モーティスの夜【後編】

 フェックが室内に入るとユンシーは扉を閉めた。続けてフェックに対しそこに座れと扉近くの場所を指差し、スピカには元いた敷き布まで戻れと口を出す。フェックは従順に、スピカがやや残念そうに従うとユンシー自身はフェックとスピカの間に腰を下ろした。

 穏当に話が始まりそうな雰囲気になっているのにユンシーが水を差す。


「そうだ。話をする前にお前の両目を潰すぞ」


 軽い調子でフェックに話しかける。右の指が刃物に変わっていた。


「……何?」

「えっ」


 フェックもスピカも揃って言葉を失っていた。あの鋭利な指で両目を抉り出そうとしているのだろうか。そうなのだろうな。フェックとスピカは同時に嫌な確信をした。

 ユンシーは怪訝そうにスピカを見やる。


「こいつの力を忘れたのか? 石にされるのは愉快な体験とは言えないぞ」

「忘れてないよ。ないけど……」


 否定はするものの煮え切らないスピカの態度にユンシーは首を傾げた。ユンシーの機嫌が悪化するのを恐れたフェックが慌てて声を上げる。全身の目を潰された記憶が克明に蘇りでもしたのか顔色はあまり良くなかった。

 

「ま、待て。私は今更お前たちに攻撃するつもりはない」


 切羽詰まった様子で訴えられてもユンシーは聞く耳を持たない。このままだとフェックの両目はあっという間に潰されてしまうだろう。スピカは大急ぎでまとめた荷物から外套の端切れを探し出してユンシーに見せつけた。


「潰さなくても両目に私たちが映らなければいいんだよね!?」 

「恐らくはな」

「そ……その通りだ」


 フェックは掠れ声でスピカの言葉を肯定した。しかしユンシーが考えを改める兆しはない。スピカは端切れを撫でながら言った。

 

「だったらこれで目を塞いでもらったらいいんじゃないかな。目を……潰してまた回復させるのにユンシーの力を使うのは勿体ないでしょ」

「……いいだろう。どうして君がフェックを庇うのかは気になるがな」


 今回はスピカの言に納得できる部分がある。そのためユンシーは譲歩することにした。その代わりにというわけではないが小言をこぼす。しかしスピカには届かなかった。あるいは無視したのかもしれない。

 スピカはフェックの背後へ素早く回り込んで端切れをてきぱきと巻いて両目を覆った。その一連の動きはあまりにも自然だった。うっかりユンシーが見守ってしまうくらいに。フェックはフェックでされるがままになっていた。

 端切れを巻き終えてからスピカがユンシーに振り返る。


「庇ってるつもりはないけど。眠る前に流血沙汰になるのは嫌かなって……あ、これできつくないですか?」


 やや遅れて小言に返事をされる。どうやらユンシーの小言はしっかりと届いていたらしい。途中で端切れの巻き具合を確認されたフェックは無言で頷いていた。首筋にある目がユンシーをちらちらと見ている。目が合ったのは一瞬だけだったがそれでも互いに困惑しているのは察せられた。


「……うん、できた!」

 

 スピカは結び目を優しく撫でてから元の場所に戻っていく。そして敷き布に座って少ししてからユンシーとフェックの視線を集めていることに気付いて目を丸くした。


「え、どうしたの?」

「俺が言いたい」


 とだけ返したユンシーにフェックもこっそりと同意していた。

 どうしてそう気安く接することができるのか。殺されかけたことも、場合によっては殺そうとしていたことも、かつては信仰の対象だったことも忘れたわけではないだろうに。



■■■



 向かい合ったユンシーとフェックはようやく会話をする態勢に入った。ユンシーの背後にはスピカが寝床に入った状態で二人の話を聞いている。眠くなったらいつでも眠れるようにというユンシーの勧めに従った形だ。

 しかし、横になった途端に眠気が襲ってきたのか瞼が下りてしまっていた。疲れが溜まっていたのは前提として、水浴びでさっぱりして気が緩んだのも一因だろう。まだ起きていたいと瞬発的に目を開けてもぼんやりと天井を見上げるだけで終いには閉じてしまう。

 ユンシーはこの有様でよく自分に寝ろと言ってきたものだなと思う一方で少し安堵してもいた。スピカにまだ聞かれたくない、説明をするのが面倒なことを話す流れになっても当人が夢と現の狭間にいるのであればそう気を配る必要もないだろう。いくらでもごまかせる。


「俺に何が聞きたい」


 いざ話を切り出したのはユンシーだった。フェックの背筋が伸びる。


「お前の故郷はまだ存在しているのか?」

「いや、もうない。崩壊した」


 簡潔な答えにフェックが一瞬怯んだように見えた。先ほどから独りだの寂しくないかだの随分と感傷的なようだ。


「……それなら、同族は?」

「さあ。生きてるかもしれないし、俺以外は全員死に絶えたかもしれない」

「知りたいとは思わないのか」


 非難する口調で問われる。同族の生死を知りたいと思うなんてユンシーには想像もつかないことだった。

 郷愁を覚えるほど繊細ではないし故郷への愛着もない。同族が生きていようと死んでいようとユンシーの汚点は消えてなくならない。それにもし過去に戻れたとしてもユンシーは同じことをするだろう。つまり故郷に纏わる全てがユンシーにはどうだっていいのだ。


