ダブルクロス二次創作

明地

放課後の殺戮 ①

「はあ……」


 排水溝を前にして少年がため息を吐いている。

 昨日の雨でぬかるみ、排水交じりの薄汚い泥が見える。

 この中から家の鍵を見つけなくてはならない。


「中島のやつ、ふざけやがって……」


 少し前のことだ。

 少年、三谷 脩みたに しゅうは中島らにいじめられていた。

 殴る蹴る、教科書や文房具を壊される、水やら何やらをかけられるのは当たり前。

 今日はランドセルを奪われ逆さにぶちまけられた。いつものことだが。

 教科書やら筆箱やらが散乱する中でひときわ目立つ鍵を、中島は排水溝にわざとらしく投げ捨てて嘲笑と共に去っていった。

 そして脩はどぶ攫いする羽目になった。


「…………」


 地面に散らばる教科書も、嫌がらせで汚されて使用に堪えない。

 その中から最も使えなさそうな道徳の教科書を拾いあげて、嘆息。


「はぁ……」


 その側溝の蓋は案外簡単に持ち上がった。

 脩は踏み込むと、薄く曲げた教科書をザル代わりに泥を掬う。


「…………やるか」


 無心だった。

 今の自分を客観視するとあまりにも惨めに見えるので、脩は無心であろうとした。

 そのように心を凍らせる術を、十歳にして身に着けていた。


 夏の日暮れ、気温は幾分か涼しくなったとはいえ、日差しは依然として首筋を焼いてくる。

 脩はすっかり汗だくで疲れていた。

 攫っても攫っても鍵は出てこなかった。流されて別の蓋の下に行ったのだろうか。

 しかし、小学生の力で持ち上げられたのは初めの蓋だけだった。他の蓋まではあまりに重く、数センチずらすのがやっとだった。

 溝に這い蹲って手を伸ばせば他の泥を調べることができそうだが、そうすると服が汚れて母が悲しむ。ヒステリックな怒号とわざとらしい涙が容易に想像できた。


「……ああ、もう」


 そもそも、中島は本当にここに鍵を捨てたのだろうか?

 その素振りだけして持って帰ったのではないだろうか?

 そうして明日、僕の机の中に鍵を隠して――先生に言いつけた後くらいに発見して、僕が忘れただけってことにするつもりじゃないのだろうか?


 何度もやられてきた手口が脳裏をよぎる。

 だが、今から鍵を返せと詰め寄ろうにも――また甚振いたぶられるだけだ。


 両親は遅くまで帰ってこない。

 家から閉め出されたその間、どこで過ごせばいいのだろう。

 家の前にいたらまた面倒なことになるし、公園とかにいて中島に見つかったら。


 閉ざしていた心にじわじわと絶望が入り込んでくる。

 どうすればいいのか、考えても考えても堂々巡りする。

 そんな自分の情けなさに負けて、涙がこぼれそうになった時――。


「どおしたの、君」


 声をかけてきたのは、水色の髪の女性だった。


 *


「ありがとね、防犯ブザー鳴らさなくて」


「いえ……助けてくれましたし」


 時刻は18時、脩はとある喫茶店のカウンターに座っていた。

 そこで出されたクリームソーダを前にして飲んでもいいのかどうか逡巡している。

 カウンター越しには、先の水色の髪の女性。


 不思議な邂逅からあったことをかいつまんで説明すると、女性はその華奢な身からは想像できない力でそこら一帯の側溝の蓋を持ちあげた。

 そして脩は家の鍵を発見することができた。

 その後、喫茶店を営むという女性の誘いに応じてここにやってきた。


「(我ながら不用心だなあ)」


「自己紹介してなかったよね?」


「あ、はい」


「私は君島 霧子きみしま きりこ。よろしく~」


「三谷脩、です……どうも」


 柔和にほほ笑む霧子、対する脩はおどおどした様子。

 目の前のクリームソーダには手を付けていない。溶けたアイスがグラスに垂れているのにも気付かず、居心地悪そうに俯いている。


「炭酸ダメだった?」


「あっいえ」


「ひょっとしてお金がないからとか考えてる?」


「……はい」


 申し訳なさそうな脩に、霧子は笑いかける。


「いいよいいよ、どうせ500円なんだし」


「でも」


「じゃあ、また遊びに来た時にでも改めて注文して。お子様割りで半額ってことにしとくから。それなら2杯500円で大丈夫でしょ」


「……いいんですか?」


「私が経営者だし。また来るって約束してくれるかな?」


 穏やかな笑みを浮かべる霧子。

 それを見て、言葉の意味はいまいちわからずとも、どこかささくれ立っていた脩も安心する。


「約束、します。……いただきます」


 ようやく手を付けた脩を見て、霧子は満足げな表情を浮かべた。


 店内には二人以外の姿はない。

 霧子の趣味で薄暗く保たれたその空間は、これまた彼女の趣味で音楽もかかっておらず、遠い街の喧騒と時計が時を刻む音だけが聞こえている。

 そんな静謐な空間の中で、初対面の女性にクリームソーダをご馳走されている。

 奇妙な状況だった。

 けれど、不思議と脩は落ち着いていた。なぜか、この君島霧子という女性を昔から知っているような――安堵を覚えてさえいた。


「ごちそうさまでした」


「ん」


霧子が手早く空のグラスを下げる。

それを見て脩も、そろそろ帰った方がいいと思った。


「あの……お金はちゃんと返しますから」


「返すじゃなくて。また食べに来る、でしょ?」


「あ……はい」


「いつでもおいで。急がなくてもいいからさ」


「……ありがとうございます」


手を振る霧子を背後に、脩は喫茶店を出た。



時刻は19時を過ぎたころ。

脩はようやく自宅に着いた。日暮れは遅いとはいえ、すっかり薄暗くなっている。


先程までの時間を反芻する。なんだったんだ、あれは?

鍵を隠されて困っていたところを不思議な女性が助けてくれて、そこでクリームソーダをご馳走になった。いつでも来ていいと言ってくれた……。

一連の出来事が妙に現実味を欠いていた。まるで夢だったかのように。

そこに本当に自分がいたのか、はっきりと言い切ることができない。


「……でも」


ポケットの中には鍵があった。

それを探そうとして泥まみれになった服も、ランドセルの中の汚れた教科書も、ちゃんとある。

あの時感じた絶望感も、

クリームソーダの味も、

君島霧子の笑顔も、ちゃんと覚えている。


だったら、奇跡みたいな今日は現実なんだ。



「ワーディングの中でもちゃんと意識を保ってたでしょ? 見込みありね」


「そうですかい。にしても、まさか小学生が候補とは」


「あら。あなたより若くてずっと強いオーヴァードなんてたくさんいるわよ」


「そいつらにも経験では勝ると思ってるんですがね」


「そうね。そこは否定しないわ」


「……で、いつから始めるんです?」


「そうねぇ……ちゃんと”約束”を守ってくれたら、その帰り道にでも」

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