第6話 影が薄い客
佐久間の会社にも、影の薄い人は結構いる。
「ひょっとすると、俺も同じで、まわりから、影が薄いと言われているのかも知れない」
と感じた。
会社にいて、主任くらいの頃は、上司を見て、
「あの人は影が薄くなってきたから、他の部署に異動するんじゃないか?」
と思うと、結構当たっていたりする。
影の薄さに、さらに、その人は、異動を貰った時、ショックらしいショックがないのを見ると、
「この人、左遷なんだな」
と感じた。
というのは、左遷されることを影の薄さが感じているのだろう。会社が、そう感じたから左遷することになったのか、左遷されることが分かり、自分ではどうすることもできないと悟ったことで、本人が、もうどうでもいいと思ったのか、影の薄さが、結構分かりやすく見えるものだった。
これは、ひょっとすると、飽きっぽい性格が功を奏しているのかも知れない。
飽きっぽいということは、最初に相手にのめりこむくらいに気にしてしまうので、一度手に入れてしまったりすると、満足感が、次第に飽きに繋がるのではないだろうか?
「昔は、こんなに飽きっぽいなどと思ったことはなかったはずなのに」
と思った。
どちらかというと、子供の頃の方が、執着心が強く、食事でも、好きなものなら、
「半年同じメニューでもいいくらいだ」
といっていたのがmちょうど中学時代くらいではなかっただろうか?
ただ、その頃、完全に嫌だったものがあった。
それは、朝飯だったのだ。
家では、毎日、判で押したように、ごはんとみそ汁。
「どんなに好きでも、毎日、同じメニューを食えるものだ」
と思ったものだった。
特に朝目が覚めてからというものは、胃がまだ眠った状態で、コメのべたべたが、あまりいいものではない、
しかも、昔と違って、水が非常に最悪の状態なので、正直、
「ペットボトルの水でもないと、まともに呑めない」
と思っていた頃だった。
最近は、慣れてきたので、それほど気にならなくなっていたが、下手な食堂で食べた時など、
「よくこんなものを客に出せるな」
と思うほど、
「水が臭いんだ」
とご飯を一口口に入れて分かるというのも、考えてみればすごいことであった。
だから、本当は、朝ご飯を食べたくないのに、親は、
「ちゃんと食べなさい」
という。
完全に強引に食わせるというやり方がどれほど子供をストレスに追い込むということいなるのか、分かっているのだろうか。
親の世代だったら、さらに自分の親から、
「戦時中は、コメの飯が食えるなんてことはなかったんだから、残さずに食べなさい」
という、いかにも時代錯誤な説教をされて、従うしかなかったのだろう。
ただ、親が自分たちに対して、
「ごはんを食べなさい」
という言葉に説得力はないはずだった。
実際に、朝食を摂らない人も多かったし、
「毎日食べると飽きる」
ということも分かっていたので、食べさせられることのストレスも言われていたはずだ。
それなのに、無理に食わせるというのは、時代錯誤もいいところで、理由も分からず食わされる方としては、溜まったものではなかった。だから、佐久間は、ここ数十年、家で朝食を食べたことはない。出張などでビジネスホテルなどに泊まって食べる分には、
「朝食ってこんなにおいしかったんだ」
と感じ、何が違うのかを、考えさせられるというものだった。
その時感じたのは、
「親が作る料理の方が独特だったんだ」
という思いだった。
正直、コメに対して水の量が多いことで、べちゃべちゃしていた。だから、余計に朝起きて食べるのが、気持ち悪かったのだ。
「よく、こんなもの、何年も我慢して食えたものだな」
と感じたほどで、逆にそう感じたことで腹が立ってきた。
