第3話 父親への反発
おとなしいと思っていた老人が、この時だけは、いや、この時とばかりといった方がいいのか、結構気合を入れて話をしてくれた。
話がその後は、少し惰性な感じに移行してきた時、ふと、時計を見ると、時間はすでに、11時を回っていた。
ここからだと、電車もバスもいらずに、家まで帰れるのだが、時計をよく見ると、次第に目がぼやけてきているのを感じた。
あまり飲んだわけでもないのに、酔いが回ってきたのか、少しきつさも感じられた。
「もう少し休んでいくべきか、それとも、このままここを出た方がいいのか?」
と感じた。
しかし、結論として、
「時間が経てば経つほどきつくなりそうなので、このまま今だったら、普通に帰れそうな気がする」
と思ったので、
「それじゃあ、そろそろ」
ということで、会計を済ませ、店を出ることにした。
「また近いうちに来てみたいな」
と思ったのは、正直、あの老人が気に入ったのではないだろうか?
いや、気に入ったというよりも、気になっていると言った方がいいかも知れない。老人を見ていると、
「あの人は、自分の将来なのかも知れない」
と、何の脈絡も根拠もない思いが浮かんできたが、少なくとも、先ほどの話全般を思い出してみると、
「確かに考え方は似ているのかも知れないな」
と感じたのだ。
「じゃあ、また来ます」
といって、表に出ると、風が少し冷たかった。
そろそろ初夏という感じなのに、それにしては、風が冷たかったのだ。
「風の強さのせいかな?」
この時期、
「風が強いと、雨が降る」
と言われているようなので、傘は常に持ち歩いている。
以前は折り畳みの傘や、ワンタッチで開くような、少々いい傘を持ち歩いていたが、最近の雨というのは、想像を絶するものがあり、いい傘などを持っていると、すぐに吹き飛ばされてしまい、買ってすぐでも容赦なく、
「お釈迦」
にされてしまうことも少なくなかった。
「こうなったら、コンビニのビニール傘でいいか?」
と思うようになった。
半分は使い捨てでもいいというくらいに思わないと、溜まったものではない。コンビニの傘であれば、少々壊れても、また買えばいいと思う。それくらい、最近の雨は尋常ではないのだった。
実際に歩いている人を見ると、スーツ姿のサラリーマンが、ビニール傘を差しているシーンをよく見る。
もう恰好にこだわっている場合ではない。
「背に腹は代えられない」
ということであったのだ。
そんなことを考えながら、ゆっくりと、それでも、歩は着実に、家に向かって進んでいた。
ただ、普段あまり飲まないだけに、酔うと思ったよりも深酒だったようで、家までノンストップで帰るのはきつそうだった。
途中で神社があるのを思い出し。その神社の境内の横が、児童公園になっていたのだった。
「あそこのベンチに、自販機で水でも買って少し座ろうか?」
と思った。
風は冷たかったのだが、座ると思い歩くスピードを下げると、一気に汗が噴き出してきた気がした。
背中にも汗を掻いていて、額からは、玉のような汗がしたたり落ちていた。
普段から、ハンカチなどを持ち歩く習慣がないので、スーツの袖で汗を拭いた。
いつもだったら、そんなことはしないのだが、酔いのせいで、気が大きくなっているのかも知れない。
「まあ、しょうがないか」
と、全体的に気分が、少々大きくなっているようで、脚元をふらつかせながら、何とかベンチに座ったのだ。
「久しぶりに座ったな」
と思ったが、それもそうだろう、
このベンチに座るのは、高校生の頃が最後だった。小学生の頃はよくここで遊んでいたのだが、中学に入ってからは、何かあるたびに、ここで座って考え事をしていたっけ。
中学時代の思春期の頃は、初めて女の子を好きになり、気持ちの整理がついていなかったことで、ここに座って、いろいろ考えていた。
高校に入ると、受験勉強の疲れと、
「なんで、こんなことまでしなければいけないのか?」
と、受験に対しての憤りなどで、これも、考え事をしていたのだが、ここに座って考えることというのは、それだけその時々で真剣なことだったこともあって、遊びで考えていたわけではなかった。
それだけに、答えがまとまるわけもなく、ただ、
「考え事をするなら、この神社のこのベンチで」
と考えるようになったのだった。
受験勉強をしていると、考えが堂々巡りをするものだった。
今でこそ、そんな堂々巡りを日常茶飯事で考えるようになったのだが、初めて感じた時は、
「感覚がおかしくなったのではないか?」
と考えるようになっていた。
だが、堂々巡りを繰り返していると感じるのは、実際に堂々巡りをしているさなか、
「ああ、また同じことを考えているよ」
とばかりに、すべては、まさに堂々巡りの真っ最中にであった。
「つり橋の真ん中で、急に怖くなり、前に進むべきか、後ろに下がるべきか?」
ということを考えているかのようだった。
それを思い出すと、
「このベンチに座っていたあの頃が、まるで昨日のことのような気がするな」
と思うと、先ほどの店で聞いた、
「時間を食う」
という感覚が、こういうことだったのかと感じさせられたのだった。
昨日のことを思い出していると、
「どれが昨日のことだったのだろう?」
と感じるようになる。
意識はしているつもりではないが、毎日を同じリズムで過ごしている。それを、
「規則正しい生活」
といっていいのだろうか?
