No.13擬似ライブ体験
「こ、これがキーボード……!」
初めて実物を見た私は唾をゴクリと飲み込み、震える手でそっと鍵盤へと指を乗せて押し込む。
「あ、あれ?音でない」
しかし、キーボードからは何一つも音が出なかった。
「当たり前でしょ?なんも接続してないのに音出るわけないじゃん」
「あっ、そうでした…」
紗雪さんが握っていたコンセントを見て納得した。
「あと、緊張し過ぎ。いけないことするわけじゃないんだからさ」
「す、すみません…」
「もしかして、今までキーボードに触れたことないの?」
「はい…」
「マジか」
「でも、前からキーボードに少し憧れてて……世奈ちゃんからも言われてたんですけど、なかなか自分からキーボードに触れる機会がなかったので…」
私と世奈ちゃんがバンドをやるとなったあの時から、ずっとキーボードをやらないかと世奈ちゃんに言われていた。
やりたかったけど、家にキーボードなんかないし、買おうとしても私の今のお小遣いじゃ買える値段じゃない。あと、何よりお母さんのことを考えちゃうからキーボードのことは正直、もう半分諦めていた。
でも、こうして触れることができるなんて思いもしなかった。
「でも、今ならその憧れのキーボードが弾けるんだからさ、やるだけやってみてよ。いつもみたいに」
「や、やらせていただきます…!」
「もっとリラックスすればいいのに……ひ、姫乃は…ピアノが上手なんだからさ…」
紗雪さんは赤くなった頬を人差し指で掻きながら、少し斜め下を向いていった。
褒めるのに慣れてない様子の紗雪さんを見て、私はふと思った。
「……紗雪さん、可愛いですね」
「は、はぁ?」
「私を褒めてくれるとき、紗雪さんのほっぺがこう…ポッと赤くなるので…つい可愛いなって思っちゃって…」
自分の頬を指でツンツンと触りながら、笑顔で紗雪さんに伝えた。
「う、うるさい!そんなこと言ってないでさっさとやるよ!」
そう言うと、紗雪さんはそそくさと世奈ちゃんのところに行ってしまった。
「怒っちゃったかな…」
私も急いで二人の元へと向かった。
「こ、これが…!あやなんの見ていた景色…!」
紗雪さんにキーボードとマイクをスピーカーに繋げてもらった後、私は改めてステージの上から周りを眺めていた。
少しだけ背の高いところから見下ろすように、私が小学生の頃に見ていた観客席は小さく見えた。
「あははっ!なんか楽しくなってきた!」
「それじゃ、試しにいつも通り『universe』の曲でやってみよっか。姫乃、準備は良い?」
「は、はい。いつでも良いですよ」
「よしっ、それじゃいくよ」
紗雪さんと世奈ちゃんと目を合わせると、紗雪さんのドラムと掛け声とともに、いつもの演奏が始まった。
「(音楽室と…全然違う…)」
ギターやドラムのカッコいい音の響き、そして、スピーカーから流れるまだ少し恥ずかしさが抜けない私の声。私たちの演奏は、全部学校では感じなかったものばかりで全くの別物だった。
「(あやなんも…こんな感じだったのかな……)」
歌う私の頭の中には、あの頃のあやなんが脳裏に浮かんでいた。
髪を乱して声を荒げて飛び跳ねて———。
あやなんのことを思い出した途端、だんだんと私の心は跳ねるようにドクンドクンと脈を打った。
「(私もきっと…できるんじゃないかな…)」
不思議と湧き出るくすぐったい程の好奇心が、私の歌声を変えていく。
「(もっと…歌いたい…!)」
その思いを、歌に変わっていく。
お腹がいっぱいに満たされるぐらいに声を出し、キーボードに置かれた指が止まっても、私は歌を止めなかった。
いつもだったら、鍵盤から指を離した途端、私は心配のあまりテンパってしまう。それでお母さんに何回怒られてきたことか。
でも、今だけはそんなことよりも歌うことが一番だった。
あぁ、楽しいな。
私の熱くなった心の中は、幸せだった。
気づけばあっという間に歌い終わってしまった。歌の一番までしか歌ってないんじゃないかと思うほど短く感じたが、ちゃんと最後まで歌っていた。
「はぁ…はぁ……」
だが、それよりも私は珍しく息が切れていた。毎日歌っているはずなのに、私は疲れていた。
「姫乃…アンタ……」
すると、後ろから紗雪さんの重い声が聞こえてきた。
やばい、これは怒られる……。
直感でそう感じてしまうほどの圧を感じた。
一応、心当たりはあるにはある。
歌っている途中、私はキーボードから指を離して歌っていたようなものだった。きっとドラムにとって、音が減ってリズムが分かりづらくなってしまったのかもしれない。
「す、すみませ——」
「カッコいいじゃん」
「へ?」
怒られると思い、慌てて振り返って頭を下げた瞬間、紗雪さんから返ったきた言葉は想像と全く違った。
「あ、今のは、その…えっと…なんていうか…姫乃がボーカリストに見えたってそれだけの話」
「姫ちゃん!いつもの何百倍もカッコいい歌い方だったよ!どこで習ったの?また独学?それともカラオケ?」
「え?あ…いや…その……私が見たあやなんは、きっとこんな思いで歌ってたんじゃないかなって思って…それを…私の思いをそのままに歌に変えたんです
「なんか、すごっ!」
世奈ちゃんの目を丸くして驚く顔に微笑むと、急にどこからかパチパチと軽く拍手するような音が聞こえてきた。