というのも、
「おいしいものを食べて、そのうちに飽きてきたのであればいいのだが、好きでもないものを食わされて、そのせいで、飽きというものに敏感になってきたのか、次第に食事をすること自体が、苦痛になる時期があったくらいだ」
ということを思い出したからだ。
その時は、どうして食事が嫌なのか分からなかった。
「そこまで、ものぐさなのか?」
と真剣に思ってほどだったが、おいしいものを、おいしいと思って食べられないということの不幸を分かっていなかったのだ。
しかも、それを与えたのが、自分の親であり、当然悪いと思っていないだけに、余計に腹が立つ。たぶん、
「親として当然」
などということを考えていたのだろう。
もしそうだと考えると、怒りのこみあげ方は尋常ではないのだ。
「親の義務を押し付けられたりなんかすれば、子供はたまったものではない」
と思うのだ。
「親だから、何でもありだと思ったら大間違いだ」
と言いたかった。
そんなつもりがない。そして悪気がないといえば、何でも許されるというのか、そんなバカなことはないだろう。
そういう意味で、佐久間には親に対しての怒りというトラウマがある。ただ、嫌いなところばかりではない。名前を佐久間頼政と、戦国武将にあやかってつけられたのは、自分も歴史が好きなので、それはいいことだと思っている。
つまり、おしつけでなければそれでいいのだ。好きなことであれば、押しつけであっても気にはならないので、一概には言えないが、おかげで、父親と合うところ合わないところがハッキリと分かったような気がするくらいだ。
そんなことを考えていると、バー「クロノス」で、竹中老人が話をしていた、
「影が薄い男性」
を、どこかで見たことがあるように思えてきたのだった。
「どこでだったんだろう?」
と思うのだが、影が薄いからなのか、それとも、元々印象が深くなかった人だったからなのか、思い出すことができない。
顔を思い出そうとすると、まるで、逆光で薄暗い顔だけが目立っていて、どんな表情なのか分からないところが怖いと思うような気がするのだ。
ただ、少しずつ考えていれば、その男のことが、段階を踏むようにすれば、徐々に思い出せてくるような気がしてきたのだ。
「あの人は、うちの会社にいた人だったかな?」
と思うと、今度は、
「そう、自分よりも年上だと思ったんだ」
としばらくすると感じた。
「影の薄さをあの時に感じていたんだっけ? 感じていたから、今思い出しているんだよな? 何しろ、顔が思い出せないんだからな」
と、少しずつ、そして、理論的に思い出せるようになると、ここまで思い出すまでには、そこまで時間が掛からなかった。
しかし、完全に思い出せたわけではないので、今度はまた、ベールに包まれていた。
「この人は一体、自分にとって、どんな人だったのだろう?」
と思うと、そこで、少し考えるのをやめた。
最初は考えることをやめるのが嫌だった。
「ここで考えることをやめてしまうと、もう思い出すことはないような気がする」
と思ったからだった。
そう思うと、思い出せないということが怖く感じられ、ここで、中断することを、躊躇してしまったのだ。
だが、このまま考えていると、モヤモヤしたものが頭を離れず、集中することができなくなってしまうように感じられたのだ。
これから、いろいろ思い出していく時、このことが引っかかってトラウマになってしまうと、まるで、強引に朝飯を食わされて、飽きが常習的になってしまう身体が出来上がってしまったことで、親を恨んでいることをまた再現してしまいそうなトラウマを感じるというのは、大げさなことなのだろうか?
