幕間2.春風を追いかけて
仕立屋を出たところで不意に通りを駆け抜けていった煽り風に髪を押さえながら、セレシアはメイの手元のメモを覗き込み、指差し確認をしていた。
「エプロンよし、ブラウスよし、後は……ああ、髪留めね」
品物の予約がされているという店名は、二つ先のブロックにある老舗だ。
セレシアはメイを先導するように、足を踏み出した。
「すみません、姫様にご足労いただきまして……」
「いいのよ、気にしないで。オルフェウスの中心街って賽の目に区切られているから、慣れないと迷うのよね」
「むしろ姫様はなぜ、もう慣れているのでしょう……」
「それは……うん、聞かないで」
セレシアが苦笑を向けると、メイは「かしこまりました」と含み笑いを堪えながら頷いた。
今日は、メイのための仕事着を受け取りに来ていた。セレシア専属だと時間を持て余すこともあり、かといって屋敷をうろつくのも気が引けるというメイに、ウェインの口利きでお屋敷の仕事をすることになったからだ。
メイド長との面接を経て、渡されたのが先刻のメモ。曰く、今後もお世話になるところだから、直接足を運んで挨拶をしてきなさいということらしい。
「ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします」
「あいよ、アンナによろしく伝えておくれ」
最後のアクセサリショップで商品を受け取ったメイが、頭を下げながら店を出てくる。
軒先で待っていたセレシアは、その声に振り返ろうとして、ふと、違和感に目を瞬かせた。
「お待たせしました、姫様。あとは帰って報告するだけですね」
「うん、お疲れ様」
「……姫様?」
遠くを見ながら生返事を返すセレシアに、メイが怪訝に首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「ねえ、あの人……スケイルさんだよね?」
セレシアが指を差した先には、特徴的な薄緑の長髪をした男性が歩いていた。彼の腕に抱き着くように派手目な服装の女性がしなだれかかり、仲睦まじそうに歩幅を合わせている。
女性の美貌と、周囲に漂う香水の良い香りに、道行く男性たちは皆振り返っていた。
「綺麗な人……彼女さんでしょうか」
「そういえば、こういうことは全然知らなかったなあ。今度ご挨拶ができるといいわね」
今は邪魔をする必要もないだろうと、群衆から背を向ける。そこで、メイがあっと声を上げた。
「姫様、大変です!」
「うん?」
メイの指さす方へと振り返れば、いつの間に一人になっていた女性が、通りかかった男性に声をかけられ、その人と腕を組んで路地の向こうへと行ってしまうところだった。
「……えっ? スケイルさんは!?」
「喫茶店の中にお一人で入られて……あっ、出てきまし――」
そこで、メイの言葉が詰まった。
スケイルが別の女性と腕を組んで出て来たからだ。
「と、取っ替え引っ換えというやつですか……?」
「一体どういうことなの?」
スケイルが顔立ちの整った美丈夫だということは解るけれど、色男だとしても、直前まで連れ添っていた女性が姿を消しても気に留める様子もないのは妙だった。
「(まさか、不純な……!?)」
だとすれば由々しき問題である。スケイルの女たらしぶりを、ウェインは知っているのだろうか。
調査のため。そうメイと頷き合ったセレシアは、スケイルの後を追うことにした。
尾行するのは比較的容易だった。路地を曲がったところでわずかに見失ったとしても、やわらかい風に乗ってくる香りが特徴的で、すぐに居場所が判るからだ。
「ま、また別の女性になりましたよ!?」
残された女性は、また同じように別の男性に声をかけられて、どこかへ歩いて行ってしまう。
その行先も気になるところだったが、スケイルと女性が交差点を曲がるところだったため、セレシアは慌てて先を急いだ。
しかし、路地を曲がったところにスケイルの姿はなかった。漂う香りも、何事もなかったかのように消え失せていて、どこへ行ったかの検討もつかない。
「――残念だけど、彼は売り物じゃないよ」
「わあっ!?」
きょろきょろと動かしていた視界に、ぬっと現れてきた女性に、セレシアたちは飛び上がった。思わずメイの抱えていた荷物袋に隠れるように、二人で身を縮こめる。
紙袋からそっと顔を出したセレシアは、彼女が最後にスケイルと並んで歩いていた女性であることに気が付いた。
「ええと、そのう……売り物とは?」
「あれっ、あの子への懸想人じゃないの? ずっと付けていたみたいだから、てっきり」
「いえ、私はただ、スケイルさんが危ないことをしていないかと心配で」
「スケイルさん? ああ、もしかしてスーちゃんのお友達!?」
「ス、スーちゃん!?」
たじろぐセレシアに、るんるんと目を輝かせた女性が距離を詰めて握手をしてくる。
「はじめまして。私はコード・メジャー、あの子の姉です! よろしくね!」
「お姉さんだったんですね。じゃあもしかして、先ほどまでの女性たちも……?」
「それはうちの店の子たちね。私、男性を相手に擬似交際の体験を売る風俗店を経営していてね。店に籠っていても仕方ないから、たまにスーちゃんを呼んで、宣伝のお手伝いをしてもらっているのよ」
「宣伝……ああっ、だから香りが届いてきたんですね。風の天恵で」
「そゆこと♪」
「――そゆこと、じゃありませんよ。姉さん」
ため息混じりの声とともに、コーヒーの紙コップを両手に持ってやってきたスケイルは、セレシアの顔を見て、なんとも所在なげに笑った。
「ごきげんよう、セレシア様。うちの姉がすみません」
「セレシアって……ええっ、獅子王殿下の新妻さん!? やだあ、そういうことなら早く言ってよ。あ、軽々しく握手しちゃったけど、罪には問われないわよね?」
「ええ、別に……はい」
スケイルとは正反対な溌溂さに気圧されて、セレシアはこくこくと頷いた。よく見れば顔立ちはそっくりだ。特に目元などは、その部分だけ見せられれば見分けがつかないかもしれない。
「既に姉からお聞きでしょうが、現在私は、家業の手伝いをさせられているのですよ」
「させられてるだなんて、つれないわねえ――ふごっ」
しなを作って弟にすり寄る姉は、コーヒーカップを口元に押し当てられて制された。
「こんな風に賑やかな姉ですが、早逝した両親に代わり育ててくれた家族でして、無碍にも出来ず……ああ、この件は殿下もご存知ですから、ご安心ください」
「あはは、バレてましたか……」
「ええ、ばっちりと。客の反応を見るべく細い逆風を混ぜていましたら、その中にセレシア様たちのお声がありましたので」
手品の種明かしをした奇術師のようにどこか悪戯っぽく笑ったスケイルは、「お二人もコーヒーなど如何です? ここの豆は美味しいですよ」と、今しがた出てきた喫茶店へと手招くのだった。
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