第3話

―—夕陽が空を色濃く染め始めた。

海水浴に来ていた子供たちがしぶしぶ親に手を引かれ、浜を去っていく。

子供たちが作った砂のお城と僕たち二人の影だけが、夏の余韻としてそこに残っていた。

「優しいおじいちゃんとおばあちゃんだった」

美咲は背中の後ろで手を組みながら、浜辺に落ちている貝殻を一つ一つ確かめるようにゆっくりと歩く。

「じいちゃんは昔は厳しかったんだけどな」

「そうなの?あんまり想像できないなぁ」

「ずいぶんまるくなったからな」

僕は美咲の背中を見ながら、後ろをついて行く。

美咲がふいに「おっ」と声を出し、足元にあった貝殻を拾い上げるが、すぐにそれをポイっと捨てた。

「なんで?きれいな貝殻だったじゃん」

「端が少し欠けてたの」

「あはは、その完璧主義な感じ、美咲らしいな」

僕は少し揶揄ってやるつもりで言ったのだが、美咲は僕の意に反して得意げな顔を見せてきた。期待を裏切られたことと、期待を裏切ったその顔があまりに可愛く、負かされた気持ちになる。僕は仕返しに美咲の体を抱き寄せ、キスをした。



結局、あのおじさんは何者だったのだろうか。

おじさんと出会ったのは、あの夏の一度きりだ。

翌年も翌翌年も、あの堤防の場所に行ったのだが、おじさんの姿はなかった。


西から、夕焼けを覆い隠すかのような雨雲が迫ってきていた。

「......美咲、少し歩かないか?行きたい場所があるんだ」

「うん?」

僕は美咲を連れて、当時僕が歩いた道を辿る。

馬鹿馬鹿しいと思った。普通に考えれば、あのおじさんはただの変な人だ。それに、二十年経った今、あの場所にいるわけがない。こんなことに美咲を付き合わせるなんて申し訳なさを感じる。でも、なんだか確認せずにはいられない。そんな胸のざわめきが僕を歩かせていた。

「どこに向かってるの?」

そう言って、美咲が僕の手を握る。人気のない方へ向かっているのが不安になったのかと思ったが、子供のようにワクワクした顔を見ると、どうやらそうではないらしい。

「......あの貝殻を拾った場所だ」

僕がそう言うと、美咲はさらに目を輝かせた。


しばらく歩くと、記憶と合致した風景が現れた。

確か、あのあたりの堤防の上におじさんが立っていたはず......。

遠目ではあるが、そこに人影は見えない。

半分惰性のような感覚で、一応おじさんと出会った地点まで歩いた。

やはり、おじさんの姿はなかった。

当然だと思いながらも、小さなため息をつく。

「どうしたの?」

何もない堤防沿いの道で足を止めた僕を、不思議そうに美咲が見つめる。

「ごめん、やっぱり帰ろう—―」

そう言いかけたとき、何かを見つけた美咲が「あっ!」と言って堤防側に駆け寄る。

視線を移した僕は息をのんだ。

堤防の上には、見覚えのある青色の貝殻が一つ置いてあった。

「わあ、すごい」

美咲はそれを丁寧につまんで、手のひらに乗せる。

僕がおじさんから貰った貝殻と全く一緒だった。

「おじさん......」

ぽつりとつぶやくと、誰かが僕の頭の上にポンっと手を置いたような、そんな重みを感じた。

慌てて頭の上を触って重みの正体を探るが、もう重みは消えていた。

「えっ!?」と美咲が驚いたような声を上げる。

見ると、美咲の手の上にある貝殻が、端から微細な粉となってサラサラと風に溶けるように消えていた。

「えっ、えっ、どういうこと!?」

美咲は戸惑いと興奮が混じった表情で僕を見る。

僕も訳が分からず、ぽかんと口をあけながら貝殻が消えていく様子を眺めるしかなかった。


ドザーーー!!!

貝殻が完全に消えた瞬間、勢いよく雨が降り出した。

まるで雨雲がそのまま落ちてきたかのような雨に、僕らは一瞬で水浸しになる。

「うわー!これやばいよ!」

「すぐ帰ろう!」

僕らは逃げ帰るように来た道を走る。

後ろで、おじさんがさも楽し気に笑う声が聞こえた気がした。



「さっきの何だったんだろー!?」

走りながら、美咲は雨音に負けない声で叫ぶ。

「わかんねー!」

僕も同じくらいの声量で叫ぶ。

あはははっと美咲が大笑いするので、僕もつられて大きく笑った。

笑うたびに口の中に雨粒が入り込む。

夏の面影なんかこれっぽっちもない、味のしない雨だった。

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海岸おじさん うもー @suumo-umo

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