第9話

「時間が無いから本題に入らせてもらうね。聖女様帰還の儀の日程が次の満月、2週間後に決まったよ。」

「それは急な話ですね。」

「あぁ。微妙なバランスで中立を保っているキヴィ国が聖女様に興味を持ったらしくてね。火種が燃え広がらないうちに聖女様にはご帰還願おうと話がまとまった。幸い、瘴気の影響もほとんど消え失せたから、後は我々でどうにかできる。それでだ。」


 ここからが重要な話だなんだけど。と、エーリッキ殿下は身をかがめて、用紙を一枚渡してきた。


「スズちゃんには出自を用意したんだ。悪いね。まだ立てこもり中だと思ってたからさ、何が何でも話を付けないと儀式に間に合わないと思って突撃させてもらっちゃった。」

「はぁ…」


 それは嘘。

 だって、さっきミーリから話を聞いたもの。

 彼女の話では、エーリッキ殿下は「そろそろあいつら仲直りしたっしょ? 迷惑被った分、からかいに行くかな~」って言ってたらしい。

 つまり、確信犯。しかも王太子の権限を振りかざして下らない事をするから…断りようがない。何て腹黒い…


 手渡された用紙の表題は出自設定資料。

 内容は、氏名:スズ・エクルース。

 2年前森で倒れているところをエクルース伯爵夫妻に保護され、養女となる。

 発見時に魔物の襲撃と思われる傷を受けており、そのせいか過去の記憶が欠損している。

 1年強エクルース家の別荘にて療養を行ったが回復せず、日常生活に支障はない事から現在はコニティオラ公爵家のメイドとして働いている。


 と書かれていた。


 エクルース伯爵って誰だろう?


「あの、私エクルース伯爵という方に、会ったことが無いのですが…?」

「いや、あるぞスズ。エクルース伯爵とはリュリュの事だ。最初に名乗っていたのを覚えていないか?」

「すみません。」


 確かにこの国へ来た当初、挨拶にと沢山の人が代わる代わる挨拶をしてくれたけれど、興味も無ければ皆長い名前だったからそんなの全く覚えていない。

 正直、ラウリ様の家名もちょっと曖昧で言えないくらいだ。


「そんな事より、何故スズが我が家のメイドなんだ?」


 あ、そういえば。

 職業はメイドになっている。


「あぁ。聖女様が帰還したのに、悲観する事も無くスズちゃんを連れ歩いてみろよ。スズちゃんが聖女様だって言っているようなもんじゃんか。聖女が帰還しないというのは脅威が去っていない事と同義だし、露見すればスズちゃんの危険にもつながるだろ。だから、この屋敷にスズちゃんが住み続けるなら、一先ずひとまず別の理由が必要なんだよ。」

「ぐっ…」 

「婚姻自体は陛下も認めてらっしゃる。頃合いを見計らって、ラウリがメイドを見初みそめたとでも噂でも流せば、再婚はスムーズだ。」

「折角スズが、もうしばらく私の妻で居ても良いと言ってくれたのに、結局別れるのか!?」

「はいはい。あと二週間は妻やって貰って。」

「ぐぅ…二週間………」


 ラウリ様が撃沈してしまった。

 少し、話題を変えたほうがよさそうね。


「あの私。今、町にあるフィーユってお店で働いているんですけど…それはどうなりますか?」

「ん? 聖女様に働く許してないんだけど…もしかしてスズちゃん、町に出てるの? 聖女様だって感づかれてないよね?」

「多分、大丈夫だと思いますけど…」


 あららラウリ様、勝手に許可してたのね。

 エーリッキ殿下がラウリ様を睨んでいる。だけど、ラウリ様はそんなの気にせずにまだ撃沈してるけれど。


「おいラウリ。フィーユってお前の親戚のパイ屋だな? 事情、何処まで知ってる?」

「あぁ? 偶然にもスズが気に入った店があの店だったからな。挨拶だけはしてある。」

「たく、勝手な事を。お前、恋情が混ざるとまともな判断できなくなるタイプだったんだな。んー、じゃ、フィーユで働き始めて、女将からの紹介でこの家のメイドになった事にするか。後で話を付けておく。ちょっとスズちゃん、その紙かして。」


 私の出自設定資料に、『町へ出て来て、フィーユで働く。フィーユの女将からコニティオラ公爵家でメイドを募集している話を聞き、メイドとなる。』という文字が書き足された。


「屋敷のメイドは設定だから実務をする必要は無いからね。生活を変える必要もないよ。フィーユで働きたいなら、メイド業兼任ということにしたら良い。ただ、屋敷に誰かが来た時にはメイドとして過ごして、君が聖女様であったと気づかれないで欲しいんだ。いいかな?」

