July 1981

遺言

(カセットテープの音声)

秀樹へ。

せめてひと目で良いからお前に会いたい。俺には残された時間が無い。今日明日にでも、いや一秒後にでも、この命は尽きるかもしれない。だから俺は、俺の思いを録音に残すことにした。遺言のようなものだと思ってくれ。

録音したこのテープは、池野内先生に託す。だから後々に池野内先生がお前の元を訪れたら、このテープを受け取ってほしい。そして、先生に深く感謝してほしい。

星野大地に対する復讐の気持ちは全く衰えてはいないが、俺のこの体は、もはや限界を超えて燃え尽きようとしている。死ぬことは恐れていないが、目的をさせられないであろうことは、残念でならない。

お前には、俺の意志を継いで、私が成し遂げられなかったことをやってくれるであろうことを、切に期待しているのだ。


***


医者ははっきりとは言わないが、自分の病状は、自分が一番良くわかっている。

1年半ほど前のことだ。咳き込んでトイレで痰を排出したら、血が混ざっていたことに気がついた。

痛みはなかったので、医者にも行かずに放っておいた。いずれは自然に収まるだろうと、たかをくくっていた。しかし、甘くはなかった。その後断続的に同様の症状が起こった。そういう症状が数ヶ月続いた後に、鏡に映っている自分の顔が、頬がこけ、全身の皮膚が生気を失って、使用済みの濁ったラップのように弛緩していることに、漸く気づいた。

渋々病院に行ったが、医者はさらなる検査と可能な限り早急な治療を開始することを尾崎に勧めた。もちろん入院が必要だという。場合によっては手術で癌(もうこの時点で癌であることは100パーセントに限りなく近く間違いのないことだった)を摘出する必要があるとも言った。

しかし俺にとって、入院など論外だった。

私には必ず達成しなければならない目標があったからだ。それはもちろん、奴を殺すこと、それこそが、今の私の唯一の存在意義だったからだ。

しかし、病気は待ってはくれなかった。

俺は今、底なし沼の中で、耐え語い苦痛にもがき苦しんでいる。癌が、今では全身の骨に転移し、絶え間ない激痛が襲いかかってくる。そして肺に巣食う癌細胞は気管支を圧迫し、今にも溺れ死ぬのではないかと思うくらい、呼吸苦は日増しに悪化している。

しかし、人生とは切ないものだ。どんなに努力しても、少しずつしか進歩しないのに、転落は一瞬にして起こってしまうのだから。

いや、そんな感傷に浸っている暇は無い。とにかく、俺はお前に、遺言を残さねばならないのだ、復讐の遺言を…。


***


希美と秀樹、仲が良かったお前たち兄弟は俺にとって、かけがえのない、この世にたったふたりだけの子供達だったのだ。

それを、その仲を、奴が引き裂いたのだ。

お前には、事件当日の話をしたことは、なかったはずだ。その日のことも含めて、事件の概要を説明したほうが良いだろう。

あの日俺は、警察署内の地下にある霊安室に通されていた。

そして目の前には、白い布をかけられた、たしかに、大人の女性の背丈程度の盛り上がった部分がその布の下にあった。

警察はその布を剥がした。

これが人間だというのか・・・・・・。

目の前のこの物体が自分の娘だとは、まったく信じられなかった。顔が判別できないほどに、どす黒い血が前面にこびりついていた。顔面が何らかの鈍器で激しく叩打されて潰されていることは理解できた。中年男の隣で、やはり刑事と思われる女性が、無表情に立っているのを私は見た。

まるで悪酒を暴飲したあとで見る悪夢、その中でもがき苦しむような、非現実的世界が目の前に存在していた。

腐臭・・・・・・。

それだけが、俺を現実へと連れ戻す、唯一の実存だった。


***


事件の捜査自体は迅速に進展し、犯人はその日のうちに逮捕された。それが、当時15歳だった星野大地だ。

希美はその前日から、我が家の別荘に宿泊していた。少女と、「友人」との3人で、そこに行くとお前の母親に言っていたようだ。

なんでも、その少女は、養護施設で養育されている子供で、発達に障害があり、体は正常だが、言葉に不自由な面があるらしく、その子に夏休みのプレゼントという意味合いで、別荘に行くことになったらしいのだ。

まず第一に、希美が養護施設の子供と知り合いだったことなど、俺は全く知らなかった。

お前の母親は、希美が友人と別荘に泊まりに行くとは聞いていたが、そのときに友人として希美が名前を上げたのが、その施設の少女だったとのことだ。

しかし、こともあろうに、その少女と同じ施設に入所していた男も同伴していて、しかも凶悪犯罪者だったとは…。

事件発覚前夜、俺は東北地方の取引先との商談があったために、前日からその街のホテルに宿泊していた。

希美が別荘に宿泊することなど全く聞いていなかった。しかしお前の母親は自分の娘が外泊することを知っていて、俺には伝えていなかったのだ。

そもそもあの別荘を建てた目的は、家族での使用が目的だったことは言うまでもない。俺はカヌーをやってみたいと思っていたし、お前たちも楽しめるように、海と山の両方に近いあの別荘地を選択したのだ。

