49.エピローグ

 ある日の早朝。セレシアたちがシナプシア邸に顔を出した時には、既にマリアは表に出ていた。馬車にはオルフェウスが手配した兵士たちが護衛に付いている。

 今回は事が事であるため、指揮官クラスの人間からスケイルも同行することになっていた。『騎士』のこともあるため、信頼できる者をとウェインが推薦したためだ。



「あら、もう来ちゃったのね。バレないうちに出ようと思っていたのだけれど」

「そういう訳にもいかない。こちらの内乱で、本当に迷惑をかけてしまったのだから」



 頭を下げるウェインに倣い、スケイルやアッシュ、他の兵士たちも礼を送る。

 こうなるからよと、困ったように笑って、マリアは二台目の荷馬車へと振り返った。オルフェウスに訪れる際はこちらへの見舞品を積んでいたそれには、今はオルフェウスからの品がどっさりと積まれている。



「既に私がガイウス陛下からの正式な謝辞を受け取っていることは、同席なされたウェイン殿下もご存知でしょう? それに、献身的な治療のおかげで、傷もほとんど癒えておりますの。お医者様に口酸っぱく言われて、まだこんな仰々しい姿ですけれど」



 彼女が掲げて見せた、丁寧に巻かれた包帯が覗いている袖口に、アッシュが「当然だ」とぶっきらぼうに答える。

 抜糸の日にセレシアも立ち会わせてもらっていたが、化膿なども見当たらず、端の方などは皮膚が再生されつつあった。毎日の包帯の交換して軟膏を塗ることを欠かさなければ、目立つ傷跡は残らないだろうというのが主治医アッシュベルトの見解だ。



「ならば国としてではなく、セレシアの夫として見舞わせてくれ」

「それならば受け取るわ。でも、本当に気にしなくていいのよ? 明日は我が身。見方を変えれば、貴重な経験だったわ」

「(さすがお姉様、強い……)」



 国の代表同士の社交辞令。セレシアは口を挟まないようにしようと一歩引いてぼうっとしていたせいか、不意にこちらへ近づいてきたマリアに反応するのが遅れてしまった。



「本当に、貴重な体験だったわ」

「お、お姉様……?」



 首元をなぞって来る妖艶な手つきに、セレシアはぞわりと、まるで囚われて尋問を受けている捕虜のように身を強張らせる。

 マリアはそっと顔を寄せ、耳打ちを囁いた。



「(いい顔つきになったわね。先日の決戦を経たからかしら。それとも、その後?)」

「お、お姉様っ!?」



 飛び上がってたたらを踏んだセレシアが周囲を気にしてきょろきょろとするのに、鈴を転がしたような笑い声が追い打ちしてくる。



「(な、何てことを仰るんですかこんな時間に! は、ははははしたないですよ!?)」

「(あら、何のことかしら。私は何も言ってないのに、どんどん墓穴掘るじゃない)」

「(うぐっ……っ!)」

「(心配していたのよ? 貴女のウェイン殿下を見る目は、どこか憧れにも似た、従者や弟子みたいなものだったから)」

「(ああー……)」



 そんなことはないと否定するのは簡単だった。きっと、あの日以前の自分なら、そうした変な謙遜をしていたかもしれない。

 けれど今なら、素直に頷くことができた。まだまだ道半ばだということは解っているけれど、かといって、今の自分に胸を張ってはいけないという理由にはならないことを知っているから。



「はい。もう、大丈夫です」



 しっかりと目を見て強く頷くセレシアに、マリアもまた、柔らかく微笑む。



「それじゃあ、私は出立するわね。たまにはサンノエルにも顔を出して。もちろん、だんな様も一緒に」

「ええ、必ず。道中お気を付けて」



 別れの抱擁を交わして、馬車に乗り込む背中を見送る。オルフェウスに嫁いでからまだひと月も経っていないはずなのに、もう数年くらい過ごしているような感覚がある。

 今の自分の目線で見たら、故郷はどんな風に映るのだろう。小さくなっていく馬車に想いを馳せたセレシアは、それが見えなくなったところでうんと伸びをした。



「それじゃあウェイン様、行きましょうか」

「ああ」



 並んで歩き出し、シナプシア邸の門を出たところで、どちらからともなく手を繋ぐ。



「今日のお仕事は?」

「政務がいくつかあるが、急ぎではない書類仕事だから、手は空いているよ」

「それじゃあ、どこかお出かけしませんか。のんびり歩いて、ご飯を食べて――」



 指折り数えるセレシアを見つめていたウェインは、ああ、と唸った。



「市井の店は俺も詳しくないな。国として支援をしているような観光地なら案内できるのだが……」

「構いませんよ。今日から探しましょう!」



 近場の書店を覗き込み、大衆向けのガイドブックを一冊購入して、二人で覗き込みながらお散歩プランを練る。けれどすぐに、あっちへうろうろ、こっちへそわそわ、戦を終えて活気の戻った町に漂う色々な音や香りに、二人の足はルートを外れていく。

 既にガイドブックは用を成していないような気がしたけれど、それで良かった。

 はぐれないように腕を組んで、セレシアは笑った。それにウェインもまた、笑ってくれる。


 二人並んで、一歩ずつ。見上げた空は、気持ちの良い晴天だった。






――黒の男装騎士と金色の獅子王 第一部【嫁入り編】(了)

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