「今日よりも明日をいい日にしよう」
などという偽善者のような言い方は好きではないが、毎日同じ生活だと確かに嫌だ。
だが、偽善者のような言われ方をするのは、もっと嫌だった。
佐久間の父親は、まさに、そんな偽善者的な言い方をする人で、いかにも、
「模範となるような人物」
だった。
世間一般に正しいと言われることや、世間から、一定の評価を受けているようなものばかりを好んだ。
「あんたに、自分の意思はあるのかよ」
と言いたいくらいだった。
テレビを見るのは、NHK、支持政党は、数十年も与党でいる、あの金塗れの政党、そして、口を開けば、
「一般的な社会人」、
「常識のある人間」。
「一般的、常識っていったい何なんだよ?」
と言いたくなってしまう。
「まわりに恥ずかしくないような、身だしなみ」
と言われる。
数年前から、梅雨時期など、線状降水帯や、ゲリラ雷雨などというものが、夏までにかけて襲ってくることがあった。
普通なら、傘を絶えず、持っていなければいけない状態であり、昔なら折り畳み式の傘でよかったのだろうが、今はそんなものだと、ちょっと風が吹いただけで、お釈迦になってしまう。
もう、昔のような気候変動ではなく、今は、
「何が起こってもおかしくない」
という時代だ。
だから、何の慰めにもならない折り畳みなどを持っていても、まったく役に立たない。
かといって、高い傘を持つなど、すぐに壊れてしまえば、ただの無駄遣いでしかない。
このあたりは前述でも書いたが、その心は、
「父親に対しての反発」
でもあった。
そんな息子を見て、父親は、
「そんな恥ずかしい恰好をするんじゃない」
という。
母親まで、
「お母さんの知り合いがこのあたり多いんだから、そんな格好悪いことするの、やめてよね」
という言い方をする。
当時は、学校を出てすぐの新人サラリーマンの頃だったが、本当であれば、
「ちゃんと説明をして分かってもらおう」
と思うのだろうが、言い分を聞いている限り、
「こりゃあ、どうにもならないわ」
と思った。
親世代の人が考える、
「一般常識」
と、自分たちの世代が考える、
「実用性」
というものが、どう違うというのか、
「誰か教えてくれよ」
と言いたいくらいだったのだ。
だから、世間一般でいうところの、
「一般常識」や、
政府が言っている、
「国際社会」
などという言葉が、一番嫌いだった。
親が指示している政党、何がいいというのか?
「他の野党が、ポンコツを通り越して、人間のクズの集まりのごとくで、批判はするが、代案は出さないという腐った連中に比べれば、まだマシということなのか?」
としか思えない。
「そんな野党に政権を渡せないから、消去法で、今の与党にさせるしかないので、しょうがなく支持している」
ということであれば、理屈は分かるが、そのあたりもハッキリしないので、
「ただ、一般常識」
という範疇だけで応援しているのだとすれば、完全に、政治の世界は、
「腐ったミカンの理論」
としか思えず、国会議事堂は、
「そんな腐ったミカンの保管箱」
にしか見えてこないのだった。
父親を見ていると、世間を歪んだ目で見てしまう自分も嫌になっていたが、父親を、
「反面教師」
として見れば、それでいいのだと思うようになった。
正直、父親は普通に考えて、好きにはなれない。だが、子供の頃は優しかったイメージがあったのだが、どこかで何かを父親も父親なりに悟ったのかも知れない。
だからと言って、それを子供に押し付けるというのは、どうかと思うが、大人、特に親というのは、
「子供はいつまで経っても、子供だ」
と思うのかも知れない。
それはそれでいいのだが、
「子供だから、親のいうことを聞かなければいけない」
ましてや、
「考え方が同じでなければいけない」
というのは、傲慢としか言えないだろう。
今だったら、これは、パワハラになるのだろうか?