俺に黙って娘を外泊させ、その結果として、最悪の自体が生じてしまったことに対して、事件当日、俺はお前の母親を厳しく叱責した。


***


警察によると、大地が希美を強姦しようとしたが抵抗され、その態度に逆上して、殺害したとのことだ。そしてあろうことか、殺害後に強姦し、さらにそれでも足りずに、死んだ希美を鉄パイプでめった打ちにしたのだ。

奴がそんな異常者の素養を持っているとは気づかずに、希美は一緒に旅行に行ってしまった。それだけ、あの子が世間知らずだったということなのだろうか。

未成年による凶悪犯罪がニュースを賑わせていること、特に、未成年男子が凶悪な性犯罪を度々起こしていることも、俺は知ってはいた。

しかしそれは俺にとっては別世界の話でしかなかった。被害に遭う女性も、それ相応の理由があるからこそ犯罪に巻き込まれる、くらいにしか思っていなかった。つまり、夜遊びを常習としているとか、自分から危険な場所に飛び込んでいくからこそ、犯罪者の餌食となるのだ、というのが、それまでの俺の中での見解だった。

しかし希美の名誉のために強調するが、少なくともあの子に関しては、そんなことは無いと断言できる。夜遊びなど一度もしたことがなかったはずだ。有数の進学校に通い、学校での成績も極めて優秀だった。犯罪、まして性犯罪の被害者になるような素養など、微塵も持ち合わせてはいなかったと断言できる。

百歩譲って、希美が多少は不注意だったとしても、それが理由で大地が免責されることには絶対にならない。被害者にも原因がある、というような考えや発言は、あの子の名誉を貶め、奴の犯罪を正当化するだけであり、言語道断だ。


***


警察からは、大地が逮捕されたという報告があったものの、その後は何の連絡もなかった。憤慨した俺は、たぶんその3日後くらいだったと思うが、奴に会わせてほしいと、千葉の捜査本部まで出向いた。何故自分の娘があんなことになってしまったのか、その理由を直接問いただすつもりだった。

しかし対応した警察官は、誰に相談することもなく、即座に俺の要求を拒否した、そんなことできるわけないし、素人が事件に介入するなど、言語道断だと。俺は捜査の素人ではあるが、被害者の家族なのだと抗議したが、その抗議を無視するかのように、警察官は背を向けて立ち去ろうとした。

ほとんど無意識に、俺の手がその男の肩をつかみ、俺のほうに無理矢理振り向かせると、その拳が男の顔面向けて飛び出していた。

顔を押さえて倒れた男に馬乗りになって、何度も殴りつけると、その顔面はみるみる腫れ上がり、鼻と口から激しく出血していた。

次に気が付いた時には、警察の留置場の中にいた。だが、俺の心は『無』が支配しているのではないかと思えるほど、何の感情も湧き上がらなくなっていた。

裁判傍聴


***


公判初日、俺は傍聴席から、初めて大地のことを見た。最初の公判の時だった。奴の邪悪な目を見て、その性根が腐りきっていることは、一瞬で分かった。

裁判では、奴は反省の色を全く見せなかった。希美を殺害したことに対して、少しも悪いと思っていないと、はっきりと言ったのだ。薄ら笑いさえ浮かべていた。

奴は最初に希美に会った時から、猥褻目的で接近し、きっと何か上手いことを言って、別荘に誘い出したのだ。その挙句、殺害して強姦した、しかも人間の所業とは思えないような残虐な方法で。その上、自分も被害者のふりをして、犯行をカモフラージュしようとさえしていた。究極の卑怯者だ。

気が付くと、俺は傍聴席の柵を越えて、奴に飛びかかろうとしていたが、警備員に取り押さえられ、強制退室を命じられてしまった。

奴のことを見たのは、それが最初で最後だ。だが俺は奴の顔を永久に消えない刻印として、自分の脳の一番奥底に刻みつけた。


***


大地に対する憎しみは、今も衰えていない。むしろ自分の命の期限をはっきりと悟ってからは、その気持ちは加速度的に増幅されている。法律が奴の命を奪えないのであれば、俺自身が奴の命を奪いとるまでのことだった。

しかし、奴に復讐したくても、既に塀の中に『逃げこんで』いて、俺の手の届かない場所にいる。いつそこから出てくるのか、それさえ定かではない。時間的制約は、今では圧倒的に奴に有利となっている。その点に関しては、神を呪うしかない。

離婚


***


事件の直後には、娘を外泊させたことに対して、お前の母親を激しく叱責してしまったと言ったが、俺のほうが、もっと責任が重大だったのかもしれない。自分の娘の行動、しかも外泊することさえ、把握していなかったのだから…。

