吾妻圭壱
吾妻圭壱は高校の美術教師だが、別名でプロの彫刻家としても活動していた。日本国内では、少年裸体像のスペシャリストとして知る人ぞ知る存在だった。
実物大にして精緻なリアリズムを突き詰め、少年であるが故の『中性』性を保持しつつも、性的刺激を十二分に漂わせるその独特な表情や姿勢を表現しつくした石膏の全身・半身・胸像が、極めて高い評価を得ていて、病院、図書館、公民館などの引き合いを多数受けていた。展覧会での受賞歴も複数あったが、彼自身が授賞式に出席したことはいちどもなかった。その意味では、『正体不明の謎の芸術家』のような立ち位置での活動をしていると言えるだろう。
受賞や賞賛は人並みに喜ばしいものだが、度を超えた名声は、吾妻にとって不必要で危険なものだ。その点に関して、像がモデルに近いほど、モデル本人を特定されてしまうリスクがあったが、精度を落とすことは、モデルに対する冒涜と思われたし、彼自身がそうすることを許容できなかった。
幸いにして、今のところは、モデルの身元を詮索されるような動きは起きていないようだが、自分の性癖が噂として広まることに関しては、吾妻としては特に注意を払わなければならなかった。なぜならば、彼には決して侵害されてならない、秘密の花園があったからだ。
***
吾妻には好みの少年を探し出すための、ネットワークとでもいえるシステムを作り上げていた。
アルバイト代を渡すので、彫刻のモデルとして来てほしいと言えば、断る少年は殆どいなかった。報酬はかなり高額だったからだ。
その中で、更に適正を判断して、吾妻は自らの花園へと招き入れる少年を選別していた。彼は少年たちから石膏の型取りを行い、石膏像を作成していた。
それらの少年のうち何割かは、さらに別の少年を吾妻の餌食としてリクルートしてくる役目を、自ら買って出てくれた。それだけでもより高額の報酬を得ることができたからだった。
吾妻は大地を失った後だったので、その喪失感を満たすための対象を渇望していた。そんな時期に、システムに引っかかってきたのが、イチロウだった。
イチロウは、外見的には吾妻好みの少年だった。小柄で細い体。そして美しい肌。細く流れるような、優しい髪質…、それらは概ね、吾妻の要求を満たしては、いた。
***
イチロウの家庭は半ば崩壊している状況だということは、吾妻の情報網が彼に伝えていたが、狙った少年を『ペット』化するにあたっては、家庭環境が不安定であるほうが、彼にとっては好都合だった。
イチロウは、吾妻の組織の誘いに、ふたつ返事で東京行きを承諾した。通常、東京では、イチロウは賃貸用のワンルームマンションを与えられる。そこは吾妻がオーナーとして所有し、『ペット』を飼育するために、常用している場所だ。その後に適正を見極めたうえで、学園内の屋敷に居場所を移すことにしていたが、イチロウに関しては、最初から屋敷に収容した。
こうして、イチロウは『飼育』されることになったのだが、当初から、彼に関しては、言葉にはうまく表現できない、強烈な違和感を覚えざるを得なかった。それはひとえに彼の性質が生じさせるものだった。生気のなさ、吾妻が何を言っても底が抜けたバケツに首を突っ込んで話しかけるような、空洞のような人格…。
今までに経験したことのないタイプの少年、いや、人間の登場に、吾妻は戸惑うしかなかった。
イチロウは吾妻の性癖に対しては、極めてクールに受け流していた。いや、反応がないという表現のほうが、適切かもしれない。拒絶するでもなく、かといって喜ぶ様子もなかった。心はどこかに行っているか、あるいはそもそも存在していないようにしか思えなかった。イチロウと関わろうとすればするほど、蟻地獄に落ち込んでいくような、止めどない苦境を、吾妻は感じざるを得なかった。その特性は彼の生育状況から由来しているのかもしれないが、吾妻にはまったく理解不能だった。
自殺前日のイチロウ
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イチロウの家庭は半ば崩壊している状況だということは、吾妻の情報網が彼に伝えていたが、狙った少年を『ペット』化するにあたっては、家庭環境が不安定であるほうが、彼にとっては好都合だった。
イチロウは、吾妻の組織の誘いに、ふたつ返事で東京行きを承諾した。通常、東京では、イチロウは賃貸用のワンルームマンションを与えられる。そこは吾妻がオーナーとして所有し、『ペット』を飼育するために、常用している場所だ。その後に適正を見極めたうえで、学園内の屋敷に居場所を移すことにしていたが、イチロウに関しては、最初から屋敷に収容した。
こうして、イチロウは『飼育』されることになったのだが、当初から、彼に関しては、言葉にはうまく表現できない、強烈な違和感を覚えざるを得なかった。それはひとえに彼の性質が生じさせるものだった。生気のなさ、吾妻が何を言っても底が抜けたバケツに首を突っ込んで話しかけるような、空洞のような人格…。
今までに経験したことのないタイプの少年、いや、人間の登場に、吾妻は戸惑うしかなかった。
イチロウは吾妻の性癖に対しては、極めてクールに受け流していた。いや、反応がないという表現のほうが、適切かもしれない。拒絶するでもなく、かといって喜ぶ様子もなかった。心はどこかに行っているか、あるいはそもそも存在していないようにしか思えなかった。イチロウと関わろうとすればするほど、蟻地獄に落ち込んでいくような、止めどない苦境を、吾妻は感じざるを得なかった。その特性は彼の生育状況から由来しているのかもしれないが、吾妻にはまったく理解不能だった。
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自殺者が学園とは関係のない身元不明の少年であることを知った時、その少年が誰であるのかを吾妻はすぐに予想出来たし、その予想は一瞬にして確信に変わっていた。
その日の夕方、イチロウの部屋に入ったとき、やはり彼はそこにはいなかった。屋敷内で『飼育』されている以上、基本的には外出は不可能なので、彼の不在という事実は、吾妻の確信をさらに強固にするだけだった。
吾妻はイチロウの様子を、毎日確認、いや、鑑賞あるいは監視しており、自殺の日の前日の夜19時頃に会っていた、もっとも、顔を合わせた時間は5分にも満たなかったが…。
その際、イチロウの様子に特に変化は見られなかった。相変わらず、話しかけても、何ら意味のある返答をしてくれるわけでもなかった。しかし、そういった意味でも、いつもと何ら変わらない様子だった。
つまり、イチロウの本来の性質からしても、特に変化の無かった前日の様子からしても、彼が『自ら自殺』することは想像し難く、『強要された自殺』であるほうが、吾妻としては、はるかに合理的な説明ができるように思われた。
だとすれば…。
吾妻の中では、この事件に関する仮説が既に出来上がっていた。
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