第2話 時間の感覚
バー「クロノス」に初めてきた客、名前を佐久間頼政というのだが、自分の名前が子供の頃は嫌いだった。
父親が、歴史好きということで、しかも戦国時代が好きだったという。
そんな中で、
「有名武将には興味がない」
と元々言っていたようで、
「実際の武勇はすごいのだが、その武勇のわりに、名前が売れていない」
というような武将が好きだったという。
中学、高校時代には、いろいろな武将を調べたり、歴史小説の中でも、歴史文庫の中に、人物を題材にした文庫本がある。有名な武将から、名前は聞いたことがあるけどという程度の武将であったり、実際に、何をしたのか、ピンとこない武将までいる。それが大名だったりすると、気になって、手に取って本を読んでいたようだ。
そんな父親が、数人の気になる戦国武将がいる中で、一人気になったというのが、
「佐久間盛政」
であったのだ。
父親が佐久間盛政を気にしたのには、一つ理由があるという。
「あれは、お父さんが、学生時代に好きになった女の子というのは、結構北陸地方に縁がある人が多くてな」
という。
「だから、お父さんも、よく北陸地方に旅行に行ったりしたんだが、そこで、佐久間盛政のことを知って、興味を持ったんだよ」
と言われ、頼政も、調べてみた。
佐久間盛政という武将は、織田信長配下の武将で、おじさんの佐久間信盛は、織田家の筆頭家老であった。
そんな佐久間盛政は、加賀一向一揆などを平定したりして、北陸地方に、大きな地盤を築いていったのである。
大聖寺城や、今江で城主などを務め、あの加賀百万石で有名な前田家が入場することになる金沢城を築城し、初代藩主となったのが、この佐久間盛政だった。
彼は、同じ北陸の越前に地盤を持つ、柴田勝家に味方することで、秀吉との間で勃発した、柴田勝家との合戦である。
「賤ケ岳の合戦」
に、勝家側に立って、参戦することになった。
彼は、まず先鋒として中川清秀が守る、
「大岩山砦」
の占領に成功したのだが、それは、勝家との間で、
「占領したら、すぐに戻ってくるように」
という条件の元の出陣だったものを、勝ちにおごったために、
「ここを死守する」
といって、他の砦攻略に取り掛かり、時間を稼がれている間に、琵琶湖から、丹羽長秀の軍に合流されてしまった。さらに、秀吉が、いわゆる、
「美濃大返し」
という、秀吉得意の、
「大返し作戦」
で、佐久間軍は孤立した。
さらに、柴田軍の、前田利家が兵を引いたことで、柴田軍は大混乱に陥り、そのまま、越前北ノ庄に逃げ帰ることになった。勝家はそこで、
「もはやこれまで」
ということで、妻のお市の方を逃がそうとしたが、お市のたっての願いで、二人して、城で自害ということになったのだ。
一方、佐久間盛政は、再起を図ろうとしていたところで、捕まってしまい、佐久間盛政の武勇を知り抜いている、秀吉から、
「わしの家来にならんか?」
と言われたものを、蹴っている。
しかも、
「武士の情けで、せめて、切腹ということで」
と秀吉が言っても、
「いえ、敗軍の将として捕獲されたのだから、ここは潔く処刑されたい」
といって、秀頼を唸らせたという。
何しろその武勇から、
「鬼玄蕃」
と評された猛者だっただけのことはある。
しかも、捕まった時、他の武将から、
「鬼玄蕃とまで言われたあなたが、自害せずに、捕まるとは」
といって、不思議がっているところに、
「かの頼朝公は、石橋山の合戦で敗れ、山の中を彷徨っていて、奇跡的に助かったということだってあるではないか」
といって、まわりの武将を唸らせたという。
自分の技量も分かっていて、引き際も分かっている。そして、一縷の望みがあるのであれが、息の残って再起を期すという覚悟を持っている人物だということで、佐久間盛政という人物は、
「鬼玄蕃の名に恥じぬ男だ」
と言われているのだった。
