった時、本当に今まで通り接してくれるのか、それとも関係性が変わってしまうのか。

 それは明日になってみなければ分からないし。

 考え出したら色々な事が不安で、押しつぶされてしまいそうだ。


「何者でも無くなった、ただのグズな私が、ちゃんとやって行けるのかなって、急に不安になってしまったんです。大切な儀式の前なのにごめんなさい。」

「そういう事はどんどん吐き出した方が良い。スズは一人で抱え込み過ぎだ。それと今の話だが、スサンナによれば、スズ程の家事スキルと教養があれば市井では引く手数多、十分に生活していく事が可能だそうだぞ。スズは、決して何もできないグズなんかじゃない。努力家で気の利く魅力的な女性だ。」

「ラウリ様………」

「それに、見て見ろ。」


 締めきっていた馬車のカーテンをチラリと捲り、視線が誘導される。

 広場を溢れてまで、人、人・人。

 本当に沢山の人たちがそこに集い、ランプの明かりはずっと遠くまで提灯行列のように灯っていた。


「スズはこの光景を、我々の道具として言われるままにした結果であり、自身の実績などでは無いと謙遜するが、聖女の力は、例え持っていたとしてもそれを戦場で使えなければ意味が無かった。魔法の無い世界からやって来たスズが、魔法を使えるようになったのはスズの努力の結果だし、戦のない場所に生きていた人間が、最前線の戦へ放り込まれる恐ろしさは私も知っている。それらを乗り越えたのは間違いなくスズで、その努力の成果がこの実績だ。私は君に、共に戦った仲間としても敬意をもっている。そう言う奴は多いんだぞ。だからこそ私は思う。聖女がスズだったのではなく、スズだから聖女になれたのではないかと。この光景は、間違いなくスズが起こした奇跡の結果だ。」


 温かい言葉に、頬に涙がツーっと伝った。

 次から次へと、ポロポロの涙が止まらない。

 あぁ、これから出て行かなくちゃいけないのに、これでは顔がぐちゃぐちゃになってしまうじゃないか。


「す、すまん。泣かせるつもりは無かったんだ。えっと、拭くもの、拭くもの…」


 流れた涙を、焦りながらラウリ様がハンカチで拭ってくれる。

 その慣れない様子が逆におかしくて、こんどはプッと吹き出して笑ってしまうと、ラウリさまも照れくさそうにはにかんだ。


「聖女様、コニティオラ公爵様、お願いいたします。」


 少しだけ緩んだ空気を引き締めるように、馬車の外から声がかかる。


「あぁ。分かった。」

「え、あ、はい。」


 どうしよう。泣いてぐちゃぐちゃな顔で儀式になんて出たくない…

 とにかく顔を引っ張ったりこすったりしてみるけれど、ここには肝心の鏡も無いから確認が出来ない。


「大丈夫だ。装いのお蔭で見えているのは口元だけ。いつも通りの美しい聖女様にしか見えない。」

「本当ですか?」

「あぁ。誓って。」


 それならよかった。人々に残る聖女の最後の姿が、泣きじゃくった顔って言うのはちょっと嫌だ。

 でも、そうすると一つ疑問が浮かび上がる。


「では、どうしてラウリ様は私が不安だと、泣いていると分かったんですか?」

「貴女から発せられるサインを、何一つ見逃さないと心に誓ったのですよ。」


(あぁ、やっぱりこの人は、王子様だ……)


 馬車を降り、そう言いながらサッと手を取りエスコートしてくれた姿が、月明かりに照らされていつもの何倍もカッコ良くて、言葉と相まって本当に、物語に出て来る王子様のようだった。


 ラウリ様の腕に手を添え共に歩き出すと、会場に来てくださった国民の皆さんが称賛の声を降らせてくれたので、お礼に目いっぱい手を振って応える。

 広場の中心に描かれた大きな魔法陣の上に立つと、ラウリ様の手が離れていった。

 その瞬間、どうにも名残惜しくなって、その手にもう一度だけそっと触れ「私の結婚相手がラウリ様でよかったです。」と精一杯のお礼を述べる。

 外は凄い熱気と称賛が飛び交い、その声はラウリ様に届いたのかは分からない。

 でも、次の瞬間に、私の唇に何かがふれた。暖かくて、柔らかい…ラウリ様の唇。

 力強い腕で、肩を抱きしめられて、私はラウリ様の腕の中に納まる。

 突然の事に頭が真っ白になってしまった私は、ラウリ様がその拘束を解いてくれるまで何もできず、ただ茫然と立ち尽くして固まっていた。


「わぁー!」っと国民の歓喜の声が沸く一方で、ラウリ様が従える騎士たちは、愛し合う二人が添い遂げられないとでも考えているのか、悲痛な表情を浮かべて拳を握り締めているのが見える。

 言葉は殆ど交わさなかったけれど、共に戦に立った仲間でもある騎士達。

 ラウリ様は、良き仲間に恵まれているのだなと思うと、何だかとても安心する事が出来た。


 やがて、ラウリ様の身体がゆっくりと私から離れていくと、「すまん…」と小さく溢して本来あるべき場所へと帰っていく。


 えっと、この後何をするんだったけ?

 確か、あ、平和と祝福の祝詞だ。


(えーっと…)


 アンナに練習したのに、イレギュラーに少しだけパニックを起こしながら、台本に書いてあった台詞を思い出す。

 今はラウリ様のキスに動揺している場合ではな…い…


 ゴホンっ。

 一つの咳払いと共に。自分の心を落ち着かせ、気を確かに持つ。

 これは神聖な儀式、国の名誉が掛かった大事な催し。私のせいで失敗するわけにはいかない。


「異人である私を温かく迎えて下さった国民の皆様に感謝を申し上げます。そして、この国に、未来永劫の祝福を!!!」


 声を上げ、両手を組み、祈りの姿勢を作り、祝詞を読み上げる。音楽隊の方たちが、祈りの音楽を鳴らすと、同時に魔法陣が光り輝き始め、私を包み込んだ。

 これは、リュリュさんの魔法。本来の使い方は目くらましだとか。

 私の視界も真っ白になって、視覚的に遮断された人たちの声だけが聞こえる。


「聖女様! ありがとー」

「聖女様 お元気で!!」

「聖女様ぁ!!!!」

「好きで―――――すっ!!! 今度は俺と結婚して下さぁぁぁぁぁぁい!」


 うん、なんか変なのも交じってた。でも、良い。

 国民の皆さんにとっての、聖女の役割は、きちんと勤められたと分かったから。


「ありがとう。」


 出発の心づもりが出来たことを知らせるために、私は顔を覆っている布を真上にできるだけ高く投げ飛ばした。それを、追い風がさらに高く高く巻き上げる。

 国民達の視線誘導、そして――――


 称賛の声はプツリと途絶え、グワンっ と、視界が揺れる。


 転移魔法独特の感覚、相変わらず気持ちが悪い。

 

 終わった。私の聖女としての短い人生が。

 

 そして始まる、スズ・エクルースの人生が。

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