「良かったよ」
音がした方に振り向くと、そこには椅子に座って笑みを浮かべる三浦さんがいた。
「い、いつの間に…!?」
「いや〜、ここに来る人なんて限られてるからさ、カウンターまで音が聞こえてくるんだよね」
「そりゃ、他に客がいないからでしょ?」
紗雪さんの突いた言葉に、三浦さんの顔は苦笑いに変わっていた。
「紗雪ちゃんは相変わらず、俺の痛いとこ突いてくるねぇ。でも、三人ともすごいね」
褒め言葉にパァッと明るく驚く世奈ちゃんと目を合わせて、二人でニコッと笑い合う。紗雪さんの方をチラッと見ようとしたら、そっぽを向かれてしまった。
「姫乃ちゃんの歌、世奈ちゃんのギター、紗雪ちゃんのドラム——この三つの音が一つになってたよ」
「ありがとうございます…」
「でも、珍しいね。『universe』の"コピバン"なんて」
コピバン。それはコピーバンドの略で、有名なバンドを真似て演奏するバンドのこと。
確かに、今の私たちは普通のバンドと違って『universe』の曲しかしてない。
みんなで合わせられる曲がそれしかないのが理由だけど。
「別に良いでしょ?私たちを引き合わせてくれたのが『universe』だっただけ」
「いやいや、別に批判するつもりはないよ。あまりに上手だったからさ、本物の『universe』みたいだなって」
そう言われた途端、私の中から何かが込み上げてきた。
熱くて嬉しい気持ちが私の目から涙となって溢れ出る。唇がプルプル震えて口角を上げようとすると変に強張ってしまう。
でも、きっとそれだけ嬉しかったんだと思う。
「あ、あれ?泣いてる?」
心配してくれる三浦さんの顔が涙で滲む。
「泣かせたの?私の姫乃を?」
怖いよりも恐ろしいが勝ってしまうような紗雪さんの声が聞こえてくる。
「三浦さん……」
「ご、誤解だ!俺は泣かせたつもりなんて…!」
「違うんです……」
涙の滲んだ声で私は言った。
「これが、バンドなのかなって…思っちゃっただけです……」
そう言うと、三浦さんは少しポカンとした顔をした後、軽く笑っていた。
「でも、姫乃ちゃんの言うバンドはちょっと違うかな。足りないところが大きいからね」
「え…?」
「姫乃のこと、バカにしてるの?」
「いやいや、バカにできないよ。俺もバンド経験者だからね。姫乃ちゃんの凄さはもう分かったよ」
やっぱりこういう道に行く人って、経験者しかいないのかな。
改めて、私は思った。
「そうだね〜、足りないって言えば、土台が無いね」
「土台…?」
「君たちの演奏を"家"で例えてみようか。紗雪ちゃんのドラムが柱、世奈ちゃんのギターと姫乃ちゃんの歌とキーボードが家具だとすると、まだ大事な土台がないんだ」
「それって、"ベース"のこと?」
ベースは、低音パートを演奏するためのギターのような弦楽器。
「そう。ベースは演奏の大事な土台。君たちの演奏を裏で支えるんだ」
「そういえばそうじゃん。私たち、ベースいない」
「今更?」
「いや〜、さゆっちが入ってくれたことで頭がいっぱいいっぱいだったからさ〜」
「ふんっ…何それ」
「ベースが入ると、君たちの演奏はより完成に近づくと思うよ?」
「ベース……」
「あっ!思い出したっ!」
すると突然、世奈ちゃんが何か閃いたのか大きな声を上げて手を叩いた。
「いた!ベース候補!」
「ベース候補?」
「もしかして…紗雪さんの他にも候補がいたって言ってたことですか?」
「そうだよ!よく覚えてるね」
紗雪さんの話をされたとき、世奈ちゃんは他にもいたと言っていたのが私の記憶にギリギリ残っていた。
「じゃあ、その子をスカウトしてみるのはどうかな?その方が、もっとバンドに近づけると思うよ」
「よしっ!じゃあ次はベースだ!姫ちゃん、またやるよ!」
「ま、またですか…?」
「当たり前だよ。姫ちゃんは私たちのリーダーで、可愛い"プリンセス"なんだから!」
「プリンセスだなんて…は、恥ずかしいです…!」
「良いじゃん良いじゃん!さゆっちもそう思うよね?」
「まぁ」
「ふぇ…」
紗雪さんがメンバーになって以降、プリンセスいじりが最近になって増えた気がする。
「とりあえず、今日は初回無料ってことで、時間まで自由にやってもらっていいよ」
「ほんとですか!?」
「三浦さん、大丈夫なの?」
「まぁ、なんとか……」
「ありがとうございます…!あ、あと…アドバイスまでいただいて……」
「いーよいーよ。俺、バンドの卵いろいろ見て育ってきたからさ。君たちみたいな頑張る姿を見せられたら、何かしてあげたくなっちゃうんだ」
そして、三浦さんは「何かあったらカウンター来てねー」と言って出て行ってしまった。
私たちも時間の限りやれるだけ繰り返し演奏をしていた。細かい部分とかアレンジとか、いろいろ話し合いながら楽しくやっていた。
「楽しいですね…」
「うんっ!」
「まぁ、うん」
このままずっと、楽しい時間が続いて欲しいな。
多分、三人は同じことを思ったと思う。
「これで良かったの?」
「うん、これでじゅ〜ぶんだよ〜」
カウンターでは、何やら二人の話し声が聞こえていた。
プリンセス・Fコード ふてぶてしい猫 @futbut_sineko
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