July 1973

訪問客

強烈な日差しが、木立に遮られているにも関わらず、その隙を貫通し、痛いほどに照りつけてくる、いつもの真夏の日常だった。しかしこの別荘地を訪れる人数がもっとも多い8月は、そろそろ終わろうとしていた。

窪川は管理人として別荘地に赴任して4ヶ月あまりの新米だったが、トラブルも無く仕事をこなすことができ、この仕事を今後も続けられそうだという、ささやかな自信が芽生えていた。

この別荘地は総戸数60戸程度あるのだが、窪川が就職した管理会社が一元的に敷地全体と、各戸の管理を行なっていて、安全上の観点から、オーナーといえども、無断で自分の別荘に宿泊することは禁止されていた。必ず、滞在する大まかな日数、人数の連絡を事前に入れてから、宿泊するという規則になっていた。

この日は8月末の日曜日とあって、帰る別荘オーナー達のほうが多かったのだが、それでも何人かのオーナーが、この地を訪れる予定になっていた。

今日来訪するなかでも、窪川は、まもなくやってくるであろう、3人の滞在者に、特に気をかけるつもりだった。それは、その3人が未成年だったからだ。オーナーである男性の17歳の娘と、その弟と、そしてもうひとりは、小学生の女の子ということだった。その小学生が家族なのか、そうでないのかは、事前の連絡ではよく分からなかった。

オーナーの娘は尾崎希美という少女だった。彼女が自分で電話をして、宿泊の日程を窪川に伝えたのだった。電話の声は、非常にわかりやすく、丁寧で、礼儀正しく、印象としては非常に良いものであった。希美は自分が未成年であることを、その電話で窪川に伝えた。彼は、オーナーのご家族の方であれば、宿泊には問題ありませんが、念のため学生証のような身分の証明となるものをお持ちくださいと言った。


***


到着予定時刻である朝の10時ちょうどに、管理棟のドアがノックされた。

入ってきたのはひとりの少女だった。彼女は白いブラウスに、膝が少し見える程度の紺のスカートを履き、黒い髪を後にひとつに結んでいた。

清楚、清潔、かつ知的な、都会のお嬢様だという印象を、窪川は受けた。やや古風な感じもしたが、彼くらいの年齢の人間には、それが逆に良い印象を与えた。

「こんにちは。よろしくお願いします。はじめまして、ですね。尾崎希美と言います。今日から、ここに1泊する予定でやってきました」

そう言って笑顔を見せると、尾崎希美は頭を深く下げた。

「お待ちしていましたよ。管理人の窪川と言います。こう見えて、今年の4月からここに来た新米なんです。粗相があるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。学生証、持ってきましたが…」

「いや、提示には及びませんので、失くさないようにお持ちください」

今日から翌朝までこちらに宿泊すると彼女は言った。翌朝は九時頃には出発する予定だと付け加えた。少し早めに発つのだなと、そのとき心の中で呟いたことを、窪川は今でも覚えている。


***

 

そしてその後から、希美に隠れるように、その背中にぴたりとくっついて、隠れるようにして入ってきたのは、小さな女の子だった。顔だけを希美の背中から斜めにしながら、少しだけ出すようにして、周囲の様子を非常に不安そうに伺っているようだった。そんな女の子に対して、希美は優しく肩に手をまわしていた。

「それから、この子が、一緒に宿泊する若槻美来ちゃんです。私の御友達なんですよ」

「おともだち、ですか…?」

一見したところ、その子はまだ小学生に入っていない程度の年齢、或いは五歳ぐらいにも見えた。しかし、実は八歳だったということを後に知り、少し意外な気がした。とにかく、そのときは、実際の年齢よりはずいぶん幼く見えたのだった。

少女は薄い黄色の Tシャツを着ていた。髪の毛がちょうど肩のあたり、Tシャツにかかるぐらいだった。吊りバンドのついたグレンチェックのスカートを履いていた。そして白い長めのソックスに、白くて綺麗な運動靴を履いていた。大きな、そして赤ちゃんのように純粋で澄んだ丸い目が、窪川の印象に残った。彼はその時、その子を幼児だと思い込んだわけだが、仮に同じ歳の幼児と比較したとしても、その子の瞳の純真さというのは、より一層際だっているように思われた。

結局、その子は最後まで一言も言葉を発しなかったが、その時は、まあやや強めの人見知りなのだなという程度にしか思わなかった。


***


「それから…」と言って、尾崎希美が入口の扉のほうを見て、小さく手招きをするようなしぐさを見せたところ、少年が姿を表した。彼が希美が言うところの「弟」であることを、窪川は直ぐに理解した。

「こんにちは、あんたが弟さんだね」と窪川は声をかけたが、少年は少しだけ会釈はしたのかもしれないが、目も合わそうとせず、紺色の大きなボストンバッグを重そうに肩からかけたまま、黙って下を向いていた。

「弟の大地です」と、代わりに希美が答えた。

大地という少年が希美の弟であるということ、それが胡散臭いことは、窪川も薄々は気付いていたが、それについて疑問を口にする権利は、単なる管理人である彼には、きわめて躊躇された。希美が清純で素直な、とても印象の良い少女だったので、男と来ることなど、窪川としてはあまり想像したくないという側面もあったのかもしれない。少女を連れてきていることも、彼の疑念をそのまま放置させる役割を果たしていたのは、間違いないだろう。

結局、その少年は弟でもなんでもなく、全くの他人であることを後から知ったわけなのだが、自分が抱いた疑念に対して何らかの行動を起こしていれば、あんな事件は起こらなかったかもしれないという後悔が、後々まで彼を苦しめることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る