年を取るごとに、いろいろなことに敏感になる。
音などはその顕著な例だと思うのだが、特に、表で遊んでいるガキどもの、うるさい声を聞いていると、
「雑音以外の何ものでもない」
と感じるようになってきた。
20代くらいまでは、そこまではなかった。むしろ、
「これも、自然現象に近い」
というくらいの感覚だったのだが、何が原因だったのか分からないのだが、急に耳障りになってしまい、不快でしかなくなっていた。
しかも、これも知らないうちにトラウマになっているようで、ガキの声が聞こえてくると。無性に腹が立つのだ。
そんなことを、思い出させる存在が、竹中老人と話をしていた、
「影の薄い男」
だったのだ。
だから、あの男には、謂れの分からない怒りがこみあげてきて、理由が分からないだけに、怒りがこみ上げることに、違和感があり、自分でも、どうしていいのか分からなくなっていたのだった。
一つを思い出せば、どんどん出てくるもので。
「怒りがそのままトラウマになってきた」
というのは、他にもあった。
ここ数年は、例の、
「世界的なパンデミック」
が起こったことで、少なくなってきたのが嬉しかったが、最近では少しずつ増えてきたことだ。
そう、何が腹が立つといって、
「外人どもの素行の悪さ」
である。
そもそも、政府が、
「経済を活性化させたり、労働力の確保するため」
ということで、
「インバウンド」
とかなんとかいう訳の分からない政策を打ち立てたせいで、マナーも守れないような外人どもが、どんどん日本に流入してきた。
しかも、政府が、
「外人を雇え」
といってきたり、
「雇えば、補助金を出す」
などという政策を打ち出したものだから、今では。コンビニやファーストフードの店の接客は、そのほとんどが、外人どもではないか。
あいつらは、何が嫌といって、臭いのだ。
風呂に入る習慣がないのかどうか知らないが、臭い上から、香水などを振っていると、臭くてたまらない。しかも、日本の風土も分かっているのかどうなのか、
「留学生」
などという触れ込みできているくせに、程度の低さはあからさまではないだろうか?
あいつらのせいで、こっちがトラウマにされてしまっては、たまったものではない。
特に、受動喫煙禁止法が施行された中で、非常階段などでタバコを吸っている連中に、外人どもが多いのは、分かっている。
いや、それだけ外人どもが、進出してきたということなのか、
「ここまでくれば、侵略ではないか?」
と思うのは佐久間だけだろうか?
そういう意味では、トラウマというのは、外人どもにだけではなく、政府に対しても感じられるようになった。
トラウマというと聞こえはいいが、要するに、不満である、やり切れないという言葉がその上につく不満。それを感じているのは、佐久間以外にもたくさんいてほしいと思う。
せっかくパンデミックがあったおかげで、外人どもが入ってこなかったので、平和だったものが、今は夜中でも、バカ騒ぎをしている外人どもがいると思うと、怒りしかなかったのだ。
影の薄いその人は、外人というわけではないのだが、外人どもに感じた怒りを、その影の薄い人を思い出すことで、一度意識の中によみがえってきて、トラウマを感じさせられるのだが、逆にため込んでしまい、一見忘れてしまったかのように感じているが、その実ため込んでしまって、その放出医かなりのエネルギーがこみあげてくるのだとすると、これは、容赦できることではないだろう。
年を取ってくるごとに、いつも何かに怒っている気がする。考えてみると、怒りをぶつける相手を自分で必要としているのではないかと感じるのだ。
それは、まるで、軍隊が仮想敵国を持っていないと、士気が低下してしまうということで、必要とするものと似ているのだった。
佐久間も、一度トラウマを持ってしまうと、それをいかに発散させるか、いや、放出させるかが大きな課題であり、どうすればいいのかを、自分なりに、模索しているといってもいいだろう。
そんな中で、竹中老人と話していたあの、
「影の薄い男の正体」
というものは、知るべきなのかどうなのか、悩みどころであった。
分からないとモヤモヤはするのだが、だからと言って、知ってしまうと、自分の中の仮想敵国が徐々に消えていき、自分自身の士気が保てない気がしてくるのだった。
そんな中で、一つ気になっているのが、
「どうして、影が薄いと思うのだろう?」
ということであった。
正直全体的にしか、その人物を見ていない。全体的に最初から見るというのは、自分の見方だからだ。
全体的に見ることで、次のステップはなかったということは、その人を意識した瞬間というのは、
「本当に一瞬だったのではないか?」
と感じた。
それは、夢というものを感じているのと同じで、それこそ、夢というものが、どんなに長いものであっても、
「目が覚める前の数秒で見るものだ」
というではないか?
