手記

朝霧翼先生、北原陽子さん。

おふたりは、今回の事件とは全く関係はありません。にもかかわらず、あのような危険な状況に巻き込んでしまったことついては、お詫びしてもしきれません。何を言っても言い訳になるかもしれないのですが、本当に申し訳ございませんでした。

私ができる最低かつ最大の贖罪は、私が知り得たことを、包み隠さずにお伝えすることしかありません。

突飛な内容でもあることですし、読みづらいところもあるかとは思いますが、その点については御容赦ください。


***


そのノートには、吾妻が突然彼女のもとを訪れた後の経緯が、詳述されていた。

吾妻によって自身の記憶の断裂を自覚した美来は、彼女自身が巻き込まれたとされる事件のことを自分で調べ、少しずつ真相に近づいて行ったが、記憶の核心部分を取り戻せないでいた。

美来は自らの意思で、すべての人間関係を絶ち、吾妻と再接触し、そして、屋敷に身を潜めた。目的は自身の記憶を取り戻すことであり、それは彼女が自分自身の同一性を取り戻すことと同義でもあった。

屋敷に至るまでの内容は前述の通りであるため、ここでの記載は省略し、その後の彼女の動向を記載した部位から、掲載を始める。


***


屋敷に身を潜めた後も、吾妻は極めて紳士的に、私を扱ってくれました。私の自由を束縛することもありませんでした。

私は自由に出入りすることを許されていました。しかし、屋敷を出て行こうとか、そういう気持ちはまったく起こりませんでした。なぜなら私は決して強制的にその屋敷に監禁されたわけでは無く、あくまでも自主的にこの屋敷に入ってきたからです。

吾妻のことを考える時、人間の多面性というのを考えずにはいられません。少年を自らの玩具として扱い、殺害してしまう残忍さを持ち合わせているかと思えば、一方では非常に理性と優しさをもって、私に対して接してくれたのです。私には、とても殺人を犯すような人間には思えませんでした。


***


「まずは、この屋敷の緊急避難通路を案内するので、非常時にはそれを使ってください」

屋敷に来た初日に、吾妻は私に言った最初の言葉です。

逃げ道はふたつありました。ひとつは、おふたりが最後の脱出に使用した通路です。この通路の方が、直接屋敷の外にまで通じている、秘密性の高い通路です。ただし、私はドアの存在を教えてもらっただけで、その通路には入っていません。

それとは別に、実は、大地さんが磔にされていたカーテンの反対側に、扉がもう一つあって、そこから隣部屋に抜けることが可能になっていました。その道を通って上の階に上がり、そこから、別の部屋に入って、窓の外に出ることができたのです。火災が起きた中では、そこは危険な避難路でもありましたが、わたしはそちらを通って屋敷の外に出たのです。

鍵がかかっていない部屋に関しては、自由に出入りすることもできました。

屋敷2階の中央にある部屋には、10リットルの灯油缶とプロパンガスボンベが、それぞれ5本、置かれていましたが、それらが、不測の事態の際には、この屋敷を消滅させる目的で集積されていることは、すぐに理解できました。

 

***


私と吾妻との奇妙な共同生活が始まりました。夕食を共にすることが多く、すべて彼が準備してくれました。会話は、ほとんどありませんでした。

およそ1カ月後、私はあの剥製の部屋に入ることを許されました。私の行動を見て、裏切る心配が低そうだと判断したのでしょう。

屋敷内の少年達を、私は見ることが出来ました。ヒデの剥製も含めて、です。

しかし、吾妻は、その中のひとりがヒデであることについては、結局最後まで明かしませんでした。私も、最後までそれがヒデであることに気づく、あるいは記憶を回復して、それがヒデであることを思い出すことは、ありませんでした。

吾妻はそれぞれが誰が誰であるのかという説明もしてくれなかったのです。その少年達が、事件と関連していることさえ、その時の私には思い浮かばなかったのです。ただ単に、彼が自分の作品を披瀝しているだけなのだと思ったりもしましたが、あるいは、この部屋に何らかの記憶を思い出すためのヒントが隠されているのかもしれないという気もしていました。