その話を見た時、父親が、自分に盛政にあやかって、頼政とつけた理由が分かった気がした。
「幸いなことに、苗字も同じ佐久間だからな」
ということであった。
普段はあまり、父親に対して従うよりも、逆らう方が多い頼政だったが、この時ばかりは、父親に敬意を表する気になったのだ。
頼政も、どちらかというと、父親に逆らう方だったが、納得のいくことであれば、素直に受け入れるという、度量の深さも持っていたのだ。
父親もそのあたりは分かっているようで、
「いい名前をつけてやったな」
と思っていたことだろう。
おかげで、頼政も、父親にちなんで、
「有名武将よりも、あまり名前の知られていない、玄人受けする武将をいろいろ調べてみたい」
と思うようになっていた。
そう、どちらかというと、ナンバーツーのような武将を気にするようになっていたのだ。
だが、そのブームは、今から10年くらい前にあった。しかし、実際にそのことを最初に気づいていたのは、この自分で、学生の頃というから、今から、二十年以上も前のことだった。
今でこそ、
「軍師」
などと言われる人がもてはやされていて、
「上杉家に直江兼続」
「羽柴家に、黒田官兵衛、竹中半兵衛の両兵衛」
「伊達政宗に片倉景綱」
と、有名どころは、それから十年もすれば、有名になるのだが、頼政は、さらにもっとマイナーな武将が気になっていた。
「石田三成に、島左近」
「浮田秀家に、明石全登」
さらには、
「黒田長政に飯田角兵衛」
などである。
そういう意味では、佐久間盛政も、ナンバーツーというには、少しきついかも知れないが、勝家の次という意味では、秀吉が見込んだだけのことのある人物なのだろう。
盛政に対しては、
「何が一番の魅力か?」
というと、
「猪突猛進なところはあるが、男として、武将としての引き際と、覚悟をこれほど持った人物もいないということであろう」
といえるのではないだろうか?
それを考えていると、
「仕事での悩みも、小さなことではないのか?」
と思えてくる。
そういう意味で、佐久間頼政という名前、決して嫌いではないのだった。
バー「クロノス」で、自分の名前をいうと、老人がすぐに悟ったみたいで、
「佐久間盛政みたいな名前だな」
というので、頼政も嬉しくなって、
「ええ、そうなんですよ。父が好きだったらしいんですが、私も好きな武将です」
といった。
「私は、北陸地方に昔住んでいたことがあったので、前田利家だとか、柴田勝家、佐久間盛政や、佐々成政などの武将は、よく知っているんだ。佐久間盛政というと、鬼玄蕃で有名な武将だよな」
と言われて、
「はい、よくご存じですね?」
と聞くと、
「たぶん、あなたもそうなんだと思うけど、あまり名前は知られていないけど、実際にはすごい人だったという人物だったり、ナンバーワンよりも、むしろ、ナンバーツーの人間の方がいいと思っているからだと自分では感じているんですよ」
と、まさに、自分と考え方が同じだと思う人に、出会った気がした。
今までに、そんな人と出会ったことはほとんどなかったという意識を感じていたので、少し油断していたが、
「本当にこんなに似た考えの人が、肉親以外にいるんだ」
と思うと、嬉しくなってきた。
最近では、仕事で、孤立した気分になっていただけに、その思いは余計に深くなってくるのだった。
「私は、結構サラリーマンだった頃は異端児だったようで、よく孤立していましたけどね」
といって、老人は笑っていた。
「もう、第二の人生なんでしょう?」
と聞くと、
「ああ、そうだよ。定年後に5年間働いて、今は年金暮らしだよ。一日の終わりにここに来るのが楽しみでね」
といって、老人はマスターと顔を合わせていた。
「ところで、ここは、時間を食われるというようなことを少し話されていたと思ったんですが、あれはどういうことだったんでしょう?
