第8話
食堂の扉を開けると、既に中で待っていたラウリ様がガバッと立ち上がり、私の方へと向かって来た。
「スズ! 体調はもういいのか?」
「はいラウリ様、ご迷惑とご心配おかけいたしました。」
「医者の話だと、随分前から体調はすぐれなかったはずだと…気づかなくてすまなかった。」
「いえ。私こそ、いつもラウリ様が気にかけて下さるからと、自身の体調の変化に全く気づけていませんでした。先日は失礼な態度をとってしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
「スズ…」
何だか泣きそうな顔をするラウリ様の伸ばした手が私の頬に触れる。
存在を確かめる様に、サワサワと触られる感覚は不思議と嫌では無かった。
「もう二度と、スズの顔を見られないかと思った。」
優しく、優しく撫でられる頬。
大げさだなぁと思うけど、何だろう…施設でやんちゃして怒られた後に、先生が「怪我が無くて良かった」と抱きしめ頭を撫でてくれたことを思い出した。
「あの、ラウリ様。お食事の前に少しだけ、お時間をもらってもいいですか?」
「あぁ。勿論。」
それは、食事中にするには少々荷が重く、だけど今言ってしまわないとまた、疑心で飲み込んでしまいそうなお話。
理解されないと卑屈にならず、違いないと相手を決めてかからずにちゃんと話そうと思う。
「その、実は私、前の世界で結婚していたんです。」
「は!? …あ、いや、すまない。その…そうだな。我が国だって、婚姻は8歳から結べる。その可能性をすっかり失念していただけだ。その、それなのに、見知らぬ国で望まぬ結婚をさせられ、さぞかし不快だったことだろう。離婚を考えたとして無理もないな。」
言い方は穏やかだけれど、ラウリ様の頭にペタンコになった犬の耳が見える。
こんなに心情がわかりやすい人だったっけ?
「いえ。以前も話しましたが、前の世界に未練はありません。あの場での生活は、私の望んだものでは無かったので…」
結婚に至るまでは優しかった男が、結婚したとたんに悪魔に変わった。
それからの日々を、苦悩を、初めて誰かに話す。
ラウリ様は何を思っているのか、少しだけ苦い表情を浮かべながら真剣になって聞いてくれた。
「だから先日、ラウリ様が離婚などしないとお怒りになった時、「お前が死ぬまでこき使ってやる」と笑っていた人たちの事を思い出してしまって、取り乱してしまったんです。またあんな日々が続くのだと、逃げることなど許されないのだと…。ラウリ様から、非道な仕打ちなんて受けたことないのに、勝手な被害妄想で引きこもってしまって本当にごめんなさい。」
「辛い話をさせてしまってすまない。話してくれてありがとうスズ。ここには、君を苦しめたいと思っている人間は誰一人いない。安心して欲しい。それと、私からも少し良いか?」
「はい。」
「まず、スズの婚姻についてだが、君は本来エーリッキに嫁ぐ予定だった。婚約者であるメルヴィ嬢は、聖女帰還の儀以後にエーリッキと再婚、又は戦が長引く場合には、メルヴィ嬢を側妃として迎え、聖女の補佐という立場で王太子妃の仕事を請け負ってもらうという話しも出ていた。納得はしないでもエーリッキもメルヴィ嬢も立場上了承はしていたんだ。」
「では何故ラウリ様が?」
「私がスズに惚れたからだ。」
大真面目に言った後、赤面した顔を隠すように、ぷいっと顔を背けるラウリ様。
(召喚されてから結婚に至るまでの間、殆ど事務的な関わりしかなかったのに…惚れた? あれ? 惚れるって何だっけ?)