吾妻にとって、ガラスの部屋は、自身の最高の作品であると考えていたのは、既におふたりもご存じだと思います。もっとも、彼にとっての完成は、大地さんを取り戻してから、だったのですが。

私はそれを見た時、不思議なことに恐怖を感じることもなかったし、不気味だとも思いませんでした。素直に美しいと思いました。

私は毎日その部屋に行き、ひたすら少年達を眺めていました。その性格までもが、把握できるような気がしてきました。

吾妻は何も言わなかった。私が自発的に記憶が戻るのを待っていたのかもしれない。

しかし、そこから先は苦悩の道のりでした。私の心には焦りが生じていました。ある意味、全てを捨てて、私はこの屋敷にやってきたのです。それなのに、ここに来てからは、何も思い出せないし、何も得るものが無い、身をよじられるような苦痛でしたが、もはや戻ることは出来なかったのです。

朝霧先生の情報を吾妻に提供したのは、私です。わたしは節子さんから、大地さんと運命共同体のような、深いつながりにある存在として、朝霧翼先生のことを聞いていました。

屋敷での生活は半年に及び、何の進展もなく、結果として、来るべき朝霧先生の帰国を待つだけという状況になっていました。


***


そして先週、吾妻は私に、新しい少年を連れてきたと言いました。

その少年の姿は、いちども見ていませんが、いずれは剥製にされるわけだし、もしかしたら既に生きていないかもしれないと思いましたが、吾妻にその思いを伝えはしませんでした。私は彼の行動を黙認したのです。

半年間、外界とほぼ遮断された生活を送っていたせいか、私は既に感覚が麻痺していました。屋敷の中に「少年」があることに対する異常性を認識する閾値が、極めて低くなっていたのだと思います。

陽子さんが事件を目撃したことは、屋敷での最後の場面で初めて知ったのですが、最後の時が刻一刻と迫っていたことを、私はその時実感していました。


***


吾妻は知り合いの出版社に話を持ち掛けて、朝霧先生に哲学の本を執筆して貰うように働きかけていました。

本の執筆依頼自体は、本当の話です。ただし、その際に、吾妻は私の偽の身分である『山本恵梨香』を事前に準備して、私を臨時職員として、出版社に採用させ、朝霧先生邸に同行できるように手配していました。

先生のお宅では、編集長の秘書役として、とにかく目立たないように心がけました。

吾妻は、朝霧先生は、美来のことを知らないので、心配することはないと、言ってはいましたが、嘘が露見してしまうことを恐れ、私はずっとひやひやしていました。

ですが朝霧先生は、完全ではなかったかもしれませんが、私の正体に気づいていて、気付かないふりをしていただけだったのです。それが確認できたのは、屋敷の中で先生と再会したときです。

そして、私はひとりの青年を目撃しました。目の前で見たわけではありません。リビングからガラス越しに、庭の向こう側に、箒をもって掃除している姿を見ただけです。記憶を回復したわけではないのに、それが大地さんであることを、私はすぐに理解し、全く疑いませんでした。そのことを吾妻にも報告しました。


***


そして、陽子さんが吾妻によって拉致されて、この屋敷の中に連れてこられたのです。彼に呼ばれて駆けつけた時には、既に陽子さんは、部屋の中のベッドの上に横たわっていました。

吾妻は私に、陽子さんが目を覚ました時には、丁重に扱い、面倒を見るように命じたのでした。しかし、彼女から事情を聞き出すようにと命令することも忘れませんでした。

そして陽子さんを人質として、翼さんと大地さんを、屋敷におびき寄せることに成功したのです。

私は自分から、おふたりへの連絡役を買ってでたのです。既に私は、すっかり吾妻の協力者に成り果てていました。それ以降も、朝霧先生と大地さんを引き離し、先生と陽子さんを地下室に案内するまでは、吾妻のシナリオ通りに、私は行動しました。