何の言い訳にもならないが、俺にとっては仕事が、自分の会社が、人生の大部分を占めていて、家庭のことは、正直言って二の次以下だった。

その後、俺とお前の母親とは、喧嘩をしなくなった。いや、話さえしなくなっていた。俺を非難する気力さえ無くなるほどに、お前の母親の精神は抜け殻となっていたのだろう。

事件から1年後、我々は離婚した。俺は離婚届を目の前に突きつけられたが、それは裁判の判決が確定して、奴が不定期刑を言い渡された翌日のことだった。

突然、しかも一方的に離婚を突きつけてきたその態度には納得できなかったが、そのことに反論しても、もはや意味のないことだ。俺は素直に離婚届に判を押すことにした。

その後の展開は、お前の知っている通りだ。お前の母親は家を出ていき、お前もその数日後に、母親の後を追って家を出てしまった。そして今になるまで、それが妻とお前を見た最後の日だ。


***


離婚後間もなく、俺は会社の経営権を譲渡した。家族を失ってからというもの、仕事に対する興味は、嘘のように俺の心の中から押し流されてしまった。

その後、俺は関西にやってきたが、奴が入所していた施設の職員から情報を得て、○○県の少年刑務所が収監先であること知ったからだった。

本来ならば、監督不行き届きで、民事訴訟を施設側に要求しても良かっただろうが、そんなことをしても俺にとっては意味のないことだ。賠償金が入ったところで希美が帰ってくる訳でもない。更なる裁判など時間の無駄だった。

俺にとって唯一の目的は、奴に私刑を加えることであり、司法が奴を刑務所送りにしたのは、奴を安全地帯に避難させただけの意味しかない。

こちらに来てからは、仕事を転々として、数年前からはタクシーの運転手をしている。刑務所の近くに住むこと自体に目的を達するための具体的な理由があったわけではなかった。ただ、少しでも奴のそばに来たかった、奴の存在を常に意識し、復讐への気力が萎えないようにすること、ただそれだけだった。


***


とはいえ、ただ漠然と塀の外から刑務所を眺めていただけではなかった。俺は何度も、大地との面会を要請した。しかしいずれも却下されてしまった。親族では無い人間は基本的には受刑者とは面会出来ない。それは分かってはいたのだが、却下されるたびに怒りが増していった。

手紙は出すことが出来たらしいが、奴に対して手紙を、こちらから書くことはなかった。仮に奴から手紙が返信されてきたとして、奴の言い訳など、聞きたくもなかった。まして手紙での謝罪など、まっぴらだった。奴と議論することを望んでいたわけではないし、今でもそうだ。


***


孤独な闘いを強いられていた俺だったが、最近になって、ようやく信頼できる協力者に巡り合うことができた。それが池野内先生だ。先生は俺の行方を探し続けていたという。そして、ようやく居所を突き止めたのは、つい先月のことだった。

先生はノンフィクション作家で、あの事件を再検証していると言った。事件にはまだ明らかになっていない真相があるというのが、彼のプロとしての推測だった。そのため、関係者から証言を得るための一環として、俺の居所を探していたという訳だ。事件の真相が明らかになった暁には、本として出版したいとのことだった。

俺は先生が書いた何冊かの本を見せていただいたが、いずれも犯罪に関連するノンフィクションの作品だった。もっとも、俺には本を読む習慣などなく、ただ先生が書いた本だということが分かれば、それで十分だった。

あの事件を本にするべきかどうかはともかく、先生のような人が、奴が犯した大罪を世の中に知らしめ、事件の風化を押しとどめてくれるわけで、その点でも、先生には足を向けては寝られない。

先生は俺だけでなく、お前と、お前の母親の行方も同時に探していたのだが、お前の母親については、先生が消息にたどり着いた時には、既にこの世にはいなかった。

俺自身も、先生からの情報によって初めて、お前の母親が今から3年前に自殺したことを知った。もちろん、彼女の自殺の原因の多くは、俺自身にあるだろう。申し訳ないと思う。俺が彼女にしてやれる最大の供養が、奴を葬り去ることだったのだが…。

先生はお前の行方も探しているが、まだ掴めていない。先生は、俺とお前が一緒には生活していないことを知り、その時点で初めて、お前が行方不明であることを、俺も先生も初めて知った。

そしてお前の居処に関しても、先生は知り合いの探偵社を通して、探してくれると言ってくれたのだ。俺には探偵社を雇うなんて、金銭的に出来はしない。

お前が事件に関与しているわけではないので、先生にとって、お前を探すメリットはない。それでも、被害者の家族として、お前からも話を訊きたいし、とにかく、行方を探し出す必要性はあるだろうと仰っていただいた。もちろん、俺に対する気遣いである面も、多分にあるだろう。

実はこの録音テープ作成を提案したのも先生なのだ。お前を見つけ出したときに、このテープを聞いてもらい、俺の思いを伝えて上げたいという、先生の我々に対する熱心なお気持ちから発したアイデアだった。お前に会えたとしても、このテープほどには上手く気持ちを伝えることができないかもしれないし、俺が死んだ、場合は、冒頭に、言った、通り、遺言として、お前に、託される、だろう…。

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