あまりにも唐突な言葉にゲシュタルト崩壊が起きる。
だってそんな事、信じられる理由がない。
「実は自分でも気づかなくてな、エーリッキが気づいて取り計らってくれたんだ。君との婚姻は、王命として受けたが、私は内心とても舞い上がっていたように思う。初めはスズのその美しさに惹かれた。いうなれば一目ぼれだった。だが、共に過ごすうちに努力家でひたむきな姿に惹かれ、気遣いと優しい心に惹かれ、育ちの良さそうな所作に惹かれ―――」
「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、誰のお話でしたっけ?」
「スズだが?」
「私、そんな善良な人じゃありませんし、育ちも良くないですっ」
「そういう、焦った時に見せる姿もまた、愛らしいと思う。」
「ひゃぅ!」
そんな風に言われたことが無いので、反応に困って変な声が出た。
「信じてもらえないかもしれないが、私はスズを好いているんだ。」
「あ…の…」
ラウリ様の赤い目が、若干の湿っぽさをもって、まるで宝物でも愛でるかのように私を見つめて来る。
どうしよう、瞳をそらせない。なんだか吸い込まれてしまいそうだ。
「スズにとって、この結婚が望まぬものであったのは理解している。「我が国に尽力してくれた聖女様の決定には可能な限り従い、粗相のないように」と国からもクギを刺されている故、スズが本気で離婚を望むのならば私は応じなければならない。だが…スズは私の事が心底嫌いだろうか? 今すぐにでもこの屋敷を出て行きたいほど、ここは居心地が悪いか?」
「そんな訳ありません。ラウリ様にもお屋敷の皆さんにも感謝こそすれど、負の感情などありません。とても安心して休める場所です。」
「だったら、聖女という役目を終えて、これから歩むスズの人生を、聖女を護る騎士としてではなく、スズに惚れた一人の男として支えさせて欲しい。勿論、スズの事を拘束したりはしないと約束しよう。公爵夫人の仕事だってやらなくていい。スズのやりたい事を応援する。その中で私の事を少しだけでも知ってくれ。それでもし、もしも私では駄目だったのならその時は………潔く離婚に応じよう。だから頼む。今一度私にチャンスをくれ。」
(あぁ、本当に私の事を、大切に思って下さっているんだ…)
ヒシヒシと伝わって来る必死さが、なんだかちょっと嬉しくもあった。
「…私がこの屋敷を出ようとしていたのは、ラウリ様が離婚を望んでいると思っていたからです。」
「誓って言うが、そんな事は、考えたことすらない。」
「はい。私が勝手に決めていただけだったみと分かりました。ですから、ラウリ様、もう少し御厄介になってもいいでしょうか?」
「それはつまり…」
「まだ、同じ温度でラウリ様を見る事は出来ないと思います。それでも、甘えていいのであれば、ご迷惑でないのでしたらもう少し、ラウリ様の妻で居させていただきたいです。」
「あぁ。勿論だ。むしろ私の為に甘えてくれ。」
「ありがとう、スズ」と、ラウリ様が私を抱きしめた。
温かい。
左右にぶら下がったままの私の両手が、何だか居場所を求めてソワソワしている気がする。
抱きしめ返してもいいだろうか…?
ぎゅっ。と控えめにラウリ様の背中に両手を添える。ピクリと反応したラウリ様は、更に力強く私の身体を抱きしめ、私の肩に顎を絡めた。
「スズ。好きだ。」
耳のすぐ近くで、吐息と共に吐き出された言葉に、心臓が高鳴る。
(えと、こういう時はどんな反応が正解? 無言…は失礼か。えっと、ありがとう? 変だよね。!? 私も…いや、ナイナイ。え、あ、わー)
もう、頭の中がパニックだった。
そしてその時…
バンッ
と勢いよく、食堂の扉が開いた。
扉の向こうにはエーリッキ殿下と怒った顔のサロモンさん、そして苦虫をかみつぶしたような顔をしたミーリの姿。
「おっと、これは失礼。なんだ。仲が良さそうじゃないか。スズちゃんの立てこもりは無事終わったんだね。」
「エーリッキ!?」
「急な訪問ですまないね。取り急ぎ話したい事が出来たんだ。聖女様にね。」
エーリッキ殿下の、なんとも言えない含み笑いは和やかだったその場の空気を簡単に飲み込み、異質な空気をまとっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます