月を飛ぶ蝶のように
長月瓦礫
月を飛ぶ蝶のように
乾いた拍手が鳴り響く。宙に吊るされたミラーボールは月、反射する光は蝶のごとく、観客がいなくなったホールを飛ぶ。
拍手が起きたのだ。誰もいないはずなのに。
後ろを振り返ると、錐崎が最前列の席に座っていた。
観客にでもなったつもりなのだろうか。
いつもは舞台袖で見ているから、なんだか奇妙に見える。
「……」
正直、会話をする気もおきない。
なぜ、そこにいるのか。
神出鬼没という言葉が本当によく似合う。
「いるなら声くらいかけてくれ」
ため息まじりにそう言うと、錐崎は笑いながら立ち上がった。
「楽しそうに歌っていたからな、邪魔なんかできるわけがねえ。
いつもこんなふうにやってくれればいいのにな」
「そんなに楽しそうだったか?」
錐崎は満足げに人の顔を覗き込んで笑う。
「アンタさ、私のことかなり誤解していない?」
「誤解?」
俺はただ、おうむ返しに言葉を繰り返す。
だめだ、まるで頭が働かない。それだけ魂を削ったからか。
「せっかくいい声してるんだからさ、私も混ぜてくれよ。
一人よりも二人でやった方が楽しいんだよ、こういうのは」
「いい声? どういうことだ」
「初めて会った時からずっと思ってたんだけどさ。
本当に綺麗な声だよな。あんた、悪魔になる前は歌手でもしてたの?」
「お前には関係ないだろ」
私が何であるかはこいつには関係ない。
話したところで、俺のイメージに合わないとかなんとか言って無視されるだけだろうしな。改ざんされないだけマシかもしれない。
「デタラメで混沌としていて、曲としても成り立っていない。
それを私だと、アンタはよく言っていたけどさ」
「適当に言っただけだよ、あんなの」
「私は人間失格って言われたみたいで、結構悲しかったんだけどね」
投げやりに言って、ため息をついた。
いつも突然現れてかき回す。
社会性なんてあった物じゃない。まさに、人間失格そのものじゃないか。
あの時もそうだ。
タワーマンションの屋上、アイツは俺を引きずり込んで無理やり連れ戻した。
物心つく前には、生きる意味を見失っていた。
こうなる前のことは覚えていない。
気づけば不老不死になっていて、望めば何でも手に入る体になっていた。
金でも暴力でもその気になれば、手に入らないものはない。
こんな世界に何の意味があるというのだろう。
「しかしだな、あそこで私が見逃していたら今のアンタは絶対にいない!
エンターテイナーとしてのアンタはステージに立っていなかった!
分かるかい、あの時私は原石を見つけたんだ!
憂鬱という無限エネルギーを抱えた不撓不屈のアイドル!
これほど現代社会にふさわしいものはない!」
「そうかよ」
錐崎は俺を指さして、いつも熱を込めて語る。
不老不死の存在こそアイドルにふさわしい。
絶望がはびこる社会に必要なものは終わらないエンターテインメントである。
いつかは枯れ果て朽ち果て終わるコンテンツに怯えながら過ごす夜ほど、怖いものはない。
だから、私みたいな人外が表舞台に立つ必要がある。
人間のアイドルなんてオワコンであると人間であるくせに語る。
バーチャルアイドルなんてもってのほかだ。
彼らも所詮、人間が生み出した紛い物だ。
本物の不老不死を魅せてやれば、誰もがひざまずく。
腐った世界をひっくり返すのだ。
「全国ツアーも本当に叶いそうな勢いなんだよ!
君は国どころか、世界の境目さえ越えられる存在になりつつある!
終わらないエンターテイメント! それを叶えられるんだ!」
「そいつはどーも」
「おいおいおいおい、冗談抜きで言ってるんだよ。
本当にそういう話も来ているくらいなんだよ!」
彼は契約書を渡してきた。
次の企画はこの街を飛び出すつもりでいるらしい。
錐崎は太陽よりも輝き、月よりも優しく、星よりも美しい偶像を探していた。
いつも退屈そうにして、腹を空かせた野良犬みたいに、おもしろいものを探し回っている。
俺は世界に絶望していた。何をやっても死ねない。どうすればいいのか分からない。
絶望や憂鬱はいつものこと、死にたくても死ねないのもいつものこと。
闇を糧にして華を咲かせ、光を夜に刻む。
そこに、タワマンから飛び降りようとしていた俺を見つけた。
終わらないエンターテイメントであり本物の偶像を見つけた。
「どうだい? 今日もあんだけ盛り上がったんだ。
少しは生きる希望が湧いてきたのでは?」
「何言ってんだ、アンタが勝手にやってるだけだろ? 俺は興味ない」
俺はカバンに企画書をしまい、舞台から飛び降りた。
月を飛ぶ蝶のように 長月瓦礫 @debrisbottle00
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