しかも、目が覚めるにしたがって忘れていく感覚。それと同じだと思うと、
「本当は見ていたにも関わらず、忘れてしまったと、思い込まされる夢もあるのではないか?」
と感じるのと同じように思えた。
つまり、夢を忘れてしまった感覚があるからなのか、
「ここで意識を解いてしまうと、もう思い出そうとしても出てこないかも知れない」
と感じたのだ。
それは、夢というものが、ちょうといいところで終わってしまって、もう一度寝て、その続きから見ようと思ってもできないのと同じではないかと思うのだ。
「夢というものは、潜在意識が見せるものだ」
ということであれば、ちょうどのところで覚めた夢の続きから見ることくらいできそうに思えるのだが、実際にはそんなことはできないのだ。
そういう意味で、夢というものが、一体どういうものか、そして、自分にとってのトラウマがどういうものなのか、五里霧中だったのだ。
それを、
「解決してくれるかも知れない」
として出現したのが、例の、
「影の薄い人」
だということではないだろうか?
「自分では、男だと思っているが、そもそも、本当に男なのだろうか?」
と、疑えばキリがない気がした。
それだけ、深堀しようとすれば、いくらでもできるようで、深堀に関しては、意識が制限されることはないようだった。
老人が、その人を連れてきたのを見たのは、その一度だけだった。
「実際に、自分が来ていない時、どうなんだろう?」
と思って、マスターに聞いてみると、
「佐久間君は前にも同じことを聞いていたけど、竹中さんが他の人と一緒に来たことは一度もないんだけどね。以前に一度、ここの一見さんと話はしたことがあったようだったけど、それも、佐久間君がこの店に来るかなり前のことで、この私でも、記憶が薄れるレベルの昔の話ですよ」
というのだった。
だから、聴いても無駄ということなのだが、それでも、
「その時のその人はどんな人だったんですか?」
と聞いてみると、
「私のような接客業だと、少々のお客さんでも、一度見ると何らかの印象には残るんですが、その人の場合は印象に残らないという感じの人でしたね。印象に残るというのは、自分と会話したわけではなくとも、一緒にいる人との会話の中から、あるいは一人の客だった場合は、逆にその発散するオーラのようなものが感じられると思うんですよ。でも、その人には、そのどれも感じなかった。もし、印象が薄いだけだとしても、印象が薄いというオーラがあるはずなんですが、そういう意味では、佐久間君が前に言っていたような、影が薄い人という言葉がピッタリだったのかも知れないですね」
というのだった。
「その人は、男だったんですか?」
と聞くと、最初は怪訝な表情をしたマスターだったが、今度は考え込んでしまい、必死に思い出しているようだった。
「それが、正直覚えていないんだよ。どっちだったのか、その時に気づかなかったのか、それとも、気付いていたけど、印象に残らないうちに忘れてしまったのかなんだろうけどね」
と言ったが、言いながら、また頭を傾げていた。
それだけ、自分でも印象に残っていないのが、不思議だと思っているのだろう。
「竹中さんが、いつも一人で来るのには何かわけでもあるんですかね?」
というと、
「ああ、竹中さんは、奥さんを亡くされてから、こっち、いつも一人で来られるんですよ」
とマスターがいうので、
「じゃあ、竹中さんは、奥さんと、以前はこの店に?」
と聞くと、
「いいえ、ほとんど一人で来ていましたよ。奥さんを連れてきたのは一度だけでした。もう余命が分かってしまって、奥さんのたっての願いということで連れてきたそうです。本人は、奥さんは、絶対に連れてきたくはないと言っていたんですが、さすがに、死期を悟ってしまい、落ち込んでいる奥さんの気持ちになれば、連れてくるもの、やむなしと思ったんでしょうね」
とマスターは言った。
「その時、どんな話をされたんですか?」
と聞くと、
「ほぼ、話らしい話はしていませんよ。絶えず奥さんは、ニコニコ笑って、珍しそうに店の中を見渡していました。まるで初めてバーに来たかのような感じでしたね。『こういうお店を知っていながら、私を連れてきてはくださらなかったのね?』といって笑っていましたけど、半分は本心だったような気がしますよ」
ということであった。