実際に危害を加えているわけではないから、
「虐待」
みはならないのかも知れないが、親が子供を、
「洗脳の意思を持って、コントロールしよう」
などと考えるのだとすれば、虐待以外の何ものでもないように思えてくるのだった。
佐久間が、この年になるまで結婚しなかった理由には、確かに、
「結婚したいと思えるような人がいなかった」
というのもその通りなのだが、それよりも、
「自分が子供を持ちたくない」
というのも強いかも知れない。
「俺は子供を洗脳したりは絶対にしない」
と思っているが、実際に親になればどうだろう?
それを思うと、
「最初から子供なんか、いらない」
と思う方が自然である。
さらに結婚してしまうと、正直、一人の女に縛られることになる。これが、
「不倫あり」
ということであれば、いいのかも知れないが、そうもいかない。
というのは、正直、いや、ぶっちゃけ、肉体的な問題で、
「すぐに飽きるのではないか?」
と思うからだった。
父親の理論ではないが、
「結婚したら、一生、その女しか抱けない」
ということになるのだ。
「そんなことは当たり前だ」
と言われるだろう。
自分でもそれが当たり前だと思う。しかし、実際に食べ物だって、同じメニューを一週間続けられると、耐えられるだろうか?
父親にこんな話を聞いたこともないし、父親がどうしているのかは分からないが、大学時代の性欲が強い時、先輩から風俗に連れていってもらい、
「童貞卒業」
をしたのだった。
高校生までの間に、彼女がいなかったわけではないが、なぜか、初体験をするという雰囲気にはならなかった。
正直、自分が童貞であるということに、後ろめたさがあったり、自分から、身体の関係を求めるのは、恥ずかしいと思っていたのだ。
もっとも、その頃は父親がそんな潔癖なまでの人間だと思っていなかったので、そんな恥ずかしいと思った自分を嫌とは思っていなかった。
「きっと、お互いが噛み合っていなかったんだろうな?」
と、言って片付けるしかなかった。
何が噛み合っていなかったのか、正直今となっては分からないが、お互いにまだ高校生、相手もウブだったし、自分も童貞、発展するとしても、限度があったことだろう。
結局、彼女はできても、初体験をできるような環境にならなかった。
後から思えば、
「それはそれで、当たり前のことだったのかも知れない」
と自分の性格を考えると、その通りだった。
高校時代までの自分は、
「父親のミニ版」
と言った感じだった。
正義というものが何なのか、自分なりに感じていた。今から思うと父親のそれと、近かったように思う。
将来、あれだけ毛嫌いすることになる性格なだけに、大人になってから、自分の子供時代のことを思い出すと、怒りがこみあげてくるくらいだった。
だが、実際には、懐かしいと思える思い出も多く、それだけに。嫌いというわけではなかった。
総合すると、
「好きだった」
といっていいのかも知れない。
そんな佐久間が大学に入ると、ちょうど一年先輩が結構よくしてくれた。
「兄貴肌」
といっていいような人で、羽振りもよく、結構いろいろ奢ってくれたりもした。
その時の風俗も先輩の奢りだったのだ。
「大学に入ったんだから、これを記念に、童貞を卒業してくればいい。風俗で卒業するというのは恥ずかしいことではない。お前だって、高校時代までに、彼女がいなかったわけではないんだろう?」
と言われて、
「ええ、そうですね。卒業する機会はあったはずなんですが、機会がなかったというか、噛み合わなかったというか」
と正直にいうと、
「ははは、そういうことだってあるさ。俺だってそうだったんだからな。でも、最初童貞だってお姉さんの前に出た時は、正直恥ずかしかったな」
と、先輩は、恥ずかしそうなそぶりを隠すことなく披露してくれた。
それだけに、佐久間は安心できたといってもいいだろう。
「童貞だからって、こういうお店では恥ずかしがることはないんだ。女の子も正直に言ってくれた方がありがたいんだよ」
と先輩がいうので、
「どうしてですか?」
と聞くと、
