December 1975

美術棟

丸1日、季節外れの強い南風が吹き荒れ、埃っぽくむせかえるような空気が充満していたその翌日にやってきたのは、心にまでのしかかられるような、一面暗灰色の空だった。まだ雨が降り出してはいなかったが、降り出すのは時間の問題だろうと思われた。

その日も7時30分丁度に、吾妻は校門前に到着した。

この学園の最寄り駅であるS駅から、7駅程東京よりにあるF駅近くに、吾妻の家はあったのだが、そこから下り方面の電車に乗り、20分程でS駅に到着すると、そこからは徒歩で学園まで行く。

最寄り駅から降りると、歩いて15分ほどの閑静な住宅街の中に、学園は広大な敷地を持ち、しかし、あくまでも静謐に、学園はその場所に存在している。

ここが彼の仕事場だ。

早く登校してくる学生の姿もチラホラと見かけるが、しかし、学生たちの登校がピークを迎えるのは、8時を過ぎてからだ。

そこまでは彼にとって、いつもと変わらぬ出勤の光景だった。

しかし、校門が視界に入った瞬間に、異変に気付いた。

校門の前に、パトカーが数台、数珠つなぎに、サイレンを回したまま止まっていたからだ。

もし仮にそんなことになれば、マスコミが押し寄せてくる可能性もあり、学校としても、対応は不可避だろう。

だとすると厄介だと、吾妻は思った。彼自身にも火の粉が振りかかる可能性を、危惧せざるを得なかったからだ。

吾妻は嫌な予感がした。何か事件でもあったのだろうか?

もし仮にそんなことになれば、マスコミが押し寄せてくる可能性もあり、学校としても、対応は不可避だろう。

だとすると厄介だと、吾妻は思った。彼自身にも火の粉が振りかかる可能性を、危惧せざるを得なかったからだ。


***


通常、吾妻は本校舎内にある職員室には行かず、別棟の美術棟に直行する。学内にある屋敷と同時期に建てられ、外壁がレンガ造りで、明治時代の建造物を思わせる、立派な建物だ。この学校では、美術棟だけは、校舎とは離れた場所にあり、屋敷と校舎のほぼ中間地点の場所にあった。

実は校舎の中にも美術室があり、通常授業はそちらを利用していることが多いのだが、彫像作成や、吾妻が顧問をしている美術部の活動においては、この美術棟を利用していた。それ以外でも、在校中は、吾妻は職員室にいるよりは、その美術棟にいることのほうが圧倒的に多かった。

しかし前述の通り、この日は嫌な予感がして、すぐに職員室に直行することにしたのだった。


***


吾妻が職員室の扉を開けて中を見回してみると、まだ二割程度の職員しか姿を見せていなかったが、その中に校長の姿を見かけた。

校長は見るからに狼狽していて、職員室の中を無意味に徘徊していた。彼が出勤するのは、おそらくは通常9時過ぎで、しかもこの時間に職員室にいることなど、おそらくは殆どないことだと思われ、その点からも、何か事件が起こったのは間違いないと、吾妻は確信した。彼はゆっくりと校長のそばに近づいていたのだが、近くによってみると、校長のひときわ痩せた小柄な体が小刻みに震えているのがわかった。彼は校長の背後から、その背中に向かって声をかけた。

「おはようございます。校長先生」

校長は、体に電流でも流れたかのように、小さく跳び上がり、その後吾妻のほうに顔を向けた。目は泳いでいて、唇は小刻みに震えていた。

「あ、吾妻先生だったんですか。おはようございます」

「何か事件でもあったのでしょうか?」

何も心当たりがないようなふりをしながら、吾妻は言った。

「ええ、これから緊急の職員会議を開いて、そこで事情を説明しますので、少しお待ちください」


***


「生徒たちにはなんと言って説明すればよいのでしょうか」

「ところで、生徒はすでに息絶えてしまったのですか?」

「残念ながら、そのようです。警察の人がそう言っていました」

「誰なんですか、その生徒は? 名前は?」

「やれることをやりましょう。学校前まで登校した生徒に対して、一人一人の名前を確認することと、緊急連絡を回す際に、生徒の安否を確認することと、生徒達にも協力を呼びかけましょう。他の生徒の安否をお互いに確認しあって、学校まで連絡してもらうことです。」

「たしかに、そうなのですが…、しかし、生徒がショックを…」

直後に行われた臨時職員会議で、学校内で死亡事故あるいは事件があったことが明らかにされた。

校舎の裏側に、本学園の制服を着た少年が倒れていた。発見したのは早朝巡回中の警備員で、実際にその場所に巡回に訪れたのは、すでに六時を回っていた頃だった。

朝の始業まで、刻一刻と時間は迫っていて、このまま通常通りの始業を進めれば、校内は大混乱に陥りかねず、必然的に、職員会議の目的は今後の学校の対応が中心となった。

「とにかく」比較的冷静さを保っているように見えた教頭が、場をまとめるべく発言した。「緊急連絡簿を回して、今日は臨時休校になることを伝えましょう。校門前には誰かが立つことにしましょう。塚本先生と○○先生、校門前に立って、校門を閉鎖して、張り紙を貼っていただいて良いでしょうか? 事情を知らずに登校してきた生徒に対して、今日は臨時休校になったことを、一人一人説明して頂きたい。面倒な役割をお願いしてしまい、恐縮ですが。おそらく、既に家を出ている生徒が大半ではないかと思うのですが」

校門前に立つことを命じられた○○が、不安そうに質問した。

「本校の男子生徒であることは間違いないです。男子の制服を着用していましたから。しかし、名札や生徒手帳などの、身分を示すものを携帯していなかったようです。私と教頭がその遺体を確認しましたが、顔面がひどく損傷を受けていて、誰だか分かりませんでした。ですので、今のところ生徒の身元が確認されていません」

校長の顔面はより蒼白になり、全身の震えが止まらなかった。そのまま倒れてしまうのではないかと、吾妻が心配になるほどだった。

「いや、あの、そうですね…、まずは急遽臨時休校になったこと、事情は明日以降説明すること、それだけで押し通してください。明日は通常通り授業を行うことも説明してください」

「生徒の安否確認をする必要もあるのではないでしょうか」今度は塚本が言った。

「たしかに、それはその通りですが、どうすればいいのか…」

返答に窮した教頭に代わって、塚本が発言した。

「それでは臨時休校にするのは、逆効果なのではないでしょうか」○○が発言した。「むしろ事情を説明して、生徒に協力を仰いだほうが、効率がよいのではないでしょうか? いずれはわかることですし」

「生徒たちはそんなに弱くないですよ。寧ろ積極的に協力してくれると思いますよ」

「校長、御決断を…」

懇願するように、教頭が校長に言った。

「そ、そうですね…、わかりました。では生徒達には通常どおり登校して、教室で待機していただきましょう。その上で、欠席している生徒がいたら、その生徒達に対して、個別に安否を確認しましょう。たしかに、そのほうが臨時休校にするよりはよいかもしれません。すいません、方針が二転三転してしまって。とにかく、こういう経験は初めてで、気が動転してしまっているもので…」

そう言って校長は、薄くなった額の脂汗をハンカチで拭った後に、その場にへたり込んでしまった。


***


そして、8時半にはほぼ全ての生徒が登校し、校門は閉鎖された。各学級において、担任教師が今朝発生した事件の事情を生徒達に説明し、本日は生徒の安否確認が終わり次第、学校は臨時休校になることを説明した。

既に事件発生の噂が広まっていたために、生徒達は概ね冷静に各担任の事情説明を聞いていたという。

全校生徒合計で9人の生徒が欠席していたが、全ての生徒が体調不良により欠席することをすでに学校側に連絡していた。その上で、学校側からは保護者に電話連絡して、生徒の無事を確認した。

それ以外の生徒は全員登校しており、無事が確認された。その報告は校長に上げられた。校長はその報告を聞いて大きく安堵し、本日の臨時休校を宣言し、生徒達は九時過ぎに全員下校した。

しかし、当然一つの疑問が未解決のままであることは、職員全員が認識していた。

では、この学園の制服を着用して命を断った男子は、いったい誰なのか?


***


警察の現場検証により、事件性は低いと判断され、早々に自殺として処理されてしまった。自殺者は身元不明のまま、行旅死亡人として、官報に掲載・公告された。

しかし、少年の死が自殺だったとしても、全ての疑問が払拭されたとは、とても言えなかった。身元不明である点はもちろんだが、それ以外にも、主に二点の問題が残された。

そのひとつは、少年が着ていた当学園の制服だった。卒業生であればかつて使用していた制服を着ていたとすれば説明がつくが、卒業生の中に該当者は出てこなかった。制服を入手しようと思えば、売却等で学外者でも入手することは可能だろうが、そこまで学園が独自に調査することは事実上不可能だし、学外者が制服を入手する目的も不明だった。