と聞くと、
「さっきも言ったように、夢のような感覚がここにあると言っただろう? 普通の人だったら、それ以上は聞いてこないんだけど、何か、さっきの話で納得のいかないことがあったのかな?」
と聞かれて、
「納得がいかないというよりも、もっと他に何かありそうな気がして、何か中途半端な気がして、どこか気持ち悪さがあるんですよ」
というではないか。
「夢というのが、あっという間に感じることであることから、ここにいて楽しい会話をしていると、表に出ると、たまに次の日になっていると思うことがあるんだよ。つまり、毎日を同じパターンで過ごしていると、どれがどの日だったのか分からなくなるだろう? それこそ、おじいさんが、おばあさんに、『ごはんまだ?』 と聞くと、おばあさんが、『さっき食べたじゃないですか?』 って会話になるだろう? あれと同じで、それが昨日のことなのか、今日のことなのか分からなくなるんだよ。知らない人が聞くと、ボケたかのように思われてしまうが、実はそうではない。毎日を同じパターンで暮らしていると、毎日というものが、本当にあっという間に過ぎていく気がするんだ。それを、わしらは、『時間を食われた』と感じるようになり、この店にいる時は、年寄りだけではなく、若い人も似たような感覚に陥ってしまう人が結構いたりするんだよ。だから、『この店は、時間を食う店だ』と言われるようになったのさ」
と、老人は言った。
それを聞きながら、マスターも頷いていたが、
「ここまで話をすると、気持ち悪がる人もいるので、最初は夢の話で、納得させようとしていたんだよ。もちろん、今の佐久間さんのように、質問をしてくると、こうやってちゃんと話をしてあげるんだけどね。でも、なかなかここまで聞いてくる人って少ないんですよ。余計なことを考えたくないと思う人が多いのか、納得できることがあれば、それでいいとして、必要以上なことを考えないようにしているのか、そのどちらかなのではないだろうか?」
と、マスターは言った。
やはり二人は、それぞれに考え方は似ていて、話も分かってくるのだった。
「時間を食うという表現は、少し大げさなんだけど、昔見た映画で、空間がまったく止まったように見えるという映画があったんだ。だけど、実際には止まっているわけではなく、実に遅いスピードで動いているんだ。なぜ分かったのかというと、警官がそこに何かがいたんだろうね。空間に向かって、拳銃を発砲したんだけど、その瞬間の煙をついて、弾丸が、ゆっくりと空間を異動しているんだ。しかも、一瞬一瞬が、一度止まってから、すぐに動き出すというような感じなんだ。それで止まっているわけではなく、微妙に動いているんだってね。しかも、その動きは滑らかにではなく、まるで、階段を上るかのような動きで、尺取虫を見ているようだった」
と、老人が言った。
「興味深い話ですね?」
というと、
「ああ、私が、まだ学生くらいの頃は、そういうSFチックな映画が結構あったんだよ。しかも、当時は特撮もさほど発達もしておらず、怪獣映画などでは、ピアノ線が見えたりしていたんだ。子供心には、却ってリアルな感じがして、却ってモノクロの方が、リアルさが演出されていたんだよ」
というではないか。
「僕が子供の頃には、かなり特撮もアニメも今に近い形だったですからね。でも、たまに、有料放送の番組などで、昔の特撮などを見ると、確かにそんな感じがしましたね。ただ、僕にはリアルという意味がよく分かりませんが」
というと。
「それは分からないだろうね。当時はあれが当たり前だと思っていて、どんどん発達していく技術に舌を巻くという感じだったんだけど、そんな状態を見ていると、今度は最近の特撮を見ようとは思わないんですよね。大人になったから、恥ずかしくて見ないというのとは理由が違うんですけどね」
というのだった。
ただ、今の老人の話、自分が子供の頃のアニメで似たような話を見たことがあった。
ただ、それは、襲いスピードの世界があるわけではなく、あっちの世界が、本当の今まで活きていた世界で、普通のスピードに感じる今の世界が、実は、高速の世界だったのだ。
だからこそ、そのスピードに耐えられず、やたら疲れたり、身体が痛かったりした。その理由がわからなかったのだが、ただ、身体だけは軽いという気はしていたのだった。
身体の重たさをいかに感じればいいのかというと、そのことを考えると、自分がいる世界が実は違う世界であることに気づき、自分がいた世界が、完全に凍り付いたように見えるのは、目の錯覚だったのだ。
つまり、
「自分がいた世界から他の世界に行くと、そこが元いた世界だと思わせたくないという感覚から、凍り付いたような世界に見させるのではないかと感じた。何か自分の知らない力が働いていて、それが、錯覚を見せるのだろう」
と感じたのだ、
しかし、もう一つ考えることとして、
「本当に、これって錯覚なのだろうか?」
夢の世界は、あくまでも夢であり、現実の世界ではないと思わされているが、それは思わされているだけで、実は隠したいことをごかましているだけなのかも知れない。
「木を隠すには、森の中」
というではないか。
本当のウソは、周りがすべて本当の中に隠す方がバレることはないというが、まさにその通りで、夢だと思い込ませてしまえば、疑われることもない。
昔の、探偵小説などで、
「一度警察が捜査して、何も発見されなかったその場所が、一番安全なんだ」
といえるだろう。
「まさかそんな場所にあるわけはない」
というようなところに、一度敢えて隠しておいて、見つかりそうになれば、その場所をわざと警察に捜索させ、警察も、怪しんでいるわけではないから、科学捜査などまではしなかった。したとしても、昔の捜査だから、ちょっとしたことであれば、見逃されてしまう。警察としても、
「念のために」
という程度で調べているだけなら、なくても、
「とりあえず探した」
という意識で、もし、何か次に捜索することがあっても、わざわざ、そこまで見ないだろう。
それが、墓であれば、なおさらのこと、警察でも、いちいち埋葬を発掘する令状を取ら
なければいけないという手間がかかる。そんなことはしないに決まっているだろう」
ということであった。
「最近は、スマホとかいうのがあって、世の中も便利になってきましたね」
と、老人が言った。
このあたりの話になれば、少しはサラリーマンをやっている分、佐久間の方が分がいいかも知れない。今の話は、ぶしつけに出てきた話題のようであるが、どうやら、佐久間の方に向かって言った言葉ではないだろうか?
