パン泥棒の少女
湯呑ぽかろ
第1話
パンやくだものを盗んで、それを食べる毎日。ご飯を食べなきゃ死んでしまう。
そんな単純な理由で、わたしは盗みをやっていた。
いつも罪悪感でいっぱいだった。
でも生きるためには仕方がないから、こうしなきゃ死んじゃうからって自分をごまかして、いつも盗みをやっていた。
ある日のことだった。
その日もご飯のため、わたしは盗みをしていた。
けれど逃げるときに躓いてしまって、店主のおじさんに盗みをやったのが見つかってしまった。
こうやって見つかれば、大抵の場合殴られ蹴られ、見世物にされる。わたしは、そうはなりたくなかった。
けれど悪いことをしている自覚もあった。そのうえで捕まってしまい、わたしは店の中へ連れて行かれた。
わたしはずっと謝った。頭を何度も下げて、ごめんなさいって言葉を口にした。
けれど許されるわけもなく、おなかを蹴られ、吹き飛ばされ、しまいには壁に打ち付けられた。
腹のそこから熱いものが出てきて、口の中に少し広がった。
それから、おじさんはわたしを掴んで、どこか遠いところへ連れて行った。
人が何人かいるところに通され、そこに座れと命令された。
わたしはおとなしく椅子の上に座り、そこで待った。
まわりには三人の大人がいた。
若いお兄さんと年老いたおじいさん、私には目もくれず、机に向かう職人さんがいた。
そこで、膝をゆすりながらお兄さんは怒鳴った。盗みをするようなお前に生きている価値なんてないとその人は罵った。
わたしはその言葉に、まったくもってその通りだと思った。わたしみたいな盗っ人一人が死んだところでどうせ誰も悲しまない。
そしてそれは、生きている価値がないということなんだろう。だから、彼の言っていることは間違ってはいないと思った。
けどもう一人のおじいさんは、優しくわたしのことを諭した。
悪いことをするのはよくないことだ。けれど、そうせざるを得ない事情があったんじゃろう。今回盗んだぶんはワシが払う。
幾らかの日銭もお前にやる。これからは改心して、真っ当な道を歩みなさいと。そう言うおじいさんに周りの人たちは呆れていたが、おじいさんはなぜか私を庇った。
わたしにとってはそのおじいさんはひたすらに不思議だった。
盗みをするわたしにこんなことを言う人とは今まで会ったことがない。それに、いつもどこかに連れて行かれれば、大勢に殴られ蹴られ、口汚く罵られた。しかし、この人はいくらか違った。このおじいさんは、なぜか盗みをしたわたしに優しくしてくれたのだ。
そうしてその人にお金を工面してもらったわたしは、事なきを得た。
他の人たちから軽蔑の眼差しを受けながらも、おじいさんに代金を払ってもらい、恐れ多くも銀貨3枚をもらった。
それから、しばらくの間は盗みをやめて、貰ったお金を使って生活した。でも、働き方も分からず、みなに盗っ人だと思われているわたしは街の人たちにぞんざいな扱いを受けた。
いつしかお金も底をつき、また一文無しになった。優しくしてくれたあのおじいさんにまた会いたい。お金など関係なくとも、あの優しさにまた触れたい。
そう思ったけれど、広いこの街であの人に出会うことはなかった。
もう、死んでしまおうとも思った。自分は周りの人たちに言わせればクソガキで、盗人で、クズ野郎で、生きる価値がないのだという。
そんなわたしが生きる意味ってどこにあるのだろうって、周りの言っているとおりそんなふうに思うのだ。
けどそんなことを思っていても、わたしは盗んだパンを抱えている。
わたしには、そんな自分が最低だと思えた。
それからまた、いくらか日が沈んだ。
もう生活は昔のとおりに戻って、盗みをやるしかなかった。
自分が生きるためには結局こうするしかなかった。
でも盗みがばれればわたしは殴られ蹴られ、罵詈雑言を浴びせられるのだ。あのおじいさんの優しさが今でも頭から離れず、そんな暴力と暴言を受けるたび、わたしの身体と心は痛むのだった。
毎日おなかがすいて、からだも痒い。喉も乾く。でも盗みをしなきゃ生きていけない。
そしてそんなある日、わたしは突飛なことを思いついた。もう、この街から逃げてしまおうと思った。
それはわたしにとって希望ともいえるものだった。ほんとうに突然のことで、けれど素晴らしいアイデアだと思った。
盗みをしないで、自分の力だけで生きていく。なんて素晴らしいんだろうと思った。わたしは思い立って、少ない持ち物をすぐに纏めて街を出た。最後に食糧だけいくらかくすねた。
でも、これが最後の盗みだと決心する。それから、わたしはひたすら遠くへ歩いた。