もう一つの問題が、校舎内への侵入方法だった。

飛び降りたのは校舎の屋上中央付近と推定された。遺体発見の位置が丁度校舎中央部のあたりだったし、屋上には自殺者のものと思われる、ほぼ新品の黒のローファーが、その場に置かれていた。遺書は発見されなかった。

学校は、夜間は正門に警備員がいて、夜間に正門からは入れない。もちろん、敷地を張り巡らせている壁を乗り越えることは、男子中高生であれば、十分可能と思われた。

しかし、校舎は休日と夜間は施錠されているため、マスターキーがなければ、校舎内に侵入することは不可能だった。

では、前日の夜から、校舎内に残っていたのだろうか? しかし、それも冷静に考えれば、不可能だった。事件が起こったのは、月曜日の朝だった。何度か施錠が解除されているが、いずれも警備室で施錠解除の申請が出ていて、最後に施錠が解除されたのは、日曜日の午前中で吹奏楽部の練習のためだった。それ以降は校舎に入ろうとした者は、少なくとも公式にはいなかった。

仮に、校舎内のどこかに、二日間潜んでいたとして、事件が起きたのは十二月だった。休日の校舎はもちろん暖房など効いていない。三日間も寒さに耐えていたのだろうか。日曜日が平年より温かったとはいえ、それは常識的は、かなり辛いことだ。自殺を逡巡していたかもしれないとしても、そんな辛さに対し耐える余裕があっただろうか。

やはり自殺者は、日曜日の深夜に学校内に侵入し、屋上に上り、ドアを開け、屋上に靴を残し、そして飛び飛び降りた、そのような推測が、もっとも妥当だと、学園内では推測された。

では校舎の鍵を、その自殺した人間は、どのように開けたのか? この問題は、学校の管理責任に直結するため、職員の間では極めて重要な問題とされた。遺体は鍵を所持していなかった。校舎内からは鍵は見つからなかった。月曜日の登校の際に、生徒が拾って持ち去った可能性もあったため、拾っていた場合は届け出るように通知したが、それが届けられることはなかった。また、自殺者が屋上から鍵を投げ捨てた可能性を考え、教師総出で校舎周辺を探索したが、鍵は見つからなかった。

結局、警察に捜査終了により、制服入所経路も校舎への侵入方法も、未解明のまま放置され、行旅死亡人の親族や関係者が彼を探し出してくれることを、待つのみとなった。


***


その行旅死亡人の身元が判明したのは、何と事件から半年たってからのことだった。

山田一郎。栃木県在住、享年16歳。

自殺する約半年前から、一郎は家出をして、行方不明になっていたが、父親が息子の捜索願を警察に届け出たのは、身元判明のわずか数週間前だった。そして身元不明遺体の写真の中から該当したのが、明成学園内で飛び降り自殺した遺体の写真だった。顔面は損傷が強く判別が困難だったが、身体的特徴の多くが一致したため、断定に至ったのだった。

父親が捜索願を出すのが遅れたのは、その家庭環境に問題があったためでもある。父親は転職を繰り返し、家庭の経済的状況は厳しかった。一郎は、6人兄弟の3番目として生まれた。ふたりの兄は、中学卒業と同時に家を出て、長兄はその数年後に音信不通となり、次男は、やはり18歳の時に盗難したバイクを運転中に、トラックと衝突して死亡した。

一郎が中学3年の時に、彼の母親は、幼い彼の妹や弟を捨てて、別の男と蒸発してしまった。彼が行方不明になった時には、彼の家庭は、すでに半ば崩壊しており、彼自身も、中学生のころから家庭に落ち着き場所を見出せなかったためか、友人宅等への外泊を繰り返していた。そのため、彼が家出をして、行方がわからなくなっても、父親は、あまり自体を深刻には考えていなかった。どこか友人の家で遊びくらしているだろうし、そのうちひょっこりと戻ってくるだろう、程度にしか考えていなかった、というのが、父親の言い分だった。


***


自殺した少年の身元が判明した頃には、学校内であの事件のことが話題になることは、ほとんどなかった。

学園とは無縁の家出少年が、たまたま自殺場所としてそこを選んだ、ただそれだけのことであると結論付けられたのだ。

結局、自殺者による学生服の入手方法と学園への侵入経路は不明のまま、事件は人々の記憶から消えていくことになった。

これが、現在までに判明している、山田一郎・自殺事件の概要だ。

しかし、自殺者が学園とは無縁の少年であったことが判明して、逆に不安が大きくなった教師が一人だけ存在した。

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