それを聞いたマスターは、自分から話しに乗っかろうとしなかったので、そのあたりも阿吽の呼吸なのかも知れない。
「スマホはお持ちなんですか?」
と聞くと、
「私はまだ持っていないんですが、知り合いがスマホに変えたといって、スマホはいいぞって言い始めたんですよ。半分は自慢のような感じですけどね。ただ、いろいろ聞いてみると、確かに便利なようだし、私も使ってみようかって思ったりもしているんですよ」
と老人は言った。
「確かに便利は便利ですね」
というマスターの話を聞いて、老人は、
「私がまだ30代くらいの頃だったかな? パソコンというものが普及し始めて、会社でも、一人に一台なんて時代になった時はビックリしたものですよ。その時って、皆が皆素人じゃないですか? スマホの場合は、その前の普通のケイタイがあったので、スムーズに入っていけたと思うんですよね。学校でパソコンだって習うわけだから。でも、私が若い頃には、パソコンを覚えるのに、いろいろな言葉があったのを思い出しますよ」
というと、
「ほう、それはどういう言葉ですか?」
と、今度はマスターが乗り気だった。
「俺に話しかけてきたのではなかったのかな?」
とも、思ったが、そもそも、二人の会話に入ったようなものだったので、そのあたりは、気にしないでおこうと感じた。
老人は、マスターの質問に答えた。
「ます、一つ目は、『習うより、慣れる』という言葉がありましたね。要するに、人に教えてもらうよりも、実際に触っているうちに覚えるということのようですね」
と老人がいうと、
「それは、今のスマホにも言えることですよ。いろいろなアプリがあるけど、その説明書なんかいちいちないですからね。それこそ分からない時はネットで調べるか、実際に人に聞いてみるかでしょうね」
とマスターが言った。
この言葉には、さすがに佐久間も共感した。確かに、マニュアルらしきものは、アプリごとにあるわけではない。
ただ、それは、パソコンでも同じだったのではないか? 自分たちよりも2世代くらい上の人は、
「パソコンは、触っているうちに覚えたものだ」
といっていたのを思い出す。
確かに、今ではいろいろソフトもバージョンアップして使いやすくなった。
と思いきや、昔を知っている人は、逆のことをいう。
最近の、ワードやエクセルとか、余計な機能がついてきたおかげで、扱いにくくてしかたがない。パソコンの時々あるソフトのバージョンアップをしたら、今度は今までとは使い勝手が悪くて困るんだ。今まで普通にできていたことができなくなったり、
「例えば段落や箇条書きを自動でしてしまうので、文字下げをしたくないところでも勝手に文字下げをするようになって、実に面倒臭い」
と、言われるようになったりした。
しかも、今はOSのバージョンアップがあれば、必ず最初の頃は何か不具合が起きる。だから、同じ時期にパソコンを買う場合、わざと、前のバージョンのパソコンを買ったりした。
「そのうちに、不具合が解消されるバージョンアップがあるのだろうが、仕事中にそんな面倒臭いことを、待っていられるわけもない」
ということで、パソコンをあまり。有効に使えていなかった時代があったのも事実だ。
スマホになって、そんなことがあるのかは分からないが、
「いまだにパソコンでも続いているんだから、スマホだけが、まともだというのも、おかしな話ではないか?」
と思うようになった。
「実は、今度、そんなスマホに対してのセミナーがあるということなので、参加してみようと思っているんですよ」
と老人が言った。
「そうなんですか? 実は同じかどうか分からないんですが、私も似たようなセミナーへ参加予定なんです。ただ、私は会社からの参加なので、もう少し細かいことなんだろうと思うのですが」
と、佐久間は言った。
佐久間の場合は、会社が申し込んだもので、佐久間だけではなく、あと2人ほどが研修に行く、後の二人は他の課の課長で、どうやら、会社の管理職の中でも、最近管理職に昇進した人がいくようなセミナーのようだった。
「スマホの研修だけなんだろうか? それだけだったら、それこそ時間がもったいない気がするんだよな」
と思ったが、一つは、会社としての、
「付き合い」
によって、仕方のない部分もあったようだ。
「しょうがないか」
として、諦めるしかなかったのだが、似たような企画が他にもあるとは思わなかった。