「思わない。それと先に言っておくが、寂しいとも思わない」


 と断言するとフェックは押し黙った。意識しているのかは謎だが両目以外の目がユンシーを睨めつけている。端切れの目隠しで分からないが恐らく両目も同じ状態だろう。明らかに苛立っていた。

 どうしてこんな奴と話をしているんだと今更になって後悔しているのかもしれない。こちらはわざわざ話をしてやっているというのに。恩知らずな神もいたものだ。ユンシーは扉を指差して言った。

 

「話がそれで終わりならさっさと出ていってくれ」


 フェックは頑として動かず、沈黙を保ち続けた。それでも焦れたユンシーの神力で強制的に排除される前に口を開くだけの分別はあったようだ。


「どこにも自分と同じものがおらず、自分が永遠に理解されない孤独が恐ろしくはないのか」


 ユンシーは僅かに眉を寄せて、それから口元を歪めた。


「自分と同じだから理解されるという考えがまず俺とは合わないな」

「同じでなくとも似ていれば理解はされると? その人間……スピカが他と違うのは私にも分かってきた」


 フェックの視線が背後に向かった。スピカが寝息を立て始めている。話はまともに聞けていないだろう。せっかくの機会だったのにユンシーが横になれって言ったせいでと明日は質問攻めにされるかもしれない。それはそれで煩わしかった。

 何よりこうも見当違いな発言が続くと気分が悪くなる。


「お前と一緒にするな。俺は彼女に理解などされたくもない」

「それならどうして守る?」

「決まっている。自分のためだ」


 どうせフェックには伝わらないだろう。諦めつつもユンシーはそう言った。そして見込み通りにフェックは食い下がってくる。


「……お前は都市神にならず、闘争にも関わってこなかった。今も興味はないのだろう」

「ああ。争いはどうでもいい。俺には急ぐ理由もないからな」

「だが、スピカのために都市神と争っているじゃないか。お前は死を何よりも恐れている。それがお前たちの共通点なのだろう。なのにお前はスピカを守るため自ら死に近付いている。次の戦いも勝てるとは限らないのに」


 口数が多い。相手がいなかっただけで元来はお喋りな奴なのかもしれない。うっかり思考が横道に逸れてしまう。それもこれもフェックがどうしてそこまでユンシー(あるいはスピカ、そうでなければ両者か)に拘るのか理解しがたいからだ。

 フェックの口振りからして同族もしくは理解者に飢えていることは何となく掴めた。それに孤独を恐れていることも。笑えるくらいにユンシーとは似ていない。人間たちとは違った意味でかけ離れている。


「勝てそうになければ逃げればいい」


 そう吐き捨てると、フェックがはっきりと嘲笑して言い返してくる。


「大した自信だ。私からは逃げられたか?」

「お前から逃げる? 考えもしなかったな」


 しばらく睨み合いと沈黙が続いた。スピカの穏やかな寝息が聞こえていなければ再び殺し合いを始めていたかもしれない。

 そうして時間の経過と共に熱は冷めていった。互いに今が潮時だと察している。最後にユンシーはフェックに尋ねることにした。これまで少し気になってはいたが聞く機会の得られなかったことだ。


「一つ聞いていいか」


 フェックは腑抜けた顔つきで頷いた。


「力を得る得ないは別にして、信仰に満ちた肉というのは美味いのか?」


 フェックの動きが止まる。それから後頭部にゆっくりと手をやって目隠しの結び目を解いた。ユンシーはそれを咎めなかった。露わになったフェックの両目は物寂しさと果てない失意の淀みで曇っている。


「さあ。分からない。私には……ただの冷たい肉だ」



■■■



 フェックが去り、眠るスピカと二人きりになった室内でユンシーは小瓶を傾けていた。腐臭混じりの土の味がする。大衆に受ける味ではないだろう。ユンシーには関係のないことだが。

 以前スピカにしたり顔で説明しておきながら『都市神』の血を啜るのは初めてだった。失われた力が徐々に補われていくのを確かに感じる。死ぬほどではないので気に留めていなかったが、フェックと戦う前から自分が思うよりも消耗していたらしい。

 少量の血でこれほどの効果を発揮するのだから血肉を丸ごと喰らえば強くもなるだろう。そうして力を得ていつか都市神はここから、牢獄と化したこの星から逃れていくのだ。己の目的のために。

 ユンシーは天を仰ぐ。目に映るのは白い天井だけだった。

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神様と星の子 鈴成 @tou_morokoshi

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