「それから、数か月で奥さんが亡くなったということですが、奥さんが亡くなったというその日まで、2日に一度のいつもの来店パターンを竹中さんは崩すことはありませんでした。いつものルーティンを頑なに守っていたという感じでしたね。あの人にとっては、あれが供養だったのかも知れませんね」
と、言って、マスターは話を続けた。
「竹中さんが、その誰かを連れてきた時というのは、奥さんが亡くなった後のことですか?」
と聞くと、
「そうですね。奥さんが亡くなってから、半年くらい経ってのことだったと思います。それまでは、いつも寂しそうにしていた竹中さんだったんですが、その日は、相手が喋ろうとしないにも関わらず、竹中さんの方が積極的に話しかけているんですよ。そんな竹中さんを見ることもそんなになかっただけに、どうしても、気になってしまいましたね」
とマスターがいう。
「じゃあ、竹中さんは、その時から、前の元気を取り戻したという感じでしょううか?」
と聞くと、
「まあ、そうでしょうね。元々話好きなひとではなかったので、あの人の中での、明暗というのは、その境界がよく分からなかったんですが、その時は分かったような気がしましたね」
とマスターは言った。
「たぶん、マスターも、私が言おうとしていることの意味が分かった気がしたんだろうな?」
と、佐久間は感じていた。
佐久間にとって、もし、この時、
「気持ちや考えていることがずれていれば、どうなっていただろう?」
と考えてしまう。
「マスターは、客が考えていることが分かるんですか?」
と唐突な質問をした。
すると、さすがに、
「おっと、いきなりの質問だね」
と、驚いたようなリアクションではあったが、苦笑いを含んだような雰囲気で、笑って答えたマスターだった。
「いやいや、分かるわけなんかないよ。だけどね、何かの拍子というか、リズムが噛み合った時、分かったような気がすることがあるんだよ。それが実際にいつなのかということは、正直分かったものではない」
と、マスターが答えた。
「私も仕事をしていて、まるで何かが降りてきたかのように、上司や先輩と話をしていて感じることはあるんだけど、部下や後輩には、そういう思いを感じたことはなかったですね」
と佐久間は言った。
「ところで、佐久間さんは、会社で仕事をしていて、一人で自由にできたらいいなと思ったことはありますか?」
と聞かれて、
「正直、一人で自由にできればいいとは思っています。それだけに、会社では思わないようにしようと思うんですよ。思ってしまうと、できないということを実感させられて、嫌な気分になってしまいますからね」
という。
確かにそうである。できるかできないか分からないことに挑戦しているのであれば、まだいいが、
「会社にいる以上は、組織の中で動いているわけだから、いくら、クレジットに、自分の名前が載っても、自分で自由にできたわけではないということは、ハッキリしているわけだ」
ということだった。
それをマスターに話すと、
「それは、自営業でも一緒ですよ。いや自由業だからこそ、リアルに感じるんです。お金の問題、人の問題。会社員よりも、よほどリアルですからね」
というではないか。
「なるほど、それは確かにそうですね。ところでマスターは、ずっと最初からここでマスターをしているんですか?」
と聞いてみると、
「いいえ、私は脱サラ組なんです。正直、会社の命令であったり、自分で何かを作っても、それは自分のものではなく会社の財産になるわけでしょう。確かに、成果としては認めてくれるけど、著作であったり、もし、特許のようなものがあれば、会社のものになるわけです。なぜなら、開発や研究する環境は、会社から与えられているものだということだからですね」
というではないか。
「でも、脱サラって、かなりの勇気がいるでしょう? 少なくとも、金銭的な不安があると、決してできることではない。格好のいいことを言っても、失敗すれば惨めなだけですからね」
と言われた。
「そりゃあ、そうですよ。だから、人によっては、店を始めて、自分が脱サラしたことを言いたくないと思っている人がほとんどではないでしょうか?」
と、マスターは言った。
「それこそ、人に言わないということは、影が薄い人間と同じに見えるのではないでしょうか?」
というと、
「そうかも知れないね」
とマスターは言った。
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