第10話

 今日は久しぶりにフィーユへお仕事にやって来た。

 エーリッキ殿下に外出している事を言ってしまって以降、スズとしての外出は一旦禁止され、駆け込み需要な聖女の仕事に専念していたのだけれど、ラウリ様と女将さんが取り合ってくれたらしく、フィーユでの仕事のみ「ラウリ様の影を付けて可」という事になったそうだ。


 お昼を過ぎて、菓子屋としては丁度これからが書入れ時という時間。

 人気のパイを求めてお店は既に混雑し始めている様だった。


「こんにちは。」

「あ、スズ! 助かった。ちょっとあっちの注文取って来て! その後提供お願いっ」


 追い出されたらどうしよう。なんて緊張しながら店内に入ったとたん、雑に丸められたエプロンと、注文用紙とペンを押し付けられる。

 呆気に取られていると「こんな時間に来たんだから、ゆっくり喋れるとは思ってないわよね?」とエルセから檄が飛んでくる。

 それが何だか嬉しくて、すぐにエプロンを付けてお客様の元へ向かった。


「お待たせしました。えっと、オレンジパイとチーズと黒コショウのスティックパイ、セットの紅茶です。」


 ん? どこかで聞いた組み合わせだな…

 と思った矢先、「あら、あなた。」とお客さんの方から話を振られた。


「この間はありがとう。あなたが勧めてくれたパイが気に入ったみたいで、今日は彼が誘ってくれたの。」


 そうだ。以前不機嫌過ぎてトラブルになりそうだったカップル!

 また来てくれたんだ。嬉しい。


「わぁ。それはとっても嬉しいです。」

「ふふっ。会えてよかった。お礼が言いたかったのよ。あの日、このお店であなたに会えてなかったら私達駄目になっていたかもしれないわ。」

「そんな大げさな。私は試食品を運んだだけですよ。」

「試食提供はあなたのアイデアと聞いたわ。大袈裟なんかじゃないのよ。なんていうか、お互い溜まっていた物があってずっとギクシャクしていたの。私も彼も、このお店を出たら別れ話してやるって意気込んでたくらい。でも、パイ食べたらなんか落ち着いてね、あの後の食事、なんか久しぶりに楽しかったなぁ。ね?」

「………」


 話しを振られて、面倒そうに顔をそむける彼。

 そんな彼でも、彼女に良いと思わせる何かがあるのだろう。

 人の魅力とは不思議だ。


「イストさんのパイは美味しいだけじゃなくて、なんかとっても優しい気持ちになりますもんね。それでは、冷めないうちに召し上がって下さい。ごゆっくりどうぞ。」


 さっきから背中に「いつまで油を売ってるつもり?」と言いたげな視線が背中にザクザク刺さっているので、名残惜しいけれど会話を切り上げ退散する事にした。


「ありがとよ。あの日はカリカリして店の雰囲気壊して悪かった。」


 カップルに背を向けると、今度は背中に小さな声で、温かい言葉がかけられた。


(情けは人の為ならず。やったことが返って来るのって、嬉しいものだなぁ…)


「どのパイもお勧めですし、甘くないパイも他にもありますから、またいらして下さいね。」


 振り向いてそう伝えると、彼は照れくさそうに頷いてくれた。


 ***


 久しぶりな上に激務な仕事が終わり、早くに店じまいした店内で、女将さんが渡したいものがあると筒状の用紙をくれた。


「はいこれ。メイド仕事の推薦状。確かに渡したからね。」

「あ、ありがとうございます。」

「全く、こんな茶番に付き合わなきゃいけないなんて、あんたも大変だわね。」

「いえ、こちらこそ巻き込んでしまってすみません。」

「あたしはいいんだよ。これでも元貴族の端くれ。そういう教育も受けて来た。でも、あんたは違うだろうに。よくやってくれたよ。本当に…」

「母さん、それは禁句でしょ。」

「そうだけどねぇ…」


 重なった食器を持って通ったエルセが、女将さんに釘を刺してから厨房へ消えていく。


 私が聖女であった事は、既にフィーユの三人には伝えられているという。

 それでも、何処で誰が聞いているか分からない手前、私が聖女であるという話題は出してはいけないという決まりは変わらない。だけど、聞いておきたい事があった。


「あの…女将さん。どうして私をお店で働かせてくださったんですか?」

「ん? そりゃだって、あんたが働かせてくれって詰め寄って来たんじゃないかい。無銭飲食は出来ないって。」

「そうですけど、その後も、何も言わずに働かせてくれたじゃないですか。私の事、知っていたんですよね?」

「あぁ、何だい。そういうことかい。」


 ヤレヤレとでも言いたげに長く息を吐き出した女将さんの目が、私の目をじっと見つめ返してくるので、身体がピクリと反応して、背筋が伸びた。


「確かにあんたの事を頼まれた。だけど、それはあんたを雇うと決めた後だったからね。余計なお世話だと追い出してやったさ。」

「そうそう。スズの旦那がスズを頼むって金をアホみたいに積んできたのを、全部突き返して説教して追っ払ってたもんね。」


 厨房の中からひょこっと顔を出したエルセを「余計なこと言うんじゃないよ!」と女将さんが睨むと、エルセの顔がサッとまた厨房へ隠れて見えなくなった。


(ラウリ様、どれだけお金を積んだんだろう…この感じだと、ちょっと常識からずれた領だったんじゃないかな?)


 気になるけれど、それはまぁいい。それより今は、私が雇われた理由だ。


「初めてあんたがこの店に来た時、あたしにはこの店にスズが働くビジョンがピシっと見えたんだ。あたしはその直感に従っただけだよ。あんたがきてくれたら、店が盛り上がるんじゃないかって思ったから雇っただけさ。他意はないよ。」


 ま、信じなくてもいいけどね。

 と、今度は軽く息を吐き、少しニヤついた顔でテーブルの紅茶に口を付ける。


「だからまぁ、婚姻生活お屋敷メイドの仕事が嫌になったらいつでもウチに来な。働き者は大歓迎だよ。部屋なら余ってるしね。」

「公爵様にお金詰まれても追い返せる女将さんが味方なら、最強ですね。」

「そうさね。もしあんたが主人に泣かされることがあったら、説教してあげるからね。」


 頼もしい女将さんの一言。


 あぁ。やっぱりそうだ。私が見て来たものは、私が信じたものは、何も間違ってなかった。

 私はちゃんと、信じたい物を信じていこう。


「女将さん。イストさん。私を雇ってくれてありがとうございます。良かったらこれからも、ここで働かせてください。エルセもね、しばらく引っ越しの心配がなくなったから、今度リボンのお店、教えてね。」

「勿論さ。ビシバシ働いておくれ。」

「勿論。この間また新作が出ててすっごい可愛かったわよ。」

「ん。」


 三者三様の、肯定的な返事がくすぐったくて温かい。

 受け入れてもらえている事が、この上なく嬉しい。

 私にとってこのお店は、いつの間にか大切な居場所の一つになっていた。

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