「だってそうじゃないか。相手が童貞だと分かると、女の子の方だって優しく教えてあげようって思うだろう? それに女の子によっては、緊張する子もいる。もし、相手が自分で、その男の子が、女というものを嫌いになったらどうしようって思うからね。だから、童貞なら童貞だって知っておくほうが、対処のしようだってあるだろう? 後から知る方が、何となく嫌な気持ちになるものさ」
と先輩は言った。
「そんなものなんだ」
と、佐久間は感じ、実際に、風俗での童貞喪失が、自分には一番合っているのだという結論に達したのだった。
先輩は、それなりに風俗経験もあるので、
「お前のような童貞に、一番ふさわしい女の子をつけてあげよう」
といって、店も女の子も選んでくれた。
奢ってもらうのだから、当然文句が言えるはずもないが、
「この先輩がいうのだから」
と、安心しきっている部分もあったのだ。
一つ前もって教えておいてもらってよかったと思ったのが、
「女の子の方も緊張する」
ということだった。
それを聞いて、
「俺のような童貞に、女の子も緊張してくれるんだ?」
という思いが気を楽にしてくれた。
こちらが童貞だというと、相手の女の子は、
「面白がって、いろいろいじってこられたりすると嫌だな」
という思いと。
「却って緊張させて、無理に背伸びする形で、お姉さんぶって、いろいろ説教しなければいけない」
と思う人もいるのではないか?
そんな思いがあったのだ。
しかし、今回は、風俗通を自他ともに認めるという先輩が推薦してくれた、
「この子なら」
という子だったのだ。
間違いなどあろうはずがない。さぞや、今までに何人も童貞の、
「筆おろし」
をしてきたのだろうことを想像させるのだった。
先輩に連れてきてもらい、先輩は、別の女の子を指名した。最初先輩はコソコソとスタッフの男性と話をしていて、スタッフの男性がチラッとこっちを見たのを感じたので、
「ああ、あれは、僕を見たんだな」
と感じた。
「きっと、僕が童貞なので、そのあたりはうまくやってくれ」
とでもいったのか、そもそも、目的は童貞喪失なので、別に隠すことでもない。オープンにしてもらった方がこっちも気が楽である。
二人で待合室に通されると、すでに、2,3人の人が待っていた。
当時は、タバコなど吸い放題だった時代だったので、灰皿に吸い殻が溜まり放題だった。
その時にいた連中のうちの一人は喫煙者で、落ち着きのなさがハッキリ捉えられた。タバコを、ぷかぷか吸っているという印象で、相当の落ち着きのなさが感じられた。
とはいえ、
「童貞なのか?」
と考えれば、そうでもないように見えた。
「初めてというわけでもない人でも緊張しているんだろうか?」
とその時は思ったが、後から思えば少し違って感じられた。
「落ち着きがないように見えたが、そうではなくて、楽しみにしているワクワクの裏返しなのではないか?」
と思えたのだ。
実際に、風俗にそれから何度も行くようになると、待合室で待っている時間も、意外と嫌ではない。あまり長いと興ざめしてくるが、10分、15分くらいであれば、緊張感を高めるのにちょうどいいくらいの時間に思えてきた。
待合室に入って、1分も経たないうちに、
「お待たせしました」
などと言ってこられると、
「ああ、まだ心の準備ができていない」
と思うかも知れない。
適度な緊張感を高めるのには、時間がいるというものだ。そういう意味で、待合室という空間は、気持ちを高めるには最高で、それまでお店に行くまでの緊張感が、一度受付を済ませると、リセットされるのだった。そこで、再度緊張感を高めるためには、この待合室という環境は大切だった。
そういう意味で、いまだに佐久間は、デリヘルというものを使ったことはなかった。
デリヘルというのは、待合室がそのまま、ホテルの部屋になり、プレイルームになるのだ。童貞を失ってからのあの待合室の緊張感の心地よさが忘れられないので、佐久間はデリヘルを使わないのだ。
「きっと、箱型の風俗にいく連中は、俺と同じ感覚になる人が多いんだろうな?」
と思えたのだ。
初めての相手の女性と対面した時、最初に感じたのは、
「お姉さんだ」
という印象だったのだ。
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