陽子さんは、薬物によって意識を奪われ、時折苦しい表情を浮かべていました。とても心苦しい思いがしました。でも、陽子さんには申し訳ないのですが、微かな喜びも感じていました。同志が現れたように思えたからです。

そして、それは本当に突然のことでした。私の中での記憶の断片が、ようやく一本の糸で繋がり、自分の記憶を、そして、自分を取り戻すことができたのです。

私の皆様に対する罪は消すことはできないのですが、だからこそ真実を語る必要があると思いましたので、どうか最後まで御読了ください。


***


別荘に到着したその日の午後、私は、ひとり納屋の中に隠れていました。別に目的があってそこにいたわけではありません。まだ子供でしたし、秘密の隠れ家のような雰囲気がとても気に入って、面白そうだったという、それだけの理由だったと思います。

もちろんずっとそこにいようと思っていたわけではなく、ちょっとカクレンボをするぐらいの、軽い気持ちでした。そして希美さんや大地さんが、私のことを捜しに来てくれること期待していたわけです。

すると、期待通りに大地と希美さんが納屋の中にふたりで入ってきたのですが、私を探しに来ている感じでないことはすぐに分かりました。

丁度納屋の奥側は戸棚があって、ちょっとした死角になっていたので、反射的にそこに身を潜めて、私は自分の存在を気付かれないようにしました。

しかし、ふたりは最初から周囲のことなぞ何も気にはなっていなかったのかもしれません。彼らの様子を直接見たわけではありません。しかし、彼らの声だけが、私の体を貫いていました。

突然納屋の扉が開く音がして、ふたりの会話が途絶えたかと思うと、希美さんのものと思われる悲鳴の後に、鈍い音が部屋の中に響き、その後に残されたのは、沈黙だけでした。


***


気が付くと、目の前に、大地さんとは違う少年が立っていました。見たことのある少年でした。希美さんの弟・秀樹(ヒデ)です。

彼は私を見て、ニヤニヤ笑っていました。

ヒデは私の腕を掴むと、その腕を引っ張りあげて、ドアの方へと引きずり出しました。

そこには、顔面が見分けがつかないほどに破壊されて、スカートは腰のあたりまでまくり上げられ、下半身がむき出しになった、かろうじてその体だけが、かつて人間であったことを示唆する「人間」が、横たわっていたのです。

ヒデは扉を再び閉めて外へ出て行き、私はその中に残されたのですが、不思議なことに私は全然怖くなかった、ただ、そこに横たわっている、ひどく凄惨な変わり果てた姿となった、その「人間」が、たまらなく愛おしく思えたのです。


***


今では、希美さんの姿をはっきりと、頭の中に思い描くことができます。彼女の優しい笑顔、何も出来ない私に根気よく笛を教えてくれた真剣な表情、そしてふたりで演奏して、最後まで間違えずに演奏できた時に、涙を流してふたりで抱き合って喜んだ、その瞬間を…。

私はあの部屋では、おふたりにも聞いていただいた通り、取り戻した本当の記憶を語らなかった。あの場で私が吾妻に対して真実を語ったとしても、むしろそれは吾妻の思い通りの展開になるだけであり、取り戻した記憶を吾妻にそのままタダで引き渡す、そういったことをしたくなかっただけ、ということです。

これが私の話の全てです。ただし、私の記憶に、言語はほとんどありません。ほぼ映像のみの記憶を無理に言語化したので、どこまで正確に伝えきれたのか、確信がもてないこともお伝えしなければなりません。

大地さんはこの真実について、知っているものと思いますが、おそらく彼自身からその真実を語ることはないと思います。彼は他人の苦しみをも自身に背負う、そういう人なのです。そういう決意をしたからこそ、自分から犯人でないにもかかわらず、無実の罪を受け入れたのでしょう。

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