第11話

 それからの日々は、忙しいながらも穏やかに過ぎて行った。

 明日はいよいよ、聖女帰還の儀。

 私が聖女からスズ・エクルースになる日だ。


「えー、スズちゃんしばらくお休みなの!?」

「はい。実家の方に帰ろうと思ってまして。」


 フィーユではちょっとフライングして、常連客と私的な会話も交わすようになっているが、対応策として、ラウリ様が『スズ・エクルース完全マニュアル』なる私の出自に関わるモノ全てを説明した書物を用意してくれたので、それに沿っての会話を楽しむ事が出来ている。


「実家かぁ、…ヘルコ村だっけ? 私行ったことないなぁ。どんなところ?」

「自然豊かな所ですよ。…言ってしまうとそれしかないんですけど、でも、良いところです。」

「あはは。私も田舎出身だから分かる気がするわ。何も無いのが嫌で飛び出してきたけれど、時々無性に帰りたくなるのよね。近所のお節介なおばちゃんが、毎日のようにベリーパイ持って来てさ。ベリーパイ、見たくない程大嫌いだったなぁ。」


 物思いにふける彼女の目の前には食べ欠けのベリーパイ。

 同じ思いに浸れない事にちょっとだけ罪悪感を感じつつ、一度行けばそんな思いも無くなるかな? と、どこか明日からの新しい日々に心が浮ついていた。


「そういえば、明日はいよいよ聖女様がお帰りになるわね。」

「そうですね。帰還の儀見に行かれるんですか?」

「勿論よ。私、瘴気で我を忘れて、友人を殴っちゃった事があるのよね。聖女様が来て、すぐに浄化して貰ったらしいんだけど、その時の事、何も覚えてないの。知らないうちに、大切な人を傷つけていたなんて、本当に恐ろしいし、聖女様が来てくれなかったら私は友達と最悪な別れ方してたかもしれないわ。だから、明日は感謝の意を伝えるつもり。声は届かなくても、たくさんたくさん祈るんだ!」

「…きっと、その想い伝わりますよ。」


 今までは、聖女の評価を受けても何も感じなかったのだけれど、何故か込み上げてくるものがあって、ちょっと泣きそうになった。

 そんな風に思ってもらえる事に、ただただ感謝だ。


「スズ。今日は早く上がるんだろう? まだいいのかい?」


 常連さんとの話に夢中になっている所を、女将さんの声で呼び戻された。

 時間を見ると、もう帰らなければいけない時間。


「あ、そうでした。すみません。それじゃ、ごゆっくりどうぞ。」

「うん。スズちゃん、またね!」


 今日は明日の予行練習がある。

 聖女が無事に帰還したことを民衆に知らせる為、そして長き戦いが完全に終わった実感を持たせるために、帰還の儀は町の広場で公開されるそう。

 大々的に描かれた魔法陣に華麗に舞い降り、平和と祝福の祝詞を捧げた後、音と光のファンタジーな演出に囲まれたながら私は、リュリュさんの転送魔法で広場からラウリ様のお屋敷まで転送されるという、ちょっとした脱出マジックめいた事をする予定なのだけれど…転送魔法ってかなり辛い。

 何度かやっているのだけれど、脳が揺れるような感覚がして、気持ち悪くて、眩暈のような吐き気のようなグルグルが襲ってきていつも吐いちゃう。復活には1、2時間を要するし…。

 なので、ラウリ様のお屋敷では、その時間は嘔吐袋を持ってミーリ達が待機してくれる事に。

 なんとも情けない「帰還」である。


(練習…あれをまたやるのか…嫌だなぁ…)


 回数重ねれば慣れるカモ?とやらされているが、多分そんな日は来ない気がする。

 帰り道は少し憂鬱だった。


 ***


 帰宅後、台本片手にリュリュさんと立ち位置などを練習する。

 この帰還の儀は、私とリュリュさんがどれだけ息を合わせられるか要。転移のタイミングがずれればすべて台無しになってしまうから、入念に動きを確認する必要があるのだ。


「うむ。よさそうじゃ。」

「大丈夫でしょうか…」

「大丈夫じゃよ。失敗したとしても、適当にごまかして見せるわい。」


 それなら安心ですね。と笑い合っていると、そこにエーリッキ殿下が現われる。

 ラウリ様も一緒に来るはずだと思ったけれど、姿は見えなかった。


「準備はいかがでしょうか、聖女様。」


 胡散臭い笑顔を張り付けて、紳士的にふるまうエーリッキ殿下は、先日屋敷に来た時とはまるで別人。公では全くの隙の無い貴公子なのだとか。


「何とか最終確認を終えました。」

「うむ。問題はありませぬぞ、エーリッキ殿下。」

「それは良かったです。しかし、申し訳ありません、私共に問題が生じてしまいまして、お二方に折り入って相談がございます。」


 それは、ラウリ様が同行していない事と何か関係があるのかな?

 ちょっとソワソワしてしまう。

 そんな様子を見かねてか、エーリッキ殿下がニコリと笑った。


「聖女様のお察しの通り、ラウリの事ですよ。」

「何があったのですか?」

「ラウリが、明日以降の日々をどうにも楽しみにしておりましてね、喜びが抑えきれていないのです。このままでは、聖女様の帰還を喜ぶ不埒な男が出来上がってしまいましょう。かなり体裁が悪くなります。」

「ふぉっふぉっふぉ。全く、ラウリ殿は幼いのぅ。」

「遅い初恋にしては少々難儀な相手に恋をしましたからね。気持ちのやり場が分からないのでしょう。彼の正直なところは買っていますが、今は少々問題です。おかげで現業務にも支障をきたしている始末。そこでお二人に相談があるのですが………」


 その内容は、いかにもラウリ様が怒りそうなこと。だけれども、今のラウリ様には確実な効果がある物だった。


「聖女様さえよければ、儂らは問題ないの。」

「わ、私も、リュリュさん達が大丈夫なのであれば構いません。ちょっと、ラウリ様が心配ですけれど。」

「聖女様はお優しいですね。大丈夫です。彼の事は私が責任をもって処理いたします。では、突然の変更申し訳ありませんが、そのようにお願いしますね。」


 恐ろしいほどに綺麗な微笑みを浮かべてエーリッキ殿下は去っていく。


「リュリュさん…」

「なんじゃ?」

「人を信じたいとは思いますが、エーリッキ殿下を信用する勇気がありません…」

「ふぉっふぉ。あやつの二面性は激しいからのぅ。アレの真の意図を読み取り受け入れられるのは、メルヴィ嬢くらいなもんじゃ。」

「私の相手、ラウリ様で本当に良かったです…」

「ふぉっふぉっふぉ。」


 リュリュさんが穏やかに笑い長い口髭をさらりと手櫛で解く。そして、ニッっと口角をあげ悪戯な顔をすると立ち上がる。


「では聖女様。今日はこの辺にして、屋敷へお送りいたしましょう。」

「ゔ…、やっぱりやるんですか? このまま和やかに終わらないですか?」

「終わりませぬのぅ。」


 ふぉっふぉおっふぉ。とそれはそれは愉快そうに笑い、リュリュさんは指をパチンと鳴らした。

 私の足元に現れた魔法陣から光が溢れ、私を包み込む。


「それでは聖女様、また明日。」


 リュリュさんのその言葉を聞くと同時に、私の身体はラウリ様の屋敷までたどり着いたのだった。



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