「いや、それこそ、この名前の企画なら、この老人が受けるような企画が本当なんだろうな?」
と思えるものだった。
「どんな内容か、面白そうですね」
と言ったが、それは半分本音だった。
それだけ、自分が受けなければならない企画が、
「付き合い」
だということにウンザリしている証拠でもあったからだ。
「私も最初は、この年になって、何がスマホかとも思ったんですが、年を取ると、意外と今まで興味のなかったものに興味を持つようになるものなんですよね」
と老人が言った。
「それは、今までずっと会社で仕事をしてきて、急に仕事をしなくてもよくなったことで、気が抜けたり、逆に余裕が生まれたからなんじゃないですか?」
と佐久間がいうと、
「そうですね、それはあるかも知れないですが、もっとそれ以外にも感じられるんですよ。しいていえば、年齢的なものなどが、そうなのかも知れないと思うんですよ」
と、老人は言った。
「というと?」
と、佐久間が聞くと、
「佐久間さんも、そうかも知れないけど、時間についての感覚が、今までと違ってきていることに気づいていませんか?」
と言われ、
「ええ、それはあるかも知れないですね。今私は、40代になったんですが、20代の頃よりも30代、30代の頃よりも40代と、次第にあっという間に感じるようになってきたんですよ」
というと、老人はにっこりと笑って、
「そうでしょう? でも、それ以外にも感じていることがあるんじゃないですか?」
と言われ、一瞬、佐久間は老人が何を言っているのか分からず、思わず、マスターの顔も見てみたりしたが、マスターは相変わらず、手だけはしっかり動かしていて、聴いているのだろうが、話の腰を折るような真似をするわけではなかった。
「そういえば、これは学生から会社に入って、まったく毎日が変わった時、ちょっと感じたんですが、学生時代に感じていた時間の感覚というのは、一日一日が、結構時間が掛かったように思うんですが、気が付けば一年が経っていて、その一年は、あっという間だったという気がするんですよ。でも、逆に会社に入ってからというのは、一日一日があっという間なのに、一年がかなりかかったかのように思ったんです。不思議な感覚だと思いました」
というと、
「それを、佐久間さんはどうしてだと思いますか?」
と聞かれて、
「よく分からないです」
と答えると、
「そうなんですよ。私もそうだったんです。それが最近になってやっと分かってきたんです。そういう時間の感覚というのは、人生の節目が何度かあるんですが、そこで感じるんですよね。今言われた、学校を卒業してからの時は、まさにその一回なんです。なぜかというと、そこで、自分の人生の立場が変わってしまうからなんですよ。分かりますか?」
と、いつになく老人は興奮気味に話している。
「いや、ちょっと」
と、圧倒されながら答えると、
「というのは、学生時代の卒業前というと、自分よりも上の学年はいないわけでしょう? いるのは、下ばかり。そんな光景を見てきたから、下しか見ていないんですよ。だけど、今度会社に入ると、上と同期しかいないわけですよ。この差は、分かっているつもりで、意外と分かっていない。だから、五月病などということが起こってくるんですよね。それは、時間の感覚にも微妙に影響を与える。それを果たして分かっているかどうかということが問題なんですよ」
と老人は言った。
「なるほど、そういわれてみれば、思い返せば、分かる気がしてきました。何となく、目からうろこが落ちるというのは、こういうことなのかって思いました」
というと、
「ただ、これは、人に言われて感じたことなので、正直。それがすべてだと言いません。どちらかというと、自分で気づかないといけない部類のことなんですよ。だからあなたにも自分で気づく時がくる。そしてその時、また、今ここで話したことを思い出し、新たな考えが生まれてくることを悟ることになると思いますよ」
というではないか、
ということは、この老人も、かつて誰かに言われて、最近気づいたことで、今度は自分がその伝道師にでもなったかのような気がしてきたのだろうか?
それを思うと、ちょっと、
「気にしておこう」
と感じたのだった。
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