森を抜け、野原を歩き、川の水を浴びた。野生の生き物を捕まえて、自分のお腹を満たした。なんてすばらしいんだろうと思った。
そんな生活がいつまでも続いていけば、街の暮らしよりもうんと楽しいじゃないかと思った。
そして心のどこかで、これが続くのだろうと思っていた。
でも、そんな夢物語はこの世界にはなかったらしい。
冬が来た。
空気は冷たく、なにをするにも体が冷える。暖をとりたくとも、火の付け方は知らない。誰からも教わったことはない。
ある日のこと。その日はなにも捕まえられず、水も飲んでいなかった。息をするのもやっとで、体も重く、眠くて仕方がなかった。
でも、わたしは食べ物をさがして歩いた。道中葉っぱや雪を食べたりもしたけれど、腹の足しにはならず、結局のところ疲れが勝っていた。
もしかしたらこのまま死ぬのかもしれない。
そう思いながら歩いていると、偶然にも崖にそびえ立つ民家を見つけた。見たところ生活の痕跡はあるものの、人の気配はなかった。
そして庭先には服とくだものが干してあった。家にこっそり入ると、なかにはパンやチーズ、水、食べ物がいっぱいあった。
わたしはお腹が空いて、喉が渇いて仕方がなかった。だから、それを食べたくて食べたくて仕方がなくって、手を付けようとした。でも、そのときにおじいさんの言葉が頭をよぎった。
そしてこうやって街を出た理由を、盗人と罵られたときのことを、決心したときのことを思い出した。
わたしはどうにかなりそうだった。盗みはだめだ。でもお腹がすいてしかたがないし、喉が渇く。体も冷える。
どうすればいいのかもわからず、けれどとりあえずその家を出た。外は寒い。
しかし、また盗みに手を出そうとした自分を嫌った。自分を変えようと思って街を出たのに、これじゃ意味がない。
でも、死にたくはない。温かいご飯とお湯を飲みたい。そしてふかふかのベッドで眠ってみたい。わたしはそう思った。
乾いた風が鼻先をこする。庭先では、相変わらず果物が揺れている。崖の先には、大きな山々と森が広がっていた。
わたしは誘われるがままに、崖のほうへと近付いていった。
崖っぷちまでわたしは歩みを進める。一歩先に進めば、わたしは落ちて死ぬ。景色も美しい。
行きたい。そして死にたくない。
でもこんな人生なら、いっそここで終わってもいいんじゃないかと、そんな考えが一瞬頭をよぎった。
空腹もあってか、頭はいまいち回らなかった。そして、わたしはふっと、足を滑らした。それは一瞬のことだった。
落ちるということを理解するまえに、わたしの足が宙を舞った。身体が落ちる。空が青い。身体はゆっくりと落ちていった。
しかし、落ちたかと思えば、止まった。一瞬、何が起きたのか分からなかった。だれかがわたしを助けたのかとも思った。でもそうではなかった。
周りに誰かいるわけでもなく、それでいてわたしが崖から落ちたわけでもない。上を見る。すんでのところでわたしの左手が、崖っぷちを掴んでいた。自分がそうしようとしたわけでもなく、わたしの身体が勝手にそうしていたのだ。その大地を掴む力は強い。
どこから出ているのかもわからない力で、わたしはなぜか生きている。
ふと下を見る。広がる地面は遠く、わたしのいる場所は高い。高さを知る。そしてそのとき初めて、死ぬということに現実味が帯びてきた。そして思う。怖いと。死にたくないと。まだ生きていたいと。
わたしは右腕を持ち上げて、崖を掴む。両腕の力を使って、足を引っ掛け身体をしならせ、必死に崖を登る。ある力すべてを振り絞って、身体をがむしゃらに動かす。そしてわたしは崖を登りきり、ぐったりと地面に寝転んだ。
空は相変わらず。けどお腹が減って、家もなく、お金もなくて家族もいない。
でも、わたしは知ってしまった。生きるか死ぬかの選択を、わたしは選んでしまった。わたしは、未だに生きている。頼れるあてはない。生きていく自信もあまりない。でも、少なくともこれだけはわかる。きっとわたしは生きたいのだ。そう思うと、胸が苦しい。でも、それと同時に悩みから開放されたようにも思えた。
どうやらわたしは死ねない。なら、わたしは生きるために全力を尽くしたい。ごはんを食べて、どこかで寝て、誰に何と思われようと生きていきたいのだ。
自分で自分の命を救った。そこになんの意味があったのかはわからないけれど、少なくともそれでよかったと、わたしは思えた。
遠くのほうに人影が見える。わたしは頬を緩ませながら、掠れた声を振り絞った。
パン泥棒の少女 湯呑ぽかろ @yunomi_064
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます