依頼

希美さん殺害事件の具体的な内容については、その殆どをヒデから聞きました、その少女を殺害したのが、大地君であることも、です。

テレビのニュースで見た事件を他人に伝えるような、他人事のような言い方で、ヒデが私に言ったことが、引っかかりました。しかし、ヒデは自分の姉が殺害されたところで、それを悲しんだり、殺害した相手を憎んだりするような、そんな俗世的な喜怒哀楽を生じるような少年ではないことは、わかっていたつもりでしたが、それでも、違和感が払拭できなかったことは、いまでも印象に残っています。

そんな大地とは対照的に、私がその事件を聞いたときの悲しみと衝撃は、いかに大きなものだったか、それを貴方は想像することができるでしょうか。彼が、いつになれば再びこの世の中に戻ってくるのか、明確な見通しは無いものの、最長10年はかかるという事実は、私に対する死刑宣告のようなものでした。

奇跡を信じる以外ありませんでした、彼が、会った時のままの姿で、戻ってきてくれることを。いや、彼なら、きっと奇跡を起こしてくるはずです。

私は、彼が私の元へ帰るまで待ち続けることを、心に誓いました。


***


10年…、今から思えば、あっという間でした。

大地が出所してから、朝霧翼君の邸宅に保護されたことを知りました。今から2年前のことです。探偵社を使って、出所後の消息を追ったのです。

私が知る限り、それ以来、大地が朝霧邸を出た兆候はありません。

何故彼の邸宅に大地が保護されたのか、その理由は、その時点ではよくわかりませでした。

その頃、朝霧翼君がブダペストの大学に在籍していたことは知っていましたので、日本に戻った際には、明成学園の非常勤教師として採用したいという内容の手紙を、私は送りました。もちろん、研究を続けていただくことが最優先なので、空いた時間の小遣い稼ぎのような感じで構わない、と付け加えましたがね。

返事がきたのが、それから1年後ですよ。教師採用の件は大変ありがたく、帰国した際には是非勤務させて欲しいが、残念ながら、まだ帰国の目途が立たない状況だ、とのことでした。

そしてそれから1年以上経た先月のことです、来年の4月までには、帰国できそうだという内容の手紙を、朝霧君からいただきました。


***


朝霧君のこと、情報ありがとうございます。勿論、彼のことは良く覚えています。彼だって、美を継承する少年として、すべての条件を兼ね備えていましたよ。

しかし、彼が当校に在籍していた期間は極めて短かったものですから、残念でした。当時、彼が大地君と深い因縁があることは知りませんでした。それを貴方から聞いて、大変興奮しています。大地君が朝霧邸で保護された理由がわかった…、とまでは言えませんが、少なくとも、あのふたりのつながりが、判明しました。

先程申し上げた通り、私は彼を、教師としてこの学園で採用する予定にしていますが、私は学校内では表面上はただの一教師に過ぎませんが、実は人事について口利きすることが可能な立場にあるのです。

私がこの屋敷を使えるという理由も、私が学校の人事に介入出来るということと、ほぼ同一の理由なわけです。今の段階ではあまり多くを語るつもりはありませんが、いずれその理由が、明らかになることがあるでしょう。


***


事件現場にひとりの少女、つまり貴方がいたことについては、ヒデから聞いていました。当時貴方は言葉を話せなかったため、希美さんと大地君が、貴方の言語機能回復の手助けをするという名目で、宿泊に行ったことも、です。

しかし、事件後の貴方の足取りも、私は随時追いかけていたのです。事件の真相を知っているはずの貴方には、ずっと会ってみたかったし、当然ですが、その話を聞いてみたいと思っていた。事件には、まだ明かされていない真相があるのではないか、私にはその疑念を払拭することができなかったのです。

そして、貴方に接触する決意を与えたのが、朝霧君からの返信であることは、間違いありません。眠っていた事件が動き出す、私はそう確信しました。


***


貴方が事件のことを全く覚えていないという事実は、私を混乱させました、貴方は看護婦となり、表面上は、貴方が普通の社会生活を取り戻していることが明白だからです。

私は精神科医でもなく、医療的な知識は当然持ち合わせていませんので、そんなことが起こり得るなど、想像すらできませんでした。しかし、貴方が事件のことを覚えていないということは、間違いないと、貴方と話をすれば、すぐに信じられることです。

精神科医と言えば…、貴方の私生活についても、多少の情報は有していますが、私には関係のないことですから、それについては言及しません。

私は貴方に貴方の記憶が戻るためのお手伝いをさせて欲しいのです。それはもちろん、貴方のことを思ってのためでもあるし、私自身のためでもあります。

しかし、今のところ、貴方はその時の事件の記憶はおろか、その存在さえも、記憶として呼び戻されてはいないのですね。しかし、焦っても仕方のないことです。いや、焦りこそが、記憶の回復には最も質の悪い敵なのです。だから、少しでも記憶を取り戻すためのきっかけとなるような材料を見つけ出し、そして少しずつ記憶の糸をたぐり寄せていく、そんな作業を地道に積み重ねていただきたい。

貴方が取り戻した記憶を、私の知り得ている事実の断片に組み合わせることによって、事件は初めて完全な絵画として、その姿を取り戻すことになるでしょう。だから、このようにも言えるのではないでしょうか? 貴方とわたしは、ひとつの芸術作品を共同で制作している、ふたりでひとつの芸術家なのだと…。

私はまた、大地君に会いたいのです。彼を、私のもとに取り戻したいのです。

そのために貴方の助けを必要としています。貴方に大地君の動向を、探っていただきたいのです。

そのために、貴方には朝霧邸に潜入していただきたいのです。そのための作戦は、考えてあります。貴方は見たこと、観察したことを逐一報告してくれれば良いのです。


***


ヒデは今どこにいるのか、ですって? そうですね、ここまで話が進んだ以上は、貴方にも会っていただいた方が良いかもしれませんね。いえ、彼に会うことは、そんなに面倒なことではないのですよ。きっと彼も喜んでくれると思いますよ、自身の美しい姿を見てくれる人が新たに現れたのですから。

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