May 1986

再会

「ミルクになさいますか? レモンになさいますか?」

楠氏が少し前かがみになり、低く囁くような声で言った。

「ミルクティーでお願いします」

わたしは笑顔を見せながら言った。

「かしこまりました」

私は再び朝霧先生邸にいた。しかし、今度は先生とふたりきりだ。

空は雲ひとつ無く、庭に面した窓は解放され、五月の爽やかな微風が、乾いた新鮮な空気を、部屋の中に送り込んできた。


***


わたし達の眼前には、2冊のノートと、1本のカセットテープが置かれている。1冊は、美来さんがわたしに、託してくれたノートで、もう1冊のノートと、カセットテープは、先生が所持していたものだ。

この日最初に、わたしは朝霧先生から、希美事件についてその概要を聞いていたので、既に今回の事件に関わった登場人物に関して、その名前と役割を既に把握していた。漸くわたしのなかで、点と点が繋がり始めたのだ。

「先生の説明で、美来さんのノートの内容が、やっと理解できました。それに加えて、まさか先生が、ヒデが書いたノートと、希美さんのお父さんの肉声テープを所持されていたなんて、ここに来るまで、全く知りませんでした」

「私もだよ。君が美来のノートを持参してくるとは、全く予想していなかったよ」


***


わたしたちは、お互いが入手した事件に関する資料について、それぞれ別の部屋に分かれて内容を確認し、再びこうして、リビングで顔を合わせたのだった。

「でも、これですべての辻褄が会うんですね。これで大地さんが無実であることが証明されるわけですね」

わたしは喜びから思わずそんなことを言ってしまったが、朝霧先生の表情は曇ったままだった。

「もちろん、以前から私も大地の無罪を信じてはいた。そして、これらの手記の存在によって、それをほぼ確実な程度にまで、信じることができるようになった。それは非常に大きい。このふたつの手記が、本人達が記載したものであることを証明するのは、それほど困難ではないだろう。ヒデの文書も学校に保存されていて、筆跡も照合可能だろうし、美来についても、病院に筆跡を確認できる書類が残っているだろう。しかし大地が無実であるという物的証拠が新たに出てきたわけではない。特に、ヒデの手記については、その内容の真偽を確認する手段は、まず無いだろう。そして、大地自身が真実を語るつもりは無いだろう。だとすると、彼の無実を証明するというのは、もはや不可能なのかもしれない。いや、もう少し正確な言い方をするのなら、それは意味のないこと、なのかもしれない」

「たしかに、そう言われれば、その通りなのですが…。でも、とりあえず大地さんに、これらの資料を見て頂く必要があるのではないでしょうか?」

「そうだね、ただ、彼にこれらを見せるかについては、実際問題として難しい問題が含まれているのだが…」

「でも、わたしたちだけで、これらの存在を秘密にすることはできません。大地さんにも内容を知っていただく権利があるはずです」

「了解した。君の意見でわたしの気持ちも固まった。時期をみて大地に見てもらうことにしよう」

この後、互いに持参した資料を基に、わたしと朝霧先生は今回の事件についての検証を行ったのだが、まずは、あの日から今日に至るまでの出来事についての経緯を説明しよう。

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