「分かりました。」

「ラウリ、二人での外出も駄目だからな。」

「それではスズと出掛けられないではないか……」


ラウリ様はしゃがみ込んで完全にいじけてしまった。


「あのなぁ、時と場合を考えずに惚けたおかげで、お前が聖女様に惚れこんでるのは周知の事実なんだ。少しは最愛の妻と別れて傷心中の夫になってくれないとつじつまが合わないだろう。聞いてくれる? スズちゃん。こいつな、スズちゃんの為に腹筋を48に割るとかいってんだよ?」

「48!?」

「そ、気持ち悪いでしょ?」


 呆れた様子で手をひらひらさせるエーリッキ殿下と何だか恥ずかしそうに頬を赤らめているラウリ様。腹筋を48に割るってどんなだろう、想像がつかないや。そもそも筋肉フェチとかじゃないしなぁ。


「えっと…そんなに割れる物なのですか?」

「スズの為なら割って見せる。」

「でもラウリ様、私は別に、割れた腹筋を望んでいないのです。」

「そ、そうなのか?」

「すみません。私の為に考えて下さったのに。」


 少し復活したと思ったら、あからさまにシュンとしたラウリ様に、慌てて頭を下げる。

 ラウリ様、大丈夫かしら?


「いや。私には武芸しかないからな。何が来ても揺るがない、強靭で漢らしい肉体を手に入れたかったのだ。」

「そうだったのですね。それなら、ラウリ様は既に漢らしいと思いますよ。先日も腕を貸していただいたじゃないですか。とても安心感がありました。」

「そうか!? ならばいつでも使っていい! スズをぶら下げて歩くぐらい造作もないからな!」

「わぁ、嬉しいです。」


 小さい頃、お父さんの腕でぶら下がっている子どもを見かけたけれど、私には適わないその光景が羨ましかった。だから、ちょっと嬉しい。


 だけど、聞いていたエーリッキ殿下は「ぶふっ」っと吹き出してお腹を抱えるように笑った。


「ラウリ、令嬢は腕にぶら下がって遊んだりしないよ。その自慢の腕でお前がやるべきは、スズちゃんを抱きあげる事さ。」

「エーリッキ殿下!?」


 駄目なの!?

 と、思ってる間に足が地面から離れた。

 私の身体はがっしりとラウリ様の腕に支えられ、お姫様抱っこ状態になっている。


「こうか?」

「そうそう。」

「ラウリ様。降ろしてください。それは多分今じゃないです!」

「では、いつなのだ? 私は四六時中これでもいい。」

「えっと、そういうのは多分、足を怪我した時や体調がすぐれない時にするのが良いのだと思います。それに、四六時中していたら、私がトレーニング器具化してしまいます。」

「それは困るな。スズは軽すぎてトレーニングにならない。」


 ラウリ様。こんなキャラだったっけ?

 これじゃただの脳筋…


(そういえば、陰で脳筋公爵って呼ばれていると聞いたことがあったっけ……)


 気持ちがスンとなって冷静になる。

 これではエーリッキ殿下の玩具じゃないか。

 ラウリ様には丁重に頼み込んで地面に降ろしてもらった。


「ははは。君たち、思ったより仲が良かったんだな。スズちゃんも、良い性格してる。」

「すみませんエーリッキ殿下。ふざけるのはここまでにして、お話の途中でしたね。それに、お急ぎだったのでは?」

「あぁそうだったね…というわけでだな。」


 ゴホン。と一つ咳払いをしてから、今度は丸まった用紙をラウリ様にポンと投げつけた。


「二週間後、聖女帰還の儀を執り行った後、お前にはひと月の休暇を与える。エクルース伯爵領のヘルコ村は、大自然の中にある長閑でいいところだぞ。初恋の傷も癒えるだろう。お前の所のメイドに、ヘルコ村出身の娘が居ただろ、案内して貰ったらどうだ?」


 えっとつまり、聖女が帰還の儀式が終わったら、私と一緒にヘルコ村へ行けって事ね。

 ラウリ様も言葉の意味を理解したのか、顔のパーツ全てが見開き、何故か…素振りをし始めた。


「あの、何故素振りを?」

「こいつ、気持ちが高ぶり過ぎた時は平静さを取り戻すために素振りするんだよ。危ないから離れてよう。ってかスズちゃん、こんな奴を相手にしてごめんね。逃げたかったらいつでも手助けするから。」

「いえ。今日はラウリ様の新しい側面を知れてとても楽しいです。」

「スズちゃん良い子。…あんな奴だけど、これからも頼むよ。」

「はい。」


そんな話をしながら、ラウリ様が飽きるまで続けた素振りを、エーリッキ殿下と共に見守ったのだった。

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